第9話 「いもうと」
【1】
久しぶりに、クラウは一日中部屋で休んでいた。
身体が弱いクラウはこんなふうになることも少なくない。
アレシオが来てからもその姿は何度か確認していた。
最近無理をさせすぎていたからな、とソレラはぼんやり思いながら、アレシオの部屋の掃除をしていた。
アレシオは椅子に座って本を読んでいる。
本来ならば客人がいる中で掃除をするなどご法度なのだろうが、彼に限ってはそれが許されるのだとソレラは都合よく認識していた。
「何を読んでいるの?」
「魔女の話です。借りてきたので、今のうちに勉強しておこうと思いまして」
「そう」
話が終わる。
前にクラウとミーアだけが小屋に入り、二人外で待ちぼうけにされた時も感じていたが、この人と二人きりではどうにも会話がし辛い。
それなのにクラウはいつも楽しそうに話しているが……
いや、二人とも黙っているのに良い雰囲気な時間が長いような気もする。
二人が黙っていてもそれらしく見えるだけか。
けれど、自分はどうにもこの沈黙に耐えられない。
だからやっぱり口を開いてしまった。
「アレシオさんは、クラウのことどう思ってるの?」
部屋の掃除をしている最中、ソレラがふいにそう尋ねた。
「どう……と言われましても。優しくて素敵な方だと思いますよ」
「うーん、そういう差し障りのない回答が欲しいわけじゃないんだけど」
ソレラがうんうんと首を傾げているが、アレシオにはその理由がとんと見当もつかない。
実際にクラウは可憐で素敵なお嬢さんである。
そんなことわざわざ自分が言わなくても明らかなことだ。
透き通るような色をした細い腕も、
揺れる蝋燭の灯りに照らされた長い綺麗な髪も、
柔和で優しく、慈愛に満ちたような微笑みも、
それからふいに見せる憂愁の影が差したような表情も、
全て彼女が二つとない存在であることを証明している。
「ほら……この村ってさ、若い人もそんなに多くないじゃない?」
「そうですね」
「だからさ、クラウの婿探しは難航すると思ってたの」
「そうですか」
アレシオはいまいち会話の意図が掴めない。
そんな彼の姿を見ていると無性に腹が立ってくる。
クラウがここまで露骨に他人と違う反応を見せているのに、さして関心を見せないこの男が。
まあいい、単刀直入に言ってしまおう、そう決意した。
「わたしさ、クラウはアレシオさんの事が好きなんじゃないかって思うんだよね」
「そうですか、それは嬉しいですね」
「まだわかってないでしょ。異性として、ってことよ?」
「はあ」
「ほら、やっぱりわかってなかった」
ソレラがふんと鼻を鳴らす。
全くぴんと来ていなかった。
彼女が優しいのは誰に対してもだ。
決して自分に特別微笑みかけているわけではない。
だから勘違いではないだろうか。
「うーん……僕は自分が特別な異性として扱われているとも思えませんが」
「そんなことないって」ソレラは否定する。
自分がどれだけクラウと一緒に過ごしてきたか。生まれた時からだぞ。
「アレシオさんが一階にいる間は、絶対に自分の部屋には戻らないし。
しきりにアレシオさんの部屋からの物音を確認したりしてるし。
最近はなんか料理が一品多い気もするし」
ついでに言うと、ソレラが先に寝るのを待っているような態度も見られる。
これまではもっと二人で一緒に寝ていたのに、それも最近はすっかりご無沙汰だ。
けれどそんなことはあえて指摘せずに一人で先に眠るようにしている。
だってわたしは理解のある妹だから。
「違いますよ、彼女が僕を気にしているのは、別の理由だと思います」
「どんな?」ソレラが訝しげな表情をしてアレシオに問いかける。
「そうですね、僕が信頼に足る人物かを確かめている、とか」
それこそ有り得ない!
ソレラは心の中で叫んだ。
あの人が他人を疑うことなんてあるだろうか?
ひねくれものや後ろ向きな人ばかりのこの村の誰に対しても笑顔を絶やさない彼女が、この人畜無害そうな客人に限ってそんなことをするわけがない。
いや……逆にここまで裏表の無さそうな人間だからこそ怪しんでいるのか、それならばわかるような気もする。
しかしやはり、何一つ隠し事はできなさそうだ。
「何か後ろめたいことでもあるの? 疑われるようなこと?」
「まあ……あると言えばありますが」
確かに以前、あの魔女も『まだ隠していることがある』と言っていた。それを思い出す。
しかし、ここで正直に『ある』と答えてしまうことで既にお察しだ。
この青年が嘘なんてつけるはずがない。だからクラウが疑う必要ももちろんない。
「ですから……対して大事な部分で信用できないのは、自分が一番わかっていますから」
「逆よ逆! クラウがこんなに信頼している人間が他にいますかって話よ!」
ソレラは強い口調で反論する。
ここまで言ってもわからないこの青年には、全部いちから説明してやるくらいが丁度いいのだと理解した。
「あのね、クラウは優しいけど、優しいからこそ他人に気を遣うのよ、一歩引いてるのよ。
それなのに、あの力の抜けよう……絶対にそういうことだと思うけどなあ。
それに……夜中いつも、クラウが何かごそごそしてるの知ってるでしょ。」
「え」
「夜更かし癖自体は前からあったけれど、外に出て……なんていうのには流石に驚いたわ」
妹には秘密にするという約束のもと、彼女が歩けるように練習をしている。
「いいの、大体なにやってるか想像はつくから、言わなくても」
「あの……ソレラさん。決して彼女はやましいことをしているわけではないんです。特に、村の風紀を見出すような行為は……」
「そんなの分かってるわよいちいち言わなくてもっ!」
そうだとしたら流石にこの男には話したりしないだろう。
「あんなの、露骨なクラウの弱みよ。それを自ら差し出してるってことはさ……あーあ、察しが悪くてやになっちゃう」
なんだかわからないが、彼女は自分の姉のためにこの話をしているようだ、ということだけは理解する。
「ソレラさんは、姉思いですね」
「なっ……!」
言われた途端に顔を真っ赤にする、そのまま怒るかと思いきや、
「……まあ、否定はしないわよ。やっぱり、わたしの大切な家族だし」
りんご色に頬を染めたまま、意外にもソレラはアレシオの言葉を素直に受け止めた。
「……時々思い出すの。わたしが幼い頃、クラウは毎晩苦しんでいた。突然起きて、息が荒くなって、けれども必死に耐えていた」
そして、その時の自分はいつも寝ているふりをしていた。怖かったのだ。
小さい頃の記憶はいつも曖昧だけど、あの時はまだ暮らしが上手く行っていなかった。
クラウも自分の世話をしながら宿を運営しなければならなかったし、今の何倍も大変だったのだと思う。
手伝える、といっても今と比べてさらに小さな子供だったあの頃のわたしは手際が大層悪く、かと言ってクラウが二階に上がることもできない。
それでも、何とか二人で生きていけるように彼女は必死に頑張っていた。
毎晩、わたしが起きていないところで嘆いてもなお。
今でも憶えている。あの時の表情。
苦しみ中に見えた強い意志。
何度も何度もうわごとのように呟いていた「私がちゃんとしなきゃ」という言葉。
断片的にではあるが、自分は確かにそのときクラウに救われたのだ。
そんな優しいクラウが、少しでも幸せになって欲しい。
そう思うのは不自然なことではない。
最近のクラウは「役に立っていない」とか「ソレラの方が」とか、そういうことばかり言っているけれど……自分こそ、恩返しはまだ全然終わっていないのだ。
「って……昔話はいいの。大事なのはアレシオさんがどうなのか、って話よ」
「答えなければいけませんか」
「当然よ」
何が当然なのかはわからない、しかしアレシオは観念したように口を開いた。
「……少なくとも今の僕には、そんなことを考える余裕はありません。
それに、このまま村に留まり続けるつもりもありませんし」
予想していた模範解答のような言葉が飛び出す。
しかしそもそも、これ以上の言葉が返ってくるとは思っていなかった。
「つまらないなあ」
「つまらなくて結構ですよ」
「お仕事人間」
「そのお仕事では何の成果も上げられていませんね」
「そんなんじゃ愛想つかされちゃうわよ、クラウに」
「だから違いますって。でも、それは嫌ですね」
「すけこまし」
「難しい言葉を知っていますね……」
わかりやすいのにわかりづらくて、とても面倒くさい人間だ。
けど、こいつが自分の義兄というのは、まあ無しではない……と思う。
【2】
いつもと同じ、寒い朝。
目が覚めたアレシオは身なりを整え、いつものように階段を降りる。
一階に着くや否や「おはようございます」という声が聞こえる。
既にクラウは起きて朝食の準備をしていた。昨日と比べると顔色は随分良い。
「元気そうで良かった。けど、無理はしないでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「アレシオさんは今日もあそこへ行くんですか?」
「今日は休むことにしました」
「そうですか、お休みですか」
「はい。少し準備しなければならないことがあるので、その前に休憩を、と思いまして」
だとしたら今日は自分もゆっくりできる、とクラウは初め安心した。
しかしよく考えてみれば、客人が宿に居る時こそ仕事が忙しくなるものだ。
なのにこんなことを考えてしまう。
最早客人扱いしていないのかもしれない。
アレシオさんも客人だ、偉そうな口を利いてはいけない。
ソレラには文句を言っているものの、自分もそう変わらないなと思う。
じゃあ、彼はこの宿にとってどのような立ち位置の人間なのだろう?
そして、私にとってどのような意味を持った人間なのだろう?
顔をじっと見る。
大人びた言動をしているが、決して老けた顔をしているというわけではない。
むしろ少し幼さを残したまま整っていて……
「……? 僕の顔に何かついていますか」
「いえ、なにも」
「そうですか。であれば尚更、見つめられる理由が思い当たらないのですが」
「ふふ、どうかお気になさらず」
やはり何か自分のことを疑っているのではないだろうかと思ったアレシオは、少し困った表情になる。
それがなんだか面白く思えたクラウの心に悪戯心が芽生えてしまう。
「逆に、アレシオさんはどうして私が見ていると思ったんですか」
意地悪な質問。
アレシオは困惑したまま口を開く。
「そう、ですね……包み隠さず言うと、僕のことを品定めでもしているのかと」
「えっ」
「違うのですか。てっきり、信頼に足る人物かどうか考えているのだろうと思いました」
それはある意味では決して間違っていないが、どうして今になって自分がそんなことを考えると思ったのだろう。
「いや、少し気になっていたことがあって」
「気になっていたこと?」
「はい。ソレラさんが昨日色々と言っていたんですよ」
なんとなく悪い予感がした。
彼が話すことは、ろくでもないことであるような気がする。
「クラウさんは僕と話すために最近は夜更かししているのだとか」
「……っ!?」
そしてその予感は当たっていた。
「僕が来てから、料理が一品多いとか」
「………………!!」
みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「まあ、そんなはずないですよね、僕の勘違いでした。全くもって、僕の勘違いです」
絶対にこの男は嫌味でそんなことを言っているわけではないのだろう。
だが、なんと失礼な物言いだろうか。
最後にそうやって勘違いであると言ってしまうことの罪たるや。
クラウの表情は羞恥から憤怒へと変化していく。
「あれ、勘違い……ですよね。クラウさん」
「……そんなことをすぐ本人に訊く人は嫌いですっ!!」
クラウは大声でそう言い、自分の部屋へと戻ってしまった。
そのまま彼女にしてはかなり珍しいほど大きな声が聞こえる。
ソレラに向かってお説教しているのだろう。
心の中で申し訳ないと呟く。
「……難しいものです」
取り残された青年は、ひとり大きなため息を吐いた。
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