第6話 「人の贋作」
【1】
アレシオさん達が去り、私は森の中で独りになる。
孤独は途端に止め処のない恐怖を呼び寄せた。
アレシオさんは魔女の対処にきっと慣れている。
今まで向き合った魔女と比べると、私なんて取るに足りないことはわかりきっている。
私は魔法の扱いが決して上手だとは言えない。
魔法の練習なんて長いことやっていないし、そもそも誰かを攻撃するために魔法を使うことなんて滅多になかった。せいぜい威嚇程度だ。
要するに、戦い慣れていない。
純粋な戦いでは、絶対に太刀打ちできない。
力技で解決することなんか、できっこない。
村へ降りた彼らは、きっと私の正体を皆に告げるだろうか。
正体が知られると、村に残ることができるはずがない。
例え今から村に降りたところで、私が魔女であるという事実が回ってしまえば、また追い返されてしまう。
それが最後、再び戻ることは無いだろう。
「なんで、なんで上手くいかなかったんだろう」
もしかすると、自分は普通の人間になることができたのかもしれないと思っていた。
ソレラと一緒に暮らし始め、村の人とも笑顔で挨拶を交わし、消えない憎しみのことを一度忘れてしまうことができたのかもしれないと思った。
だからずっと魔法を使わなかったのだ。
魔法を使うと、ただの魔女に戻ってしまう気がした。
だけど、そのくらいで人間になれるわけがなかった。
考えてみれば、自分は改心したわけでも、嘘をつかなくなったわけでもないのだ。
村に帰って来た時からそうだ。
魔法に頼り、自分を『両親のいない宿屋の娘』であるという嘘を村に信じ込ませた。
アレシオさんやソレラが言わない限り、彼らは誰一人として真実を知らないままだったのだ。
酷い裏切り行為だ。
しかし、騙し続けていることに対して私は何も感じなかった。
それで自分たちが生きられるなら、別にいいと思った。
ほら、自分自身すら嘘で虚飾された存在だ。
そもそも本当の私はこんなに穏やかではなかったし、他人に笑顔をふりまけるような存在ではない。
心を偽って、表面上は優しい自分を演じている。
中身は何一つ変わっていないというのに。
苛立つと物に当たりたくなる。
何でも他人のせいにしたくなる。
自分の過失から目を背ける。
ああ、そんな人だったなと思い出した。
結局、私は嘘の魔女でしかなかったのだろう。
嘘は決して真実にはならなくて、村に住むために繕った新しい自分なんてハリボテでしかなかった。
すでにあちこちが綻んでおり、薄々と矛盾を感じている村人だって少なくなかったように思える。
だから決壊するのは時間の問題だった。
それが少しだけ早まっただけだ。
そして醜いことに、この期に及んで私は『嘘をついたこと』それ自体については何も感じず、『ソレラに見限られたこと』だけを悲しんでいる。
そういうところが、人間として欠けているのだと思う。
茫然としていると、ティーカップが手から落ちてしまう。
がしゃん、という音と共にそれは砕けた。
床にはそれまでこの世界に存在していたティーカップと全く同じ要素が散らばっている。
しかし、その役割は二度と戻ることはない。
それは水を留める形状を保ったその瞬間だけ、モノとしての価値を見出す。
試しに破片を繋ぎ合わせる。
ぐらぐらしているものの、形だけは元に戻る。
しかし、水を上から注ごうとした瞬間に全てが離れ、再び無価値な破片へと還る。
テーブルの上で水が流れ、ぽたぽたと地面に落ちていく。
もう一度だけ、破片を集めて形を作る。
遠くから見たらそれはただのティーカップなのに、目を凝らしてよく見るとそれはヒビだらけでところどころ歪だった。
その歪さが何かを象徴しているようで、私は言いようのない嫌悪感に苛まれる。
「……こんな人間の贋作になんて、生まれたくなかった」
『嘘の魔女』は慟哭する。
自分自身の生を嘆き、ただ、呪う。
【2】
次の日は嘘のように晴れた天気だった。
村の方はどうなっているのだろう。
いつも通り、雲が覆っているのだろうか。
そう考えて、自分がまだ切り捨てられていないのだということに気付く。
村を追い出されるのは二回目だな、と思う。
ふと、千年前に裏切ってしまった少女のことを思い出した。
虐待を受けていた私と唯一話をしてくれた彼女は、私の両親が寝静まった真夜中になると、いつも私のもとを訪れて遊びに誘ってくれていた。
彼女は当時の村の村長の娘で、とても聡明で、昼間はいつも難しそうな本を読んでいた。
村の食糧問題を解決するために、なんとか村の外と交流できないか、なんてことを四六時中考えていたらしい。
そんな中でも夜中に私に会いに来てくれていたのだから、相当大変だったのではないかと今でも思う。
【3】
ちりん、と小さく鐘の音が聞こえる。
それが私達の合図だった。
「クラウディナさん、遊びに来ましたよ」
教養があるからか、彼女は大人みたいに丁寧な言葉遣いをしていたことをよく覚えている。
私は彼女の会話相手としては相当不釣り合いだったように思えるのだが、それでも何一つ意に介さず、彼女は私と話してくれた。
「……私と関わってると、後ろ指さされちゃうよ」
「いえ、いいんです。それなら二人揃って後ろ指さされる方が、ずっと格好いいですから」
「そうかなあ、惨めで恥ずかしいだけだと思うけど」
「そうでもないですよ」
彼女は笑う。
昼間は殴られ蹴られろくに食事も与えられなかったけれど、それでも夜になればあの子と会えると思いながら生きていた。
彼女の佇まいも、話し方も、考え方も、全てが私の憧れだった。
同時に、自分がそんな風になることは決してないのだということも解っていた。
貧しいから優雅な恰好ができないとか、そういうレベルの話ではない。
心そのものが、彼女に遠く及ばないのだと小さいながらに悟っていた。
彼女は道端に咲いた花を愛し、雲の切れ間から僅かに見える朝陽に喜び、そして私と会う度に笑顔を向けてくれた。
多少色が付いていて虫が寄ってくるだけの葉っぱを、どうして彼女は美しいと感じるのだろう。
毎日登って沈んでいくことが当たり前の少し眩しいだけの光に、どうして彼女は涙を流すことができるのだろう。
こんなにも醜い自分を、褒めてくれるのだろう。
彼女は世界の一つ一つをとても大切にする少女だった。
そしてそれは、自分すら大切にできない私とは正反対だった。
何が素敵かなんて全然わからない、
そう言った私に彼女は「いつかわかるよ」と言って、「私もいつかわからなくなるかもしれない」と付け加えた。
彼女の挙げた美しさは説明されたところで何一つとしてわからなかったけれど、彼女自身が美しいことだけははっきりとわかっていた。
【4】
「雪は、全てを覆い隠すんです」
ある日、ニーヴェリタに雪が降らないことについて私が尋ねた時のことだ。
彼女がそう言っていた。
「昔、この山は至る所で沢山の雪が降っていたらしいです。
雪は時が経つにつれてどんどん強くなっていきました。
ここよりも高い所にあった村は、最早人の住める環境じゃなくなっていたらしいです」
「可哀想」
「それだけじゃないんです。そのまま降り続けて、いつか人の居なくなった村は雪で覆いつくされました」
「その村、今はどうなってるの?」
「今も雪の下に眠っています。
もう、既にほとんどの人がその村のことを忘れています。
そして……いつか、誰からも知られない場所になってしまうでしょう。
そんな村があることを考えると、この村はまだ神様に見放されていないのかな、とも思います」
「なんで……この村は見放されないんだろうね」
私はこの村が嫌いだ。
理由は単純、私にとってなんの益もない場所だから。
そして、この子を除いてロクな人間がいないから。
「こんな場所が残っていても、なんにも良い事なんてないよ」
総吐き捨てる私を見て何か感じたのだろう。
彼女は私を心配そうに見つめる。
「何かあったら、私に相談してください。だって私達、友達ですから」
この村ではたった一つの、心からの優しい言葉。
それなのに、私は最後まで彼女に話すことができなかった。
【5】
それから、自分が魔女であるということが明らかになった。
私の置かれた状況はさらに悪化した。
それまで不干渉の立場を取っていた人間たちでさえ、私を避けるか、悪意をぶつけるようになった。
彼女だけは、それでも私の傍に居てくれた。
それなのに、私は何一つ相談できないまま、毎日を過ごした。
時折彼女が心配そうな表情で「大丈夫?」と私に訊いてくれた。
けれどそのたび、なんでもないと返した。
彼女はそのまま不安な表情をしたまま、けれどそれ以上追及はしてくることはなかった。
これ以上彼女を、自分の問題に巻き込みたくなかったのだ。
醜い自分にこれ以上触れると、彼女まで自分と同じような人間になってしまうような、そんな気がしたのだ。
だから、最後まで黙っていた。
ニーヴェリタを追い出される、その最後の瞬間まで。
孤独な魔女の、たった一人の友達。
そんな彼女に、私は最後まで助けを求めることができなかった。
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