千年の魔女
さまーらいと
プロローグ「雪の降らない村」
プロローグ「雪の降らない村」
「旅人さんですか?」
列車がトンネルを抜けたところで、正面の座席に座っていた少女が言葉を発した。
その時青年はまどろみの中にいた。はじめ、彼女の言葉が自分に向けられたものだと気付かなかった。
目が合った彼女がにこりと微笑みかけ、そこで彼はやっと返事をする。
「そう……ですね。たぶん僕は、旅人ということになるのでしょう」
そう返すと、彼女は「やっぱり」と言って一層嬉しそうな表情を見せた。
「村では見ない人だなって思ったんですよ。
どこから来たんですか?」
彼女の質問に対し、再び返答が遅れてしまう。もちろん今回は自分への質問だとわかっていたにも関わらず、だ。
どこから来たか、という他者からの質問はいつだって青年の悩みの種だった。
正直に打ち明けてしまってもいいが、そうしたところでこの『普通の』少女が信じてくれるとは到底思えない。悩んだ末、当たり障りのない回答をするのが常であった。
だから「遠い所です」とだけ答える。
「遠い、ところ」と彼女が繰り返し、「それじゃわからないですね」と続ける。
「ごめんなさい、隠すつもりはないんです。
ただ、上手く説明ができないので。
ですが、簡単に言うなら……こことは違う世界、のようなものでしょうか」
「こことは違う世界?」
「はい。異世界です」
少女は少し首を傾げた後、「なんだか詩的な物言いですね」と微笑んだ。
「旅人さんは、お一人でここまで?」
「はい、実は公国で友人とはぐれてしまったのですが」
公国、というのは列車が出発した場所である。
多くの場所に向かう列車が通っているために主要都市として発達したらしい。目的の村に向かうためには、その中の一つに乗る以外の手段は無かった。
列車というのは大変不思議な乗り物で、定刻になると大勢の人々を乗せて遠くへと向かってくれる。異国との交流、食料や資源の輸送などの事情は、この乗り物が生まれてから一変してしまった。
引かれた線路の上しか走れない、という欠点さえなければ、馬車を完全に用無しにしていただろう。
「それは大変ですね。友人さんは大丈夫なんでしょうか」
「きっと大丈夫だと思いますよ。
行き先は伝えていましたし、簡単に死んでしまうような人じゃありませんから」
よく知っているからこそ、確信を持ってそう言える。
居なくなったと思っても、気付いたらひょっこりと目的地に現れるような人間だ。
むしろ、自分よりも早く村にたどり着いているかもしれないとさえ思う。
そこで、列車が速度を落とした。
おそらく村に到着したのだろう。
トンネルを抜けたあたりから、吹き込む風はとても冷たくなっていた。
窓から見える植物はどれもどこか生気がなく、今にも枯れ果ててしまいそうに思える。
そんな環境だからか、人々の表情も少し暗いように見える。
「……雪のない真冬のような村ですね」
「ああ、確かにそんな感じかもしれません。
とは言っても、雪なんて見たことありませんけど」
心の中で消えるはずだった言葉をつい声にしてしまう。
それを少女が拾い上げる。
「この村は雪が降らないんですか?」
「ええ。どうしてでしょうね、理由はわかりませんが」
「そうですか」
「雲はあるし、普段から雨は降るのに、寒い日に限って何も降らなくなるんです」
「不思議な話ですね」
「この村にずっと住んでいると、それが当たり前になりました」
確かにそうかもしれない、と思ったところで列車は完全に静止した。
他の乗客たちが席を立つ。
ぞろぞろと皆が動き始めたところで、青年も流れに加わろうとする。しかし、座ったままの彼女に呼び止められた。
「すみません。少し手を貸していただけますか?」
「はい?」
はじめその意味がわからなかったが、ふと彼女の両足に目を向けたところで理解する。
「……ああ、なるほど」
「はい、足が不自由なんです、私」
他の乗客が皆立っているにも関わらず、彼女は両足に力を入れようとしない。
動かさないのではなく、動かせないのだろう。
「本当ならば妹が一緒に居るはずだったんですが……
買い忘れた物があったから慌てて市場に戻って、それで列車に乗り遅れてしまって」
普段はその妹が彼女に付き添って世話をしているのだという。しかし二人で列車の座席に座ったところで、妹だけが市場に戻った。そしてそのまま列車は動き始めてしまった。そんな経緯だそうだ。
「実は私もあなたと同じで、はぐれちゃってるんです。
だから、手を貸していただけますか?」
青年は頷く。
「お安い御用です」と言って彼女の手を掴んだ。
「えっ」
「ああ、これだけじゃどうしようもないですよね」
「あの、ちょっと」
「それでは……失礼します」
そのまま両手で彼女を抱え上げる。華奢な身体はそれほど力の無い青年でも簡単に持ち上げられるほどに軽く、腕の中にすっぽりと収まるほど小さかった。
「なんだか、すごく大胆ですね……」
恥ずかしそうに彼女が言う。どういうことだろう。彼女から頼んできたのだから、こうなる可能性は予想していたのではないだろうか。あとは背負うくらいしか思いつかないが、もしかしてそちらが正解だったのだろうか?
「あの……『手を貸して』と言ったのは、そのままの意味ではなく……
『手助けして欲しい』というだけのことで……」
「えっ」
「私としては、車椅子を取りに行ってほしいと、そう頼むつもりだったのですが……」
彼女がそう言ったところで、自分の失敗を理解した。今回に関しては常識の違いではなく、ただの自分の勘違いだった。
そんな気まずさを察してか、彼女はそのまま少しだけ話を逸らす。
「この列車、少し不便なんですよ。
車椅子は座席のすぐ近くには置けないので、貨物の車両にわざわざ置いておくんです。
幸い運転手の方は皆優しいので、乗った後はそこまで運んでくれます。
降りる時も、他の乗客がいなくなった後に車椅子を持ってきてくれるんです。
でもやっぱり、結構な時間待つことになってしまうから」
「そういうことだったんですね、早とちりしてすみません」
いえいえ、と言いながら彼女は微笑む。
「でも折角ですから、このまま車椅子の場所まで私を運んでもらえますか?」
「わかりました、あなたが良いのであれば」
改めて言われると少し恥ずかしいが、そんなことは言っていられない。
そもそもこれは青年が自ら行ったことだ。まして(たとえ温情だとしても)それを彼女が受け入れてくれたのだから、ここで引き下がるなどあってはならない。
彼女を腕の中に抱えたまま、車両の中を歩く。遠くから見たら三、四両あるこの列車だが、実際には一両目のみが人の乗る車両であり、他は貨物列車として利用されている。
既に他の乗客は皆、車両から出ていた。
勘違いで余計な時間を取ってしまった。このままでは運転手が先に車椅子を運んでしまうかもしれない。既に迷惑をかけているのに、加えてこのまま役に立たないなんてことだけは避けたい。
そう思った青年の歩幅は心なしか大きくなっていた。
「……あの、急がなくても大丈夫ですよ?」
彼女は少し心配そうな表情をする。
「ああ、やっぱり焦っていましたね、僕。すみません」
「いえ、こうして運んでいただけるだけで、ありがたいですよ、とても」
彼女はそう言って青年に優しく微笑みかけた。
「それにしても、すごく軽いですね」
「私ですか?」と彼女は問いかける。
「はい。まるで羽根みたいだ」
細くどこか儚い見た目だけでも十分に軽そうだが、実際にはその見積もりを更に越えていた。
中が綿でできた人形のように。
彼女の身体からは、密度が抜け落ちていた。
「それは褒めているんですか?」
「少なくとも、人を貶したことはないと思います、僕は」
「もう、嘘ですよね」
彼女がこちらを睨む。しかしなんの凄みも感じない。元の顔が穏やかすぎる。
別に嘘のつもりはなかった。それなのにどうしてか、謝らなければという気になってしまう。優しい母親が、優しいままに子供を諫めるような表情。
「……失礼、訂正すると『初対面の人を貶したことはないと思いますが』です」
「ほら、やっぱり。嘘は駄目ですよ」
「でも、これは言葉のあやのようなもので……」
「だとしても駄目です」続く言い訳を看破した彼女が、こちらの言葉を遮る。
「わかりました、すみません、もう言わないことにします」
「はい、約束ですよ」彼女は頷いたのちに微笑み、それから話を少し戻した。
「男性に身体が軽いと言ってもらえるのは嬉しい……と言いたいところなのですが、私の場合、そうもいかないんですよね」
「それは、どういう意味でしょうか」
「生まれつき、身体が弱いんです」
「足だけではなく?」
「はい、病弱、というべきでしょうか。
足が不自由でなかったところで、この体力ではどのみち長くは歩けないのかもしれません」
「それは難儀ですね」
「まったくです」と彼女は苦笑いする。
「どうにかして回復しないんですか。魔法なにかで」
「魔法?」と彼女が繰り返したので、「はい」と答える。
「まさか」と彼女は笑う。「魔法が使えるのなんて、魔女だけでしょう?」
「……ああ、そうですね」と青年は返した。
そんなふうに話していると、貨物の車両に到着する。
車椅子は簡単に見つかったため、抱きかかえていた彼女をそっとそこに座らせる。
「ありがとうございました、旅人さん」
お礼を言う彼女に会釈をして、そのまま身体を翻そうとする。
しかし、そこで青年はひとつの疑問を思い出し、それを彼女に投げかけた。
「あの……あなたの寿命は?」
そこで一瞬、彼女の表情が固まってしまう。
少し間を置いてから彼女は口を開き、ため息とともに言葉を発した。
「もう……初対面の人間に寿命を訊くのはいけないんですよ?」
頬を膨らませた彼女を見て、自分がまた失礼なことをしたのだと悟る。
「ああ、そうなのですね、ごめんなさい。こちらの世界に来てから、常識外れなことばかりしているんですよね、僕」
どうやら質問は彼女の気に障ってしまった、そう思った青年は即座に謝罪した。しかし彼女はそんな彼を見てくすくすと笑った。
「ふふ、また『こちらの世界』なんて言い方」
「……やっぱりおかしいですかね?」
彼女は頷く。
そもそも自分は堅物らしいのだが、加えてこの世界の人とは常識がずれているらしい。困ったものだ。
いくつかの国や町や村を巡り、その場所によって作法や文化や歴史や神話は大きく異なっているということを知った。
しかし、何が地域の掟であり、何が他の土地でも通じる常識であるのか、そういったことが中々理解できない。
「そんな不思議な事を言いながら、いつも旅をしているのですか」
「まあ、僕にとっては『こちらの世界』なので」
「やっぱり変ですよ、旅人さんはもしかして吟遊詩人ですか?」
「いえ、詩人であるつもりは全くないのですが」
「だとしたら尚更だめです、ふふっ」
よっぽど可笑しかったのだろうか、彼女の笑いはなかなか収まらない。そもそもの笑いのつぼもよくわからない。
彼はというと、内心で彼女に少し驚いていた。笑うタイミングにもそれなりに驚いてはいたが、そこではない。
彼女は両足が動かないし、身体も弱い。そんな人間が自分よりもよっぽど嬉しそうに笑い、時に頬を膨らませる。普通の人よりもよっぽど『生きている』。
今の時代、人間の平均的な寿命は40年ほどだと誰かが言っていたような気がする。
今の時代、なんて言い方をしたが、これは大きく変わるものでもない。
寿命が食事や生活習慣によって左右されていたのは、遠い昔の話だ。
生まれつき、どのくらい身体が不自由か、どのくらいの疾患を抱えているか。それらの度合いから、おおよそ残りの人生の長さが確定してしまう。
寿命は生まれた時から決まっている。
それがこの世界の仕組みである。
「大体……先にもっと訊くべきことがあるんじゃないですか?」
「え?」
「お互いの名前とか、そういうものです」
「ああ、確かに、自己紹介が欠けていました。僕の名前はアレシオ」
「クラウディナです」
そう言って彼女は軽く頭を下げる。
「さて」
互いの名前を明かしたところで、一つ前の話題に戻った。
「良いですよ、答えてあげます。私は気にしませんから。
でも、他の人に訊いちゃだめですからね? 特に女性には」
「わかりました、気を付けます。ご忠告ありがとう」
「気を付けてくださいね。約束ですよ」
そう言って笑った。棘の何一つないような、優しい笑顔。
「……ええと、40年程度でしょうか、普通の人間の寿命は」
「はい、僕もそう認識しています。
それなりに健康な人間はそれくらい生きる、と」
「だったら私は……」
少しの間があって、彼女はわずかに表情を曇らせたように見えた。
青年は左腕の先にある彼女の両足を見る。
死んでいる、というのは少し言いすぎだが、やはりほとんど機能していないみたいだ。身体が弱いことは、この脚と無関係では無いのだろう。
「脚、良くないみたいですね」
「ええ、かなり」
「だから、寿命が普通の人と比べると、少し……」
そこで青年は反射的に言い淀んでしまう。寿命の話のどこまでが失礼に当たるか、まだ掴めていなかったからだ。
「いまさら躊躇わなくても大丈夫ですよ。ここまで話したら、全部同じですから」
そう言って彼女は言葉を続ける。この世界の歪んだ法則を口にする。
脚が不自由で持病を抱えている彼女は、当然他の人と寿命が異なる。
「私の寿命……普通の人と比べると、かなり長いんです」
かつて、この世界では身体の弱い人ほどすぐに死んでいたのだという。
可哀想な生まれをした人間は、救いの猶予もないままに死を迎えていたのだという。
しかし、今は違う。
病人ほど長い命を持ち、健常者ほど寿命が短い。
そういうふうに、寿命は生まれた時から決まっている。
それがこの世界の仕組みである。
これは、そんな世界の物語。
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