第9話

 『力の神事』。それは、ルフォア国において、戦士達の名誉をかけた儀式。

 地面に描かれた円の中でぶつかり合い、先に手をつくか倒れるか、あるいは円の外に出たら負け。

 拳で殴ることや蹴り、武器の使用は禁止。ヨルムンドの森で戦う戦士達が儀式として昇華した、力比べとのことでした。


 今回のように、身内で争いが生じた際に行われるのは珍しくなく、神聖なる儀式である以上、その結果は無視されるものではない。言わんや、親族の集まりで行われる場合は、より重視される。


 以上、状況についていけない私に対してラァラがしてくれた説明ですわ。


「ルオン、臆病者のお前が俺に勝てると思っているのか?」

「いくら兄上とは言え、妻殿を侮辱したことは許せない」


 上半身裸になった両者ともに、闘志に溢れた様子ですわ。そして双方、鍛え上げられた見事な肉体。

 ローザンカ様がいればきっと喜んだことでしょう。あの方、似た趣味の者達を集めて「肉体美を愛でる会」という秘密倶楽部を運営していましたもの。


「奥様、始まりますよ」

「え、えぇ……」


 困惑する私をよそに、一族全員が見守る中、勝負が始まろうとしていました。

 族長の次くらいに偉い人が現われ、ルオン様と長兄がにらみ合う間に立ち、厳かに宣言します。


「ファイッ!」


 ちょっと意外なかけ声で始まりましたわ。


「ぬおおおお!」

「おおおおお!」


 室内に響く、男性の雄叫び、はじける肉体の音。険しい顔をして、逞しい男同士がぶつかり合っています。武道の試合と違いますし、上半身に掴むところがないためか、純粋な力比べの様相になるのですわね。

 

「ふんぬぅうう!」

「うおおおおお!」


 双方譲らず、一進一退。体当たりだけでなく、体を掴み、バランスを崩しにかかるなど、高度な応酬が繰り広げられています。


「ルオン様、意外と強いんですのね」


 戦う人ではないので、こういうのは苦手かと思っていたのですが、善戦しています。というか、一歩も譲りません。


「旦那様は元々、ヨルムンドの森から祝福を受けたと言われるほど、力に溢れた方なのですよ。今も農作業をしていますから、肉体的には並の戦士では敵いません」

「そうだったんですの!? でも、なんで農場主に」

「優しすぎて、森での狩りが苦手だったそうです……」

「そうでしたの……」


 そんな事情、少しも知りませんでした。知っていれば何かできたというわけではありませんが、気を遣うことくらいできましたのに。


「後で詳しく聞きたいですわね」

「奥様、旦那様が!」


 私の思考とは別に、試合は続いています。というか、ルオン様が追い詰められていました。試合場に描かれた円の際で、何とか踏みとどまっています。このままでは押し出されてしまうでしょう。

 周囲からは親族達の声援が飛びます。八割は長兄へのものですけれど。


「奥様! 応援しないと!」


 こ、こういう時は応援すべきですわよね。カルチャーショックを受けて、目の前の状況に集中できていませんでしたわ。そもそも、ルオン様は私のために一族の前で決闘めいたことをしてくれているのです。ただ見ているだけなど、私が私自身を許しません。


「ルオン様! 頑張ってくださいましー!」


 声援の中でも聞こえるよう、できる限りの声を出しました。

 それが聞こえたのか、それともたまたまだったのか、わかりません。

 ルオン様が、これまでないくらいの叫びをあげました。


「ぬ、ぐおおおおお!」


 さながら咆哮といっても差し支えのない叫びと共に、目の前で繰り広げられたのは、信じられない光景でした。

 ルオン様が、両手で長兄を持ち上げたのです。天高く、反撃の余地がないくらい、強引に。

 想像しがたい光景でした。抗う余地がないくらい見事かつ、強引な力技でしたから。


「…………」


 このままルオン様が長兄を地面に叩き付けて終わる。誰もがそう思ったことでしょう。

 しかし、それはなされませんでした。

 ルオン様はしばし、その状態でいると、ゆっくりと長兄を円の外に下ろしました。


「……僕の勝ちです。兄上」

「何故……加減した。あのまま地面に落とすつもりだったのだろう」


 怪訝な顔の長兄を前に、ルオン様は言いました。


「おかしいと思ったのです。兄上は、冷静で優しい方だ。僕が農場主になると決まった時、唯一、優しい言葉をかけてくれた」

「ルオン……」

「なにかあったのではないですか? 兄上が、冷静さを欠くくらいのなにかが?」


 地面に座り込む長兄に視線を合わせて、ルオン様は優しく問いかけます。そこに先程までの怒りはありません。ただただ気遣いがあるだけ。上半身は裸で。


「実は……娘が二日前から熱を出していて、まるで治る見込みがないのだ。まだ二歳にもならないのに、あんなに苦しんで……」

「それは、とても宴を楽しむような気分にはなれないでしょうね……」


 そういう長兄の顔は、今にも泣き出しそうなくらい沈痛なものでした。

 立場上、この場にこなければならない。しかし、宴会の浮ついた空気に馴染める気分ではない。

 そこに、訳ありの女が楽しそうにしているのが目に入り、八つ当たりをしてしまったというところでしょうか。まあ、なんというか、我ながら運が悪いですわね。


「兄上、医者の手配は?」

「この辺りの医者では無理だ。高熱と、首の周りに赤い点が出ている、見たことのない病気だとかで、薬も効かん」


 ルフォア国の医療事情は、あまりよくありません。伝統的な治療法に加えて、僅かに入って来た外国からの薬に頼るばかり。ラインフォルスト王国で医師となるべく留学してきた獣人達が活躍するのは、もう少し先になることでしょう。


 長兄の態度はともかく、子供に罪はありません。私は一つ、気になることがあったので立ち上がりました。


「失礼致します。発言してもよろしいでしょうか?」

「妻殿……」

「む、まずは貴方に謝罪をせねばならないな。……この度は、本当に失礼な物言いを……」

「いえ、事情はわかりましたので、謝罪はもう良いですわ。それよりも、お子さんですが、それは「首熱」ではないかと思いますの」

「聞いたことのない病だが?」


 いぶかしむ長兄に見られたルオン様も首を横に振ります。当然でしょう。


「ラインフォルスト王国で子供の間に見られる病気です。誰もが一度はかかるとされ、実際、私も幼い頃に罹患しております」


 首熱は王国病とも呼ばれるくらい、一般的な病気です。王国で知らない者はいない伝統的な地域の病であり、非常に身近なものでもあるのです。


「妻殿、それはたしかなのか?」

「症状だけ聞くと、そう思えますわ」

「そ、それは本当か! なら、治療法はあるのだろう? 貴方は今も元気そうだし……」

「はい。王国では、治療に使う薬草が何百年も前から栽培されています。それこそ、花壇で見かけるくらい当たり前に見られるものですわ」


 見た目は殆ど雑草で可愛らしい薄紅の花が特徴の薬草。私も詳しく知るまで気にすることはなかったのですが、雑草感覚でそこらじゅうにあるものです。……王国に限っていえば。


「しかし妻殿、それは王国の話だろう?」


 ルオン様が苦々しい顔をしております。たしかにその通り、治療のための薬草は、ルフォア国ではまず見かけることはありません。

 しかし、栽培されている所ならあるのです。


「実験農場で栽培されております。試験的に葉や根も乾燥させたものが保管されておりますわ」


 その言葉を聞いて、ルオン様と長兄が、一斉に席に座っている、お爺さまを見ました。


「今は成分を抽出した薬が一般的ですが、昔は葉や根を煎じて使っていたと聞いております。もちろん、本当に首熱だった場合の話ですが」


 静まりかえる室内で私が話すと、元族長であるお爺さまは厳かに話すのでした。


「馬車を用意するが良い。わしの農場にいくのと、ひ孫の家に向かうまでの二台じゃ。宴の途中じゃが、失礼するぞ」


 こうして、私達は慌てて宴会の席を離れることになったのでした。

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