第4話 「虚構の姉妹」
【1】
「……これが、山奥に住む魔女の伝説、そして私の正体。
どこまで気付いていたのかはわかりませんが、答え合わせくらいにはなったんじゃないですか」
『嘘の魔女』は淡々とした調子でそう語った。
「その名を冠しておきながら、長々と真実を語るのも皮肉なものね」
「そうですね、余程あなたの方が『嘘の魔女』に相応しいかもしれませんよ」
「面白い冗談」
ミーアはちらりとソレラを見た。
彼女は黙って俯いており、その表情はよくわからない。
「つまり……今のあなたは村の全ての人々に『嘘』の魔法を使っているということでしょうか」
「そうです。何年間も、村の人たちは私の魔法にかかっています。誰も気付かないまま、ずっと」
「村の皆さんに魔法をかける理由はわかります。しかし、どうしてあなたは『脚が不自由な少女』を演じていたのですか」
「……カモフラージュなんですよ」
そうクラウは返答した。
「脚が不自由だとか、身体が弱いだとか、そういうことを言っていれば寿命が長いと思われる。
寿命が長いと思われれば、少し見た目の変化が遅くても誤魔化しやすいんです」
「そうすることで、自分自身の見た目が変わらないことの違和感を消そうとしていた」
「はい」
全く見た目が変わらない人間はいない。それは魔女だけだ。
彼女はいつかこの村を出なければならないと考えながら、少しでも猶予を伸ばすために、身体的な不自由を演じていた。
「それに……私が再び村に降りた時のニーヴェリタには、ある制度がありました。
生まれ持って身体が不自由な人間のために、生活を支えるものです。
お金も何も無い私にとって、それが貰えれば生活がとても楽になると思いました」
数百、数千年ぶりに村に降りた時、ろくに食事を取らず細くなった身体を見て『歩いているのが不思議だ』と言われた。
その瞬間、クラウの脳裏にその『嘘』が浮かんだ。
「だから、『脚が不自由な少女』という嘘で村の人達を騙しました。
こんな後付けの設定でも、効果は覿面でした。私の魔法は強力なんです。
……普通の人にとっては信じられない話だとは思います、でも本当です。
普通じゃないあなた達なら、理解してくれますよね」
「そうね、魔女にとっては、そのくらい不思議じゃない」
ミーアは頷いた。
もちろんアレシオも、魔女ならばそれくらいのことができて不思議ではないと理解していた。
しかし、この場には一人、何一つとして受け入れられない『普通』の人間がいる。
「待ってよ……私、全然わかんないよ」
クラウがそこまで語り終えたところで、顔を上げたソレラは首を横に振る。
これまで聞いたことのなかったクラウの出自の話、自分と彼女の間の本当の関係、全てがあまりに突拍子も無い。
姉が姉でないと言われて、すぐに信じられる妹がこの世界のどこにいるというのだろうか。
「ねえ……嘘でしょう。だって、クラウが魔女だとしたらわたしは何なの!?
魔法は使えないし、歳だって普通に取ってるじゃない!」
「そんなことは関係ないの」
「でも、クラウ……!」
まだ認めたくない。
しかし、違和感はいくつもあった。
クラウは車椅子だから他人と比べて寿命が長く、見た目の変化も遅い。
それはわかっている。けれど、それにしたって限度があるだろうとも感じていた。
端的に言えば、彼女の語った真実の中の幾つかは、ソレラが無意識のうちに考えないようにしていたことだった。
彼女の知る限り、クラウはこの数年でほとんど見た目が変わっていない。
ほとんど、というのは自分の主観で、もしかすると全く変わっていないのかもしれない。
つまり、彼女が歳を取っているという証拠はどこにもない。
「ソレラさん。魔女は家系の問題ではないんです。普通の家族のように、突然変異で生まれてくるとされています」
だから、魔女の姉妹が魔女ではないことは十分に有り得る。
アレシオがそう伝えたのに対し、ミーアが怪訝な表情をした。
「違うでしょ」
怒った調子で言い放つ。
「そもそも、歳の差が千歳の姉妹なんて有り得るわけないでしょ。ちゃんと伝えなさいよ、アレシオ」
「ですが……」
「今くらいは『本当のこと』を伝えるべきなんじゃないの」
アレシオはばつの悪そうな顔で黙り込んでしまう。
ソレラに本当の事を伝えることが正しいのか、考えあぐねていた。
これ以上の事を伝えた結果、彼女の心が壊れてしまわないだろうか。
「……いや、違うか。あなたが言うべきよ」
沈黙してしまったアレシオから視線を外し、クラウの方を見る。
「あなたの問題でしょ。あなた自身の口から、この子に全部話してあげなさい」
「……………………」
「そのくらい、覚悟してよ。ここまで話したのなら」
言われ、クラウがソレラの方を見る。
姉妹は向かい合い、目を合わせた。
ソレラは未だ唖然とした表情でクラウを見ている。
「クラウ……今の話の、どこまでが本当なの」
「全部よ。アレシオさんの話も、私の発言も、全てが本当のこと。今までのことが偽りなの」
「……………………」
「今までおかしいとは思わなかったの?
生まれた時から父親も母親もいないのに、姉妹二人で生きていけるなんて。
そんな甘いはずがないじゃない。
あなたが成長した後ならまだしも。
私もあなたも働けないような状態で生きていけるほど、この世界は優しくない」
「そうだけど……物心ついた頃には、生活ができていたはずよ」
「その『物心』っていうのはいつから?」
「え?」
「あなたは、何年前の事まで思い出せるの?」
「何年前、えっと……」
「あなたの記憶は混濁しているはず。『物心着いた頃』というけれど、それがいつのことかもわかっていない、そうでしょう」
小さい頃の記憶がなんだかぼやけているな、と感じたことは一度や二度ではなかった。
しかしその度ソレラは気にしないよう努めた。
一度そのことを考えてしまえば、自分はもう後戻りできないと、どこかで気付いていたのかもしれない。
「……それも、クラウの魔法なの。『嘘』の力なの」
「そうよ。どうして村の人たちは私たちのことをあまり知らないのか、考えたことがなかったの?」
「……………………」
「どうして自分の幼い頃の記憶が全く無いのか、それを不審に思ったことは無かったの?」
ソレラの幼い頃の記憶は、得てして不明瞭なものであった。
それがクラウの『嘘』によるものだと考えれば腑に落ちてしまう。
ミーアはこの時、自分の予想に確証を持った。
「ソレラ、やっぱり貴方……」
----気づいていたのね?
----あたしが村の魔女ではないということに。
----姉が、姉と思っていたものが、本当はそうではないということに。
「……………………」
「私は村の人たちに嘘をついた。
『自分達はこの村に昔から住んでいた姉妹であり、自分達は親を無くした姉妹。叔父と叔母の所有していた宿で二人暮らしているが、それ以外の援助はあの人たちから与えられないため、二人で宿屋を営んでいる』
そういう設定を造りあげた。もちろん、あなたにもそれを信じ込ませた」
「……………………」
ソレラは沈黙する。
「……じゃあ、話を続けますね。
千年くらい前、私は他の人間と同じように、ニーヴェリタで生まれたの」
アレシオとミーアは二人のやり取りを黙って見ていた。
「不出来で、役立たずな子だった。父と母はいつも私を疎ましがっていた。
……父と母は、魔女であると判明するや否や、私を本当の娘ではないものとして扱った。そもそも初めから、娘のことを人間と思ってなかったのかもしれないけれど。
……私は殴られ、蹴られ、時には怯えられて、最後にはニーヴェリタを追い出された。そしてあの山奥の小屋にたどり着いた。それから、長い年月をあそこで過ごした。一人きりで。
……そしてあなたは、十年ほど前にどういう訳か、私の前に現れた。家族からの虐待か、それとも村が魔女に差し出した生け贄か……
どちらにせよ、誰かに不要であるとされ、山に一人捨てられていた。それがソレラ、あなたよ」
「……ということは、やっぱり」
「ええ、もうわかっているでしょう」
『嘘の魔女』は哀しみをこめた瞳で真実を伝える。
「つまりね……私とあなたは、本当の姉妹じゃないの。血も繋がっていない、赤の他人」
「……………………」
「私はあなたを拾っただけ。
あなたは山奥で暮らしている時にたまたま見つけた、捨てられていた子供。
村に戻る時に都合が良かったから、一緒に暮らしていただけ」
「………………嘘」
ソレラの心の中には、発した言葉と矛盾する感情が渦巻いていた。
そんなわけがないとそう訴えているはずなのに、ソレラの身体の芯はその現実を受け入れる準備ができていた。
だから、心の奥ではすんなりとクラウの言葉を受け入れていた。
当然だろう。
だって、それが『本来あった形』なのだから。
そんな『妹だと錯覚していた少女』の姿を見て、クラウは余計に哀しく思う。
「……しょうがないじゃない、本当のことなんだから」
「どうして、今まで教えてくれなかったの」
「言ったらあなたは幸せになるの? 違うでしょう」
「でも、だとしても……っ!」
「だってそうでしょう?
今も、あなたを不幸にしてる。 本当の事なんて、何一ついいことはなかった」
「クラウさん、これ以上はやめてください」
震えながら否定をするソレラと、そこに哀し気な表情で言葉を浴びせるクラウ。
二人の状況が良くないと思ったアレシオは会話を遮った。
その態度を見て、クラウは冷たい目で彼を睨みつける。
「あなたは他人のくせに、勝手なことを言うんですね」
「……他人、ですか」
「そうですよ。私たちの問題でしょう、これは。村人でも、家族でもない他人のあなたがどうして介入するんですか」
「それが僕の仕事であり、使命だからです」
「ただのエゴではないのですか」
「そうかもしれません」
「……どっちなんですか、はっきりしてくださいよ」
『嘘の魔女』であることを明かされたということは、本当のことを言わない自分自身を否定されたも同義だろう。
それなのになぜ、今度は真実を伝えることを否定するのだろうか。境界が見えてこない以上、クラウにとっての疑問はさらに助長される。
自分が正しくないことくらい、ずっと前から知っている。
けれど、何が正しいのかはわからない。
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