第6話 「アレシオ」

【1】


 感情が一通り落ち着くと、私はアレシオさんのために食事を作った。

 簡素な薄味のスープとパン、それだけだったのだけれど、アレシオさんはご馳走にありついたかのように必死に食べる。

 本当に一週間も山の中に居たのだとしたら、何を食べて過ごしていたのだろう。


 ソレラはまだ帰ってきていない。

 役所での手続きは結構面倒だといつもぼやいていた。

 少し手間取っているのかもしれないが、それでもじきに帰ってくるだろう。


「……あの、何日もろくに食べていなかったんですか?」

「そんなことはありません。

 山の中に食べられるものがありましたから。

 美味しくは無かったですが」

 何を食べていたのだろう。

 やっぱり気になるけれど、今はその話は置いておくことにする。


「もう、本当に心配だったんですからね」

「そうだったんですか、すみません。

 二人にはご迷惑をおかけしてしまいました」

「いいえ、気にしないでください。

 アレシオさんが帰ってきてくれて、安心しましたから」


 そもそも彼は数十日分の宿代を部屋に置いていた。

 山から戻ってくるのにはそれだけの時間がかかるということを私に伝えてくれていたのだ。

 それに、荷物を置いていたということは、当然帰ってくるつもりだったということ。


 要するに、私の方が彼を信じることができていなかったのかもしれない。


「やっぱり、アレシオさんは不思議な人ですね」


 少しだけ微笑むと、彼は不思議そうな顔をした。

 たとえ、彼が魔女とは全く関係のない人間であろうと、もういいと思った。

 これから先の課題は山積みで、何も解決していないけれど、それでもこの奇妙なサプライズは私の心をかなり落ち着かせてくれた。

 ……ああ、けれど、もしかするとアレシオさんは山の中で生き抜くための手段を知っているのかもしれない。

 だとすれば、私とソレラにとってもかなりの僥倖だ。

 一緒に着いてきてもらうか、あるいはヒントだけでも貰いたくて少しそわそわしてしまうけれど、とりあえず彼が食べ終わるまでは待っていよう。


「それにしても……アレシオさんが居なくなることも含めて、大変なことが一気に起こりすぎたような気がします」

「何か事件が起こったのですか?」


 独り言のつもりだった言葉をアレシオさんが拾い上げた。


「はい、実はアレシオさんが居なくなった日の朝から列車が動かなくなって……

 だからこそ、あなたが山奥に入ってしまったことに疑いようが無くなってしまったんです」

「列車、ですか」

「はい、私たちが出会った、村へ来る唯一の手段である、あの……」


 生け贄のことや、アレシオさんを魔女狩りであると言ったことはまだ伏せておいた。

 どうせすぐに言わなくてはならないのだが、それを打ち明けるには心の準備ができていなかった。


「故障の原因はわかっているんですか」アレシオさんが尋ねる。

「いえ、管理を行っているのは公国の方らしいので。

 アレシオさんもそこから来たんですよね?」

「ああ、そうですね」


 それからアレシオさんは考えるような仕草をする。

 何か思い当たる節があるのだろうか。

 彼はもちろん公国から来たのだから、来る前に向こうで起こったことを何か知っているのかもしれない。


「すみません、そのことについて、一つだけ良いですか」

「はい」


 それが絶望的な事実であろうと受け入れる準備はできていた。

 これから自分の身に何が降りかろうと構わない。

 彼が戻ってきてから、揺れていた心は少しずつ落ち着きを取り戻していた。


「あの、確かな事は何も言えないのですが」


 しかし、続いて彼の口から出たのは予想だにしない言葉だった。


「もしかすると、僕ならなんとかできるかもしれません」




【2】


 そして私とアレシオさんは駅に向かった。


 途中、すれ違った村人のほとんど全員が驚いたような表情で私たちを見ていた。

 アレシオさんが実際に現れてしまったことに動揺を隠せないようだ。

 私自身今もそうなのだから仕方がない。


 列車が動いていないのだから駅はもう少し静かだと思っていたが、結局すぐに、私たちに着いてきた人たちで溢れかえってしまった。

 当然と言えば当然だ。

 アレシオさんがここにいること自体驚きだし、加えて彼がどんな人間なのかが村の顛末に関わってくるのだから。


 しかし当の本人は「やけに人が多いですね」と一度呟いたきりで、それほど気にしてはいない。

 状況がわかっていないということもあるが、それにしてもやはり不思議な人間だなあと思う。


 アレシオさんは列車の様々な位置を物色していた。

 時折手で車体をなぞっては頷いたりして。


「クラウさん」


 列車の車内ではなく屋根に乗ったアレシオさんが、上から見下ろすようにして私に話しかける。


「はい」

「すみませんが……少しだけ村の人たちに離れてもらうよう指示していただけませんか?

 大したことはしませんが、あまりに近いと危険ですので」


 具体的に何をするのかは教えてくれなかった。

 それじゃわからないなと思いつつも、彼の言う通りにする。

 それが私たちのための行為であることは、疑いようもないからだ。


「わかりました」


 それから私は身を翻し、村人たちの方を見る。

 奇異の眼差しがほとんどの中で、少しだけ期待をしているような人も少しだけ居た。


「すみませんが……危ないので、離れていただけませんか!」


 できる限りの声でそう言うと、意外にもすんなりと皆後ろに引いてくれた。

 村の人たちもおおよそ私と同じ気持ちだったのだろう。

 それが本当に役に立つかは疑っているが、彼は役に立とうとしているのだ。

 ならば自分たちは素直に従おう、という考え。


 やっぱりみんな、自分の利益になるかもしれない行動には躊躇いがない。

 けれど、それは私も一緒か……と思いながら彼の方を見る。


 これくらい離れれば大丈夫ですか。

 そう言おうとした私は、彼の手に一つの石が握られている事に気が付いた。


 綺麗な石だな、と思った。

 遠いから正確な形まではわからないそれは、世界を反射してきらきらと輝いていた。

 宝石だろうか。私みたいな人には無縁の高級品だ。

 しかし、それにしても眩しすぎるような気がする。

 説明できないが、どこか自然の輝きではないような、そんな----



 その時、奇跡が起こった。


 まず、光が幾多もの方向に分かれた。

 彼の手の上で分散した輝きは、その一つ一つが列車の別々の場所に向かっていく。

 車体と接触した光は小さく弾け、それから世界から姿を消した。

 それがばらばらの場所でひとつずつ繰り返される。

 光が弾ける度、なんだか花が咲いたみたいに見えてとても綺麗だった。

 まるでその行為がひとつの芸術であるかのような光景。


 私は見惚れていた。

 たぶん一瞬の出来事だったのだろうけれど、それは永遠のように感じられた。



 そして、全てが終わったと同時に列車が一週間ぶりに音を立てた。


「これで動くはずです」


 アレシオさんは駅長にそう呟く。

 言われた駅長ははじめぽかんと口を空けていたが、我に返ると駅の中に戻り、起動のための装置を弄り始める。


 少しの操作の後、列車のドアは簡単に開閉した。

 汽笛の音は元気一杯に鳴り響く。

 これまで十日間眠っていたのが嘘であるかのように。


 目を丸くしていたのはもちろん駅長だけではない。

 誰もが信じられないというような目でその光景を見ており、終わってからもしばらくは誰一人言葉を発さず。

 その間にもアレシオはゆっくりと歩き、梯子を使って屋根を降り、そして地面へすとんと着地する。


 それから少し遅れて、拍手喝采。

 中には泣いている人間も居た。

 当然だろう。

 誰もが人を生け贄に捧げることを躊躇しなくなるほどに追い込まれていた、と考えると尚更だ。


「あ、あの……アレシオさん、今のは……」


 そして私自身も村人同様に驚きを隠せておらず、妙に上ずった声のままそう訊いた。


「これは魔法石です。

 普段あまり使わないから、見ることも少ないですよね」


 『あまり使いません』も何も、普段は全く見ることのない代物だ。

 魔法石は、魔女の魔力を込めて作られるものだと聞いたことがある。

 伝説や昔話、それから都市から届く噂話の中でも、魔女によほど愛された人間や国の重要人物だけが持っているだけのものであるとされていた。

 つまり、一般人が持っているはずがない。

 そしてその力の程度にはかなり差があり、火をおこしたり周りを凍らせたりするだけのものがほとんどであると言われている。

 それなのに、これほどまでに強力な魔法石……列車を動かせるほどの魔力を秘めたものを持っているというのは。


「駅長さん、列車の動力についてはご存じでなかったのでしょうか」


 茫然とする私の隣で、アレシオさんは平然とした表情をして駅長さんに話しかける。


「あ……はい。

 私は指示された時間通りに乗客を座らせ、それからレバーを引くだけで……」


 駅長である初老の男性は、目の前で起こったことに未だ驚きつつも返事をする。


「なるほど。これまで一度も止まったことが無かったのならば、確かに仕組みまで知っておく必要がない……」


 彼はそう独り言を呟き、それからもう一度駅長の方を向いて、


「簡単に言うと……

 この列車は魔動列車なんです」

「魔動列車?」


 この村で最も列車を見てきた駅長でさえ、いきなり飛び出た知らない単語に首を傾げてしまう。


「はい。

 交通の要所として急速にその地位を拡大した公国、しかしその実態は、たった一人の魔女に支えられた魔女国家なんです。

 その国の国民達でさえ、ほとんど知りませんが」


 むろん彼の会話に着いて行けなかったが、それも意に介さず話し続ける。


「魔女から吸い上げた魔力を使い、普通の人間による技術では到底不可能な鉄塊を動かすことに成功したことが、公国繁栄のたった一つの理由です」


 彼の口から発されるのが異国の言語のように感じる。

 どちらが列車の管理人なのだろうか、とでも言いたくなるような光景。


「あと……どうか、その魔女を恨まないでやってください。

 彼女も虫の居所が悪いことくらいあるでしょうから。

 生きている者を利用するというのは、そういうことです」


 不思議な人だとは思っていた。

 旅人とはいえやけに世界の魔女の事に詳しく、まるで何人もの魔女に会って来たような話をする。

 何日も山奥に行っていたにも関わらず平然とした表情でいつもと同じように帰ってくる。

 様々なことに無頓着のようでいて沢山の辛いことを知っている。


【3】


 ひとしきり続いた歓声が止んで、それから村人達は再び青年と少女に目を向けた。


「アレシオさん……あなたは一体、誰なのですか。

 本当に、ただの旅人なんですか……?」


 少女だけではない。

 そこに居合わせた村人は皆、口にせずとも同じ思いで彼を見ていた。


 おおよそ普通の人間にはありえない奇跡のような行為。

 それをさも当然であるかのようにやってのける旅人の青年。

 彼が特別な人間であることは、既に疑いようも無い。


「……ここまで来たら、色々と隠すことはできませんよね」


 青年は少女をいま一度見据える。

「クラウさん、あなたに言わなければいけないことがあります」


 そして青年は告げる。

 それなりに長い間、彼女と過ごした青年がずっと黙っていたこと。

 この世界の真理に立ち向かう、一人の青年の真実。


 少女が苦し紛れに抱いた想像が、本当に変わる瞬間。


「ずっと黙っていてすみません。僕は『魔女狩り』なんです。

 この村の魔女に、会いに来ました」




 これは、一人の魔女狩りの、出会いと別れの物語である。



(第一章 終)

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