第7話 「対話」②
【5】
「じゃ、あたしからも一つ質問。あなた……村の人たちとは仲良くやれているの?」
「え……?」
予想していなかった質問に一瞬戸惑う。
「別に試してるわけじゃないからさ。気楽に答えちゃっていいよ」
「そう、ですね……」
「憎たらしく思ったりはしないの?」
「どうしてですか?」
「だって、疎ましがられたりするでしょう、その身体だと」
「ああ……」
クラウは少しだけ納得する。
ミーアはクラウの身体を案じているということに気付いた。
他人とは違う、という点で共通しているために気になるのだろうか。
「確かに、良い意味でも悪い意味でも、特別扱いをされてしまうことは多いです」
「でしょう? だったらさ、あたし達は似た者同士だと思うの」
「似た者同士……」クラウが反芻する。
「あなたも寿命が長いんでしょう、身体が不自由なんでしょう。なら、他人と違う故の苦しみは理解できるんじゃないの」
「そうですね。人より劣っているから困ることは、確かに沢山あります」
「そんな私たちの周りに居る人間が、みんな優しかったらいいんだけどね。けど、あの村は違うような気がする。そりゃあ優しい人もいるけどさ、だけど村全体としては、やっぱり不幸に囚われているみたいじゃない。だから冷たい」
「……………………」
「この村だけじゃなくて、この世界全体がそんな感じだけどね」
ミーアは決して怒っているわけではない。
吸い込まれそうなほどに美しく、深海のように深い瞳に宿る感情は、憤怒や厭悪などではなく、哀れみである。
「あなたがどうなのかは知らないけれど、あたしはそういった他人の目に飽き飽きしちゃた。だからここにいるの。
そんなふうにして選んだ孤独を、あなた達が邪魔する権利がある?
……それとも、何か別の思惑でもあるの?」
彼女の発言を聞いたクラウは考える。言葉を手繰り寄せる。
しかし、簡単には浮かんでくれない。
ミーアの言っていることは自分にとっても確かに事実だ。
本音を言うと、暮らしは辛いこともある。
これまで彼らが冷たいと思うことは幾度となくあった。
それなのに、自分が努めて明るく振舞おうとしていることの理由を考える。
……ああ、わかった、これは自分の願望なのだ。
ニーヴェリタが、この世界が優しいものであるという確証はないけれど。
それでも、そうだったら良いな、と思う。
なりたい自分を演じて、なりたい世界を演じている。
どこか空虚な少女。
「……それでも、それでも私は、人は誰かと繋がれると思いたいんです」
しかし彼女は、信じるしかないのだ。
「本心からそう思ってる?」
「……そうありたいと、思っています、ずっと」
確信ではなく願望である、そのニュアンスの違いを少なからず感じ取ったミーア。
「なるほど」と頷く。
「けれど、それはある意味で村人の哀しい部分から目を背けているに過ぎないのかもしれない」
「そうかもしれません」
「でも、それでいいと思ってるんだね、クラウは」
クラウは……悪い言い方をすれば『そういうことが』得意な人間である。
相手がどんな人間であろうと、その良い部分を見る。
良い部分だけを見つめる、そういったことに長けている。
にも関わらず、他者とは一線を引いている様子もある。
他人のことを良い人間であると認識しようとしているのにも関わらず、本当の意味では信頼を置いていない。
かといって、特別扱いしている人間が居ないかと言われると、そうでもない。
アレシオは少なからず彼女にとっての特別な存在だ。
彼に対し、クラウは他人とは違う感情を抱いている。しかしそれが信頼かと言われると、そうでもない。
難しい女だ。
ミーアは考える。
結局彼女は、他人と繋がりたいのだろうか、そうではないのだろうか。
ふと、彼女がどこか不安定な人間のように思えた。
健気に現実よりも願望を優先させようとしている。
それなのに、どこか現実を捨てることができていない。
彼女はなんだか可哀想だ。あたしも人のことを言えないのだろうけれど。
「……あなたはなんだか、難儀な性格をしているわねぇ」
「ええ、自分でもそう思います」
先ほどよりも増して、この車椅子の少女と自分が似た者同士であるような気がしてしまう。
「そもそもあたしは、別に今の自分に不満を感じているわけじゃないのよ。特段自分のことを不幸だとは思っていない。他の魔女がどうだか知らないけど」
「けれど……救われているわけではないのだと思います」
「じゃあ、あなたたちは何が救えるの?」
今度は強い口調でミーアが反論する。
「長く生きれば生きるほど、一日の価値なんて失われていく。多くの命に触れるほど、懸命に生きる彼らの気持ちがわからなくなる。あたしたちは初めから壊れてるはずなのに、年を経るほど更に人から乖離していく」
魔女は人の気持ちがわからないが、人にとっても魔女は怪物である。
お互いに考えや苦しみが理解できなくなり、やがて傍に居るだけで苦しくなる。
「それなら、初めから誰かと関わらなければいいんじゃないの、そう思うのは自然よ。だって、その方が苦しくないだろうから」
そう思って、魔女は山奥へと逃げ込んだ。
これ以上他人を見て、自分との差異を感じて苦しまないように。
「そんなあたしを……救われたいと望んでいるのかすらわからない魔女を、それでも救おうとすることは、エゴでしかないのかもしれない。それでも、いいの?」
沈黙が訪れる。
彼女の言っている正論は、消して否定できるものではない。
否定すべきものですらない。
だから、クラウは寄り添うことしかできなかった。
「他者に自分の痛みを理解されないのは……悲しいことですよね」
心からそう思う。
ミーアが言った『似た者同士』という言葉がやけに印象に残っていた。
【6】
小屋の周りの木々を眺めていると、こちらを向いて斜めに立っているものもあるのだと気付いた。
かなり長生きしているのだろう。
直立する力を無くしてもなお、倒れまいと懸命に抗っている。それは尊いものであると同時に、ソレラにはどこか怖く感じられた。
そんな可能性は限りなく低いとわかっているのに、今にもそれが落ちてきそうな気がしてなんだか緊張する。
葉っぱ一枚分くらいの大きさの小鳥が枝に止まるのさえ、倒れる引き金なのかもしれないと疑心暗鬼になる。
「……あのさ」
「はい」
「何か話しかけてくれてもいいのに」
誰もが幼い頃に抱くそんな根拠のない恐怖を誤魔化すため、ソレラは隣の青年に話しかけた。
「大丈夫なのかな、クラウ……」
「大丈夫でしょう」
「どうしてそう言い切れるの、アレシオさん」
「そんなどうしようもないような嘘はつかない、彼女はそういう魔女です」
「だから、なんでそんなことがわかるのよ」
根拠のない事を言われても不安は募るばかりである。
アレシオは彼女の苛立ち半分の問いに対して何も言わない。
代わりに全く関係ない質問をした。
「そういえば、ソレラさんはクラウさんのことを名前で呼びますよね。どうして”お姉さん”ではないのでしょうか」
「え? んー、そうね、なんでだろ……」
唐突な質問に面食らいつつも、ソレラはその理由について考え始める。
特に意識したことはなかった。
しかし言われてみれば確かに自分はクラウのことをお姉ちゃんと呼ばない。
「きっとね……クラウはなんか、お姉ちゃんって感じじゃないんだと思う。育ててくれたからお母さんみたいなものだし、一緒に話している時は友達みたいにも思える。そう考えていたら、しっくりくる言葉がなくて」
「なるほど」
「だから、クラウはクラウなの。普通の姉妹と違う関係性だからってこと。
……普通の姉妹がどんなのか、あんまり知らないけどね」
彼女はただそれが消極的な理由ではないということだけを伝えたかった。
「そうですか、良いですね」とだけアレシオが返す。
どうしてそんなことを訊いたのだろう。反応もいまいちだし、それが何かの手がかりになるとは思えない。
本来ならばクラウが無事か心配で、今すぐにでも小屋の中がどうなっているか知りたいような精神状態であるはずだった。
だというのにこの青年のせいでソレラの危機感は少しずつ薄れていく。
わからないけれど、魔女のことはアレシオの方がよく知っている。
少しまだ怪しいけれど、とりあえず信じてみることにして、少しだけ肩の荷を降ろした。
「じゃあ、わたしからも一つ質問して良い?」
「はい、なんでしょうか」
「アレシオさんはさ、魔女が怖くないの?」
訊かれ、顎に手を当てて考える。自分の中である程度答えは決まっていた。
「怖いですよ」
そうなんだ、とソレラが返す前に、言葉が続く。
「けれど、他人と繋がることのできない彼女達は、僕よりもっと怖いはずですから」
この人はとても優しい人間なんだな、とソレラは改めて思った。
羨ましい。
「アレシオさんは頭が固いことを除けば、人間ができているから、困る」
「何が困るんですか」
それに、頭が固い時点でできた人間からはだいぶ遠ざかるような気がするが、とアレシオは反発的なことを思う。
「本当は、わたしもそんなふうになりたいんだ。
自分と違う誰かが居ても、恐れることなく、怒ることもなく……優しい人間になりたい。
アレシオさんほどのボクネンジンはまあ嫌だけど……それでも、そういうところは凄く尊敬している」
「それを言うなら、ソレラさんこそ素敵ですよ、あなたは懸命に生きている。それだけでどれだけ美しいことでしょうか」
美しい、なんて言われると変な意味で捉えてしまいそうになるからやめて欲しい。
「一生懸命生きることくらい、誰だってできるでしょ」
「そんなことはないんですよ」
そもそも、自分自身をそんな風に評価することはできない。
懸命に生きているというよりはせわしなく動いているだけだし、それは自分の性格ゆえのものである。
アレシオやクラウのように全ての人間に慈愛の眼差しを向ける余裕は無いし、二人みたいに魔女とうまく接することもできていない。
頭の中ではそんな自己評価を下してしまう。
他人からそう言われるのは嬉しいけれど、その点が揺らぐことはなかなかない。
「少なくとも、今のわたしはその言葉を素直に受け止められるほど、自分が好きじゃないわよ」
「まだ若いですし、これからでしょう」
「それから……確かにそうだけれど、わたしのこれからの人生はそれほど長いわけでもない。
もしかしたら既に、折り返し地点を通り過ぎているのかもしれない。
だとすれば、人生の半分以上が、自分の好きな自分になれなかった時間ね」
健康な身体に生れ落ちたことには何の不満も無い。
しかし、そのせいで寿命が短いというのはやっぱり困ったことだ。
「魔女はその『これから』がわたしよりもずっと長いんでしょ? だから、良いなあって思うことがある」
「けれど、彼女たちはあなたのように切実に生きてはいないのかもしれない」
「なんだか可哀想だね」
「そして魔女達も、寿命の短い僕たちを可哀想だと思っているのかもしれません。数十年しか生きられない私達を、なにかを成し遂げるには短すぎる寿命の私達を」
「みんな可哀想じゃん」
この世界は可哀想な人間の集まりなのだろうか。だとしたら少し寂しい。
「みんな可哀想だから、補いあって生きて行かなきゃいけないんですかね」
「さあ、ね」
冷たい風が吹く。
斜めに立った老樹が揺れる。
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