第6話 「コロナ禍」のなかで(3)

 社会の価値観は、「威勢のいい、要求水準の高い励ましばかりではよくない、それでは、弱っているひとをさらに追い詰めることになる」という方向に変わった。少なくとも「公式の価値観」はそうだ。

 しかし、社会そのものは?

 がんばらなくても快適に生きられる社会になった?

 たしかに、さまざまに弱った立場のひとたちやマイノリティーのひとたちを支援する仕組みは整備された。

 でも、一人ひとりががんばらなくてもいい社会になったかというと、そうでもない。

 むしろ、バブル期のように、人はいっぱいいる、仕事もいっぱいある、という社会ではなくなった。

 人一人ひとりががんばらないと自分の生活を維持できない、という社会になった。

 とくに「コロナ禍」のなかではそうだった。

 いろいろと支援の仕組みはあったとはいえ、会社や店は休業を迫られた。

 とくに、お客さん相手の仕事は、人の移動が制限されたことで窮地に追い込まれた。

 不安が社会を覆った。最初のうちは「何か月かがまんすればいい」ということだったけれど、それが長引き、「いつまでこんな状況が続くんだろう?」という不安が社会の底にぶあつく蓄積した。私がリモートワークのために泊まっていたホテルでも、閑散としていたロビーの隅で、仕事を終わったホテルのスタッフが「この仕事、いつまであるかねぇ」などとぼやきあっているのを耳にした。

 そんな社会で「がんばらなくてもいい」と言われても、どうだろう?

 「がんばらなくていい」と言われても、がんばらなければ生きて行けない、がんばっても生きて行けるかどうかわからない。その現実は変わらない。

 それでも、「そんなにがんばらなくてもいいんだよ」というメッセージを伝えられると、ほっとする。

 ほっとするけれど、すぐに、また、がんばらなければ生きて行けない、がんばっても生きて行けるかどうかわからない現実に直面しなければならない。

 「コロナ禍」の下の社会は、いっそう、「それが大事」の、威勢のいい、要求水準の高い励ましが通用する、必要とされる社会だった。

 そうだったのではないかと思う。

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