第10話 「理解」①

【1】


 アレシオにすら言っていなかったが、クラウはこの村の魔女について、もう少しだけ知っていることがあった。

 まだ魔女が村にいた頃、彼女には友人がいたという事だ。

 彼女が他人と違うということを知っても、異常であるということを知っても、そして魔女であることを知っても。

 それでも彼女の傍にいた友人。

 けれど、最後の最後で二人はすれ違ってしまった。

 魔女と親友の、悲しい別れの話。


【2】


 今日の宿はとても静かだった。


 クラウは出掛けてしまった。

 なんでもまた、魔女について話し合う村の会議があるらしい。

 そしてアレシオは彼女の付き添いをしている。

 家の掃除や洗濯をしなければならない自分は、仕方なくここに残った。


 久しぶりに一人になるとサボるのかと自分自身でも思っていたのに、実際には話し相手が居ない分休憩もほとんどせずに仕事を終えてしまう。

 真面目だ頑張り屋だなんだと他人に言われる度に否定しているけれど、そろそろ自覚を持った方がいいのかもしれない。


 まだ太陽は真上だ。

 彼らが帰ってくるまでかなりの時間が残されている。


 どうしたものかな、と考えていると、入り口が開いた。


「あれ、お客さん……?」


 村の多くの偉い人はどこかに集まって話し合いをしている。

 村長さんやバルドさんなんかはきっとそこに居るだろう。

 最近はその二人ばかり来ていたから、そうでないなら村の誰だろう?


 それとももしかして、この村に来た客人だろうか?

 突然の客が来ることは珍しくもない。

 外からこの村にやってきてこの宿しかないことに気付いた人間は、最後の希望を見つけたような顔で飛び込んでくることもある。

 近頃は列車のごたごたや魔女のあれこれで忘れてすっかり忘れていたが、決して珍しい話ではない。


 他の村人か、もしくは客人か。

 まあいいや。

 少し身なりを整えてから久しぶりに仕事用の声をつくり、入り口へと歩く。


「いらっしゃいませ、ようこそ……!?」


 驚きのあまり、途中で言葉が止まる、だって……


「やっほう、遊びに来たよ」


 眼前に居るのは紛れもなく魔女、ミーアだった。


「え、な……なんで?」

「理由がないと、来ちゃだめなの?」


 そういう問題ではない。

 ただただ、現在の状況に理解が追いついていないだけだ。


 目の前にいるのはあの、"山奥"の魔女。

 "人間嫌い"の魔女。

 "村に見放され、村を憎み、村を捨てた"魔女だ。

 ニーヴェリタに降りてきたなんて話、もちろん一度も聞いたことがない。

 そんな存在が、どうしてここに居るのだろう?

 わからない。けれど、目の前に立っているのは紛れもなくミーアだ。

 理解は出来ないが、状況の把握だけはできた。


 自分の置かれている状況が如何に危険か、ということを考える。

 今日はアレシオさんがいない。

 そしてこの魔女はわたし一人で太刀打ちできるようなものではない。


 もしかすると、もしかすると……これは結構危険な状況ではないのかと思った。


 一度そう考えてしまうと焦る。

 寒い中だというのに、汗がうっすらと現れ始める。

 少し足元の感覚がおぼつかない。

 気を抜くと、倒れこんでしまいそうなほどの緊張。


 魔女と話したい、彼女のことを知りたいと思っていたのにこのザマだ。

 アレシオさんが居ない状況で、山奥の小屋以外で出会うなんて想定していなかった。

 わたしの震えを悟ってか、ミーアは否定するように肩をすくめる。


「やだなあ……今日は本当に何もするつもりがないんだって。強いて言うなら……敵情視察?」

「……どういうことなの」


 動揺を隠しきれないまま言葉を返す。


「いや、村がどんなふうになっているのか気になって。あたしにとっての敵地だから、ここは」


 そのまま彼女は当然のようにソファーに座る。


 こちらが緊張しているというのに、相手は何の気無しであった。

 どうしたら初めて来た場所でこんなにもくつろげるのだろう。

 焦る気持ちの中、そんなふうにどこか冷静に考える自分も居る。


「ソレラ、今日は仕事?」

「いや……」


 違うけど。

 今日はお客さんもいないし、家事くらいしかやることはないけど。今日も、じゃないけど。

 いつもはもう少しくらいは忙しいような気がするけど。

 そもそも、気軽に名前で呼ばれていることにもまだ違和感があるのだけれど。

 

 緊張のあまりそんな減らず口も出てこない。


「暇なのね。じゃあ、ちょっとサボって出掛けましょ」


 そんなわたしから主導権を奪い取る。

 一つの言い訳も言わせてもらえないまま、手を引っ張られる。


「え、ちょっと」


 少し驚くが、彼女は有無を言わさぬ様子でわたしを引っ張る。


 いや、別にやることもないからいいんだけど。

 けど、魔女が村の中を歩き回るのはまずいのではないのだろうか。

 そんなわたしの心を見透かしたように、ミーアは笑う。


「ちょっと……! 大丈夫なの、そんなことして!?」

「大丈夫よ、絶対にバレないし。魔法使ってるから、あたしが魔女として村人たちに認識されることはないわ、今はね」


 そういう問題なのだろうか。

 しかし彼女はそう言い始めてから意見を曲げず、結局わたしが「服だけでも着替えて!」と言って折衷案を出す他なかった。


 彼女にわたしの普段着を着せてから、しぶしぶ外に出る。


【3】


 結論から言うと、ミーアと一緒に外を歩くのはとても疲れた。

 市場で珍しいものを見つけるたびに立ち止まり、これは何と訊く。

 異国の土産物屋と称したがらくた屋でも一つ一つを指差して質問するし、老人が道楽でやっているだけの誰も寄り付かない紙芝居すら、最前に一人座って楽しそうに眺めていた。

 もしもこの魔女と毎日一緒に過ごす人間が居たら災難だな、と思う。


 しかし、そうしているうちにソレラの中での緊張はほぐれていった。

 わかってはいたのだけれど、この魔女は本当に『何もしない』と言ったら何もしないし『遊びましょう』と言ったら遊びたいだけなのだ。

 わかっているのにどこか緊張してしまう自分が少し情けない。


「あなた、いつ休むつもりなの。……わたしもう疲れたんだけど」

「もう少しだけ、もう少しだけ。最近は山の中に籠ってたから、退屈していたのよ」


 そうして広場を一通り見つくした後、適当に歩いていた彼女は一つの店の前で立ち止まる。


「この店は?」

「洋服屋だよ」

「入ってみよう、あたし服好き」


 純真無垢な少女のような反応をする。

 太陽の光を反射させた水晶のような瞳が輝く。


 ぼろぼろのローブを着ているからこそ対比的に目立っていた乳白色の肌も、自分より細い体つきも、その整った目鼻立ちも。

 同じ女の子として羨ましくて仕方がないような、とびきりの美少女であることを今更実感した。


 はあ。クラウといい彼女といい、どうして自分の周りは見た目の良い女ばかりなのだろう。

 自信が少しずつ擦り減ってしまう。

 そんなに自分も顔は悪くない方だけど、と思うものの、この村ではおじさんやおじいさんしかいないから確かめようがない。

 あの人たちの「可愛い」は年頃の少女が求めているものではないということを、自分はちゃんと知っている。


「ていうかあなた……あんな恰好をしているくせに、服に興味があるのね」

「好きでやってるんじゃないわよ」

「じゃあどうして?」

「あれが一番魔女っぽいから」

「はあ。よくわかんないけど」


 つまり、この女はやはり魔女と思われたくてこんな恰好をしているのだろうか。

 そういえば……初めてミーアと会ったときも、彼女がどこか悪い魔女を演じているように思えた。

 あの時の予感はあながち間違っていなかったということだろうか。

 今日はいつもの大きな帽子を外しているから、あからさまに魔女と言うほどでもないけど。


「なんで魔女らしくする必要があるの?」

「秘密」


 そんなことを隠して何になるのか。

 相変わらず掴めない女だと思う。


【4】



 貧しい山奥の村にしては、品数が豊富な服屋である。

 しかし当然、こんな貧しい村でそんな服を買う金銭的な余裕はないし、着る機会だってない。



 クラウやソレラが普段来ているような服の奥に、綺麗で馴染みのない物が陳列してあるのが見える。

 よそ行き、というやつだ。

 いつか生活に余裕ができたら、どれか一つくらいは着てみたいと思わせられるような服たち。

 それらの多くは都市の人々にとっては取るに足りないものなのかもしれないが、それでもソレラにとっては宝石箱のような空間だ。

 そして、その中心にはその中でも一際目を引く一着。


「わぁ……」


 先に声が出たのはミーアではなくソレラだった。

 この店を訪れたことは幾度となくあるが、その度に彼女は同じようなため息を漏らしてしまう。

 店の真ん中にある、天女の着物のようなドレスを見るたびに胸が高鳴る。

 それは彼女にとっては雲の上のような存在。

 村の中でもこんなものを買う財力のある人間はいないであろう、お店側もきっと飾りとしか思っていないドレス。


 こんなものを着られるのは王女様か、そこまで行かなくても貴族のお嬢様くらいのはずだ。

 ふと我に返ると、店員である夫人が嬉しそうに自分を見つめていることに気付く。途端に顔が赤くなる。


「いいのよ、いいのよ。ゆっくり見ていって」


 せっかく目を逸らしたのだから追撃のような言葉を浴びせないで欲しい、と恥ずかしく思う。


「ゆっくり見て良いってよ」


 隣でミーアが意地悪そうな微笑みを浮かべてそう言った。


「ばか!」


 ソレラはそれなりに怒りを込めてそう言ったはずだったのだが、それが何故か二人を更に笑顔にしてしまった。


「ソレラちゃんのとこのお客さん?この村では見たことない顔してるけど……」


 ミーアが服に気を取られている最中、洋服屋さんがソレラに尋ねる。

 その一言でふいに我に返った。

 同時に背筋がぞくりとした。


 どこかで訊かれるに決まっていると思って心の準備はしていたつもりだったが、それでもいざこの状況に立つと、上手く言葉が出てくる気がしなかった。

 隠しておくべき事実が、村の人にとって重すぎる。


 ミーアは魔法で魔女であることは隠せると言っていたが、不思議な存在であることには変わりないのだろう。

 慎重に言葉を選ばなければ、そう思いつつミーアを見やる。

 彼女はこちらを見つめ返してから店員の方を見た。


「そうよ」とミーアは軽く返事をする。


 それを聞いてソレラは安堵の息を漏らす。もし彼女が魔女であることを暴露したりしたら、と思うと気が気ではなかった。

 なんだかんだで常識はあるのだろうか。

 でもふいに何かやらかしそうな気もして怖い。


「おばさん、この服は? こんなみすぼらしい村の洋服屋に置いておくには勿体ないものだけど」


 と思った矢先に常識のない失礼な発言をした。

 前言撤回である。

 おばさんと言うにはまだ若い見た目をしているのに。


「あらあら、でもその通りなのよね。これ、偶然手に入れたものらしいの」

「どういうこと?」

「盗まれたりするのは少し怖いけれど、飾っておけって、ずっと昔から言われていて。

 ……けれどね、もう公国に行って売ってしまおうかと思ってるのよ。

 どのくらいの価値があるか、私にもわからなくなってしまったけど……

 それでもこの冬を越すくらいはできるでしょうから」

「なんだか、もったいないですね」

「仕方ないのよ」と店員は寂しそうに言った後、

「けど……あの旅人さんが魔女を倒してくれたら、そうする必要もないのかしら」


 最後にそうぼそりと呟いた。


「……………………」


 それを聞いたソレラは閉口してしまう。

 この人たちのいう呪いの正体、諸悪の根源は目の前にいるのだ。

 それを今打ち明けたらこの人はどんな顔をするのだろう。

 怯えるだろうか、かつての自分のように。


「けど、魔女がいなくなっても暮らし向きが良くならなかったらどうするの?」


 考え込んでいると、ふいにミーアがそんなことを尋ねる。


「え、それは……」


 そんなことを言われると思っていなかったのだろう、店員は閉口してしまう。

 そんな彼女に対し、ミーアは言葉を続けた。


「だってそうでしょ?

 これだけ寒かったら、そもそも呪いなんて関係なく、作物が育つのは厳しいじゃない。

 それなのに、何度も飢饉が起きるたび、この村の人たちは魔女のせいにしてきたの?」

「ちょっと、ミーア……!」


 突然そんなことをこの人に言っても仕方がないだろうに、と思う反面、村の人たちは皆この思想の共犯者みたいなものか、とも思ってしまう。


 怒るか、それともミーアに対し怪訝な目をするかと踏んでいたが、予想に反して店員は落ち着いた表情を見せていた。


 そのまま「……その、通りかもしれませんね」と呟いた。


「だめですね、皆の言葉に流されるようにして、責任を自分たち以外に押し付けて……」


 下を向いてそう言った後、店員はもう一度わたし達の方を見た。


「よければ、訊いてくれませんか。ずっと昔から、私たちの家に伝わる話」


 そう言って、彼女は自分の親の親のずっと親だった女の子の話を始めた。





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