第4話「道中」
【1】
数日後。
三人は準備をして、山の向こうへと向かう。
村の外側には少しだけ草原が広がっていて、育てている山羊などはここで放し飼いされている。
その草原の外側を柵が覆っており、これが正真正銘の村と山の境界線だ。
ゆうに大人二人分を越えるような高さの柵は、簡単にこの先に踏み入ってはならない、という警告そのもののようにも思える。
その境界線のうち一か所だけ柵が用意されておらず、人が通ることのできる『山への入り口』がある。
普段は山羊飼いが見張っているため、子供達を初めとした村人が迷って入ってしまうことは無い。それでも時折、借金やその他の不幸で行き場を無くしてしまった村人がここから村を脱出していた。
少なくともこの百年、山に登って帰って来た者は誰もいない。
ただ一人、自身を魔女狩りと名乗った青年を除いては。
【2】
「あれ、どしたのさ、ちびっ子ちゃん」
「!!」
その『山への入り口』までたどり着いたところで、欠伸をしながら一人の女性がソレラに声をかけた。
周りに山羊を連れている彼女の名前はロレーナ。
この村では決して多くない、女性の山羊飼いである。
「この……もうちびっ子じゃないですけど」
「まぁ、爪楊枝くらいの大きさだったあの頃と比べれば、少しは大きくなったけど……でもまだちびっ子でしょ」
言われたソレラは歯ぎしりをしながらロレーナににじり寄っていく。
それを適当にあしらいながら、彼女はアレシオの方を向いた。
「そんで……君が、魔女狩りの青年クンってわけだ」
「……初めまして、でしょうか。これまでお見かけした記憶はありませんね」
「うん、私はあんまし村の方に行かないし、人より山羊相手の方が頻繁に喋ってるくらいだからさ」
そうは言ったものの、ロレーナは決して人と喋ることを好まないわけではない。
昔からクラウやソレラに対しては(あまり同世代の友人が多くない、ということもあり)それなりに会話をする仲である。
「はぁ~あ、君が山の中に入ってしまったって言うから、山羊飼いの見張り番たちは大目玉だったんだからね。そのせいでルールも厳しくなったし、仕事が大変になった」
「これまでが暇すぎるだけよ」
「ちびちゃんはウチの山羊より躾がなっていないみたいだねぇ」
「ちょ、痛い痛い痛い!」
ぐりぐり、と両手の拳でソレラの頭を痛めつける。
「ま、今更愚痴を言ったってもうしょうがないんだけどね。けど君、どうやって山の中に入ったのさ? それくらいは教えてくれないかね」
「たまたま見張りがいなかった、というわけではないんですか?」
「その可能性は無きにしもあらず、なんだけどね……」
ため息を吐く。
「入口は一つしかないし、決して広くない。そもそも、それほどサボってたつもりもないんだ、ここから目を離したとも考えにくい」
ここ数十年の脱出の原因は、見張り番の居眠りだとか、見張り番を無理やり倒して強行突破したとか、そういう話だった。
しかし最近は二人体制での監視になっているし、そんなことで簡単に突破できるような状況でもなくなっている。
アレシオは特に表情を変えることもないまま、ロレーナの質問に答える。
「飛び越えたんです、柵を」
「…………はあ、飛び越えたぁ?」
素っ頓狂な声が出てしまう。
入り口以外の柵の部分は決して低くはない。子供が悪戯に登ったりできないよう、大の大人よりも少しくらい高いくらいだ。
「登るにしたって、時間もかかるだろうし、その間に誰か一人くらい気付きそうなもんだけど」
「いえ、ですから、登ったのではなく、飛び越えたのです」
そう言うと、アレシオは山の方へと足を進める。
そして、柵の前で立ち止まった----入り口ではなく。
「こうやって、ですね」
そのまま、助走することもなくひょいとその場で跳躍する。
おおよそ普通の人間ではあり得ない高さまでたどり着いた彼は、柵の一番上を右手で一度触れ、勢いそのまま柵の向こう側へと消えていった。
「…………」
その光景をロレーナは、いや、クラウとソレラも揃って口を開けて見ていた。
茫然としている間にアレシオは『正しい入り口』からひょいと顔をのぞかせ、三人の元へと戻ってくる。
「どのあたりの柵を越えたかは覚えていないので、正確な再現とは言い切れませんが……概ねこのような感じでした」
「……流石に予想外だったわ」
少し思案した様子を見せた彼女は、それからうんうんとひとりでに頷く。
「……んー、なるほど、クラウちゃんやソレラちゃん、それに村長さんも、魔女退治なんていうでたらめに異を唱えないわけだ」
「納得、していただけましたでしょうか」
「そう、だね。本当のことを言うと、クラウちゃんとソレラちゃんを連れて再び山の中に入るなんて正気の沙汰じゃない、って思ってたけど……」
(私達の心配をしてくれていた、ということなんだろうか)
その言葉を聞いて、クラウは少しだけ嬉しく思う。
「でも、今のを見せられたらしょうがないや」
ロレーナは嬉しそうに笑いながら、アレシオへと接近する。
「合格だよ、青年クン。二人を任せた!」
大きな声でまずそう呟き、続いて一気にトーンを落として、
「……これ、魔女とどっちが化け物なのかわかんないね。君は一体、何者なんだい? 何が目的なんだい?」
「……………………」
クラウとソレラに聞こえない声でそう囁くと、小走りで山羊達の方へと向かう。
「三人とも気を付けてねー、ちゃんと帰ってくるんだよ?」
「はい、ありがとうございます」
「ちゃんと帰ってくるからねー!」
手を振る彼女を背にして、三人は柵の向こうへと向かっていった。
【3】
「さて……二人には事前に魔女のことをある程度知ってもらわなくてはいけませんね」
山道を歩き始めて20分ほど経ったところで、アレシオがそう口にした。
魔女、この世界の異端は、決して当たり前の存在ではない。
多くの人にとっては空想や伝説と変わらないものであり、その情報は真実と嘘が入り混じっている。特にこの村のように直接魔女に触れていなかった土地にとっては、実態が全くわからないものだ。
公国のように国が魔女を抱えているケースもあるが、それでも一般市民にとっては縁のないものである。
そう言った点では、どの場所の人々もほとんど同じようなものである。
「まず初めに、これだけは言っておかなくてはなりません。魔女は人間です」
アレシオは凛前とした表情でそう口にした。
たった一つのこの事実は、彼にとっては他の何よりも大切なことだった。
「人の形をした怪物、そう考えている人がほとんどですが……そんなことはありません。彼女達だって人の言葉を話すし、私たちとそう大きな違いはありませんから」
「そうですか……それをアレシオさんの口から聞けただけで、随分安心しました」
「化け物だ、とか言われたら今すぐ引き返すつもりだったわよ」
「まあ、そう言われても仕方のない部分があるのは事実ですね」
「どういう部分が?」
「彼女たちは食事をせずとも、眠らずとも、簡単に死ぬことはありません。そして、魔法を使えば、大体の事はできてしまう。たった一人で国を滅ぼすことさえ不可能ではないはずです」
「……………………」
ソレラが黙り、青ざめた表情のまま固まってしまう。
簡単に人を殺せるような存在で、けれども見た目や中身のほとんどは普通の人間で、だけどそんな人間をアレシオは殺そうとしている……
車椅子を引きながらそんなことがぐるぐると頭の中を駆けまわってパンクしそうだった。
「恐らく、魔女が化物であるとされる最も大きな理由は、彼女達の使う魔法でしょう。なぜ魔女だけ魔法が使えるのか、という話なのですが……そもそも、魔法はどんな人間でも使えるんです」
「え? わたしにも使えるの?」
「はい、使えますよ」
ソレラが首を傾げ、右手をかざしてアレシオの方へと向ける。
「……何も出ないけど」
おとぎ話の魔法使いを真似しても、もちろんなにも起こらない。
気付けばその姿を二人が見ていることに気付く。
うわ、少し恥ずかしい。
慌てて右手を引っ込める。
そんなわたしの方を見て、アレシオさんは小さく笑っていた。
「むぅ、クラウもやってみなよ」
「私はいいよ」とクラウは首を横に振る。
「実際に魔法を使おうとすれば、ある程度慣れておく必要があるんですよ。それに、使うための特殊な条件があります」
「要するに、練習が必要ってことかしら」
「はい。ただ……普通の人が使うのはおすすめできません」
「どうしてでしょうか?」今度はクラウが尋ねる。
「魔法は決して無尽蔵に使えるものではありませんから。便利で強力な分、そこには必ず代償が生じます」
「代償?」
「その代償というのは、寿命です。使えば使うほど、命がなくなる」
「使いすぎたら死んじゃうってこと?」
「端的に言えばそうなりますね」
そこで二人は納得がいった。
人間にも魔法が使えるが使わないほうが良い、そう言ったのは、大切な寿命を削ることになってしまうから。
そして、魔女がほぼ無尽蔵に魔法が使えるのは、彼女達の寿命がほぼ永遠だから、ということなのだろう。
「そしてもう一つ。魔法には二種類あります。
一つは自身の外側からの力を借りる、世界の元素を用いた魔法。
火をおこしたり、水を凍らせたり、といったようなものですね。
これは僕たちのような普通の人間にも使うことができます。
実際に、そういった”普通の魔法”を使うことを生業とした人たちも存在します、それが魔法使いです」
魔法使いと呼ばれる彼女達。
自分の寿命を削り、それを便利な道具として他人に利用されたり、あるいは人殺しや戦争に用いられているような人々。
寿命を軽視されるような人間、それを生活に変換しなければいけない人間、彼らがどのような扱いを受けている人間なのかは想像に難くない。
「そしてもう一つの魔法、自らの内側から現れる魔法は、僕たちには使うことができません。
そして、それらの魔法は魔女ひとりひとりによって全く違ったものになる、固有のものです。
そして……魔女の固有の魔法とは、その魔女自身の不完全な部分に直結したものです」
「不完全な部分?」
「はい。魔女にはそれぞれ二つ名があるのはご存じですか?」
二人は首を横に振る。
「魔女が永遠の寿命を持つに至ったのは、その異常……他人とは違う決定的な何かを抱えているからです」
クラウは脚が不自由であるから、人間として損傷した部分があるからこそ他人よりも長い寿命を得ることができている。
それと同じで、魔女はその内面に損傷を抱えているからこそ魔女なのであり、その損傷した内容というのは一人一人によって全然違い、それによって魔女には二つ名がつけられる。
「例えばですが……僕が以前出会った魔女は”痛みの魔女”と呼ばれる存在でした」
「痛みの魔女……?」とクラウは訊き返す。
「はい。彼女の魔女たる理由は”自分や他人の痛みがわからないこと”でした」
彼女は誰かにどんな行為をされても苦しむことはない。
逆に、相手にどんなふるまいをすると傷つけてしまうのか、それもわからない。そういう魔女だった。
そして、そのような欠陥が彼女だけの魔法を創り上げる。
「そんな彼女の固有の魔法は『人の痛みを消すことができる』魔法でした。彼女が魔法を使えば、対象は自分の痛みをすべて知覚できなくなります」
「うーん、それが具体的にどう使われるのかわからないかも」
首を傾げてそう尋ねるソレラ。
「……………………」
しかし、そこでクラウは以前アレシオが言っていたことを思い出していた。
『軍に使われ、軍神として扱われた魔女がいた』という話。
「彼女のその能力に目を付けた国は、魔法を自分の国の兵士に対して使わせました。
そうすれば兵士は苦しむことも怯えることもなく、ただ敵の兵士を殺すためだけに動くことができるのです」
身体的な痛みと精神的な痛み、彼女の指す”痛み”はその両方を指していた。
だから、兵士たちは死ぬまで戦い続けることのできる肉体を持つだけでなく、相手を殺すことを躊躇うことすらなくなってしまう。
「……………………」
クラウとソレラは揃って口を閉ざす。
「そんな風に、魔女は皆その異常に応じた名前と魔法を持っています」
そしてそれらの多くは、他の人間や魔女自身の尊厳を打ち砕く可能性のある危険な魔法であった。
「他にはどんな魔女がいるんですか」
「”愛の魔女”、”嘘の魔女”、”言葉の魔女”、”夢の魔女”……出会っていない魔女で、世界に存在すると言われている魔女は、数十を超えます」
「そんなにですか……」
「それに、まだ名のない魔女もいるんです」
「まだ名のない魔女?」ソレラが首を傾げる。
「どういうことでしょう」とクラウも尋ねる。
「要するに彼女達は他の人たちと比べると不可解な部分があるのですが、それを自覚できていないんです」
醜いアヒルの子が、自分がアヒルではないと気付いていないようなものだ。
かつてアレシオに誰かがそう説明した。
「物心がついてしばらくすると、ほとんどの魔女は自分が普通の人間とは違う事に気付きます。
しかし、時々いつまで経っても異常を自覚しない者がいます。
そのような魔女は”強い魔女”と呼ばれており、その名の通り、普通の魔女よりもずっと魔法を使う力が強いと言われています。
おそらく、生きる力が他の魔女よりずっと強いのでしょう」
自覚があるのかはわからないが、寿命が長い魔女ほど自分の生に価値を見出さない。
従って、自然に使う魔法も強力なものになる。命が削られることに何の抵抗も感じないのだ。
「……………………」
「なんだか可哀想……」
「そんな”強い魔女”と、自分が他人とは違う事を理解している魔女では、前者の方が魔女として『強い』存在です。
逆に後者の方が寿命が短く、魔力も比較的弱いと考えられます。
自分を客観視できている、という点で、人間に近いということですね」
比較的、という言葉を用いたのは、それが決して純粋に弱いわけではないからだ。
先ほど述べた痛みの魔女だって、自分の病理をある程度理解していた。
それでも国の一つや二つを滅ぼすことは造作もないのだから、『強い』魔女の力がどれほどのものなのかは計り知れない。
「難しいことはわかりませんが……魔女は人間らしくなければないほど、その能力も人間離れしてしまう、ということですよね」
「はい。そして”強い魔女”ではない魔女にも、幾つかの段階があります」
アレシオは魔女の段階について説明する。
「一つ目は、自分が異常であるという事は自覚しているが、何の異常なのかわからない魔女。
二つ目は、自分の何が異常であるかまで自覚しているが、それを克服できない魔女。
そして三つ目は、自分の異常を自覚しており、それを克服しようとしている魔女」
そんなふうにして、魔女はいくつかの段階に分かれている。
「そして、自分が苦しんだ末に、自分の異常を克服できた魔女がいるとします。しかし、それはもはや魔女ではなく……」
そこまで言いかけたところで、アレシオが口を止めた。
それと同時に、大きな音が聞こえる。
ぐううぅぅぅ~~~。
「獣でしょうか?」
そんな的外れな事を言っているアレシオの傍で、顔を真っ赤にした少女が一人。
「……あの、お腹、すきました」
ソレラが恐る恐る口を開く。
ためになる講義の時間は大変頭を使う。
頭を使うとお腹が空く。
加えて車椅子を持った状態で気を付けながら歩いているのだから、消費するエネルギーは二倍だ。
「ああ、そうですね。そろそろ二人とも疲れたでしょうし、休憩にしましょう」
そう言ってアレシオは鞄からサンドイッチを取り出す。
出かける前、クラウが作ってくれたものだ。
「もう少しだけ歩かなくてはならないですから、丁度いいですね」
サンドイッチにかぶりつきながら、ソレラは考える。
例えどれだけ重要なことを考えていようが、落ち込む出来事の最中にいようが、どうしてもお腹は空いてしまうし食べたら少しだけ気が楽になる。
以前クラウと大喧嘩をしてしまった時もそうだった。
泣きながら食べた彼女のご飯は悔しいくらいに美味しかったし、それから気分が落ち着いて仲直りすることができた。
人間は単純だなあと思う。
そしてご飯は偉大だ。
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