第1話 「真実」②
【8】
その言葉に、場が一瞬で凍り付いた。
「え……?」
「本当だ。公国に風変わりな人間は沢山居るが、あそこまで特徴的な赤い長髪の少女は忘れられない。それがこいつと一緒に、市場で物を買っていたのを見たんだ!」
つまり、ここに来る前の彼は「ミーアと一緒に」公国に居た、ということだろうか。
言葉の意味はわかるが、そんなことは有り得ない。
そもそも、ミーアが公国に居るなんてことが信じられなかった。
伝説によれば、彼女は人間嫌いの魔女のはずだ。
なのに、どうして。
「……ということはさ、あんたも魔女とグルだったってことなのか?」
バルドは怒りと恐れを含んだ声色で尋ねる。
否定して欲しかった。
けれど、青年は首を横に振らない。
「なんでなんだよ……おい……!」
表情一つ変えないアレシオのその姿を見て、バルドはぎりと奥歯を噛んだ。
「こ、こいつも、俺達を殺すかもしれないってことだろ?」
村人の中の一人がまた叫んだ。
「列車を動かしたときのあの魔法みたいなのを思い出せよ!
あんなもん持ってるってことは、簡単に俺達を殺すことができるってことじゃねえか」
敵意を伴った声は連鎖する。村人達は口々に思いを呟く。
「いえ、僕はあなた達を殺すつもりは……」
「しゃ、喋るな近寄るなっ!」
一番傍にいた村長が慌てて声を出し、ふらふらとした足取りで距離を取る。
「胡散臭いと思っていたんだ。結局、最初から私達を騙していたのだな!
救世主であるように見せかけて、油断したところで村を滅ぼそうとしている、違うか、違わないだろう、この悪魔め!」
捨て台詞のようにそう叫びながら、村長は広場から姿を消した。
それを皮切りに、他の村人も逃げ惑う。
自分たちがここで殺されるかもしれない、と怯え、その最悪を回避するために走る。
反対に、中には茫然と立ち尽くす者も居た。
状況を理解できず、あるいは恐怖で足が竦んでしまった人間だろう。
「……なあ、旅人さん、教えてくれよ。さっきのは嘘なんだよな。
お前と魔女がグルだなんて、そんなのありえねえよな。
本当だったら、こんな村とっくに滅ぼしているはずだろ」
自分の感情の置き場を見失っている彼は、震える声でアレシオに問いかけた。
「……魔女ミーアと僕の間に面識があった、というのは事実です。
彼が見たのも、僕と彼女で間違いありません」
「ってことは、なんだ。最初から俺達を騙してたのか?」
「……そのように取られても、仕方の無い事だと思っています」
「……お前はずっと笑ってたのかよ!
魔女に怯える俺達を見て、馬鹿にしていたのか!」
「すみません」
今欲しいのは謝罪ではない。しかし、それ以外の言葉を持ち合わせていなかった。
「……っ!」
「やめっ……!?」
言葉が最後まで発されるよりも前。
拳が飛んで、アレシオの右頬に到達し、鈍い音が鳴る。
「嫌……」
「……………………」
アレシオ本人は、暫く静止してから無表情のまま顔を上げた。
恨んでいるような様子はない。怒りも見られない。
彼が怒るのは当然だと、わかっている。
それからバルドは拳を下げ、少しだけ声色を落ち着かせる。
「……なあ、一つだけ教えてくれ。
お前と、その魔女ってやつは、村に害を為しているのか?
村を滅ぼすつもりなのか?」
「それは、答えることができません」
「答えろよ、でないと肯定に受けとっちまう」
「……………………」
アレシオ本人にすらわからない。
自分の信じた行いは村に害を為しているのだろうか。
少なくとも今は、人々を不幸にしてしまっているなと思う。
だから、彼は沈黙を貫いた。
「…………そうか、まただんまりか」
もう一発、拳が飛ぶ。
口の中が切れたのか、アレシオの顎には血が付着していた。
「クソ!」
それだけ言うと、バルドは踵を返してその場を去った。
そして、アレシオと姉妹だけが取り残される。
「アレシオさん、本当なの?」
ソレラが尋ねる。
「はい、僕はあの魔女のことを知っています」
「何か理由があるんだよね、それを教えてよ」
「まだ、言えません」
「どうして?」
「それは……」
「アレシオさんが列車を動かしたとき、もう隠し事はしないでって言ったじゃん、本当のことを教えてって言ったじゃん、それなのに、どうして?
わたし達が信用できなかったの?」
「信用をしていないわけではありませんが、言えませんでした」
「アレシオさん、私からも質問させてください。ミーアさんは一体、何者なんですか」
クラウも重ねてアレシオに質問する。
「……彼女は僕の友人です。古くからの」
それだけ返す。
「あなたの旅は一人旅ではなく、ミーアさんと二人でのものだった、ということですか?」
「……………………」
「初めて列車で出会った時、『友人とはぐれた』と言っていましたね。
その友人というのが、ミーアさんなんですか」
「……そうです」
「そう、ですか」
彼が本当に魔女狩りなのだとすれば……魔女狩りなのに、魔女とともに旅をしているのは何故なのだろうか。
そんなことが脳裏をよぎりながらも、今はただ目の前の課題に焦点を当てる。
「一体、あなた達は何者なんですか。
何をしに来たんですか。
村に災いをもたらすために、やってきたんですか」
「否定できません」
「否定してくださいよ」
「僕にとっては、これは正しい行いのつもりです。
けれど、あなたにとっては不幸かもしれない。
そういうことをしています。これからも、きっとそうです」
「これから?」
「はい、もしあなた達が望むのなら、僕に付いてきてください。
全てを明かすなら、この村の外の方が良いでしょう」
そう言ってアレシオは踵を返す。
クラウとソレラに背を向けたまま、再び話し始める。
「まだ言えないと言いましたが、僕の準備はできています」
「……………………」
「後はあなた達次第なんですよ。僕は、あなた達が真実を知る準備ができているのか、それを確認したかった」
「私達の準備、ですか」
「はい。真実を知るのは簡単なことじゃありませんから。
僕としては、このままあなた達が真実に触れず、僕が裁かれても良いと思っています」
「それは、私達への失望ですか。そうすれば、あなたは私達に見切りを付ける、そういうことですか」
「いえ。心からそう思っています。自ら不幸を背負うことが、必ずしも必要だと僕は思えませんから」
そこまで言ってから、アレシオは歩みを進める。
行き先は明らかだった。
方向はいつもと同じ、村の外に出るための場所。
少し焦げてしまった森の中へ入っていく。
「真実を知る覚悟が、できているのか……」
ここで自分に着いて行くことは、きっと必然ではない。
アレシオの最後の発言は、そういうことだ。
ここで私たちが着いて行かなかったところで、彼はきっと自分の使命を果たしていくのだろう。
それが正しい方法なのかはわからないが、きっとそうしてくれる。
だからこそ、緊張が走った。
真実を知ると、もう引き返せない。
「……クラウ」
「ん?」
「どうするの?」
ソレラが尋ねる。
私に選択権を委ねようとしているのだろうか。
それにしては、彼女の瞳は怯えの中で真実を渇望しているようにも見えた。
であれば、私がかけるべき言葉は……
「あなたこそ、どうしたいの?」
「わたしは……」
ソレラは一瞬詰まってから、強い意思を持って答えを口にする。
「アレシオさんについて行きたい。
あの人のこと、ミーアのこと、そして村のこと……全部知りたい。
例え後悔するとしても、それでも」
ああ、やっぱり。
彼女のその答えを聞いて、優しく微笑んだ。
「そうだね……じゃあ、行こうか」
「良いの? クラウがどうしたいか、言ってもいいんだよ」
「ううん」
クラウは首を横に振る。
「私はあなたのお姉ちゃんだから。
だから、あなたのやりたいことに、私も従う。
あなたが真実を知りたいのなら、そうあるべきなんだと思う」
「…………ありがと」
「じゃあ、行こっか」
「うん」
頷いて、ソレラはクラウの車椅子を握った。
そして彼の方角へと進んでいく。
車輪が回り始める。
【9】
魔女の小屋へ着くまでの道中、クラウは思いをめぐらせていた。
これからきっと、彼は自分自身のこと、そして魔女のことについて話す。
彼は全てを知っている。
彼自身で導き出した答えに確信を持っている。
それはハッキリと判った。
「クラウ」
車椅子を引いていたソレラが声をかける。
「何?」
「震えてる」
言われて初めて、自分の身体が小刻みに揺れていることに気付いた。
「怖いの?」
「そうかもしれない」
そっか、とソレラは頷いてから言葉を続ける。
「でも、わたしはわからないことだらけの方がずっと怖いのかもしれないと思ってる」
「知ってしまった方が、苦しいことだってあるかもしれないよ」
「かもしれないけど……でも、たとえ苦しくても、知るべき事は沢山あるんじゃないかと思ってるよ」
「そっか」
真実はすぐにわかるのだろう。
だから、全てを受け入れる覚悟をしなければならない。
「あなたは強いね」
「……ううん、クラウの方が、ずっと強いよ」
「どうして?」
「震えても、前に進んでるから。それは普通に歩くより、ずっと難しいよ」
彼女が面と向かって褒めるなんて珍しいな、とクラウは思う。
【10】
魔女の家に着くと、入り口の前にミーアが立っていた。
「……………………」
沈黙したまま三人を見つめる彼女。しばらくしてから口を開いた。
「まず言っとくけど……火事の主犯はあたしじゃないわよ。
本当の本当に天災。
乾燥した風が山の上から降りてきて、それで火がついちゃったんだと思う」
「違うの、訊きたいのは、もっと別のこと」
ソレラが彼女に向かって口を開く。
「……でしょうね」
ある程度それも予期していたのだろう。ミーアはため息をつく。
「村人達が言ってた。あなたが、アレシオさんと一緒に公国に居たって。それは本当なの?」
できれば否定して欲しい。
そんなソレラの願いも虚しく、彼女はただ真実を口にする。
「本当よ、ソレラ。あたしとアレシオは前から知り合いだったし、公国で一緒に居たのも事実」
「……わかんないよ、あなたの何が本当なのかわかんない。わたしはずっと、あなたが皆の考える魔女のふりをしているようにしか見えなかった」
彼女はあまりにもイメージ通りの魔女だった。それが逆に違和感となった。
彼女はなんらかの理由で、自分が魔女であることを他に印象付ける必要があった、そう予想した。
魔法が使える以上、魔女かそれに類する存在であることは間違いない。
「結局、あなたは人間嫌いでも何でもないってことなの」
「さあ、その点についてはどうだか。嫌いだったり、そうじゃなかったりするけど」
「じゃあどうして、人間のアレシオさんと一緒にいたの」
「だって、この男は人間らしくないもの、どちらかと言えば『こっち側』よ。異常者の側」
「どういうこと……?」
それからソレラはアレシオの方を向く。
行き場のない感情を浮かべている妹を、車椅子の少女は悲しそうに見つめている。
「アレシオさん、教えてよ」
「……………………」
「全てを明かす、って言ってたじゃん。
それなのになんで、ここに来てまだ躊躇ってるの……?
わたし、これ以上知らないままなのは嫌だよ……」
アレシオは純粋に心配だった。
『真実に触れるのは簡単ではない』と告げた通り、アレシオは彼女達が本当の事を知って幸福になるとは思っていなかった。
むしろ、自分たちやその他をより憎むようになるのかもしれないと考えていた。
今更躊躇しても仕方がないことはわかっている。
それでも、これまで親しくしていた姉妹の恩を仇で返してしまうような真似かもしれない。
そう思うと、簡単に踏ん切りがつかなかった。
「この子は大丈夫だよ」ソレラを指差してミーアが呟く。
「問題はこっち。クラウ、あなた……本当に覚悟ができてるの?」
ミーアは複雑そうな顔をしている。
「……ずっと、覚悟はできています。初めから」
ミーアの口が動く。
声にならないが、『うそつき』と呟いているように見えた。
それから深呼吸をし、少しだけ間をおいて、彼女は手にしていた杖を二人に向ける。
「……じゃあ、そろそろ全部終わらせちゃおうか」
そう言って一歩踏み出す。
穏やかな少女としての雰囲気は失われ、魔女としての気迫が全面に現れる。
警戒体勢。まるで戦いの準備を進めているようだ。
肌が裂けるような緊張感は、いち人間であるソレラにもはっきりと感じ取れた。
少しでも目を逸らしたら終わり、そんな予感がした。
やはり、魔女の持つ力は恐ろしい。
けれど引くわけには行かない、初めて出会った時よりも、心の準備はちゃんとできている。
ミーアが決して本当に悪い魔女ではないと信じている。
だからこそ、ここで目を逸らすわけにはいかない。ソレラはそう思い、
ミーアに気を取られていたその一瞬だった。
「……えっ?」
アレシオが後ろから、クラウの背中を押した。
「…………っ!?」
それに気付いた瞬間、ソレラが息を飲む。
いきなり彼が脚の不自由なクラウを押し倒した。
しかしその表情に殺意も敵意も全く無い。悪意の欠片すら見当たらない。
誰かと戦う準備をするミーアとは対照的に、彼はいつも通りの淡々とした調子でクラウに手を出した。
そして直後、ソレラにとって有り得ない光景が映し出される。
【11】
「………………え?」
脚が不自由なはずの彼女は倒れなかった。
使い物にならないはずの二本の脚は、彼女の細い身体を確かに支えていた。
「……………………!」
もちろん手は地面についていない。面しているのは足の裏だけである。
そんなことは、人間にとって普通で、当たり前のことだ。
しかし、その普通は車椅子の彼女にとっては異常だ。
ありえない状況。
だというのに、そこにいるほとんどの人間は大きく動じる様子がない。
アレシオもミーアも、そしてクラウ自身も、それが奇跡でもなんでもないことを理解していた。
ソレラただ一人が、目の前に起こった出来事を理解できないままでいる。
「え、なんで、クラウ、なんで立ってるの……?」
混乱が無意識のうちに口に出た。
彼女がたまに歩く練習をしていたことをソレラは知っている。
しかし、それは実るはずのない努力だということも、ちゃんとわかっていた。
生まれ持った不自由な脚は治らない。
治ってしまえば不公平だ。
その分、クラウは長い寿命を与えられているのだから。
そこで『命の質と量』は釣り合っているのだから。
だから有り得ない。
歩く練習をしたから歩けるようになった、なんて有り得ない。
神様の決めたルールを破れるはずがない。
歩けるようになるはずなんてない。
【12】
彼女と出会ってから数十日、青年はずっと自分の正体を隠していた。
そして彼女も、彼と出会ってからずっと本当のことを隠していた。
そこに違いがあるとすれば、彼女はずっと昔から隠していた、ということだ。
出会ってからずっと、この村で暮らし始めてからずっと。
彼女がたった一人の家族にさえも隠し続けてきた事実。
この村の、人々の常識を覆す、ただ一つの真実。
「生まれた時から脚が不自由……のはず、ですよね」
「……………………」
「では、あなたはどうして今、自分の脚で立っているのでしょうか」
そして種明かしが始まる。
誰も、これまで通りでは居られない。
「もう、隠さなくてもいいでしょう、クラウさん。
……いえ、”嘘の魔女 クラウディナ”」
これは、全てを欺き続けてきた魔女の物語。
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