第5話「呪い」②

【7】


 次の日の朝になった。

 朝になると彼が部屋に戻っている……なんてことはなく、私とソレラはここ三日間と同じように二人で朝食を食べた。

 もちろん他の客はいないし、公国から誰かがやって来ることもない。


「このまま待っているだけでいいのかな」


 食事に使った食器を棚に仕舞いながら、ソレラが呟く。


「だめだよ、私たちが山に入るのは危険だから」

「そうなんだけど……このまま何もできないのも、なんかなあ」


 ソレラはもどかしそうな顔をしている。

 何もできないのが嫌なのは、私も同じだ。


「じゃあ私、ちょっと教会に行ってくるね。あそこに魔女の手がかりもあるのかもしれないし」


 そう言って宿を出ようとすると、私の背中に向かってソレラが質問を投げかけた。


「ねえ……クラウは魔女の話、どこまで本当だと思う?

 災いとか、呪いとか……」


 車椅子を止め、少し考える。


「うーん……正直、わからないっていうのが本音かな」


 確かに、皆の言っていることはこじつけのように感じる。

 そういった雰囲気は好きではないけれど、彼らの言うような可能性があることそれ自体は否定しきれない。


「魔女が本当に恐ろしい存在なんだとしたら、そういうこともあると思うよ」

「そう……」


 なにか心にわだかまりを抱えているような調子で、ソレラが返事をしていた。


【8】


 ソレラにはずっと隠していたことがあった。

 他の誰にも、そしてクラウにさえ隠してきたことだ。


 自分は昔、魔女に会ったことがある気がする。

 確かなことは何も憶えていないけれど、それでもどこかで会ったのだ。


 そして魔女は……決して皆の言うような存在じゃなかった、そんな記憶がある。

 凄い力を持っているのかもしれないけど、それで誰かを傷つけることはない。

 決して悪人ではない。


 そんなイメージだけが、彼女の中に残っている。

だからこそ、村人達が呪いだのなんだの言うのが、ソレラには解せなかった。


 しかし、そんな夢か現実かもわからない話をするのは、なんとなく恥ずかしい。

 だから墓まで持っていくつもりだ。たぶん。


【9】



 そして次の日。

 彼は現れない。


 明日の夕方の集会、それに間に合わなければ村から生け贄が選ばれる。

 生け贄はこの村を追い出され、魔女のいる山奥の小屋を目指す。

 しかし山の中は迷宮に等しく、普通の少女が助かる見込みは無い。


 ソレラが買い物のために家を出ると、入れ違いのようにバルドさんが宿を訪れた。


「どうしたんですか、こんな朝早くから」


 そう挨拶をしたが、彼はなかなか話を切り出そうとしない。

 わざわざ顔を見に来たわけじゃないだろうし、何かしらの目的があるのだろう。


「……決まったらしいんだ」


 一度合わせた目を何度か逸らしたり、「き」までを何度も音にしては仕舞ったりした後に彼はそう言った。


「なんのことでしょうか」


 ただ勿体ぶっているのではなく、ばつの悪そうな表情。

 これから話す内容は決して良い知らせではないことが見て取れた。


「ソレラちゃんなんだってさ」


 何が、とまでは訊かなくてもわかってしまった。

 つまり彼は誰が生け贄に選ばれたのかを報告しに来てくれたのだ。

 けれど本人の前でそんなことを言うのは躊躇われたのか、ソレラが家を出るまで待っていた。

 そして私一人になったところで、話しかけたのだろう。

 そのことには納得がいった。けれど、話の内容には全く納得がいかない。


「どうして……どうして私じゃないんですか。

 この不自由な脚を見てください。

 不幸なのは私の方じゃないですか」

「あの老人が決めたんだと」


 二日前、広場で話したあの老人。


「求められているのは不幸な『少女』、だから若いソレラちゃんを選ぶべきだ、と」


 わざわざ伝えに来てくれたのは褒められるべき親切な行為のはずなのに、彼は重たい罪悪感がのしかかったような表情で話をする。


「ですが、少女という条件ならば、私にも当てはまると思いますが……」

「そうなんだよ、そうなんだけどな……」


 バルドさんがまたも言葉を濁す。


「大丈夫です、それがあなた自身の言葉じゃないことはわかっていますから」


 村の人たちの中でも、特にこの人は私やソレラのことを気遣っているのがわかる。

 バルドさんは一応公国から雇われた見回り兵という名目になっている。

 もし山の上から他の国が侵略にやってきた場合、真っ先に対応をするのが彼の仕事なのだ。

 彼の場合、この村に住んでいる父親やその上の先祖から受け継いだ仕事だから、公国の人間という感じはしない。

 村の誰とも仲が良いが、村の風習や伝統に染まっているわけでもない。

 一家としてそのような風習に対して他の人ほど馴染みが無いのだろう。


「じゃあ言うよ、やっぱりそれでも言いにくいんだけどさ」

「はい」

「あいつらはこうも言ってたんだ……

 クラウちゃんは脚が不自由だろ、だから寿命も長くて……

 見た目はすごく若いけれど、生まれてから流れた時はそれなりに長いんじゃないか、って」

「……………………」


 そういうことか、と思う。

 生まれ持った不幸で寿命が大きく変化してしまう世界だからだろうか、他人の実際の生まれてからの年数や生まれた時期を気にすることはあまりない。

 若い若くないは大体の場合、見た目のみを指す。

 しかし、今回の場合は長い寿命を持つ伝説の魔女であるために、生まれてから経過した時間を重視しているらしい。

 教会で読んだ書物の中には、魔女が少女を好む理由に『若さ』を求めていることが挙げられている、と記されたものもあった。

 だから、そういう意味で若くない私じゃ駄目だ。

 老人はそう言いたいということである。


「……ごめんな、こんな酷いこと言ってしまって」

「いえ、伝えてくれてありがとうございます」


 そう返事はしたものの、きっと私は暗い顔をしていたのだろう。

 バルドさんは生やした無精髭をさすりながら、気まずそうに目を逸らしていた。


「け、けどさ、落ち込むにはまだ早いんじゃないか。

 クラウちゃんが言ったんだろ。魔女狩りが居れば、生け贄なんて必要ないかもしれない、って」


 最後にバルドさんはやっとの思いでそう言ってから、「帰ってくるといいな、あの旅人」と付け加え、背を向けた。


 そして一人取り残され、感情が渦巻く。



 姉として何ができるだろう。


 もう、わずかな望みに縋るしかない。

 彼が帰ってくること、そして彼が本当に魔女を殺してくれること。



【10】


 そして次の日。

 広場で提示された最後の日がやってきた。



 朝食を食べたソレラはそのまま出掛けてしまった。

 昨日バルドさんが言っていたことを知っているかどうかはわからないが、少なくとも今日のうちに知ることになるだろう。

 彼女が家を出るのを止めようかと思ったがやめておいた。

 村人がそう簡単に彼女に危害を加えたりすることはないと思ったからだ。

 身柄を拘束されるということもないらしい。

 列車が動かない今、この村から逃げるには結局森の中に入るしかないから。

 今やソレラはある意味で村にとっての特権階級だ。

 生け贄にはそれなりの伝統的な準備が必要だから、今日すぐに彼女が連れていかれる、というわけでもないだろう。


 一人、部屋で考える。

 これからどうするかはもう決めていた。


 私もソレラと一緒に村を出る。

 村人の中には命を無駄にするなと言う人もいるだろう。


 昔を思い出す。

 呂律も回らない中、いつも私に話しかけてくれる彼女に約束したのだ。

 どんなに苦しい境遇でも、笑いかけてくれる彼女を見て誓ったのだ。

 決してひとりぼっちにはしない、最後の一瞬まで、傍に居ると。


「……一日ってこんなに長いんだ、知らなかった」

 夕方の集会が、どうしようもなく遠い。

 感じる一日の長さは寿命の長さに反比例するのではないか、そんな噂を聞いたことがあるが、今日はそれが信じられなかった。

 たった今の時の流れはこれまで過ごしたどんな時間よりも遅く感じている。

 つまり結局のところ、心の持ちように関わっていると思うのだ。


 私は構わない、けれどどうしてソレラがこんな目に合わなくてはならないのだろうか。

 –--違うよ。みんな苦しいんだ。私はたまたま食料の備蓄があるから落ち着いているだけで、皆と同じ状況だったら私も同じことを考えるでしょ。


 …………


 –--逆もしかり、よ。彼らがもう少しだけ豊かで気持ちに余裕があったなら、酷いことは言わずに優しい言葉を投げかけるわ。きっと、それだけの違いよ。


 …………


 –--ねえ、あなたは本当にそんな誠実な人間なの。色々なものを裏切って来たんじゃないの?


 …………わからない。


 –--今の村人がやっていることだって、あなたがかつてやったことに比べればなんてことはない、そうでしょう?


 …………わからない。


 –--自分に罪を感じているから、誰にも怒らず笑顔を向けようと決めたんじゃないの?


 そうだ。

 この村の人間が時折冷たく見えるのは、彼らが寒くて冷たくて貧しい土地に囚われているからで……

 だから、彼らのことをわかってやらなくちゃいけない。


 そう決めて、ずっと誰に対しても笑顔を向けようと心掛けてきた。

 今もそのことを忘れたりはしていない。

 けれども……これはあんまりな仕打ちではないだろうか。

 今の私は妹という拠り所があるから、暗い気持ちにならずに毎日を過ごせていた。

 それなのに、そんな私へのあてつけのように妹を奪おうとしなくても。


 自分はどうすればいいのだろう。

 妹のために、自分のたった一つの拠り所のために、何をしてやれるだろう。

 どうすれば、『姉らしく』いられるのだろう。


 ソレラと二人で生きている中で、そんなことを何度も何度も考えてきた。

 答えが見つからないことを何度も何度も嘆いた。

 そしてまた、今も姉らしくできない自分が、ただただ不甲斐ない。


【11】


 座って物思いに耽っていたはずの私は、いつのまにか眠ってしまっていた。

 ここ数日は不安で眠れなかったせいだろう。

 こんな状況であるにも関わらず、ふと襲われた睡魔に抗うことができなかったのだ。


 夢の中で、私は昔のことを思い出していた。

 ソレラが生まれるよりも前、脚が不自由だった私は沢山の人々に疎ましがられた。

 ただでさえ貧しい村なのに、働けない食い扶持が居るというのはそれだけで彼らの苛立ちを引き起こした。


 あの時は今よりもずっと苦しかった。

 けれど、そんな日々を彼女が変えてくれた。

 ひとりぼっちのあの日々に戻ることは考えられない。

 ソレラが生け贄となるなら……絶対に私も付いて行く。




 しかし、私はやっぱり彼女が生きる上での足手まといだ。

 もしかすると、彼女が生き残る可能性は私がいない方が高いのかもしれない、と思う。

 私の病気は、誰も幸せにしない。それは妹であろうと例外ではない。


 どうすれば良いのだろう。

 妹の前では弱音は吐かないと決めていた。

 ただでさえ迷惑をかけているのだから、彼女に助けられているのだから。

 だからせめて、彼女の前では微笑んでいようと誓った。


 けれど今は私一人しかいない。

 それに、閉じた瞼の中の世界だ。

 本音が漏れる。

 私は、あの子を救えないんですか。

 たった一つの生まれた理由、それすら与えてくれないのですか。

 気付けば、瞑ったままの瞳から涙が零れ落ちていた。

 これが夢なのか現実なのかはわからないけれど、胸の痛みは本物だ。

 曖昧な世界で、私は確かな思いを込めて言葉を紡ぐ。


 お願いです、誰か私を救ってください。

 今の弱い、はりぼての私をやめさせてください。

 ソレラのお姉ちゃんだと胸を張って言えるような、そんな私にしてください。

 そして……






「……すみません、少しお腹が空いたのですが、何か食べ物はあるでしょうか」



 息が止まった。

 反射的に見開かれた瞳には、よく知っている一人の青年が映し出されていた。

 たった一週間見なかっただけなのに、それがどこか懐かしく感じる。


 口が上手く開かなかった。

 寝起きだったからだろうか。

 違う、有り得ない状況に驚いていたからだ。


「……あの、死人と出会ってしまった、とでも言いたげな目をされても、反応に困るのですが」


 そう、私は今、死人と出会ってしまったに等しいのだ。

 幻ではないかと疑ってしまう。

 だって、この村を離れて、とても寒い山の中で、何日も。


 けれど、そこに居たのはまごう事なき旅人の青年だった。


「アレシオ……さん……?」

「はい」

「あのアレシオさんですか」

「逆に、どのアレシオさんがいるんですか」

「あの……どうして、今になって……?」

「『帰るのが少し遅くなる』と伝えたはずですが」


 彼は当たり前のようにそう返事をする。

 自分は何か間違ったことを言ったのだろうか、というような表情をしていた。


 断言する。あなたは間違っている。

 だってあんなのは、あんな言い方は……


「少しって言われたら、遅くても2,3日だと勘違いするに決まってるじゃないですかぁ……!」

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