第8話 「似ている」
【1】
それからしばらくして、魔女の棲み処の戸が開かれる。
中からクラウが現れる。
その車椅子を引いていたのは他ならぬ魔女、ミーアだった。
「クラウ!」
そこまで心配していないつもりだったが、やっぱり無事にクラウが出てきたのを見ると安心してしまう。
「大丈夫だよ、何にもされてないから」
クラウの表情を見てソレラは一層安心する。
「良かった……何かされたらどうしようって、わたし……!?」
言ってしまった後すぐに口元を抑える。
その魔女様は目の前にいるのだ。
しかも、それがクラウの車椅子を持っている。
「ふふ、聞いちゃった。何かしちゃおうかな」
ミーアは意地悪そうに笑う。
「いや……」
ソレラは言葉に詰まる。
ミーアのことが少し怖くて、クラウのことを心配しているのは事実だった。
けれど、それは決して彼女に対する敵意ではないとソレラ自身は思っている。
だって、自分も彼女と話したいと思っていたのだ。
そして、あの時のことについて聞きたい。どうして自分を助けたのか、どうして自分は過去にあなたと出会ってしまったのか。
けれど、言葉を切り出せない。
自分の漠然とした記憶に自信がないからか、それとも心のどこかでミーアを警戒しているからか。
あなたのことを、わたしも知りたいのに。
そんな風に考えて躊躇するソレラを、ミーアはじっと見つめていた。
優しさも敵意も見えず、ただ深くて暗いだけの眼差し。
「どうせ、あたしのことなんてわからないよ、あなた達には」
相手が何を考えているかはすぐにわかるのに、自分の感情は決して表に出さない。
もし、彼女のその眼差しの奥の奥まで見えるとすれば、その感情を知ることができるのだろうか。
数千年を生きた魔女の、遥か昔に置いてきた感情を。
「あたしにとっては悪くない時間を過ごせたけど、残念。
あなたたちの目的は、あたしの異常を知ることでしょ。
魔女たる所以を知ることでしょ。
だとすれば、今日はあまり進展が無かったかもしれない」
当事者であるということをまるで感じさせないような言い方。
他人事のようにそう呟いたミーアは、そしてクラウの車椅子から手を離す。
一歩、一歩とアレシオに近づいていく。
立ち止まる。
「彼女たちに信用されてるのね、あなた」語りかける。
「そうですか」青年は動じない。
「魔女を葬ることの目途は相変わらず立たない、なのに二人とも心配している様子はない。あたしを早く殺さないと、村はさらに荒れるでしょうに」
茂みの中から虫の音だけが聞こえる。短い命が嘆きを鳴き声に変えている。
「何を話してるの」
「別に?」
「別にって……」
「それより、あなたたちさ……村人でもない、どこから来たかわからないよそ者に、二人とも随分肩入れしているみたいだけど」
「気に入らないのですか?」
アレシオの問いかけに対し、そうではないとミーアは否定する。
それからミーアは再び姉妹に向き直る。
「あたしも詳しいことはなにもわからない。
けれど、この男はまだ大切なことを隠してる、それくらい気付いているんでしょう。
それなのに彼を信じて良いの?」
「隠し事くらい誰だってあります。きっと……ここにいる誰だってあるんだと思います」
クラウはそう言い返す。
「だとしても、こんな迷ってばかりの人間なんてあたしは嫌だけどね。あなた達も男を選ぶときは気をつけなさいよ」
そんな、どこまでが冗談でどこからが本気かわからないような言い草をしてから「じゃあ、また今度」と魔女は三人に向かって挨拶する。
途端、強い風が吹く。
風は三人それぞれの顔の横を掠める。
反射的に目を瞑ってしまい、開いた次の瞬間に魔女は姿を消していた。
部屋に戻ったのだろうか。
今扉を開ければ、そこにミーアは居るのかもしれない。
だとしてもそこは開くべきではないと直感が告げる。
彼女がまた今度と言ったら、また今度であるのだと思う。
「帰りましょうか」
アレシオが告げる。クラウは小さく首を縦に振った。
【2】
それから三人は再び村へと戻り、宿でいつもと同じように風呂に入り、食事を取った。
魔女は決して敵ではなく、少なくとも自分からは村を不幸に陥れていないということ、それは彼女を見た全員が確信していた。
そして彼女はどういうわけか、村の事情やアレシオの存在についても理解しているらしい。
その上で、彼女が簡単には自分の異常を明かさないということもわかった。
「やはり一筋縄ではいきませんね」
ソレラが眠った後、いつものように二人で暖かいお茶を飲みながら、アレシオはそう呟く。
殺すのではなく、魔女の異常を取り除く。
それは一体どれほどの時間と労力を要するのか、クラウには見当がつかない。
自分があれだけ話したところで、彼女の異常の内容については欠片も感じることができなかったのだから。
「けどあの子……ミーアは決して、自らの手で村を不幸にすることはないと思います」
彼女が人々に捨てられたのではなく、彼女が人々を捨てたような言い方をしていた。
そんな彼女が、わざわざ見限った場所に報復のような行為を行うことは無いように思える。
「そうだ。クラウさんは、魔女と何を話していたのですか」
「色々です、秘密です」
「秘密ですか」とアレシオは繰り返す。
「そう言われましたから。でも、話せて良かったな、と思います」
そこまで話したところで、クラウはミーアとの会話の内容を思い出した。
彼女は何もかもを見透かしてくるようで、自分の心のうちの悪い部分さえわかっているようで……それなのに、とても優しかった。
怖い部分もあるけれど、彼女と話すことで、私はこれまでと違う自分になれる気がするのだ。
そうだ、一つくらいはアレシオさんに話してもいいかな。
「『似た者同士』だって言われたんです」
「クラウさんと……あの魔女が?」
「はい。どういった意図で言ったのかはわかりませんが……
少しでもそう思うということは、まだ彼女とも分かり合える可能性があるのではないかと思います」
「そう、ですね……」
「……他者に自分の痛みを理解されないのは、悲しいことですから」
少し俯いた彼女を見て、アレシオは考える。
やはり彼女は、自分の身体が原因で少なからず苦しい思いをしてきたのだろう。
ミーアが彼女を特別扱いしていたことも頷ける。
やはり、魔女の鍵はこの車椅子の少女なのだろうか、と思う。
自分一人では、到底答えに辿りつけそうにない。
「あの子に比べたら、大したものではないんでしょうけど」
と言ってお茶に口をつけ、それから少し間をおいて話し始める。
「なんでだろう。やっぱり、あなたには色んなことを話したくなってしまいます。
恥ずかしいことも、いろいろ。なのに、アレシオさんはまだまだわからないことだらけです。不公平ですね」
「いえ、僕もクラウさんのこと、知らないことばかりですよ」
「十分です、十分知りすぎています。これ以上知られると、大変なことになってしまいますから」
これ以上は言えないような秘密に直面させてしまう、そんな気がする。
自分から話しているくせに、これ以上聞いてほしくないなんて我が儘を言ってしまうのは、なんだかあべこべだな、と思う。
「僕は思うんです。知らないことが少しあるくらいが丁度良いんじゃないでしょうか」
「と、言うと」
「少しくらいわからないことがあるからこそ、誰かを信じることができる、それはとても素敵なことだと思います。
全部わかってしまったら、信じることはできませんから」
相手のことを完全にわかってしまったら、事実に基づいた判断しかできない。それはとても合理的だが、人間らしくはない、そんな気がする。
なんの感情も持たぬような顔をして、ふいに優しい言葉をかけてくる。
敵わないなあ、と思う。
そしてまた鐘が鳴る。
二人はおやすみの挨拶を告げ、食卓を離れた。
【3】
その夜、私は夢を見た。
昔の夢だ。
あの頃、私は今よりももっと村の人たちに疎まれていた。
理由はそれほど複雑ではない。
その頃はちょうど、今よりもっと貧しかったからだ。
人間は、余裕が無くなると益の無い他人を疎み始める。
露骨に嫌そうな顔をし、態度を変え、助けてくれることもない人ばかりだった。
彼らが私にした仕打ちは、到底許せるものではない。
けれど、その逆も同じくらい辛かった。
私が不自由な人間であると知るや否や、可哀想だからと言って助けようとする人々が少しは居た。
それは本当に心からのものなのか、わからなくなることもあった。
例え彼らの行為が偽善であっても、優しくしてくれたことは事実なのだ。
けれど、それらを素直に受け入れられるほど、あの頃の私は人間ができてはいなかった。
あれから長い時間が経った。
今の私は、村の人たちに微笑みかけることができている。
けれども、あの頃に抱いた感情は身体の深いところに刻まれている。
多少薄れど、決して消えることはない。
だからこそ、ミーア……あの魔女に対して、どこか親近感を抱いてしまうのだ。
あの子はある意味で、私自身であるように思える。
今も確かに存在する、私の痛みなのだ。
【4】
その次の日、アレシオとクラウは長老と呼ばれる人物の元を訪れた。
彼に呼び出されたからだ。
公的な村の代表者は村長のはずだが、見る人によってはこの長老の方が大きな力を持っているのだという。
実際、その荘厳な雰囲気はアレシオも気圧されてしまいそうなほどだ。
「……お前は、魔女を殺そうとしているわけではないのだろう」
開口一番がそれだった。
「どうして……」
「例えそれが人の形をした化け物であろうと、その存在を葬り去ってしまうような危険な人間ならば……この少女達がお前を信用するはずがなかろう」
質問を終える前に、長老はそう説明した。
「クラウディナ、お前は誰にでも優しく振舞うようでいて、ちゃんと人間を見定めて一線を引いている」
「はい……?」
「お前のその臆病さは、つまるところ人を見る目だ。」
「……なるほど。僕自身の評価、というよりは、クラウさんの観察眼から判断した、ということですね」
「そうだ。しかし当然疑問は残る。ではお前は、何をしようとしているのだ? 魔女に会って、一体何をしているのだ?」
アレシオは一つずつ説明する。自分が他の魔女狩りと何が違うのか、どんなことを行っているのか。
「……それでは、お前は魔女の素性を知り、その痛みを知り、取り除くことが目的であるのか」
「……はい。少しずつですが、彼女の異常の手がかりは得られています」
「長老さん。この村の魔女は、決して恐ろしい存在ではありませんでした」
「……どういうことだ?」
「本当に危険な存在なら、すぐに殺してしまうのが正しいのかもしれません。けれど、この村の魔女はそうではない」
「村を憎み、災いをもたらしているのに、か?」
「憎んでいるのは事実かもしれませんが……その災いも、本当に魔女のせいかはわかりません。あなた達の思い込みかもしれない」
アレシオが強い調子でそう言い切る。
長老は表情を変えることなく、かといって彼の話を否定することもなく、そのまま重い調子の声でアレシオに問いかけた。
「なら応えよ。魔女はどうして村を憎む」
「それは……」
「この村の人間は何を間違えた?
何を間違えて、魔女の怒りを買った?
……お前は魔女と話して、どう感じた」
アレシオは黙ってしまう。
山奥の魔女が、どんな理由でニーヴェリタを憎むようになったのか、人間を嫌うようになったのか。
改めて考えると、まだ言葉にできなかった。
「……仲間外れにされた、から」
「何?」
そんな彼の代わりに、クラウがそう説明する。
「そして今も、そうだから、なんだと思います」
醜いアヒルの子だと言われたのがただ悲しくて、だから魔女の方も、人とは相容れないと強く感じた。
それがやがて敵意へと変わった。
「仲間はずれにされたことだけじゃない。
違うものを排斥する人間そのものを憎むようになった……それが『人間嫌い』の理由なんだと、そう思いました。
人と違うことを疎まれることは、とても苦しいですから」
それはクラウ自身にも思うところがあったからこそ出た言葉なのだろうか、とアレシオは考える。
「仲間はずれの魔女、そんなふうにしたのは、我々に問題があるというわけか」
長老は小さく頷いた。
「おおよそわかった。お前たちは、魔女の異常を取り除くだけではなく、そんな魔女の認識を改めようとしているのだな」
「……そう、なりますね。魔女の異常を取り除くことができなくとも、そうすれば危害を加えることは減るはずですから」
「綺麗事だな」
「……………………」
「だが、私からお前たちの行動に口を出すことはない。結果として、この村を救うのであれば……な」
そういって長老は咳払いをする。
「……なるべく早く、この村の怯えを取り除けるよう、努力します」
ああ、と長老は頷く。
そしてそれから、もう一度口を開く。
「普通と、普通でない者の境界は、どこにある」
「境界、ですか」
「ああ」
「それは、魔女と人間の境界、という話ですか」
「それだけではない。
そこの少女のように脚が不自由な者と、普通の人間との間の境界、それすらも曖昧だ。
人間同士の間でさえ、『普通』と『普通でない』の線引きができていない」
「……………………」
クラウは口を閉ざしていた。
「人より劣っているとは何か。優れているとは何か。
……普通とは何か。その境界は、どこにあるのか。そんなことを、よく考える」
「……難しい命題です」
「まず、クラウディナのような人間を『普通である』と扱うことにする。
少し不自由な部分があれど、それが人であることに間違いはないとする。
しかし、だとすれば……どうして魔女だけが『普通でない』ことになっているのだ。
少し不自由な部分があるだけである、という意味では、なんら変わらない」
「……………………」
「次に、もし仮にクラウディナのような人間を『普通でない』と認識するとしよう。
しかし、やはり魔女だけが『魔女』として扱われることに対する疑問は残る」
「種類は違えど、同じように痛みを抱え、人から疎まれることには変わりがない。
だからこそ、違いが生まれる明確な理由がわからないということでしょうか」
「お前に問おう。
クラウディナのように身体が蝕まれた者と、魔女のように心を蝕まれた者は、どちらが深刻な存在なのだ?」
「……比較できるものでは、無いと思います」
痛みの比較なんてできるはずがない、というのがアレシオの意見である。
他人の痛みがわからない以上、それは当然だ。
もし仮にわかるとしても、それを推し量ってはならないとさえ思う。
「しかし、永遠の命と強大な魔力を持ったのは、魔女の方だった。
……神は、身体の痛みよりも、内面の痛みを重く見たのではないか」
「確かに、この世界の神様は、そう思ったのかもしれません。
しかし、僕はそうは思わない。
幸福にも、不幸にも、序列は存在しないのだと、そう思っています」
「……そうか」
「僕はそれを示したい。周りくどいかもしれないですが……今、自分が行なっているのはそのための行為のつもりです」
「それも、ただの綺麗事のようにも聞こえるぞ」
「それだけではないと、僕は信じています」
「ならば証明してみせろ。世界を証明する、その前に、この村からそれを示してみよ」
「……はい」
それだけ言うと、長老は二人に背を向けた。
【5】
「やっぱり、長老さんは雰囲気がありますね。あの人を前にすると、なんだか緊張しちゃいます」
「そうですね。けれど、ただ恐ろしいだけの人ではないですね」
「どうしてそう思うんですか?」
「だって、あの人はクラウさんの事をよく知っていました。その上で、あなたを評価していた」
「…………? つまり?」
「人を見る目があるんだなあ、ってことです」
そう言われ、クラウは少し赤面してしまう。
「そんな恥ずかしい事言わないでくださいよ……」
「褒めたつもりなのですが……」
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