第5話 「わからない」

【1】


「まだ訊きたいことが一つあります」とアレシオは口にする。

「あなたはどうして、わざわざ僕が魔女を探しに行くと言った時、最終的に自ら同行する選択を取ったのですか。

 過去、ここにあなたが住んでいたというのなら、居場所を伝えるのは自分の首を絞める行為だ」


 初めはアレシオから提案したものの、最終的に着いて行くことを選んだのは彼女自身だ。

 しかし、自分自身がその場所に行くのはリスクが大きすぎるのではないか、とアレシオはふと思った。

 先ほど述べた通り、彼女が居場所を知っているという嘘も正体を知られるリスクをはらんでいる。

 それに、そもそも車椅子で山道を登ることもある程度危険なはずだ。


 そのような行為には必ず理由がある。


 だからアレシオは考えた。

 クラウには、誰よりも先にその場所を訪れなければならない理由があったのではないか。


「加えて、あの夜の出来事です。初めて真夜中に歩こうとするあなたを見つけた時、一つ予想したことがありました」


「……あなたはあの日、本当は歩いて山奥に行こうとしていたのではないですか?」


『アレシオ、さん……私、足、動かなくて……』

『わかっていますよ、大丈夫です』

『私、立ちたかった、のに、なんで……』


 夢と現実が混濁していたから焦った訳ではなかった。

 久しぶりに歩こうとしていた彼女は、純粋に二本の脚で立つことができなくなっていた。

 演技が本当に成り代わろうとしていた。

 そのことに、あの時の彼女は怯えていたのである。


「……………………」


 まず、あの夜の間に彼女はここまで歩いてたどり着き、それから用を済ませるつもりだったのだ。

 そして、自分が歩けないようになっていると知ってから、アレシオに着いて行くという手段を取った。そんな流れだろうとアレシオは考えた。


 彼女がいち早くこの場所にたどり着かなければならない理由は当然『自分が魔女であるという証拠の隠滅』である、とアレシオは予想した。

 しかし一見したところでは、クラウが魔女であるということが容易に判明するようなものはあの場所には無かった。

 もしもあったならば、彼女が『嘘の魔女』であるという事実をソレラやアレシオに隠し通すことはできなかっただろう。

 見落としていたのだろうか、それとも他の何かがあったのだろうか。


「どうしてあなたは、僕が魔女に会いに行くと言った時、着いて来たのですか」


 あるいは、そこに誰もいないということを知られる前に、アレシオを山奥で始末したかったのかもしれない。

 そうではないと信じたかったが、ここまで来るとそれも選択肢として挙がってしまう。


「それは……」


 理由を問われたクラウは口ごもる。どうしてだろうとアレシオが考えていると、ミーアが代わりに口を開いた。

 彼女は知っていた。

 魔女の小屋が見つかるなら、せめて自分が最初にそこにたどり着きたい。

 クラウがそう考えた理由。

 アレシオの考え方はおおよそ正解だった。彼女はそこに見られたくないものがあった。


「あたしは知ってるよ、これでしょう?」


 そう言ってミーアが右手を掲げる。

 その手に持っていたのは、封蝋でふさがれたままの一枚の手紙だった。


「あなたはこれを先に回収しておきたかった、違う?」


 ミーアが山奥の魔女のふりをしている時に偶然見つけたものだった。

 しばらく住んでいたにも関わらず、発見したのは最近のことだった。


 床下の物置に置かれた小さな箱、その中に隠されていたその本はきっと元の家主にとって大切なものだろう、そう考えた。

 まだ中身は確認していないが、それでも明らかだった。そんな風に保管しておくだけの理由が、その中にある。


「おまけに、風化してしまわないように魔法がかけられているみたいね。そこまでするってことは、やっぱり……」

「……っ!」


 家を荒らされ、大事に隠していた宝物を発見されてしまったと知ったら、彼女はどのような反応をするのだろう。

 ミーアはそう考えていた。


 けれど、クラウがそこまで露骨に平静を失ってしまうのは予想外だった。


 自分が嘘の魔女であると判明した時も、なんとか淡々とした表情を保っていた。

 そんな彼女が、いとも簡単に平静を失ってしまう。


「……返してっ!!」


 クラウが大きな声を出した。

 叫び声と同時に、彼女の身体からいくつもの氷塊が飛び出す。

 それは久しく忘れていたが、確かに彼女が使える魔法だった。

 村から失われた雪を押し固めたような、冷たく鋭利な剣。


「ちょっと、やめなよ急にっ」


 ミーアはそれをひょいと避ける。

 もちろん、幾多の魔女と一戦交えた彼女にとって、この程度の魔法は造作もない。

 アレシオも同じだ。


 しかし、氷は四方八方に飛び出していた。


 そのうちの一つは、魔女を知らない普通の少女の方へと放たれている。


「え……?」


 魔力でかたどられた剣が、ソレラの頬を掠める。

 刃が通過した後、少し遅れてそこから赤い液体が流れ、そして地面に滴り落ちた。

 あくまで掠めただけであり、まったく致命的なものではなかった。

 しかし、『クラウが自分を傷つけた』という事実だけは、はっきりと残った。


【2】


「わかんない……」


 理解の追いついていない思考。頬の痛み。


「なんにもわかんないよ、もう……」


 脚が不自由なはずのクラウが立ち上がっただけで言葉を失ってしまったと言うのに。

 加えて、ずっと一緒に過ごしてきたはずの彼女が実は魔女で、それが今、自分に刃を向けた。


 一つ一つの事実が、どうしても飲み込めない。

 今、目の前で起こっていることが夢ではないかと思う。

 しかし痛みは本物で、魔法は彼女が魔女である何よりの証拠だ。


 頬を掠めた痛みが、ギリギリのところで保っていた彼女への駄目押しとなった。


「違うのソレラ、あなたを傷つけたかったわけじゃ……!」


 魔法を放ったクラウも動揺していた。

 久しく使っていなかったから、その魔法が全方位に向けて放たれるものだということを失念していたのだ。

 自分の大切なものをミーアに握られているということから生じた焦りもあった。


 だから、妹を傷つけてしまった。その事実がクラウに重く伸し掛かった。


「……どうしてなの」

「え?」

「本当の姉妹じゃないなら、どうしてクラウは私を拾ったの!

 こんな惨めな気持ちにさせるためなの!?」


 一瞬、クラウの顔が大きく歪んだ。

 しかしその後すぐに彼女は我に返ったような表情をし、それから再び不満を露わにする。そこには自分自身への歯痒さが含まれているようにも見えた。


「だったら、私はあなたを見放せば良かったの? 

 死にそうなあなたを無視して、そのまま死んでしまうことを許容すればよかったの?」

「そうじゃない! そうじゃないけど、あんまりでしょ……!」

「 私は自分が生きるために、そしてあなたが生きるためにそうしただけ!

 騙してでも、死ぬより百倍マシだと思った、

 それが嫌だったら、あなたが生きることを諦めるしかなかったのよ……!」

「はいはい、一旦やめて」


 クラウの語気が強くなっていくのを感じ取ったミーアが二人の言い争いを静止する。


「クラウ、あなた今冷静じゃないでしょう。

 魔女がそんな状態を続けたら、いつ暴走するかわかったもんじゃないわ。

 だからストップ」

「……………………」

「もう一度あなたが平静を失って、魔法を使うようなことがあれば……

 あたしも本気で応戦しなきゃいけなくなっちゃうから」


 ミーアは鋭い眼光を向ける。

 気圧されたクラウは、そこで一度、強引に呼吸を整えさせられる。


 それを見て、ソレラも押し黙った。

 今はこれ以上話したところで、感情任せの発言しか出てこない、そのことに気付かされた。



「……もう、帰ってください」

「あなたはここに残るのですか」


 クラウは頷く。


「……村に戻りましょう」


 その言葉を皮切りにして、アレシオ達も『嘘の魔女』に背を向けた。


 最後、一瞬だけソレラは振り返る。

 背後には小さくなっていく小屋と、自分が姉だと思っていた存在。


 最後にもう一つ、伝えられなかった言葉がのどに引っ掛かっている。



【3】



 帰り道の途中、アレシオは無意識のうちにため息を吐いてしまう。



 ところどころで彼女を敵に回すような物言いをしていたかもしれないが、自分は決して『嘘の魔女』を憎んでいる訳ではない。

 そもそも、自分は曲がりなりにも魔女の心を救おうとしているのだから。

 憎まれることには慣れているし、それでも彼女の異常を取り除くために働き続けるべきだ。


 しかし、いま彼女と向き合うにしては、状況があまりに悪すぎた。


「このタイミングで話すって決めたのは、あなた自身でしょ」

「……そうですね」

「人の世に生きる魔女が魔女でなくなるというのは、それを取り巻く世界が変わるということよ。本人にとっても、周りにとっても」


 隣を歩いていたミーアは彼を戒めるように話す。


「だから、あなたはその責任を負う必要がある。例えそれが善行のつもりでもね」

「それはわかっています」

「そう、わかってるの」

「……何度も何度も、体験してきたことですから」


 本当に背負うことができたのかはわからない。

 しかし、自分なりにその覚悟はしているつもりだった。


 例えば。

 軍神であった魔女の異常が無くなれば、国家の戦力は大きく変わってしまう。

 そして彼女は力を失いただの女の子になる。最早国の重要人物ではない。

 しかし、かといって普通の女の子として生きるのも難しい。

 これまで傷つけてきた人間や殺した人の家族からの恨みは消えないし、知り過ぎた彼女を国が生かしておくとも思えない。

 普通の人間になるためには、負債が大きすぎるのだ。


 そんな彼女達に対し、アレシオ自身が生涯をかけて支える事はできない。

 世界には同じように異常を抱えた魔女が多く存在する。

 だから、アレシオは旅を続ける必要があった。


 変わりゆく世界との関係性に折り合いをつける行為は、魔女自身が行う必要がある。

 魔女の異常を取り除いてしまえば終わり、ではないのだ。


 そして、魔女狩りをするということは、魔女の生活を壊してしまうことである。

 わかっているつもりでも、心苦しい。

 だから、未だに自分のやり方が正解であるとも思えないのだ。

 苦しいだけの生がどれだけ恐ろしいものか、それを一番知っているのは魔女なのだろうから。


「……にしても、『大嫌い』だってさ。あんなに優しくしたのにね」


 今回ばかりはいつもの冗談交じりの『嫌い』ではなかった。

 純粋な敵意を含んだ言葉であるだろう。

 人の心を推しはかることが苦手なアレシオも、それに気付かない筈は無かった。


「……面と向かって言われると、かなり傷つくものですね」


 そう言って悲しい表情を見せたアレシオを見て、ミーアは心なしか嬉しそうな表情をする。


「まあ、いいんじゃない? 一人可愛い女の子に嫌われたくらいでいちいち気にしなくても。あたしはアレシオのこと、嫌いじゃないし」

「どうしてですか」

「だって、すごく真面目で、それなのに可哀想で、とびっきり惨めなんだもの」

「あなたも性格が悪いですね」

「魔女だから歪んでるのよ」


 けらけらと笑う。

 自分が魔女だからか、あるいはこのような状況に慣れっこなのか、ミーアはすぐにいつもの表情に切り替わっていた。


 しかし、普通の少女が同じようにできるはずはない。

 ましてや、『記憶している限り』ずっと姉であった人間が魔女だと判明した後では。


「……………………」

「ソレラさん、一度宿に戻りましょう」


 彼女の頬からもう血は流れていないが、その痛々しい傷跡は依然として残っている。


「久しぶりにしては、かなり強い魔力だったわね」

「確かにそうですね。あの段階の魔女にしては、相当な魔力でした。」


 あの段階、というのは彼女の魔女の『深さ』の話である。

 ”強い魔女”かどうか、そうでない場合、通常の魔女の三つの段階のどこに位置するか、それを考えれば、魔女の魔力はおおよそ予測がつく。


 クラウは三つの段階のうちの真ん中、『自分の異常は理解しているが、それが克服できない魔女』である。


「クラウさんが魔法を使うのが久しぶりでなければ、もっと強力だったかもしれない。」

「本当よ、『自分の病理に気付いている』段階の魔女と対峙して、あそこまでヒヤッとしたことはなかったわ。どうしてなんだろ」

「まあ、同じ段階の魔女でも、個人差はありますからね」

「…………それもそうね」


 一旦話を着地させ、アレシオは再びソレラに話かける。


「…………」

「まだ、頭の整理がついていないと思います」

「……あのさ」

「はい」

「結局、わたしの周りの人たちは、みんな隠し事してた。誰一人、ろくに自分の素性を明かしてなかった」

「すみません。ソレラさんには本当に申し訳ないと思っています。魔女をおびき寄せるためとはいえ、周りくどい方法であなたの心を傷つけた」


 クラウだけでなく、自分たちも真実を言わなかったこと、そのことについて責められていると思ったアレシオは謝罪する。

 しかし、ソレラは首を横に振った。


「ううん……そうじゃないの。それも確かに謝って欲しかったけど……わたしが思ったことは、違う事」

「では、何でしょう」


 俯いたまま頷かない。けれど、彼女はそのまま言葉を発した。


「クラウは『嘘の魔女』だって言ってたよね……」

「はい」

「つまり、クラウは嘘つきだから魔女になってしまった、っていうことなのかな」

「恐らくはそうです。魔女は基本的に、他人と比べてある感覚が決定的にずれてしまっています。それが人として『欠けている』から、彼女は魔女になった、そう考えるのが妥当でしょう」

「そっか、やっぱりそうだよね。でもさ……」


 一瞬ためらってから、彼女は疑問を口にする。


「それって、わたし達と何が違うの?」


 アレシオやミーアを責めているわけではない。

 ただ、わからなかったのだ。


「わたしや他の村人たちが嘘をつくのと、クラウが嘘をつくのは、何が違ったの?

 どうしてクラウだけが赦されなかったの?」


 自分だって嘘を付くことは幾らでもある。

 物を壊したときは隠そうとするし、怒った時も怒ってないと言ったりする。

 子供たちはすぐにその場しのぎの嘘を吐くし、大人たちもすぐに都合の良い嘘をつく。

 それなのに自分や他の村人は魔女ではなく、クラウだけが魔女になってしまった。

 自分達とクラウの間には、何の違いがあるのだろうか。


 アレシオは何も答えない。


「赦されなかったんじゃないの、逆よ逆」


 代わりにミーアが口を開いた。

 魔女は永遠に等しい命を与えられた存在である。

 それは決して呪いではない。

 人間として欠けている分、代わりに寿命を与えられたのだ。


「あたし達だけ『神様に愛されちゃった』の」


 ミーアはそう言ったきり二人から意識を逸らしてしまう。

 ぼーっと眺めていたのは、乱雑に倒された車椅子。

 なんとなく試しに蹴ってみると、車輪はからからと音を立てて回った。

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