私の騎士

 うっすらと察してはいたが、私が眠っている間に聖女は何度かここを訪れていたらしい。

 「協力できる事があれば遠慮なく言って欲しい」という慈悲深い彼女らしい伝言を聞かされる。

 聖女を頼るなど癪に障るが、使える物は思う存分使わせてもらおう。



 アーリアを通じ、聖女にヒュースと会えるよう手引きを頼む。

 わざわざ聖女を通さず、王のように不作法に、強引に事を進めても良いけれど、それがきっかけで城内の空気が王へ傾かれても面倒だ。

 あくまでも城内は混乱したままで、もしくは私に同情的な空気で居てもらわなければ、いずれ民へ事が露見した際に私達が悪とされてしまう。


 事実を知らぬ者達にとって真実かどうかは大した意味を持たない。

 彼等は多くの人が語る根も葉もない噂を真実だと思い込み、好き勝手に広めていく。

 「王女の騎士は罪人だ」「王女は自分の責務を放棄した」「王の行いは仕方なかった」などと言われ、それが真実にされるわけにはいかない。

 だから私は礼儀正しく、穏便に私の騎士へ会わねばならないのだ。



 いくら警備が緩いとしても、私がヒュースと会うなど王が許すはずが無い。

 しかし世界を救った英雄である聖女の交渉により、見張り付きであれば会う許可が下りたそうだ。

 アーリアもヒュースに会いたがっていたけれど、彼女には仕込みを進めてもらわねばならない。

 そうして私が目覚めて二日後の夜、窓から部屋を出ていくアーリアを見送り、迎えに来た聖女を結界の中へと通してやった。



「お久しぶりですね、聖女様」


「お久しぶりです王女様……お体の具合はいかがですか?」


「それより早く地下牢へ。時間はあまり無いでしょう?」



 私と彼女の間に気遣う言葉も交わす言葉も必要無い。

 部屋の外を見れば見張りを担当するだろう騎士が三名控えていて、私と目が合うと黙って敬礼を返された。

 聖女が連れて来ただけあってこちら側の人間のようだが、やけに武装を整えているように思う。

 私が逃げ出さないか無駄な警戒しているのかと思ったけれど、どうやら違うらしく、騎士の様子を見ていた私に聖女が声を潜めて告げた。



「今ヒュースさんの見張りに付いているのは中立派の方ですが、ヒュースさんとは顔見知りのようです。

 王女様の事も心配していたとのことですから、多少融通は効くかと。

 それと城内を歩く際はお気を付けください。シャルルさんから王の騎士が動いていると」


「あぁそれで……情報、感謝しますわ」



 アーリアが結界の魔石を用いて張った結界は私達三人以外の侵入を拒絶する物。

 そのため王は手を出せずにいたが、ようやく部屋から出て来る今が狙い目だと考えたのだろう。


 彼等は見張りというより私の警護として来たようだが、私を守るのは私の騎士と侍女の役目。それ以外の者に守られるようなか弱い姫ではない。

 その証明に指を振って自分自身に結界を施せば、その頑強さを悟ったようだ。

 ほっと安堵したように息を吐く聖女に見送られ、私は地下牢へと向かった。






 アーリアから聞いていた通り、謀反を企てたなどと言われている割には緩い警備の中、薄暗くカビや埃に塗れた地下を進んでいく。

 そうして幾つかの警備を抜けてある牢屋の前に着いた所で、闇の中から親しんだ黒が見えた。



「ヒュース」



 震えて響いた私の声に黒髪が揺れ動き、後ろ手に縛られた体がゆっくりと起き上がる。

 こちらを見たヒュースの顔には殴られた痕がいくつもあり、見れば服も至る所が裂けていて、見える肌には赤い血が滲んでいる。

 恐らく謂れのない罪を認めるよう拷問でも受けたのだろう。

 王への苛立ちが湧き上がるが、腹の底で押さえつけ、見張りへと詰め寄る。



「中に入れて頂戴」


「そ、それは流石に……」


「お願い、少しだけで良いの」



 会わせる許可はあれど、中に入れる許可は下りていなかったのだろう。

 申し訳そうにしていながら首を縦に振ろうとしない見張りに対し、涙を流してもう一度訴えかければ、見張りはしばし視線を巡らせた後、小さく頷いた。



「わかりました……ですが数分だけです。それでよろしいですか?」


「えぇ……それで充分よ。無理を言ってごめんなさいね」



 本来なら王の命令に背いたと即刻処罰されるような行為だが、上が真っ二つに割れ混乱を極める城内では、声を荒げて咎める者も少ないのだろう。

 周囲に視線を向けた見張りは何やら合図を送った後、牢の鍵へと手をかける。

 その様子を固唾をのんで見守るフリをして、手に隠し持っていた物を口へと放り込んだ。



「入る前に、何か持っていないかだけ確認させて頂きます」



 牢の鍵を開け、私の手に何も無いのを確認した見張りは静かに身を引く。

 そうして何も見ていないとばかりに見張りが牢へ背を向けたのを機に、牢の扉を開きヒュースの元へと駆け寄った。



「ヒュース……」



 こんな拘束、ヒュースには何でもない物だ。

 けれどそれを解かず、大人しく縛られたままでいるのは抵抗すれば私が不利になるとでも思ったからか。

 だからといってこのような暴行を黙って受け入れなくて良かったのに。

 うっすらと腫れている頬に手を添えれば、私の騎士は私の手から逃れるように頭を下げる。



「姫……このような姿で申し訳ありません」


「何を言うの。貴方が捕まったのは私のためでしょう」



 どうせ見苦しい姿を見せたとか、こんな汚い場所に来させてしまったとか、そういった謝罪だろう。

 謝らなくて良い。ヒュースが謝る理由など存在しない。

 ヒュースは最も穏便に済む方法を考え、自らを差し出しただけだ。

 私が彼の立場であれば、きっと全てを殺して終わらせていたはずだ。更に状況を悪化させていたはずなのだ。


 だから謝罪する事は許さないと、そんな物は受け入れないとヒュースの頬を両手で包み込む。

 見た目に反して大して痛まないだろう傷に回復魔法を施し、周囲を軽く見渡した。


 明かりは壁に取り付けられた燭台に灯る小さな火だけ。

 見張りはいるけれど、中で何をしていようと感知する魔法は施されていないようだ。

 とはいえ、誰がどのように見ているか、どのように聞いているか全てを確かめる時間は無い。

 だから告げられる言葉は少ないけれど、私達には十分だ。



「どこまでも、私と堕ちてくれる?」


「──貴女が望まずとも、どこまでも」



 ヒュースの覚悟に揺らぎは無い。

 どれだけ甚振られようと、どれだけ侮辱されようと、最初から変わらず私の騎士で在り続けている。

 ならば私も最後の覚悟を決めましょう。私も全てを賭しましょう。


 頬に添えた手に力を込め、顔が動かせないよう軽く固定する。

 至近距離で交わる視線に何をするのか予想がついたのだろう。

 まさかとばかりに目を見開き、身を固める私の騎士に微笑んで、私は血が滲む唇へ自分の唇を重ねた。



 押し付けた柔らかさとは違う硬さを感じ、私の意図を察したのでしょう。

 最初は抵抗するように固まっていたヒュースが力を抜き、隙間が開いたのを見計らって口に含んでいた物を──霊石を舌で動かす。

 歯に当たったのかカチリと小さな衝撃が走るけれど、小さく鳴る水音と私達の吐息でそんな音は掻き消える。

 誤って呑み込んでしまわないようゆっくりと移して数秒、溶け合った温もりがどちらともなく離れていく。


 もう少し、傍に居たかったけれどもう時間のようだ。牢の外で見張りがわざとらしく物音を立てる。

 いっその事、ここに立て籠もってやろうかなんて思いもしたけれど、せっかくアーリアが仕込みをしてくれているのだ。

 今も奔走してくれているだろう彼女の努力を無駄にしてはいけないと、自分の欲を制して立ち上がる。



「お願いね、ヒュース」



 アーリアと違って明確な指示は無いけれど、渡した霊石に刻んだ魔法を見れば、私が何を求めているか、何をしてほしいか、全て理解してくれるでしょう。

 そう信じて、私は騎士に連れられヒュースから離れたのだった。

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