第一章「旅人」

第1話「おとぎ話」

「神様はたぶん、善悪の区別が無かったのだと思います。

 それなのに、感情だけはあったみたいです」



 また今夜も、おとぎ話が始まった。


「神様は不幸な一人の女の子を愛していました」


 男性が一人と女性が一人、それから女性の膝の上に子供一人が並んで座っている。

 この宿で語られている物語とそれを語る少女の評判を聞き、家族ではるばる遠い国からこの村までやってきたのだという。

 『神様が魔女を生み出した経緯』を語る少女は、神話を調べる研究者たちの間で、小さな話題となっていた。


「女の子は家族に見捨てられ、住んでいた町を追いやられ、それでも笑顔を絶やすことなく生きていました。

 見知らぬ土地で誰からも相手にされなかった時も、森の中で夜を明かすことになろうとも、決して自分の境遇を呪うことはありませんでした」


 車椅子に乗った語り部、少女の名前はクラウディナ。

 眠りにつく前の客人に、この村に伝わる昔話を読み聞かせる。

 それは彼女の日課であり、そして仕事でもあった。


 妹と共に住み込みで働いているクラウ。

 しかし、その不自由な足で手伝えることなどほとんど無い。

 朝食の用意や受付の仕事はどうにかこなせるものの、客室の準備などの身体を動かす仕事に関しては、妹の邪魔になるだけである。

 それでも、今のこの宿にとってクラウの存在は欠かせないものとなっていた。

 その理由が、この昔話である。


 クラウの趣味は、この村やその外の伝承について調べることであった。

 ずっと車椅子だった彼女は身体を動かすこともできず、村の教会に併設された小さな書斎に入り浸って時が過ぎるのを待っていた。

 今や彼女は他のどの村人よりもこの村の歴史を知っている。

 この村に伝わる物語もほとんど全て憶えている。

 とりわけ魔女についての神話について語ろうものならば、彼女の右に出るものはいないだろう。


 それともう一つ付け加えるならば、クラウの声はとても柔和で穏やかだった。

 眠る前、最後に聞く声として勝るものはない。

 これらの理由から、村に一つしかないこの宿に泊まる旅人や貿易商たちの間で、彼女が聞かせてくれる魔女の物語は小さな評判になっていた。


「神様はそんな彼女を好ましく思いました。

 なぜその女の子が選ばれたのか、詳しい理由までは書かれていませんが……

 私は単純な話なんだと思います」


 与えられた物語はできる限りそのままの内容を伝えるべきだ、とクラウは考える。

 しかし、昔話というものは、そのままではあまりに残酷であることも少なくない。加えて今夜は幼い子供もいた。


「だって、ひたむきな人間は素敵ですから」


 だからこそクラウは語りの中に時折優しい私見を織り交ぜる。真実を真実のまま、それでも救いがあると信じることができるように。


「しかし、ただでさえお世辞にも幸福とは言えない少女に、さらなる苦難が訪れます。

 彼女は不治の病にかかってしまったのです。

それは慣れない土地の気候が肌に合わなかったからかもしれないし、生きるために食べた野草が良くなかったからかもしれません。

 あるいは、心のどこかに封じ込めていた怒りや憎しみが溢れかえった結果だったのかもしれません」


 聞いていた子供の肩が少し震える。

 女が膝の上の我が子の頭をそっと撫でた。

 少しの静寂があったのちに、子供は両親を見つめながら小さく頷く。それを見届けてから、クラウは再び話し始めた。


「そうして女の子はみるみるうちに衰弱し、やがて死を迎えようとします。

 そんな女の子を見て、神様はとてもかわいそうに思いました。そして彼はこう考えたのです」


 そこでクラウは自身の膝に目を落とし、一呼吸置いてから客人の方を向き直した。

 間を取ったのは彼女なりの演出である。毎日のように語っているうちに身についた、無意識に近い行動だった。


 彼女は再び淡々と語る。


「『いや、そもそもこの世界がおかしいのだ』と神様は言いました。

 『どうしてこの少女はただでさえ短い命を、ずっと不幸なまま過ごさなければならなかったのだろうか?』」


 弱い人ほどすぐに死んでしまうのは、その時代の人々にとっては当たり前のことだった。仕方のないことだと誰もが思っていた。

 ただ一人、この世界の神様を除いて。


「人間一人が生まれた時に与えられる価値というものは平等であるべきだ、そうでないこの世の中は不平等で理不尽だ。そう神様は考えました。

 そして、神様はこの不平等で理不尽な世の中を変える決心をします。

 しかし、幸福で恵まれた生を与えることは、神様にとっても容易ではありませんでした。

 だから、代わりに不幸な彼女のような存在が、少しでも長く生きられるようにしました」



 そして神様は文字通り『世界を作り替えた』。

 身体の弱ければ早く死んでいた、それまでの人類では考えられないような世界。

 病の大きさと寿命が反比例する世界が生まれた。


「そして可哀想な病気の女の子は、代わりに永遠にも近い寿命を得ることができました​。

 めでたし、めでたし。……と言いたいところですが、私たちにとって重要なのは、ここから先の部分ですね」


 そこまで言い切ってから、クラウは一呼吸置いた。


 "おとぎ話ではあるが、架空であるとも言えない。これはそんな物語である。"


 『病人ほど長い命を持ち、健常者ほど寿命が短い』、そんな仕組みは、紛れもなく現実のものであるからだ。


「そうして、この世界はひとりの少女のために作り替えられました。

 そこから先は----今の私たちの世界と同じですね。

 神様によって人々の寿命は『欠陥を抱えた人間ほど長く』『恵まれた人間ほど短い』ものとなりました」

「つまり、逆を言えば……人の寿命は、もともと別の仕組みだった、ということよね?」


 女が質問する。


「はい、そうです。

 生まれ持った身体が弱い人間ほど寿命は短く、身体が強い人間ほど寿命が長い。

 そんな世界だったと描かれています」

「なんか、びょうどうじゃないね」


 そう子供が呟く。

 クラウは子供に目を合わせ、「確かに、そんな気もしますね」と返した。


 世の中は基本的に、等価である必要がある。

 石ころを純金に変えてしまう錬金術でさえ、その実態は等価である物体と物体の変換に過ぎないというのだ。

 だから、人間の命だって例外に漏れず同じ価値、すなわち平等であるべきだということなのだろうか。


 ----しかし、平等とは何だろう?


 クラウがこの身体に生まれた時から、ずっと考えてきたことだった。

 そもそも寿命の話に限らず、生まれ持った平等なんて有り得ないんじゃないか、と彼女は思う。


 ----生まれた時から健康ではなく、生まれた時から親がおらず、生まれた時から周囲に疎まれてきた。

 ----だけど、奴隷に比べれば十分に恵まれたこの環境も生まれ持ってのものだ。

 ----甲斐甲斐しく世話をしてくれる妹と出会ったことや、たまたま空いていた宿が与えられていたことだって、非常に幸運なことだから。


 ----そんなプラスやマイナスのことをいくつも考えていると、何一つとして他人と平等なことなんてない、そう思う。

 ----あるいは、それらを全てかき集めたとしたら……全ての人間の幸不幸は同じくらいなのかもしれないな。


 クラウは時折、そんなことまで考える。それを確かめる術はないにも関わらず。


 ----ああ、生まれ持った、なんて話していたが、よく考えると妹は生まれた時から一緒ではないな。


 そんなことが頭をよぎったところで、彼女は自分が語っている最中だという事を思い出した。


「……さて、昔話に戻りましょう。

 さっき言ったように、神様によって仕組みが書き換えられてしまったのですが、それと同時に、この世界に特別な存在が現れます。

 ほかの人間と比べ特別劣っていて、だからこそ特別寿命が長い人間。彼女達は、やがて魔女と呼ばれるようになりました」


 再び、彼女は語りを続ける。


「魔女は元々人間ではありましたが、決して他の人間と相容れない存在です。

 それには様々な理由があったのだと思います。

 持ち合わせた力が違う、時間の流れが違う、重視する価値が違う。

 ……そんな差異の全てが、魔女を孤独にしました」


 そんな孤独な魔女は、人間の居ない所へ逃げたり、人間を恨んで殺したり、あるいは人間に利用されたり、そういうことを繰り返しながら苦しみ続ける。

 そんな人間のようで人間ではない存在は、確かに存在しているのだという。この村の外には、魔女と共存している町や国もあるのだという。


「そして、神に愛された女の子----

 私たちが『原初の魔女』と呼んでいるその子は、

 今も動かない身体で、

 聞こえない耳で、

 見えない目で、 

 話せない口で、

 それでも生き続けていると言われています」


 神様には感情があったが、善悪の区別がついていない。

 そう彼女が初めに告げた理由がここにあった。

 彼は本当にそれが良い行いだと信じて行ったのだろう。

 愛した少女が、少しでも長く生きることが正解だと思っていたのだろう。

 それが幸せか不幸か、理解できないままに。


「……ここまでが、私がいつも話しているおとぎ話です」

「ありがとう、君はとても良い語り手だ」


 父親らしい男はゆっくりと拍手をしたあとに「私たちの国の話とは違うね」と続けた。


「私たちの国では、魔女は神様の使いであるとされている。

 元々人間だった、と言われることもないし、初めからこの世界に存在していたと言われているんだ」

「それは……王都に伝わる物語でしょうか」

「博識だね」

「いえ、たまたま耳にしたことがあっただけです」


「それにしても、住む場所によってかなり違うものなのだな。

 それなのに、どこか同じ話をしているようにも見える。神話は不思議だ」


「どの物語にも根本には『人間を越えた存在への畏怖』があるんだと思います。

 それを崇拝に変えるか、それとも怯えに変えるか、それとも危険を顧みず道具にしようとするか。

 そういった違いがそのまま魔女の物語に映し出される、と言うことなんだと思います。

 ……とは言っても、私も他の国の事は詳しく知らないんですけど」

 そう言って苦笑する。




「他の国の、という事は、この村の魔女のことには詳しいのですか?」と女が問いかける。

「この村の魔女?」そう訊き返したクラウの肩が僅かに揺れる。

「ええ、この村にも魔女がいるんでしょう?」

「……村人から聞いたんですか?」

「そう。来るまでは何も知らなかったけどね」


 クラウはしばし逡巡し、それから諦めたように息を吐く。

 時々、『この村特有の』魔女の物語を求めてやってくる客人が現れる。

 この人たちもそうだったのだろう、と理解した。


「……普段は語らないようにしているんです。

 あまり、村の他の人々にこの話はしないでくださいね。敏感な話題ですから」


 そしてクラウは語り始める。

 おとぎ話であり、そして今も続く、この村の魔女の話。


「『村のすぐそばにある山には、決して上ってはならない。

 なぜなら、そこには魔女がいるからだ』

 

 ……いつからかはわかりませんが、そんな噂が囁かれるようになりました。

 魔女は不幸の象徴であり、決して関わってはならない。

 加えて、その魔女は特に人間嫌いであると言われています。

 だから、山奥に迷い込んだら最後、二度と村には戻ることはない」


 それは誰かが吹聴したほら話かもしれないし、魔女が実際にそのような危害を加えたのかもしれない。

 しかし、真実を知るには時が経ちすぎた。

 今となっては噂の出所など誰も知らない。たった一人、魔女本人を除いては。


「魔女の森に迷い込んだ一人だけの問題ではありません」とクラウは続ける。

「人間嫌いの彼女は、もちろん村全体を嫌っています。

 自分の生活を邪魔されたら、怒りの矛先は村全体に向きます。

 一人が迷えば全員に災いが及ぶ、だからなおさら、森に入ってはならない。

 この村の子供たちはそう教えられて育ちます」


「村人が魔女を怒らせると、村に災いや不幸がもたらされる……それが伝承の始まりでした。

 しかし、いつからかそれの伝承は、行為と結果の順番が反対になってしまいました」

「反対、つまり……

 『この村に災い不幸がもたらされている時、それは山奥に住んでいる魔女が怒っている時である』ということだね」

「はい。だから作物が取れなかったり寒い日が続いたりすると、村人たちは魔女を怒らせていると考えます。

 何よりも先に『魔女の怒りが鎮む方法』を考えるんです」



「なるほど。しかし、飢饉や寒波は魔女など居なくとも起こりうることだろう?

 具体的に何か……魔法で苦しめられたりしている証拠があるのだろうか?」


 クラウは首を横に振る。


「魔女を実際に見たなんて人はこの村に誰も居ません。

 具体的な被害だって、何も示せていないんです」

「実態は、全くないということか。では、どうして……」

「……あまり、他の村の人には言わないで欲しいのですが」


 そう前置きして、クラウは続きを口にする。


「このお話が、貧しいニーヴェリタにとって丁度いい責任の押し付け先だからなんだと思います」

「……詳しく聞かせてもらえるかな」

「確かにこの村は貧しいですが、それは寒い気候や痩せた土壌のせいであると考えるほうがよほど理にかなっています。

 だから、山奥の魔女なんて、その呪いなんて、勝手な妄想かもしれない。

 心のどこかでそう考えている人もいるのだと思います。

 けれど、それでも不用意に山奥に入ることは決してありません。

 まして、魔女を見つけ出して追い出す、なんてできるはずがない。

 そんな勇気がある人はいません。

 ……触らぬ神に、祟りはありませんから」


 そこまで話し終えた彼女は、卓上のティーカップに口をつける。

 静寂の中、暖炉の木々が燃える音だけが小さく聞こえる。

 集中力の切れたらしい子供は、揺らめく炎をじっと見つめていた。

 ぼんやりとした暖かさと明るさは、少しずつ彼を微睡みに誘っていく。


「なるほど。触らぬ神に、と言う点については私も同感だ。

 伝承が真実である可能性だってゼロではない。少なくとも、『魔女』という異常の存在自体は確かなのだから。

 そんな中でわざわざ自ら災いを求めることはないだろう」

「はい、私もそう思っています」

「もし、そういった恐怖を差し置いても魔女を探したい、この村から追い出したいと考えることになったとするならば……」


 それはきっと、この村が今以上に……本当に困窮してしまった時だ。

 そう言おうとした男は言葉を発する直前で口を閉ざした。仮定の話とはいえ、不謹慎であった。

 そんな不安を察してか知らずか、クラウは再び話し始める。


「……実際、本当に村が危機的な状況に陥った時でさえ、魔女を探し出すようなことはしませんでした」

「では、どうしていたんだ?」

「生け贄です」

「生け贄?」

「はい。最近は行われていませんが……

 村が大変な状態になった時は、村から一人、少女を山奥に送り出すんです。

 魔女の怒りを鎮めるために」

「……もちろん、助かる見込みは全くないのだろう?」

「魔女以外に誰かが住んでいる、なんて話は聞いたことがありません。

 近くに他の村がある、なんてことも無いはずです」


 なんてこと、と女が顔を青くした。

「そんなのっておかしいわよ。

 だって、さっきまでの話の通りだと、そんなふうにして山奥に村人を送りこんだらむしろ逆効果じゃない」

「いや、きっと理屈ではないのだろうな」と男が言う。

「閉鎖的な村では、そういった風習がしばしば見られると聞いたことはあったが……

 公国と列車が繋がっているこの村でも、そんな話があるのだな。

 いや……列車が通ったのも、村の長い歴史から考えるとつい最近の出来事か」


 男はため息を吐く。


「それで……あなたはこの村の体制についてどう考える?

 どうすればこの村の悪意は取り除かれる?

 そして、そもそも……あなた自身、魔女は本当に居ると思っているのか? 腹の内では、どう思っている?」


 腹の内、と言われてクラウは暫く逡巡する。


「……多分、本当かどうかなんて、どうでもいいんです。

 みんな、貧しいから、都合の良い存在にその原因を押し付けているだけなんです。

 だとすれば、少しでもこの村が豊かになってくれれば、それだけでいいんだと思います。

 魔女のことなんか、そんな都合の良い敵のことなんか忘れてしまうような」

「現実の貧しさが心の貧しさを生んだ、というわけか」

「はい」


 そこまで話したところで、両親は子供がうたた寝をしていることに気づく。

 先ほど家族は『明日の朝一番の魔動列車にのってこの村を去るのだ』と口にしていたことを思い出す。

 幸せそうに眠る子供を見つめ、クラウは微笑みながら「途中ですが、今日はここまでにしましょう」と二人に提案する。客人は彼女にお礼を言って、彼女もそれに対して笑顔で応える。


 そこで今夜の読み聞かせはお開きとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る