第5話 「山奥の魔女」

【1】


「……こっちです」車椅子に座ったクラウが指差す。


 一歩、一歩と足を進めるたび、ソレラの中で渦巻く感情は大きくなっていった。


 もし、山奥の魔女が本当に恐ろしいだけの存在だったらどうしよう。

 自分の中で抱いていた魔女の姿はしょせん夢でしかなく、実際にはなんの温かみもないヤツだったらどうしよう。

 村を苦しめることに何の躊躇いもないような性格だったらどうしよう。

 そうであれば、自分も他の村人と同じように『魔女を殺せ』と言ってしまうのだろうか。


「……………………」


 昼食を食べた頃から、彼女の表情に余裕が無くなっていったことにアレシオは気付いていた。

 そして、クラウを見ても表情は少しずつ険しくなってきている。

 疲れたのかと何度か声をかけたが、そうではないと返した。

 これから起こる出来事への緊張なのだろう。

 少しずつ空気は重くなっていき、それがいつ峠を迎えるかと考えていたその最中。


 木々の中に突如、開けた空間が現れた。

 これまでの整備されていない山道とは打って変わり、誰かが明らかに手を加えているような地面が現れる。

 その中心に、一つの小屋が建っていた。



「……………………」


 クラウが小さく息を飲んでから、顔を引き締め直して言葉を続ける。


「……昔話の通りなら、ここに魔女がいるはずです」

「こんな小屋、本当にあったんだ……」とソレラが呟く。


 車椅子を引いていたとはいえ、ここまで来るのはかなり大変だったのは事実だ。道のりがある程度わかっていても、だ。

 とはいえ、単なる距離で言えばそれほどのものではない。問題はどちらかといえば、精神的なものだった。


 森林で埋め尽くされた山中はただただ同じ景色が続く。

 何も考えずに歩いていれば、文字通り右も左も分からない状況に陥っていたであろう。

 途中で迷ったら一巻の終わりだ。

 もし興味本位から一度でも山に入っていたら、そう思うとゾッとする。

 そして、同じ景色が続いている限り、そこに終着点は無いような気がしてしまう。

 どんどん不安に陥ってしまう。


 そんな景色の連続の中、突然開けた場所と一軒の家が現れるのは、本当に魔法に化かされたような気分だった。

 それなりに近くても見つからない、と言われるのもうなずける。


「……入るの?」

「ええ、入ります」

「そうだよね、そのために来たんだものね」


 自分が魔女に会いたいと言ったのではないか、とソレラは片手で頬を叩く。

 それから小さく息を整えた後、ソレラは意を決したように車椅子を押し、一歩足を踏み出す。

 近付いてくる彼女達に頷いたアレシオは、そのまま二人の前を歩いた。

 寂れ切った入り口のドアに触れると、接合部がぎいと音を立てた。

 かなり老朽化しているのだろう、壊してしまわないようにゆっくりと開き、中へと突入する。





 その小屋の中は静寂だった。

 時の流れが世間とは違う、そんな気がしてしまうほどに穏やかな空間。


 窓から差し込んだ陽が、質素な室内を照らしている。

 何も無い中で一際存在感を放っていたのは、中央に置かれた机。

 決して大きくないその机は、両側に一つずつ椅子が置かれていた。

 一つは空席。

 そして、もう一つの椅子には。


 静かに魔女が佇んでいた。



【2】


 それは、遥かなる時を越えて変わらない出で立ち。

 杖を持ち、帽子を被り、ローブを羽織っている女性。

 あどけない少女のような顔をして、何千年も生きているような表情をする。

 絵に描いたような、魔女そのものの風貌。

 優しい微笑みだけで身が竦む感覚。

 瞳の奥に映る、底知れぬ嘆き。

 人であって人ではないと形容するに相応しい存在。


 彼女は本物だ。そこに居た全員が一目でそう確信した。


「遅かったじゃない。もっと早く来ると思ってたのに」


「……やっぱり、居ましたか」とアレシオが口にする。


 魔女は「こんにちは、人間」と微笑み、

 それから、「一緒にお茶でもどう?」と訊いた。


 そしてそのまま立ち上がり、手に持っていたティーカップをその場で離す。

 そのまま重力で落下するはずのティーカップはふわりと浮遊し、テーブルのソーサー上に着地する。

 この程度なら造作もなく行うことができる、という彼女なりの演出であるのだろう。


「村の不平不満をぶつけるために、わたしのもとに来た、ってことでしょ?」


 まるでこちらの行動を予期していたかのような台詞。

 約束なしの面会であるにも関わらず、簡潔で明快な発言。


「けど残念。あいにく私はあの村の人々にこれっぽっちの興味もないの」


 あるいは……彼女は長い人生の中で幾度となくこの状況を体験していたのかもしれない。慣れた動作はそのためだろうか。


「だって、村の人間ってつまらないじゃない?

 普段は怯えて魔女のところに来ない癖に、頼る時か文句を言う時だけのこのこやってくるの。

 それにね、来るのは偉い人じゃなくて、いつも押し付けられた可哀想な人。

 中心人物はいつだって自分の領域から出てこようとしない。

 どうせ、あなた達も押し付けられた役目なんでしょ?」


 彼女が言葉を並べている間、クラウは何一つ言葉を発することができなかった。

ソ レラも呆気にとられているが、その比ではない。

 彼女はまだ、目の前の存在を信じることができていなかった。

 しばらくの間、一言も発さずに固まってしまう。


「あなたが、魔女……?」


 やっとクラウの口から出たのは、驚きと怯えを伴った問いだった。


「なに? 自分たちで言ってるんじゃない、『山奥には魔女がいる』って。

 あなた達があたしの存在をおとぎ話だと思うのは勝手だけど、少なくともあたしは本物の魔女だよ。

 山奥の小屋に住む、人間嫌いの魔女。

 怒ると村に災いをもたらすから、誰も近づけない。

 ……で、合ってたっけ? 村人さん」


 眼前の魔女は、まるで自分の立ち位置を楽しんでいるかのような素振りで話す。


「大体、いると信じていたからここに来たんじゃないの?」

「……………………」

「まあ、もう少しくらい証拠を見せないとね。

 ……丁度いいや。そこの小っちゃい子、目を逸らしてないで、こっち向いて」


 そんなに大きさは変わらないはずの魔女は、そう言ってソレラを指差す。

 ソレラは戸惑いながらも彼女と目を合わせる。


 魔女がソレラに杖を向けた。

 杖からは静かに光が漏れ始める。やがてそれが光の玉と言えるような大きさになり、細く長い線へと形を変え、勢いよく杖から飛び出す。

 まるで光の矢みたいだな、と思った。


「え」


 光の行き先は、車椅子の後ろで呆然としていたソレラの眉間。


「ソレラッ!」


 クラウが後ろを振り向き、彼女を助けるために身体を動かそうとする。


「…………!」


 しかし、今の彼女は立つことも、車椅子から足を離すこともできなかった。

 立ち上がろうとして出かかった右足はそのまま重力を受けて元の位置に戻っていく。


 そうだ、自分は脚が動かないんだ。

 至極当然のことに気付き、そしてそんな自分を不甲斐なく思った。

 姉がなすすべを持たぬまま、光の弓矢はすぐにソレラの眉間に到達する。

 もう助からない。

 クラウがそう思ったその直後。光は彼女を貫くことなく、拡散して空中で消えた。


「……なんだ、つまんないの」と魔女がため息を吐いた。

「威嚇にしては、やりすぎではないですか」


 そう言ったアレシオは、以前駅で列車を動かすときに見かけた魔法石を手にしていた。魔法石を使い、魔女の光の矢を反射してソレラを守ったのだ。


「ふふ、あなたこそ過剰に反応しすぎよ。だって、今の魔法は本当にただの光でしかなかったんだもの。貫いたところで、何の痛みもないわ」

「だからといって、いたずらに人を驚かして良い理由にはなりません」

「面倒ねぇ。心配しなくてもいいのに、理由がないと人を傷つけたりしないから」

「理由があれば人を傷つけるのですか」

「それは普通の人間もそうでしょう」


 魔女が微笑む。

 青年をただじっと見つめる。

 水晶のような瞳は全てを見透かしているようだ。


「……僕の名前はアレシオです」


 これ以上の問答に意味はないと思い、彼は自分の名を口にした。

 しかし彼女は興味なさげに「知ってるわよ」と魔女は呟いて、「魔女狩りの人殺しさん」と続けた。

 そんな挑発するような言い方にも全く動じず、アレシオは言葉を続ける。


「今回、僕は村人に頼まれて来ました。

 ここ数年、村の寒さには拍車がかかっており、作物もあまり取れない。

 頼みの列車も不調です。そしてそれは、魔女の仕業だと」

「つまり?」

「魔女が居なくなれば、村は豊かになるのではないか。それが村人の意見です」

「殺したいのなら勝手にすれば?」


 魔女はあっけらかんとした表情でそう言って、


「ただ、今日は先に、か弱い女の子が二人死んじゃうかもしれないけど」


 光の矢を再び生み出した。


「脅しですか」

「そう捉えてもらって結構」


 アレシオは少しだけ眉を動かし、それから魔女に抵抗する意志はないと告げる。


「彼女達には手を出さないでください」

「そう言うなら、相応の態度があるはずでしょう」


 言われて、アレシオは息をつく。


「……何が望みですか」


 アレシオと魔女が会話している間、姉妹はどちらも口を開かなかった。


 ソレラは光の矢が飛んできた時点で腰を抜かし、両手だけはクラウの車椅子を握った状態で茫然と魔女を眺めていた。


 自分がもっと小さい頃。

 大人が何を考えているかが全くわからないと、ソレラはずっと思っていた。


 泣きそうなことがあったと自分が伝えても、彼らにとってはただの笑い話でしかなかった時、この人たちは持ちあわせた感情の手札がそもそも自分とは違うのだ、だから理解し合えない。

 そう思い、一層つまらない気持ちになったのを憶えている。


 成長した今は、彼らと意思の疎通くらいはできるようになった。

 しかし逆に、小さな子供がどうやったら喜ぶのかに頭を悩ませている。

 今でも宿に自分よりはるかに幼い子供が来たとき、彼らを相手にするのに苦労している。クラウは少しだけ自分より子供の扱いが上手かもしれないが、それでも時折泣かせてしまうのを見かける。

 つまり、生きた時間の差は、そのまま相手と分かり合う上での障壁となる。

 ソレラは十数年生きて、やっとそのことに気付いた。


 そして、目の前に対峙しているのは、大人相手や赤子相手とは遥かに違う規模での差異。

 単に言葉が通じるということと、意志の疎通ができるということは全然違うということを改めて実感する。


「あたしの選択肢に従って。二択。帰るか、お茶をするか」


 すぐに考え直すような仕草をして、


「やっぱり三択、ここで死ぬか」と続けた。


 クラウがアレシオに不安そうな視線を向ける。

 それを見たアレシオは「大丈夫ですよ」と微笑み、魔女に向かって答えを提示する。


「帰ります。今日は二人が居るし、彼女達をこれ以上の危険にさらすことはできませんので」

「一番無難な答えじゃない」


 つまらなさそうな顔で魔女はため息を吐き、それから「やっぱり、ただ帰ってもらうだけじゃつまらないな」と呟く。ころころと気が変わって猫みたいである。


「そこの二人は、私に質問したいこととか無いの。まずはそっちの車椅子の子から」


 視線を向けられたクラウは動揺しつつも、


「……あなたの名前は何ですか」


 と口にする。


「ああ、そう言えば名乗ってなかった。あたしの名前はミーア、魔女のミーア。以後お見知りおきを」

「ミーア、さん……」


 魔女らしいくたくたであちこちの破れたローブの両側を摘み、軽く持ち上げて貴族のようにふわりと浮かせたまま頭を下げる。

 クラウはそんな彼女の頭から全身を見回し、最後にミーアの足元をじっと見つめていた。


「というわけで、よろしく。……それで、あなたの方は?」


 そうしてミーアはソレラの方を見る。


「何か質問はないの。魔女に質問できるなんて、滅多にないチャンスだけど。それとも、あなたにとってはそうでもない?」

「……………………」

「ちょっと、何か答えてよ」


 光の矢が飛んできてからの彼女は決してミーアに怯えているというわけではない。それ以上にこの状況に戸惑い混乱していた。

 それでも彼女はただ一つ、少なくともこれだけは聞いておきたいと思っていた質問をなんとか口にする。


「あの……わたしたち、どこかで会ったこと、ある?」


 彼女の質問を訊いたミーアは目を丸くして、それから、


「さあ?」

とだけ呟いた。



【3】


「……あれが、魔女」


 帰り道、クラウがぽつりと呟く。


「そうね、疑いようもなく魔女だった」


 後ろで彼女の車椅子を引いていたソレラがそう言う。


 見た目もそうだけれど、あの魔法、光の矢が間違いなく魔女の証拠だった。

 ソレラはあの瞬間、自分が死ぬんだと本気で考えた。

 実際にはただの光だって言ってたけど、本当にそうだったかはわからないし、そうだったところで殺すこと自体は可能だったということだ。

 けど……確かに怖かったけど、その恐怖は不思議と今は消えている。それも魔法なのだろうか。


「結局、重要なことは何も訊けなかったですね」


 村のことを考えると、まず何よりも質問しなければならなかったことは「あなたが本当に村を不幸にしているのか」だった。

 彼女は自分自身の口で『山奥の小屋に住む、人間嫌いの魔女。怒ると村に災いをもたらすから、誰も近づけない』などと言っていたが、あれが彼女自身の言葉ではなく、彼女を恐れた誰かの言葉であることは明らかだ。

 つまり、何かそこに含みがあるような気がしてならない。そう考えるのが妥当だろう。


「何を考えているかはわからなかったけれど……あの子、意外と優しいんじゃないかな」


 そんなクラウの予想と同じように、ソレラも希望を含んだ意見をつぶやく。


「どうして?」

「だって、殺そうとしなかったじゃん。本当に優しくないのなら、わたしたちは今頃あの世だよ。

 あるいは、アレシオさんの力で、向こうがあの世行きかどっちかだった」


 最後のあの姿勢、質問を求めたことを鑑みると、彼女は結局会話に飢えていたようにも見えた。

 ソレラの意見にアレシオも賛同した。遊んでいるとも取れるが、それでも殺意が無いだけましだろう。


「腹のそこから人間を憎んでいる魔女は、会話の余地なんてないと思います。過去には実際にそんな魔女がいましたから」


 そして”そんな魔女”のことをアレシオは思い出す。

 人間の実験台にされ、兵器にされ、身も心も憔悴しきっていた彼女。

 もう出会うことはないのだろうが、あの時彼女が見せた絶望と諦観、それから憎悪の表情はきっと永遠に忘れることはないだろう。


「じゃあ、あの魔女……ミーアって言ったっけ。やっぱりただの人でなしじゃないってこと?」

「そうですね。彼女には話す余地があるのは確かです」


 良かった。ソレラは少し安心する。

 まだ確かなことはわからないけれど、彼女が無情で冷酷な魔女であるという可能性はかなり低くなった。そう感じたからだ。

 

 しかし。

 自分はそんなことを気にして、魔女が自分のイメージ通りだとして、結局どうしたいのだろう?


【4】


 村に戻ることができたのはちょうど入相のころで、森を抜けると真っ赤な空が広がっていた。もう少し時間がかかったらどこかで野宿をしなければならなかったのかもしれない、そう思うとそれほど遠い場所ではなくて良かった。

 山羊飼いの少女は三人が予定通りにその日のうちに帰ってくると驚いて、「本当は入り口のすぐそばにずっと居たのではないか」などと茶化した。


「ちゃんと魔女のところに行ったんですよ!」とソレラがむきになって弁明していた。それがまた可笑しいらしく、ロレーナはけらけらと笑っている。


「彼女の反応はなんだか気さくで良いですね」クラウが口にする。

「さっきの山羊飼いの方ですか?」

「はい、何だか安心してしまいました」

「ああ、確かに。わかります」


 今日一日はなんだか凄いことをしたような気分になっていた。実際にそうなんだろうし、感情も疲れもその分だけ一杯だ。

 だからこそ、ロレーナのように『いつも通り』を提供された瞬間、三人とも少しだけ肩の荷が降りた。


「やっぱり、この村が好きなんですか、クラウさんは」


 アレシオにそう尋ねられ、クラウは少し考える。


「わからないけど、そうだったらいいですね」


 何故だろう、どこか他人事のような返事。

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