王女と騎士

 誰かを咎めるように窓に雨が激しく叩きつけている。

 誰もが見た事が無い程の豪雨が降り注ぎ、命すら危ぶまれる状況の最中であろうとも、婚姻を済ませてしまいたいらしい。

 勝手に用意されたドレスを身に着け、足には逃れられないよう鎖を付けられて、騎士に引き連れられながら私は式場へと歩いていた。



 ヒュースに会って以降、抵抗を緩めた私に満足したのでしょう。

 王は異常に気付く事は無く、むしろこの雨なら邪魔も減ると慢心したまま式を推し進めている。

 抵抗する必要が無くなっただなんて考えもしていないなんて、本当に愚かだこと。


 反対している聖女達は武力で押さえつけられているそうだけど、彼等がどうしていようと関係無い。

 私は待つだけで良い。ただ二人を信じて、待つだけ。それだけで良いのだから。



 一国の王女の婚姻だというのに、祝福する者も参列する者も数えられる程しかいないらしい。

 冷ややかな空気が支配する式場に鎖の擦れる音がやけに響く。


 まぁ、それもそうでしょう。ここにいるのは王や第一王子派の者達ばかり。

 本来祝福されるべき花嫁は彼等が自分達の利益のために捧げる生贄でしかない。

 心から幸福な者など誰一人いない。あるべき笑みも祝福も、何もかもが張りぼての形だけ取り繕われた歪な結婚式。

 そんな異質な婚姻だというのに、全ての汚濁を呑み込み、心からの微笑みを浮かべる者がここにいた。



「フェリミナ様、お手をどうぞ」



 ラディウスの王子、アルトノーツ・ラディウス。

 私がラディウスを訪れた際、まだ婚約者が居たというのにも関わらず、私と距離を縮めようとしたあの王子。


 次期国王という確固たる地位でありながら、王と同じように権力に執着しているようだ。

 式場への扉が開き、エスコートしようと手を差し伸べられたけれど、私の全てを無下にして行うのだから私が反応を示す必要も無い。

 声を出す事も、視線を交わす事もせず、ましてや私を捕まえようとする手など無視して、式場へと自ら足を踏み入れた。




 時間が経つに連れて更に雨脚は強くなっているようだ。

 外の様子を見る事はできないけれど、厳かな空気が漂う教会に滝のような雨音が響き。

 これは、少しやり過ぎたかしら。近くに落ちたらしく雷の轟音が耳を劈き、煩さに顔を顰める。



 この雨はアーリアに頼んだ仕込みの内の一つだ。

 以前雨が降らず困っているという村を訪れた際に作った雨乞いの魔法陣。

 それを魔石に施し王都に雨を降らすよう頼んだのだけど、流石に十個は多かったのだろう。


 想定より激しいけれど、そろそろ魔石の効果が切れるはず。

 策に支障は無いだろうと、勝手に進む式を黙って従っていれば、誓いの言葉を前に司祭が私へ気遣うような視線を向けて来る。



「……本当に、よろしいのですか」



 それは式を執り行う者として、司祭として最後の良心だったのでしょう。

 傍に騎士が控えており、進行を滞らせる事など許されないでしょうに、私にだけ向けての言葉を発する司祭。

 王子から、背後から、至る所から鋭い視線を向けられても司祭は私だけを見つめている。


 良いも何も、ここで肯定しようが拒絶しようが何も変わらない。

 例え貴方が式を取りやめようとしても、貴方が降ろされ別の者が進行を務めるだけでしょう。

 何より、私の心配をしたところで全て無に帰すのだから必要無いのです。



「司祭殿、進行を」


「……では、これより──」



 隣に立つラディウスの王子に促され、躊躇いを捨てきれない司祭は再度私を見るけれど、私は何も言わず目を伏せる。

 それを諦めと取ったのか、司祭が口を開こうとした時、雷鳴とは違う爆音が鳴り響いた。



「──来たわね」



 遥か後方にある入口で喧噪が起こり、式場に居る者全てに混乱が広がっていくけれど、私はただ目を開けて振り返る。

 そこにいるのは霊石で作った剣を携えた私の騎士。

 あの時地下牢で見た、ボロボロの姿のまま現れた彼は、飛び掛かる騎士達を軽く振り払い、制止の声も聴かず真っすぐ私の元へと進み続ける。


 恐れをなした参列者が逃げ惑う中、自分達も逃げようとしたのだろう。

 私の腕を掴もうとした王子を反射的に魔法で弾けば、衝撃に耐えられなかったらしく勝手にその場に倒れ込む。

 気絶はしていないようだけれど、あんな簡単な魔法で倒れるなんて情けない。

 何が起きたのか理解できないのか、呆然と私を見上げる王子を無視してヒュースを見れば、彼は難なく私の前に辿り着き、いつかのように私の前へ跪いた。



「お迎えに上がりました、姫」


「ご苦労様、ヒュース」



 持たされていた白い花束を放り投げ、足を繋いでいた鎖を魔法で壊し、これ以上無い笑みをヒュースにだけ向ける。

 そう、私達に憐れみなど必要無い。他者の助けも必要無い。必要なのは自分達だけ。

 立ち上がり、差し出された手に自分の手を重ねる。

 そうして手を引かれるままヒュースに抱き上げられ、私達は式場を去ったのだった。






「この後は如何いたしますか」


「まずはアーリアと合流しましょう。東に向かって頂戴」



 式場から逃れたけれど、あれだけ派手に事を起こしてしまえば追手は免れない。

 雨は弱まり始めているけれど、遅ければ遅いほど私達を捕まえられなくなってしまう。

 そんなの予想できている上に、撒こうと思えば簡単に撒けてしまうのだけど、今回は程よく追って来てもらわねばならない。

 そのためわざと痕跡を残しながら予定通り王都郊外にある崖へと向かえば、既に待機していたアーリアが両手を振って迎えてくれた。



「姫様ー! こちらですー!」


「お待たせアーリア。準備はできている?」


「姫様の指示通り、ばっちりです!」



 手早く確認を済ませ、アーリアに預けていた鞄から魔石を取り出し、中に保存していた私の血を周囲に振りまく。

 辺り一面に夥しい量の血が散らばって、見ているだけでも気分が悪くなるけれど、これも必要な事。

 最後の仕上げに私とヒュースも血濡れになれば、準備は終わりだ。



「それじゃあアーリア、後はお願いね」


「はい姫様、全てお任せください」



 血濡れの手でアーリアの頬を撫で、その記憶を封じる魔法を施す。

 これでもう、彼女には何が起きているかわからないでしょう。

 一瞬意識が飛んだのか、アーリアが瞬きを繰り返し、私を染める紅に小さな悲鳴を上げた。



「ひ、ひめ、さま? これは、なんで……血が……!?」



 混乱しかないでしょう。不安しかないでしょう。衝撃しかないでしょう。

 私を大切に思うアーリアに、私が血濡れになっている姿など見せたくなかったけれど、こうしなければ彼女が知る顛末に疑惑が生じる。

 だから仕方なく血濡れの姿を見せたけれど、やはりアーリアには耐えがたい光景だったのでしょう。

 先ほどまでの明るさは一瞬で消え去り、顔を真っ青にしたアーリアが血を止めようと無い傷口を探すのを制し、いつものように微笑んだ。



「アーリア」


「ひめさま、血が、止めなきゃ、止めなきゃ……!」



 本当なら、大丈夫だと言ってあげたい。何でもないのだと明かしてしまいたい。

 けれどアーリアは全てを承知の上で記憶を封じるよう頼んだのだ。

 だから私は微笑んだまま、アーリアの手を離してヒュースと共に崖に立つ。


 崖下には雨によって嵩を増した川が濁流となって暴れていて、落ちてしまえば誰も助からないだろう。

 そうなるように、アーリアに雨を降らせたのだ。



「アーリア、貴女は生きて」


「ま、ってください、待ってください! 何を、何をなさるおつもりですか!?」



 血濡れの姿で崖に立って、何をするつもりかなんてどれほど混乱していてもわかってしまうのでしょう。

 止めようと腕を伸ばすアーリアに背を向けて、ヒュースの胸に抱き着く。

 それを合図にヒュースは私の髪を切り捨てて、私を抱きしめたまま濁流へと身を投じた。



「ひっ、ひめさまぁあああああああああ────!!!!」



 ──悲鳴を聞きつけ、大勢の騎士が駆け付ける。

 けれどその場に残されていたのは大量の血と汚れた姫の髪、そして泣き叫ぶ侍女の姿だけだった。

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