3話


 『押』と書かれた取っ手を引っ張って、それを咎めるように冷気がそっと足元にかかる。階段を上がるにつれて感じる不快なほどの冷気は温度調整を誰も弄っていないか、したばかりだという事実を示している。この節電の時代に点けっぱなしとはお目出たい。

 そして、は今来たばかりだろう。


 別棟の二重扉は防火扉みたいに重く(というよりその流用だ)、そっと押しただけでも耳障りな摩擦音のせいで中の人間には丸分かりになってしまう。

 部屋には四人いた、全員女子。次いでに温度設定の謎も解明される。彼女らは教室の隅、ピアノの置かれた近くの窓を開けっぱなしにして、真冬に炬燵こたつでアイスを齧るような背徳的楽しみを見出している様だった。俺は扉の前からほとんど動かないで話しかける。


「なあ、あのさ」

「何?」取り敢えず一人は反応したので、俺はほっとする。

「今良いかな」

 俺の顔と互いの顔を見比べて、彼女らは少し笑いながらこちらを再び見た。

「えぇ」

「細田サンのことなんだけど」

「細田さんのこと?なんで?」

「それはまあ、辻本とは仲良いだろ」

花音かのん?そうなの?」

「いや、知らないけど」

 落ち着かないのは、今の言動と冗談との区別がついてしまうからだ。そうでなければ真横で誰かがワサビでも削っている所為せいだろう。

「誰に聞いたの?」

「何が」

「ココの事」

「誰って…」

「どうせ加藤なんでしょ」

「あいつ等とはナンも関係ない」

「嘘。どうして細田さんのこと聞くのよ」

「関係あるか、それ?」

 喧嘩腰には乗った方が悪いのだ。俺は四人がグラデーションのように、でもその場から動かないまま非難してくる前に尻尾を巻いて逃げ出した。階段をぺたぺた間抜けな音をさせて駆け下り、給水口の方まで出て来てからようやく一息つく。


 結局その日は別棟の方に近づくのは止めておいた。俺は教室に帰り、補習終わりで急いで出ていく加藤に声を掛けてからまだ残っている数人の真似をして教材を広げ、担任がやって来るまで無駄にペンを弄り回しておく。

 しばらくして綺麗な夕暮れが訪れると、さっき見た顔が階段をようやく上がってきた。日野はこちらを睨みつける。

「何してんの」

「実は、戸締りを任された」

 黙って彼女は席の方まで歩いて行って、二人分の鞄をもって出て行こうとする。

「渡辺のやつ?」

「だから何?」

「今日は女バスやってると思ったから。男子がグラウンド出てただろ、小高とかさ」

 日野は何も言わない、俺は荷物をまとめるフリをして続けた。

「カズヒロが言ってたのはさ、細田とお前らが一緒にいたってこと。そうなんだろ?」

 すると彼女は「でも」と食い下がる。

「でも、あの日一緒にご飯食べに行ったの。それだけよ。他の事はなんにも」

「どこに?」

の前のとこ。分かるでしょ?焼肉のとこ」

 最近学生の間で安いと評判の焼肉店が『焼肉ショウモン』なのだ。少し筋に入ったところにあるし、アーケードの反対側から行った方が近い距離にある。

「あそこ何かあったっけ」

「最近できたの、だから」

「あぁ」

 

 俺はそれきり黙って荷物を片付け終え、日野の方も何をするでもなく教室を出て行く口実を失ってしまったようだった。しかし人を待たせていたから、「じゃあ戸締り任せたわ」と鍵を置いて教室を抜け出す。少し急ぎながらピロティを出て駐輪場まで行くと、どうやら待ってくれていたようだ、松本は少し不機嫌そうだった。

「すまんすまん」

「どうせなら店で待ってりゃよかったな」

 危なかった、俺は喫茶店への行き方を知らないのだ。

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