第2話 【番外編】神の乙女の側仕えなんてお断りだと思っていたのに

 化け物の王が生まれおちるとき、淀みの塊が世界各地に降り注ぐ。運悪くそれが身体に直撃した人間は、身体に呪いを宿してしまうのだ。呪いの種類は様々だ。すぐに死に至るものや、老いさせてしまうもの、進行性の病のようにじわじわと身体を蝕んでいくものなど。


 騎士であるレオナルトが受けた呪いは、性別を替え、姿を幼くし、髪色を替え、全身を黒の呪いの紋様で埋め尽くすものだった。


 不運だったのは、彼が呪いを受けてしまった時、レオナルトは一人で遠駆けに出かけていて、呪いを受けたレオナルトを連れて帰ってくれる者は誰も居なかったことだ。馬は共に淀みの塊に直撃したせいで即死した。子どもの小さな足でやっとのことで家に戻ったレオナルトだったが、全くの別人の姿に変じてしまった彼は、家人にレオナルト本人であることを信じてもらえなかった。あまつさえ、彼が彼自身の身元を証明するものを持っていたがゆえに、盗人扱いをされてしまった。幼さと身体の呪いの紋様ゆえに命を取られることはなかったが、誰にも信じてもらえず、レオナルトは放逐されたのだ。


 行くあてのなかったレオナルトは、ナールと名前を変え、神殿に身を寄せた。貴族主義の神殿は腐ってはいるが、孤児の受け入れはいつでもしてくれたからだ。


 呪いは人によって違うから、忌まわしい紋様の浮かんだ身体を抱えたナールは、神殿内でもつまはじきもので、各地の神殿をたらいまわしにされて、どこでも敬遠された。


 そうして与えられた役割が、神の乙女の側仕えである。


 幼い容姿の少女に変じていても、中身は成人男性だ。当然、乙女の側仕えなど断ろうとした。


「君にそんな選択肢あると思っているのかね?」


 厭味ったらしい神官長は、側仕えをしなければ神殿を追い出すと言い出した。気味の悪い紋様が身体に浮かんだ子どもなど、どこも雇ってくれはしまい。それはすなわち、ナールが行き倒れになす未来をさす。


「……判りました。側仕えの件、お受けします」


 そうして王城に赴き、ナールは神の乙女と対面した。


 神の乙女に与えられた部屋は、とても簡素で、狭かった。とうてい神の乙女に与えられるべき部屋ではない。ナールが神の乙女の部屋を訪ねた時、彼女は忙しく部屋の掃除をしているところだった。


「あれ、もしかして側仕えに来てくれた子?」


「シーナ様、本日よりシーナ様にお仕えする、ナールです。よろしくお願いします」


「ナールちゃん……」


 挨拶をしたナールに対して、シーナは頭のてっぺんからつま先までじろじろとナールを観察している。居心地の悪さを感じて何かを言おうとした時に、ぱあっとシーナは顔を輝かせる。


「君に決めた!」


 ナールの両手をぎゅっと握って、嬉しそうにシーナは言う。


「はい?」


 たじろぎながらも、その言葉の意味が判らず、ナールはつい怪訝そうな顔になってしまう。


「あっううん! これからよろしくね、ってこと! 私はシーナ……って私の名前は知ってるか! へへ」


 変な笑いを浮かべて、シーナはナールの手をぶんぶん振る。


 呪いを受けてから、他人から触れられるのは、初めてだった。


「あ……の、私は、呪いを受けているんです」


「うん?」


「私は呪い持ちです。だから、神の乙女であるシーナ様にお仕えするのに、相応しくありません。どうか、別の側仕えを改めてお迎えください」


 思えば、この時、どうしてこんな合理的でない発言をしたのか、ナールにはよく判っていない。側仕えを断られれば、ナール自身が路頭に迷うと言うのに。けれど、呪いを持った自分に触れてくれた人に、呪いを移すかもしれないと思うと、離れてあげたかったのだろうと思う。


 この話をすれば、すぐにでもシーナはナールを拒むだろう。案の定、シーナは顔を曇らせる。それでいいのだ。


「困ったな。私は、ナールちゃんがいいんだけど……どうしても、私の側仕えになるのはだめなの……? あっもしかして、私の第一印象最悪? ご、ごめん」


 言いながらも、シーナは決して、ナールの手を離さない。


「いえ、そうではありませんが……」


「じゃあ、お願い! ナールちゃんに側仕えやって欲しい!」


 思っていたのとは全く別の方向での曇り顔に、ナールは面食らう。どうして出会ったばかりの自分に、そんな風に言ってくれるのだろうと、ナールは思う。普通ならシーナの好意的な態度を怪しんでいいはずなのに、ここしばらくの間、呪い持ちだと聞いてなお笑顔を向けてくれる存在なんか、居なかったのだ。だから、疑うよりも前に、泣きそうになってしまった。


「わかりました」


 こみ上げたものを見られる前に、ナールは背を向けて、ついそっけない声を出してしまう。


「ありがとう! よろしくね! ナールちゃん!」


 背を向けた失礼な態度など、微塵も気にしていないかのように、シーナは嬉しそうな声をあげる。


「ちゃん付けはやめてください」


「えっ可愛いのに……」


「可愛くないですからね」


 こうしてナールは、シーナの側仕えになった。



***



 ナールのシーナへの印象は、初対面こそ良かったが、すぐに評価が下がることになる。


 シーナは、聖騎士を相手に毎日、街の巡回と銘打ってとっかえひっかえデートを繰り返しているのだ。おまけに部屋まで送ってくる聖騎士たちは、誰も彼もシーナを見る目つきに親愛以上の熱が籠っているように思われる。きっとナールとの初対面の時のように、シーナは誰彼構わず愛想を振りまいているのだろう。なんて慎みのない女なのだろうと軽蔑したし、自然と態度も冷たくなってしまった。


 だから、いつものように聖騎士とのデートを終えてかえってきてだらしなくベッドに倒れ込んだシーナに対して、ナールはついイライラして小言を言ってしまったのだ。


「世界平和のためって言って、よく毎日、聖騎士をとっかえひっかえお出かけできますね」


 しまった、と思ったがもう言葉は返らない。


「それね! 私もさ、本当は毎日、ナールと一緒に居たいんだよ~」


「……は?」


「でも、神の乙女の神力って、聖騎士と一緒にいる時間が長ければ長いほど、聖騎士に通じやすくなるんだよね。だから仕方ないんだよぉ」


 あんまりにも都合のいい言い訳だろう、と思う。誰にでもそう言っているのではないか、と。なのに、ナールはシーナを信じたくなってしまった。呪いを持っているナールを、当たり前のように抱きしてめてくれる彼女のことを。


「だから、私と仲良くしてよ、ナール~」


 そう言われたのに対して、「……考えておきます」などとそっけなく答えてしまったのは、抱きしめられた彼女の暖かさに安心してしまっている自分に気付いた上での、照れ隠しだった。


 本人は気付いていなかったが、それからのナールはシーナに対しての態度が軟化した。以前はイライラしながら見ていた聖騎士たちとのお出かけも、相手にされていない聖騎士たちに憐れみすら覚えるようになったのだ。


 けれど、それとは別に、シーナのナールへの気安さに対して、不安を抱くようになった。


 シーナは、ナールに対して近すぎるのだ。ナールが受けた呪いは、恐らく他人には移らない。今まで誰と過ごしても移ったことはなかったし、シーナと一緒に長い時間を過ごしていても、彼女が呪われたような兆しは見えない。それでも抱きしめられると、他の人とは考えられない至近距離にいて、呪いがうつってしまうかもしれないと、怯えてしまう。


 彼女が呪いに侵されるなど、考えたくもなかった。


 それなのに、どうしてもナールはシーナから離れると言い出すことができなかった。離れがたいのに、罪悪感ばかりが募る。そして、捨てられたくないのに、今まで一度もシーナに見せたことのない呪われた肌を見せれば、彼女だって嫌悪して、自分を捨てるだろうと思ってしまう。むしろ自分から離れられないのであれば、そうして欲しいとさえ願ってしまうのだ。


 あんまりにも無防備に抱きしめてくるシーナに、とうとうこらえきれなくなって、ナールは肌をシーナに見せてしまった。


 ところが、彼女の反応は想像とは全く違ったのだ。


「痛くはないの!?」


 純粋に、ナールを心配するだけの声だった。そうして、自分ですら見るのをためらう素肌を、何の躊躇もなく触れて、抱きしめてくる。そんなことをされては、もう完全降伏するしかなかった。彼女から離れることなんて、もうナールにはできない。


 この時になって、ようやく、ナールは自分の想いを自覚したのだった。


 きっと、初対面の時からナールはシーナに惹かれていたのだろう。呪われた自分を受け入れられてほっとしたのもつかの間、気持ちを自覚したせいで悪化したものもある。シーナと共に過ごせば過ごすほど、呪いを持った非力な少女である自身への自己嫌悪だ。


 抱きしめられるのは嬉しいのと同時に、苦痛だった。本来の姿であれば、腕を回してすっぽりと身体を包み込むのは自分のほうなのに、この身体では満足に抱きしめ返すこともできない。シーナと目線を合わせるには見上げねばならないことも嫌だったし、それに抱きしめられた時に彼女の胸元に顔を押し付けられるのは、悪いことをしているようで不本意だった。


 自分はシーナの恋愛対象たりえない。彼女のナールに向ける目が暖かいものであるのは確かだが、それは決して愛や恋といったものではない。だから消えたはずの心配事が復活した。


 聖騎士たちのことだ。


 シーナは、以前、神力のために一緒に行動している、と言っていた通り、よくよく観察していると聖騎士たちとは一線を引いて接しているようだった。ナールに対してスキンシップが多いのに対して、聖騎士に対してはハグどころか握手やハイタッチすらしない。にこやかに話しているはいるが、それは仕事仲間に向ける営業的なもののようだった。


 しかし、対する聖騎士たちは違う。以前からシーナを見る目つきに熱がこもっているようだったが、彼女への態度に熱が籠りすぎている。一方通行の想いだろうと構わず、プロポーズの準備までしているらしい。


 化け物の王の討伐が成れば、ナールの呪いは解けると言われているから、呪いが解けた後ならシーナに対して、ナールも一人の男として接する事ができる。けれどそれまでに、シーナが別の男にかっさらわれないという保証が一体どこにあるというのだろう。むしろ、断固として聖騎士たちになびかないのは、既に恋仲の男がいるのではないだろうか。


「故郷に恋仲の方でもいらっしゃるからですか?」


 この問いに対して、いない、と言われて安心したものの、その直後に好きな人についてシーナから爆弾を落とされてしまった。


「レオナルト様。銀髪に紫の瞳のかっこいい人だよ!」


 シーナが想い人として挙げた名前は、自分と同じで、容姿の特徴も同じだった。


「……会ったこともない人を好きだなんて、シーナ様は本当に変わっています」


 この時点ではまだ、シーナの言うレオナルトが自分の本来の姿であるとう確信は持てなかったが、シーナはこれ以降、ことあるごとに『憧れのレオナルト様』の話をしてくれるようになった。そのエピソードは、全てレオナルトの過去と一致した。


 レオナルトという騎士は、もともと地方の領主に仕える騎士であり、実力はあるが国中に名をとどろかすほどの有名さはない。シーナの故郷からも離れているし、きっとレオナルトの存在が伝わることなどないだろう。


 神力によって、未来視を得たという伝承は、今までにない。しかしシーナは間違いなく神の乙女だ。ならばシーナの話す、未来に出会うレオナルトの話は、真実なのだろう。


 そんな彼女が、レオナルトを好きだと言う。ならば、もう迷う必要はない。


「あちゃぁ……祝勝パーティーのパートナーのお誘いが来ちゃったか……」


 化け物の王の討伐を終えて、シーナが気まずそうに呟く。聖騎士全員から届いたその手紙を、シーナは開封するなり溜め息を吐いたが、彼女が出すであろう返事について、ナールはもう心配などなかった。


「全てお断りするのでしょう?」


「うん、まあね。みんなには申し訳ないけど……」


 当然と言わんばかりの問いに、想像通りの答えである。聖騎士たちは、祝勝会のパートナーになってもらえればシーナにプロポーズする腹づもりらしいが、その望みが叶うことはない。


「みんな、がっかりするかな」


「でしょうね。シーナ様にプロポーズするおつもりみたいですし」


「うぅ……『お務めだから協力してるだけ』ってけっこう何度も伝えたんだけどなあ」


 それは聖騎士たちとの好感度を上げすぎないために再三告げていたのだが、それはかえって無私で化け物の王との戦いに臨む神の乙女の健気さを強調し、より聖騎士たちの惹き付ける結果になったのだろう。とはいえ、シーナには待っている人がいるし、ここでシーナの気持ちが揺らいでもらっても困る。


「お断りの手紙なら、私がお使いをしますよ」


「私から直接断らないと、失礼にならない?」 


「大丈夫です。私に任せてください」


 ナールが柔らかく笑めば、シーナは頷いて断りの手紙を書き始めた。使者をたてて手紙で断りを入れるのは貴族の習わしではあるが、今までのシーナなら直接言葉で伝えていただろう。あえてそれをさせないのは、シーナの顔を見せることで聖騎士たちに望みを持たせるのが嫌だったからだ。シーナに想いを寄せるのは勝手だが、振り向いてくれると期待されるのは困る。


「じゃあ、嫌な仕事を任せてごめんね。お願いします」


 断りの手紙をきっちり揃えて、シーナはナールに手紙を差し出す。椅子に座った状態のシーナと、ナールの目線の高さは近い。呪いのない本来の身長であれば、シーナは見上げなければナールと、いや、レオナルトと目が合わないはずだ。この近い目線も、恐らく今夜が最後である。


 化け物の王の討伐が終わり、王城に帰ってくるまでの期間で、呪いの紋様は徐々に消えていっている。残るは手の甲に残ったほんの少しの紋様だけだ。恐らく明日の朝までには全て消えて、祝勝パーティーの時間には元の身体に戻っているだろう。


 それを予感して、ナールは自然と口元に笑みが乗る。


「いいえ。……シーナ様」


「うん?」


「聖騎士様かたのエスコートをお断りにあるのであれば、明日の祝勝パーティーは、私と一緒に行きましょう」


 ナールの提案に、暗かったシーナの顔がぱあっと輝いた。


「あっそれいいね! そうしよう!」


「……約束ですよ?」


「もちろん! 約束!」


 いつものようにぎゅうっとナールを抱きしめて、シーナは力いっぱいに約束する。ハグをナールが拒否することは、もうない。シーナに抱きしめられて、初めてナールは腕を伸ばして抱きしめ返した。


「!」


 一瞬驚いたように息を飲んだシーナだったが、抱きしめる腕を強くしてくれたのに、ナールはまた笑む。


「明日が楽しみです」


 そうして、ナールは聖騎士たちへの断りの手紙を届けに部屋を出た。神の乙女の側仕えなどお断りだと思っていたのに、とうとう最後まで務めあげてしまった。きっと、呪われていなければナールはシーナに出会うことはなかっただろう。なぜ自分が呪われたのだと運命を憎んだことは数え切れないが、呪いのおかげで愛する人に出会えたのだから、運命とは奇妙なものである。そんな呪いも、もう消えると思えば、聖騎士たちの部屋に向かうナールの足取りは軽かった。自分の本来の姿を見たらシーナは一体どんな反応をするのだろう、と楽しい期待に胸を膨らませながら。

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