5話


 結局雨は上がった、そうでなければこんな所には来ていない。『ショウモン』の近くにある店の中でも評判の良いのは、毎回見る度にネオン掲示の変わるつけ麺屋だ。アンバランスな店構えに反して、主にネオンサインの仕業だが、出てくるのは魚介ベースの真っ当な醤油味で魚粉を掛けて食べるのが尚よろし。

 もちろん男一人で食べるのではない、素敵な待ち合わせの予定があった。手元の液晶に映った時間を見てもう店内に入ろうかと心が揺れた間隙、彼女が通りかかるのが見えた。待ち合わせというより待ち伏せだろうか。


 つけ麺屋はアーケード通りの筋の、更に奥まった内側にあるので地図上で言えば丁度大通りの裏側に当たる、人通りも時間帯にしてはそう多くない。彼女は店のある道に入らずに通り過ぎていったので俺は急いで追いかけねばならなかった。しばらく付いて行くと大通りにもあるカラオケ屋の前で足を止めてくれた、多分こちらの方が敷地は大きい。店のガラス張りを物ともしない光、長時間浴びていると健康上被害がありそうな強烈な光が他にマトモな光源のない道と人々を照らし、後ろを尾けていた事が丸分かりになってしまっていた。

 彼女、細田華子は、こちらを向き直る。


「河野クン、だよね」

「うん」

「わたしの事待った?」

「いや、丁度良かったよ」

 彼女の特徴を列記するのは控えよう。前に沢山語りつくした気がするし、ここからでは暗くて良く見られないからだ。こんな暑さにも負けずブレザーの上着をぴっしり閉めて服の上から分かる体の丸みを評価してみよう、曲線の接戦の傾きについて…。

 ボブというのか、ショートというのか。髪型について疎いのは家のテレビがNetflixにしか繋がらないからで、全ては現代のビッグ・ファイブFAANGによる策略のせいだ。短めの髪型が似合うのは目力の強さが関係しているだろう。しっかりと開いたときに少しまつ毛が内向きになる。

「ただ」

「ただ?」

「本当に来るとは思わなかった」

「なにそれ」

「カズの言った事だぞ?信じられない」

「加藤くんとは仲いいもんね」

「その返しって噛み合って無くないか」

「聞きたいことあるんでしょ」

 ここまできて臆病だと自分を笑おう。さっき確認したところに依れば一人分は何とか捻出できそうだ。

「とりあえず、飯食わない?」


くんさ、そんな先輩たちと仲良かったっけ?」

「小高と一緒にいるときとか、たまに話しするくらい」

「でも先輩に頼まれたんでしょ」

「どうして?」

「だってほら。今嫌そうな顔してる」

 そう言って彼女は空いた皿をこちらに寄こしてくる。焼肉とつけ麺、女性を誘うのに最悪な二択ではないか?とりあえず『ショウモン』は半個室のようになっているので(後ろに衝立てが付いてくる)、話だけは気兼ねなくすることができた。

「水呑みすぎじゃない?」

「緊張してるんだ」

「それ言うのやばいね」

「でもほら」そう言うと俺は焼き用のトングで生焼け気味のハラミを摘まむ、実際問題ホルモンは半生が一番美味いのだ。

「腹も減ってる」

「なにそれ」


 彼女が白米を注文しなかったので何となくそれに合わせてしまったのだが、肉を食べだした辺りで箸の置き所に困ってしまう。白米があれば!

「どうして教室で待ってなかったの」

「だってほ、細田早く帰るだろ、今日だって一応見に行ったんだ」

「細田でいいよ」

「もう呼んだから」

「先輩に何か言われてきたんじゃない?金返せーとか」

「さすがにダサすぎるだろ。似たようなもんだけどさ」

「なになに、どんなの?」

「その前に」完全にペースを掴まれるところだった。俺は水を呑んで、本当は唇だけを少し濡らして話を続ける。


「角田先輩とは、んだろ?」

「えーそんなこと?」

「まあでも教えてくれないんでしょ」

「まあね。先輩に悪いし」

 思わず前のめりになりそうになった、まさか細田華子からそんな言葉が出るとは。

「わたしどんな風に思われてるの?」

「いや。聞いたままだよ」

「それじゃあ、教えたヒトが悪いんだね」

「そういう訳じゃないけど…」



  ※



 私たちは店を出る。あの後も河野クンはつまらないことを聞いて来たけれど、地雷処理班のような慎重さ、というより年を取った数学教諭のような婉曲だった。会計を済ませて出てきた彼は私ではなく通りの先を見る、さっきの存在そのものがやかましいカラオケ屋の方角を。


「細田ってチャリだっけ」

「ううん。電車」

「じゃあそこまで送るよ」

「結構遠いよ?」

「角田先輩の代わりに」

 私はいよいよ気になって聞いてみることにした。

「ホントは、先輩なんて関係ないんでしょ?」

 河野くんは立ち止まって少し考えて、いや多分考えたフリをした。


「はいといいえ、両方だね」

「でも角田先輩ってこういう事しないでしょ」

「善意の第三者のつもりだよ。心配してるんだ、皆」

「やっぱり。他の人じゃん」

「でも」そう言って彼は何か差し出してきた、私はそれを受け取る。

「ホントは送りたかっただろうから」


 河野くんが渡してきたソレは、私の学生証だった。

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