第7話 「対話」①
【1】
二日後、再びアレシオは魔女の元に向かうことにした。
前日のうちにクラウには話を通しておいた。彼女はいつものように微笑んで頷き、今日の朝にはお弁当を作ってくれていた。
違和感を感じたのは、そのお弁当の量が明らかに一人分ではなかったことだ。
彼女が心地よいリズムで切った野菜も、それを挟んだパンの数も、明らかに二人、いや三人分、あるいはそれ以上であった。
そしてクラウが丁度料理を作り終えた頃、ばたばたという足音と共にソレラが階下に降りてきた。
それなりに古くなった階段を勢いよく踏みつけるものだから、どこかで床が貫通してしまわないかと不安になる。
「久しぶりに寝坊した!」
慌てた様子でそう叫ぶ。
昨日の朝聞いた話だと彼女の予定は無いはずだ。
それなのに急いで出掛ける準備をしている。
そこでアレシオはやっと悟った。
「もしかして……二人とも、もう一度僕に着いてくるつもりですか」
その問いかけに対し、クラウは「そうですよ」と微笑み、ソレラは「クラウ、伝えてなかったの」と驚いた。
驚きたいのはこっちである、と思う。
「良いのですか。正直……お二人はもう、山奥に向かうことはないものだと思っていました」
アレシオがこのままでは、いつ危険な目にあっても不思議ではない。
それなのにのこのこと魔女の前に姿を現しに行く。
普通の人間であるならば絶対に行わないであろう命知らずな行動だ。
「二人で話し合ったんです。確かにあの魔女、ミーアには危険な部分もありました。
でも、ただの悪者じゃないような、そんな気がしてならないって、今はそう思うんです」
クラウとソレラは顔を見合わせて小さく頷く。
姉妹で同じ気持ちのようだ。
「アレシオさんも、魔女が必ずしも悪ではないと思っているんですよね?」
「まあ、そうですが……」
もちろんそう思っているが、必ずしも善であるわけでもない。
自己責任の行動の結果ではあるが、実際にアレシオもこれまでに何度か別の魔女に殺されかけている。
一度目に無理を言って着いてきてもらった時点で失格なのかもしれないが、それでも彼女達を再び危険な目に合わせるのは躊躇われる。
しかし、アレシオがその旨を伝えたところで、彼女達の決意が揺らぐことはなかった。
「私、魔女と話がしたいんです」とクラウは言う。
「話、ですか」
「はい。どんなことを話したいかは、うまく決まってはいませんが……」
「……ご迷惑、でしょうか」
不安そうにそう尋ねるクラウに対し、アレシオは首を横に振る。
「そんなことはありません。僕一人では、魔女と意思の疎通を取ることすら叶わない場合も多いです。その点、二人がいれば心強い」
アレシオの仕事は魔女を呪い殺すことではなく、魔女の異常を取り除くことだ。つまり、魔女達の苦しみを理解するために対話する必要がある。
そういう意味では自分は適役ではない、そう思うことはこれまでに多々あった。
頭が固く、時に人を苛立たせるような話し方をしてしまうという自覚。
「ただ……」
「だだ?」
「無理だけはしないでください。山の上は寒いですし、クラウさんの体力も心配です。何かあれば、すぐに引き返します。良いですか?」
神父か親か、そう勘違いするほどに心配そうな眼差しを姉妹に向ける。
「はい、お気遣いありがとうございます。無理はしません」
そんなことになったらいよいよ彼の邪魔になる。
けれど、それでもクラウは魔女の事を知りたかった。
「であれば、僕がクラウさんを守ります。必ずとは言い切れませんが、できる限り」
こんな時でも言い切らないのは彼の良いところでもあり悪い所でもあるな、と感じる。
「絶対、守ってくださいね?」
車椅子の少女が微笑む。
青年は難しそうな顔をする。
【2】
やっぱり実際はそれほど村から遠くないな、と歩きながら思う。
前回よりもさらに迷いのない足取りになったからか、お昼ご飯が食べたくなる前に魔女の家までたどり着いた。
このくらい近いなら村の誰かが見つけてもおかしくないのに、とソレラは思う。
それだけ誰も寄り付かないということなのだろうか。
あるいは別の理由。考えただけでぞっとするような、魔法絡みの何か、証拠隠滅とか。
「これだけ近かったら、誰か気付きそうなものですが」
アレシオも同じようなことを呟く。それに対し、クラウが返事をした。
「村では子供たちも含め、強く言い聞かされていますからね。
そもそも、魔女なんて関係なく、森の中に入るのは危険ですから。
獣に遭遇するかもしれませんし、この薄暗い中で方向感覚がなくなってしまえばそれだけで最後です」
遊びや度胸試しにしてはリスクが大きすぎる、それを村の人は皆ちゃんと理解しているということだろうか。
「村の人たちはみんな臆病者なのよ」とソレラは呟いた。
だから、簡単に魔女に怯えてしまうのだ、と。
【3】
こんなに緊張する場面なのに、ノックをするというのも変な話だな、と思う。
「入って」
くぐもった声がした後、ドアがゆっくりと開かれる。
アレシオが押したわけではない。彼女の魔法だ。
「……で、性懲りも無くもう一度来たみたいだけど、何の用?」
機嫌の悪そうなミーアは、つまらなさそうな表情で三人に視線を移す。
以前出会った時と同じ、魔女の恰好。
年季が入ったローブや、綺麗で大きな宝玉が埋め込まれた杖を身に纏っている。
あの石もアレシオが持っているのと同じ魔法石なのだろうか、とクラウは頭の中で疑問を浮かべる。
「今日は前より機嫌が悪いですね」
余計な事を、とソレラは思う。
それがミーアの気を悪くするかもしれない、なんてこと微塵も考えていないこの青年は、淡々と事実を口にしてしまう。
「そりゃあ、誰だってゆっくりしている時間を邪魔されたら気を悪くするものでしょ」
しかし、ミーアはミーアで特にそんなことを気にしてはいない様子。
「またあたしを説得しに来たってこと。つまり暇なのね、若いんだからもっと生産性のあることに時間を使いなさい」
「見た目で言えば、あなたの方が僕よりも若く見えますが」
「……減らず口」
そんな穏やかにも険悪にも見える雰囲気の中、気圧されることなくクラウが口を開く。
「あの」
「ん」
「私、あなたとお話がしたいんです」
「話って、どんな話?」
どんな、と言われたクラウは改めて思考を巡らせる。
結局、自分は彼女と話してどうなりたいのだろう。
求める関係が友達であるとは思えない。
普通の人よりも寿命が長いもの同士、傷でも舐め合うのだろうか。
彼女に質問をすることで自分自身にもどこか納得が行くのだろうか。
もちろんそんなつもりはないし、そんなはずもない。
けれど、クラウはミーアと会話がしたかった。
だからそれ以上を考えるのはやめた。
「色々です。好きな食べ物の話から、嫌いな世界の話まで、全部」
それを聞いたミーアは顎に手を当てしばらく考えてから、
「うーん、確かにそれも悪くないかな」
と笑う。
それを傍から見ていたソレラとアレシオは安心するが、直後にミーアが二人を見る。
「あなた達二人は外に出て。今はクラウと二人きりで話したいから」
有無を言わさぬ眼差し。
「ですが……」
「大丈夫だよ。危害は加えない。魔法も使わない」
機嫌も態度もころころと移り変わる魔女に、二人はしぶしぶ従った。
【4】
「どうして二人きりに?」
「やだなあ、年頃の女の子の会話は、他の人に聞かれるとまずいでしょ」
年頃の女の子、という言い方に違和感を憶える。
だって、目の前のこの女は何千年も生きているはずの存在なのだから。
「危害を加えるつもりはないんですよね?」
「まだあたしが怖いんだ」とミーアは尋ねる。
クラウは何も応えない。
代わりに心の中で、こんな質問はずるいと思った。
肯定したらそれまでだし、「怖くない」と否定したところで遠吠えにしか聞こえない。だからこその沈黙であると自分に言い聞かせた。
「色んな話をしたい、って言ってたけど。本当に訊きたいことは、ちゃんとあるんでしょう?」
しばしの逡巡ののち、クラウは頷いた。
今更この魔女に嘘を言っても仕方がないような気がしたからだ。どこか心の中を見透かされているような気さえしてくる。
とはいえ、訊きたいことはいくつもある。
頭に浮かんだ幾つかの中で、なるべく彼女を刺激しないと考えたものを選び出す。
「まず……あなたはどうして、魔女を演じているんですか?」
クラウはまずそう尋ねた。
長い時間を連想させるぼろぼろで色褪せたローブも、これみよがしに魔法石を携えた杖も、彼女に似つかわしくはない。
着慣れていないし、使い慣れていないように見える。
そもそも魔法石は魔女の力を抽出して作られたものだとアレシオから聞いた。
そうであるならば、彼女が魔法をつかうのにそんな仰々しい石は必要ないと思った。
「やっぱり、演じているように見えるんだね」
「はい。魔女であるからといって、そんなわざとらしい恰好をする必要はありませんから」
「詳しいね」
「ずっと……調べていましたから。魔女のことを」
昔話、村に伝わる魔女の話を語ることで客人を喜ばせる彼女にとって、そんな違和感はすぐに気付くものだった。
半面、彼女が確かに魔女であることも事実だった。
その美しさや眼差しは、悠久の昔から彼女が生きていることを彷彿とさせる。
上手く説明はできないが、彼女はどこか単純でないのだ。
遠目で見るとある一色で構成されているように見えた絵画が、実は何種類もの色が重なり合っていたことに気付いた時のような感覚。それがミーアという魔女だ。
ちらりと部屋に視点を移す。
古びた外観の割に、やけに掃除の行き届いた部屋だった。
ミーアはふむぅ、と口を噤む。
「それは答えられないかな。あたしだって、色々あるんだよ。今は魔女らしくしておく必要がある季節なんだ」
その色々が訊きたいのに、とは思うが口にはしない。
「あと、その質問の答えを言うと、あたしだけじゃなくてみんなが困っちゃうからさ」
『みんな』というのが誰を指した言葉かは口にしなかった。
ふう、と息を吐いてからミーアは続けて口を開く。
「それでも訊きたいのなら、答えるけど」
「……いえ、大丈夫です」
クラウはそう返事をする。
彼女の隠した事実の重みは、並々ならぬものであるような気がした。
安易な好奇心でそこに踏み込むことはできない。もう少し準備する必要がある。
「ありがと。じゃあ、別の質問は?」
ミーアは尋ねる。会話が途切れたり手持ち無沙汰になったりすると艶やかな長髪の 一部を指先で弄る癖があるらしい。
もちろん、クラウが彼女に訊きたいことは他にも沢山あった。
浮かんでいた他の疑問の中から一つを口にする。
「魔女は、本当にこの村に不幸をもたらしているんですか」
「……難しいところだ」
今度はうんうん言いながら悩み始める。
こうして見ると、魔女としての威厳や恐ろしさはあまり感じられない。
しかし、時折瞳をのぞき込むと吸い込まれそうになってしまう。
漠然としたものではあるが、薄く感じるこの暗闇の中に彼女が魔女たる理由が潜んでいる、そんな気がする。
「いくつか考えられる可能性がある。魔女の呪いのせいで、本当に皆が苦しんでいるとすれば、それは良くないことだね、当たり前」
良くない、なんて言い方をして他人事のように呟く。
「けど、考えられる不幸は実害だけじゃない。例え魔女が本当は村に災いをもたらしていないとしてもさ、その影に怯えている時点で、村にとっては不利益であるのかもしれない」
あなたが訊きたいのはそういう不幸のことでしょ、とミーアは呟く。
「なんとなくあの村は……ニーヴェリタはそうじゃないような気がする。
魔女を非難の対象にして言い訳することで、なんとか生きているような、心の貧しい村だ」
「どういう意味ですか」
「『この寒波も飢餓も不幸も、決して魔女のせいではありません。
貧しい土地と貧しいあなたたちのせいです』なんて事実を突きつけられたら、卒倒しちゃう人だって居ると思うんだよね」
「はい」
「生け贄とか、人柱とか、そういうのと似てるかな。誰かに責任を押し付けていることでなんとか立っているような村」
「……そうかもしれません」
それはクラウも薄々感じていることだった。
村人たちは、ある意味で魔女を標的にすることで心の安寧を保っている部分もあるのだと思う。
「魔女を殺しちゃったら、ほんとに魔女の呪いが解けて、村が平和になるかもしれない。
反対に魔女の呪いなんてなくて、あなた達の貧乏は何一つ変わらないのかもしれない」
「けれど、あなたがこの村を呪っているようには見えないんです、私」
「そう? 別に、ニーヴェリタのことは好きでも何でもないよ」
だとしても、彼女が村を不幸にしているわけではないと思う。
「……まあ、あたしが村に悪い事をしていないとしたらさ、その方が問題かもしれない。
これまで目を背けてきたような人たちが、今さら何の所為にもせず貧しさと向き合えるのかな」
ミーアが身体を翻す。ローブがふわりと宙を舞う。
「魔女が居なくなっても不幸が取り除かれなかった村人は、現実に直面する。
放って置いたら、魔女が居なくなる前よりも危ない状況かもしれない。
あなたが聡明なら、魔女がいなくなった後にどうすべきか考えるべきかもしれないの」
「それは……私には少し、荷が重すぎるかもしれません」
これは村全体の生死を分かつ問題となるかもしれないのだ。
そんなことに、この場で自分一人で結論を出すことはできない。
「誰にとっても荷が重い話だよ。だからこそ、あなたに伝えた」
「どういう意味でしょうか」
「自分で考えなよ」とミーアは呟いてから、「あたしもあんまり考えてないけど」と付け加えた。
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