第二章「魔女」

第1話「魔女探し」①

【1】


 かつて、伝説も書物もなかった時代。


 この村、ニーヴェリタには一人の少女が居ました。

 少女は一見、他の子供たちと同じように見えます。

 姿かたちも、話し方も、普通の女の子です。

 しかし、話しているとどこか欠けているように思えるのでした。


 何かがおかしい。

 どこか、わかりあえないような気がする。

 この子は普通の人間とは違うのかもしれない。


 一緒に遊んでいた子供たちや、その周りの大人たちはそう思いました。


 いつからか、彼女は人間のふりをした悪魔ではないか、という噂が流れ始めました。

 彼女が何年経っても歳を取らないことも、その噂に拍車をかけました。


 少しずつ彼女と関わる人間が減りました。

 少しずつ彼女を差別する人間が増えました。


 そしてある日、都市では彼女のような人間もどきを『魔女』と呼んでいることを村人たちは知りました。

 見た目が変わらず、寿命が長く、人として大切な何かが欠けているような存在。

 まさに、彼女そのものでした。


 そして、村人たちは彼女を追い払おうとします。

 魔女と呼ばれた彼女は、自分はもうニーヴェリタに居場所が無いのだと理解します。

 そして魔女は、村の外れの山奥へと逃げ、そこでひっそりと暮らすことにしました。

 彼女はきっと、今も山奥で静かな生活を送っています。


 ずっと、ニーヴェリタの村人たちを憎みながら。


【2】



 かじかんでいた手にぬくもりを伝えてから、白い息を吐いていた口にカップを近付ける。

 今の自分の気が少しばかり動転していることは明らかだったので、ゆっくりと心を落ち着かせる必要があった。


「落ち着きましたか、クラウさん」

「……はい、なんとか」

「それは良かったです」


 そんなクラウとは真逆であるかのように、アレシオは動じていない様子を見せる。

 こういうところは本当に掴めないな、とクラウは思う。


「……じゃあ、改めて質問です、アレシオさん」

「はい」

「なんとなく予想はつきますけど……

 この数日間、あなたはどこに行っていたのですか?」


 そんなクラウの質問に対し、彼は表情を変えぬまま、ただ事実だけを口にした。


「森の中で魔女を探していました。

 村の人々やクラウさんから、『魔女は森の奥に居る』という話を聞いたので」


 つまり、一人であの森を何日もかけて調査していた、ということになる。

 山の中はここよりも更に寒い。

 魔女に関係なく、野生の動物も多くいるはずだ。

 そんな場所に何日も居るなんて。

 彼の命知らずな行動にクラウはぞっとする。


「もう……心配したんですからね……

 列車も動いていないから、きっと山に入ってしまったんだろうって思って」

「はい」

「あれだけ危険ですとお伝えしたのに、なんで行っちゃったんだろうって思って……」

「はい、すみません。

 ですが、今回の山奥のような場所を探索するのは、慣れていましたので」

「アレシオさんにとってはそうかもしれませんが、普通の人にとってはすごく危険なんです! 

 大丈夫だって信じてましたけど、もしかしたら……なんてことを考えてしまって」

「すみません」

「素性が明かせないとしても、一言くらいは私に相談して欲しかったです」

「……すみません」

「……はあ、もういいです。嫌いです」


 そう言ってそっぽを向くクラウ。

 紅茶のおかわりを準備しにキッチンへと向かった彼女を横目に、隣に座っていたソレラが耳打ちする。


「あれ、クラウの口癖なんだよね。嫌いです、って言うの」

「そうなんですか」

「そうそう。本当に嫌いになったわけじゃないから安心して。

 というか、クラウが誰かのことを本当に嫌いになってるのなんて、見たことないけどね」

「ならよかった。てっきり逆鱗に触れたのかと」

「まあ、多少は怒ってるかもしれないけど、それ以上に再会できてうれしいと思ってるよ、きっと。

 素直に言えばいいのにね」

「……二人でなんの話をしてるんですか?」

「ひえっ」


 いつの間に戻ってきていたクラウの静かな迫力の前に、ソレラは小さく声を上げてしまう。

 普段から柔和な分、たまに見せるこの『いつもとは明らかに違う』笑顔は背筋が凍るほどに怖い。


「ソレラ、あまりアレシオさんに余計なことを吹き込まないでね?」

「……はい、ごめんなさい」


 反省している様子のソレラを見て、クラウは納得したように微笑んだ。


「……それで、アレシオさん。

 結局、魔女の手がかりは見つかったのでしょうか?」


 クラウが質問し、話題が引き戻される。


「いえ。結局、この村の魔女と接触することはできませんでした。

 結局のところ、迷子になっただけです」

「……そう、ですよね」


 クラウは少し残念なような、けれどもどこか安心したような顔をする。



「って、ここ数日間のアレシオさんとか、魔女の手がかりとか、そんな事より……

 もっと訊きたいことがあるんだけど」


 ソレラが会話に割って入ってくる。


「アレシオさん……あなたが何者なのか、どうしてこの村に来たのか、ちゃんと教えてよ。

 さっきまでの出来事も、何一つ理解できてないんだから」


 アレシオが列車を動かした時、ソレラは役所で諸々の手続きをしていた。

 途中で周りが騒がしくなったから何事かと思って外に出た。

 すると駅の方であの人だかり。


 怯えるような人、怪訝な顔をする人、ただただ喜ぶ人。

 そして中心には、慣れ親しんだ客人の顔。

 

 そこで起こったことすら今しがた把握した所だが、結局この青年が何者なのか、という疑問は解決していない。

 これ以上よくわからないままでいるのはつまらない。

 だからソレラは不満を露わにしていた。


「魔女の住む冬の村、という噂は前から耳にしていましたから」


 小さな村であるから、話題になるような出来事はそう多くはない。

 一つの大きな物事に集中する。

 それはこの村でも例外ではなかった。


 山奥の魔女。


 村の外では、その噂がニーヴェリタの象徴のようになっていた。

 アレシオはそれを聞きつけてやってきた。

 魔女を狩ることが、彼の使命だった。


「僕が魔女狩りであるということについて、これまで黙っていたのはすみません。

 初めから明かしてしまうと、欲しい情報が手に入らない可能性がある、そう思ったんです」

「……………………」

「もし魔女が村の中に潜んでいたなら、素性を明かすことで自分自身だけでなく村の人たちまで被害が及ぶかもしれない。

 安易に明かさなくても、後出しはいつだってできますから」


 黙っていただけであり、騙していたわけではないのだ。

 非難するほどのものではない。

 けれど、クラウやソレラにとって、割り切れることではないのも確かだった。


「それに……村人が本当に魔女の事を憎んでいないのならば、何も話さない方が良いと思ったんです。

 僕一人でこっそりと魔女に出会い、それで終わりにすればいい」

「……確かにそうかもしれませんね」


 頭の中ではまだ鮮明でなく靄がかかっていたものの、クラウはなんとか頷いた。

不必要に事を荒立て、皆に不安を煽るようなことは避けたい。

 アレシオがそう思ったなら、それは正しい選択であるように感じたからだ。


「事情はわかったよ、アレシオさん。ただね……

 やっぱりわたしたちくらいには教えてくれたって良かったんじゃないの?」


 ソレラは不機嫌そうな表情でそう告げる。


「正直、アレシオさんは不思議でよくわからないところも多いけど……

 それでも信じてあげたくなるような、そんな人だと思ってる。

 わたしだって、誰彼構わずこんな風に気兼ねなく話せる訳じゃないし。

 だからそう、これは……わたしなりの信用の証なの、だからさ……」


 クラウの『嫌い』なんて口癖も、自分以外に頻繁に使うのを見たのは初めてなのだ。

 だから、少しはお灸を据えてやらないといけない。じゃないと----


「----」


 そこで入り口から音が鳴った。扉を誰かが叩いている。


「はい……?」


 クラウが入り口に向かうよりも前に扉は開かれ、初老の男性が一人入ってくる。


「……村長さん」

「ああ、少しお時間よろしいですか?」

「はい、大丈夫ですが……」


 クラウがそう口にした通り、彼はニーヴェリタの村長である。

 一応名目上は村で一番偉い人間であるが、特段裕福そうな見た目をしているわけでもなく、髭を乱雑に生やした普通の男性だ。

 村長たる人間がこのようなみすぼらしい恰好をしているのも、この村の貧困を如実に表しているようで、どこか悲しい。


 彼の目的はある程度予想できていた。

 そしてそれが正解だと言わんばかりにアレシオに近づいていく。


「魔術師さん。折り入って、あなたに頼みがあるのです」と村長は言った。

 頼みの内容は容易に想像できる。

 村に悩みの種は沢山あれど、列車が動き始めた今となっては、その矛先はただ一つ。

 山奥に住む怪物だけである。

 そして、先ほどアレシオが見せたものに対する期待。


 この人ならひょっとすると。

 そう考えている村人を代表して、ここに来たのだろう。


「まず、これは他の村人たちから聞いたのですが……

 あなたが『魔女狩り』であるというのは事実なのですか?」


 アレシオは頷く。


「つまり……あなたの仕事は魔女を殺すことであり、この村に来たのもそれが理由であると」

「……はい」


 少し躊躇ったような気もしたが、彼はもう一度肯定する。


「やはりそうでしたか!」


 村長はわざとらしく大きな声を出した。

 それが事実であることを期待していたのだろう、それが簡単にわかるような声は少し耳障りだった。


「でしたら話が早い。私のお願いと言うのはそのことなのです。

 あなたにこの村の災いを解いて欲しい」

「災いとは、具体的には何でしょうか」


 アレシオはそう尋ねる。


「この村に何日も居る貴方なら耳にしているでしょう。魔女の呪いですよ。

 寒い日が続くのも、村の作物の実りが悪いのも、列車が動かなくなるのも、みんな魔女のせいなんです。

 だからこれは、魔女を殺すことで解決するはずでしょう?」


 村長はそう言った。

 村の人も皆同じことを言っているらしい。


 しかし、そこに魔女が関係している根拠は本当にあるのだろうか。

 天候を変えることができるような魔女なんて聞いたことが無い。

 魔法で土が痩せてしまうなんて、アレシオも聞いたことが無い。

 だというのに、それが真実だと決めつけている。


「きっと、この村の魔女を退治することくらい造作もないのでしょう?

 なにせそれが生業なのでしょうから」

「……………………」アレシオは何も答えない。

「そもそも、魔女退治がこの村に来た目的ですよね。だとすれば一挙両得です」

「ちょ、ちょっと待ってあげてよ、村長さん」


 まくしたてるように話しすぎだ。

 これじゃアレシオは着いて来られない。


 そう思ったソレラは止めようとするが、彼は構わず話を進める。


「私にはよくわかりませんが、ニーヴェリタに来てからの数十日間は何かの準備の時間だったのでしょう?

 理由もなくのんびりと過ごしていたわけではないでしょうし、ねえ?」


 どこか挑発しているような、嫌な言い方だった。

 こんな奴の言うことを訊く必要があるのか、とソレラは苛立ってしまう。

 たとえ深刻な話をしているのだとしても、人にものを頼むときの態度は変わらないはずだ。

 ほとんどの大人は、自分たちの説法を反面教師でしか示すことができないのだな、と思う。




「あなたからのお願いということは、何かしら僕にメリットがあるのでしょうか」

「もちろん報酬は払いますよ。

 貧しい村なので、たかが知れているかもしれませんが……」


 それに、と村長が続ける。


「この村には、不自由な人間のために配当される援助があることを知っていますか?」

「はい、この村で古くから続く制度であると聞いています」


 アレシオは頷く。

 以前、クラウもそれを受け取っていると村人が言っていた。


 そこで村長はニヤリと口角を不気味に吊り上げた。


「しかし、最近はそんなもの廃止しろ、なんていう声も大きいんですよ」

「……ちょっと!」


 我慢の限界だったソレラが大きな声を出す。彼は不敵に微笑んだ。


「そうですね、あなた達にとっては重要な話でしょう。

 ですが、それは本当に村全体にとって価値のあるものでしょうか?」

「……………………」ソレラは黙り込んでしまう。


 言い返せるわけがない。

 けれど、この仕組みはそういうものではないはずじゃないのか。

 一人の弱者を守るためのルールが、村の皆にとってあからさまな得になるはずがないのに。

 それがまったくわからない、あるいは敢えて無視をしているこの男が許せない。


 尊厳を汚い土足で踏みつけられたような感覚だった。

 当事者ではない自分さえそう感じるのだから、クラウにとっては、もっともっと深い言葉の棘なのではないか。


 しかし、当のクラウは微動だにしないまま、ゆっくりと声を出した。


「……そもそも、列車は公国側の原因であると、先ほど判明したはずですが」

「いやあ、違うんですよねえ」


 わかっていないな、という顔をして村長がクラウを見る。

 気味悪い表情に睨まれても顔色ひとつ変えない。

 そんな彼女に向かって言葉を続ける。


「それが直接には公国の問題であるとしても、そういった不幸が立て続けに起きるということ自体が魔女のせいである、私はそう思うのですよ」


 つまり、魔女は不幸を引き起こしているのではないとしても、不幸を呼び寄せている可能性がある、そう彼は言いたいのだ。


「火のないところに煙は立たない。

 だからこそ、彼女には死んでもらう必要があるのです」


 ソレラがあまり魔女を信じていないからという点を差し置いても、傲慢で理不尽な依頼であると思った。

 だというのに。


「……はい、わかりました。

 あなた達の言う通り、魔女を退治すればいいのですね」


 なんてことを彼はあっさりと言ってしまった。


「本当ですか! いやぁ、これは良かった!」


 村長は今にも飛び上がりそうなほどの笑みを浮かべている。

 憎たらしいことこの上ない。


「できるだけ早く、お願いしますよ。

 私たちの生活がかかっているのですから」


 なんて言葉を付け加えてしまう始末だ。


「ちょっと、アレシオさん……」

「いえ、大丈夫ですから」

 ソレラが何か言いかけるが、アレシオはそのまま話を進めてしまった。



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