第2話「隠し事」
【1】
あれからアレシオは魔女を見つける手段について一人で考えていたが、有効な手段は何一つ思い浮かばなかった。
決定打がないまま夕食の時間が訪れ、そして入浴も終え、部屋に戻った。
疲れた身体を横にする。
久しぶりの温かい風呂と柔らかいベッドは、彼をすぐに眠りへと誘った。
眠りに着く前、彼はふとクラウとソレラについて思いを巡らせる。
改めて言うまでもないが、やはり彼女たちは心優しい人間だった。
自分は魔女狩りであり、魔女を殺すことを生業としている人間だ。
実際に村人の多くはアレシオが列車を動かしたことには感謝しているし、彼が魔女を殺すことを期待している。
しかし、同時に「魔女狩り」という得体の知れない存在に対し困惑していた。
魔女がどれだけ恐ろしい存在か、それは村人たちの脳に嫌というほど刻み付けられている。
そんな彼らが考えるのは、「この魔女狩りの少年も、魔女に匹敵する力を持っているのではないか?」という疑問。
そして、もしそんな強大な力が自分たちに牙を向いたら、という恐怖を持つものも少なくない。
そのため、彼に近付くことを躊躇っているというのが実情だ。
わざわざ関わるような人間は、先ほどの村長のような『利用しようとする者』くらいのものである。
自分の正体を知られてこのような扱いを受けることは、過去にもあった。
このようなある意味での人間不信が、素性を隠していた理由の一つである。
しかしあの姉妹はどうにも違う。
自分が魔女狩りであると明かした直後、ソレラは今まで通りに接してくれた。
クラウはある意味で自分を利用してはいたが、それでも優しさに嘘偽りは無かった。
彼女達の宿は居心地が良い、その点では感謝している。
しかし、だからこそ彼女達を巻き込みかけていることに罪悪感もある。
どうしたものか。
まどろみの中でそんなことを考えていた。
【2】
物音が聞こえたために、アレシオは目を覚ました。
起きてしまったが、まだ外は真っ暗なまま。
残夜と言うにも遠い。
それなのに外の物音は続いている。
なんとなくこのまま眠れるような気がしなかった。
眠るのが早かったせいだろうか。
目を覚ましたアレシオはそのまま階下を降り、入り口へと向かう。
小さな頃も眠れない夜はあった。
真っ暗な中で唐突に訪れる恐怖。
自分が何処から来たのか、何者なのかという疑問。
特別な境遇はそのような形で彼の少年時代を脅かした。
もう、過去に抱いていた恐怖はおおよそ拭い去った。
けれど、暗いのに眠れないこのような時間はそんな日々を思い出す。
【3】
玄関を開ける。眼前に不審なものは映らなかった。
アレシオが予測していた可能性は大きく分けて二つ。
一つは動物。
山の中から迷い込んできた害獣が、農作物や家畜を求めて村を荒らしているかもしれない。
そして二つ目は強盗。
列車は確かに動いたが、ここ数日で満足に食事ができなかった村人が居たのかもしれない。
通常であればもう少し合理的な犯罪を行うのかもしれないが、空腹に苦しんだ人間ならば冷静な判断を行えない可能性もある。
特に、子供ならば安直に食べ物を蓄えているであろうこの宿に侵入するかもしれない。
どちらにせよ警戒して、特に後者ならば穏便に対処する必要がある。
耳を澄ますと、物音は右側から聞こえていた。
村人皆が静まり返った田舎だから、音がよく通っている。
右側、というよりは少し右後ろ。
視界に映らない場所であるというのなら、建物の影、つまりこの宿の……
その時、がしゃんと一際大きな音が立った。
やはり宿の裏側だ、そう気づいたその瞬間に彼の身体は駆け出した。
服の下に常備しているナイフに手を当てながら、未だ鳴り続けている音の方角へと駆ける。
宿の裏側の方が森に近い。やはり動物なのではないかと思う。
だが、最悪の可能性の場合。
本当に魔女かもしれない。
そう思い、気を一層引き締める。
しかし、そこに居たのは予想した可能性のどれとも違うものだった。
「アレシオ、さん……?」
倒れた車椅子がからからと車輪を回している。
その横で地面に伏していた少女がこちらを見上げていた。
彼女は瞳にアレシオを映し出し、それから何かに怯えたような表情をしていた。
どうして彼女は外に出ているのだろう。
彼女は一体何をしているのだろう。
車椅子から倒れたのは自身の過失か、あるいは他の誰かのせいなのか、どちらなのだろう。
状況は理解できていなかったが、まずは彼女の安全を確保すべきだ、そう判断した。
「襲われたんですか」
問いかけると、彼女は震えつつ首を左右に小さく振る。
ちらりと周りを見回しても、他に何かがいる様子はない。
「怪我はしていませんか」
「アレシオ、さん……私、足、動かなくて……」
「わかっていますよ、大丈夫です」
「私、立ちたかった、のに、なんで……」
明らかに平常心を保てていない。
一体彼女は何に怯えているのだろうか。
もしかするとどこかに外敵が潜んでいるのかもしれない。
そう思ったが、今の彼女は詳しい状況を訊ける状況ではないだろう。
犯人捜しは最優先ではない。
「……とりあえず、掴まってください。
話は後にしましょう」
返事を貰うよりも早く膝を地面に付けたままのクラウの身体を支え、そのまま持ち上げて背中に乗せる。
まだ少し震えている彼女を背中に感じながら、初めて出会った時と同じ感想を抱く。
とても軽くて、羽根のような身体。
【4】
彼女を背中に背負ったまま、宿の中に入った。
転んだ拍子についたであろう泥などを入り口付近でできるだけ落としてやり、それからソファーに座らせる。
先ほどは大きく動揺していた彼女だったが、存外早くに落ち着きを取り戻していた。
しかし表情はそこそこ暗く、わずかに俯いたままである。
先ほどの大きな音は彼女が車椅子から落下した時の音だったのだろう。
しかし音の大きさに反して、見たところの外傷は全くないようだった。
「とりあえず、無事でよかった」
アレシオは安心した表情でそう呟く。
「……」
彼女は依然として俯き黙り込んだままだ。
先ほどもう一度誰かに襲われたのかと確認をしたが、その時は首を横に振った。
その点では安心できるが、尚更彼女がこのような顔をしている理由がわからない。
「準備ができてからで構いません。
何があったか……
いや、あなたが何をしていたか、ゆっくりでいいので教えていただけませんか」
言われた彼女は、膝の上に置いた手を僅かに震わせた。
それから服の裾をきゅっと握り、握りしめた手をもう一度弱めてから、ぽつりぽつりと話し始める。
「歩く練習をしていたんです」
最初にそう言った。
「生まれ持った身体だから、どうしようもない。
わかっているんですけどね。
それでもどうしても、ある日自分が歩けるようにならないかな、なんてことを想像しちゃんです」
「……」
「今日は夢を見ました。ここ数年、たまに見る夢です」
夢の中で彼女は歩いていた。
ニーヴェリタの村の中を、自分の脚で。
現実ではないけれど、歩いている時の感覚は確かにあった。
「生まれてからずっと車椅子のはずなのに、そんな感覚があるなんて、おかしな話ですよね。
でも、目が覚めた時、夢の中と同じようにできるような気がしてしまうんです。
そんな無茶な夢に振り回されて、歩いてみようと思ってしまうんです。
上手く行くことなんて、もちろんありませんけど」
冗談めかそうと小さく笑う彼女だったが、そんなもので拭い去ることはできないような切実な意味があるように思えた。
部屋に戻ると、すぐに彼女は穏やかな調子に戻った。
しかし、だからこそ最初に見せた怯えたような表情が気になってしまう。
アレシオにとって、彼女の行為はあのような表情をするほど後ろめたいものには感じられなかったからだ。
「あの……ソレラには黙っておいてくれませんか。
私が夜中にこんなことをしているなんて知ったら困るだろうし、それに……」
ソレラは色々な意味で面倒見の良い子だ。
そしてクラウのことをとても慕っている。
不可能だとしても、クラウが自分の脚で立てるようになりたいというのなら、それを手伝おうとするに決まっている。
しかし、クラウにとってはそれが嫌なのだ。
自分の我が儘のために、妹をこれ以上働かせるわけにはいかない。
そう言いたいのだろうとアレシオは察する。
「わかりました、僕からも黙っておきます」
「はい、ありがとうございます。
あの……不躾かもしれませんが……あともう一つ、お願いがあります」
「なんでしょうか」
「これからもし、私が夜中に歩く練習をしていても、決して手伝わないでください、見ないでください。
ふらついたり、転んだりするのを見られるのは……やっぱり恥ずかしいですから」
代わりに、本当に困った時は声を上げて助けを求めるとクラウは言った。
そこまで言われるとアレシオにも拒否する理由は無い。
「わかりました。
決してあなたの歩く練習を邪魔しませんし、覗き見るようなこともしません。
約束します」
そこまで聞いてからクラウは安心し、それからゆっくり息をついた。
「はぁ。アレシオさんには、色々と弱みを握られちゃってますね」
「別に、今日の出来事が弱みになるとは思えませんが」
「いいえ、少なくとも私にとっては恥ずかしい秘密だったんです」
「そうですか、だとすれば少し申し訳ないです」
「いえ、仕方ないですよ。私を助けに来てくれたんですから……
って言いたいところですけど、どうせならアレシオさんの弱みも教えてくださいよ、この際」
「僕のですか?」
「はい。私だけがどんどんボロを出していて、なんだか不公平な気がしてきました」
彼女はことあるごとに自分のことを知ろうとしている気がするな、とアレシオは不思議に思った。
どういった理由で自分に興味を持っているのだろうか。
「弱点と言っても……見たままですよ。
人の気持ちを推し量るのが苦手だったり、空気が読めなかったり……
わかっていても中々治らないです」
「どうしてですか?」
「こことは違う世界から来たからです。
だから、この世界の常識がわからない」
「またそれですか、ふふ」
別の世界から来た、という表現が本当はどういう意味なのかはわからないが、少なくとも彼は特殊な環境で育ったのだろうな、と思う。
「他には?」
「そうですね……辛いものが得意ではない、とか」
「それは良いことを聞きました、明日は楽しみにしていてくださいね」
「待ってください、何をするつもりですか」
ひとしきり話して笑い合うと、クラウの表情にもかなり精気が戻ってきたように感じる。
アレシオも先ほどまで張っていた気が抜けてしまい、ふいに急な眠気に襲われた。
「大きな欠伸ですね」
クラウが嬉しそうに微笑む。
こうしてみるとなんだかソレラよりも小さな子供みたいだな、とアレシオは思った。
「はい、まだ夜も半ばですしね。クラウさんは眠くないのですか?」
考えてみると、彼女とはたびたび夜遅くまで話し込んでいた。
それなのに眠そうにしているのを見たことがない。
加えて朝も問題なく目を覚ましている。
「ふふ、私、昔は夜型だったんです。だからこのくらい平気ですよ」
「なるほど、それは良いことですね」
「……アレシオさん、眠いのなら寝てもいいんですよ?」
「そう、ですね。そうなんですが」
アレシオは少し言い淀んでから、
「なんとなく、今夜くらいは傍に居たほうがいいかな、と思ったので」
と口にした。
不意を突かれ、クラウは顔を赤くする。
わかっている。
この青年は自分の発言に対する自覚なんてこれっぽっちもないのだ。
それなのに動揺してしまう自分が少し情けない。
だからこの人は嫌いなんだ、と心の中の悪魔が囁いた。
「はい、じゃあ傍に居てください」
それでも甘えてしまうのは、自分の悪いところだな、とクラウは複雑な気分になる。
【5】
そうは言ったものの、やっぱりアレシオはそれほど時間が立たないうちに眠り込んでしまった。
ソファーで横になる彼を見て、ふと変な気が起きてしまう。
しかしそれをすぐに理性が打ち消す。
今、そんなことをしても意味がないだろう。
この寝顔を見るだけに留めておこう。
そう思った。
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