私の侍女
聞き馴染んだ声が私を呼んでいる。右手を愛しい温もりが包んでいる。
霞む視界、重い頭を動かし右手を見ると、そこには目を赤く腫らしたアーリアが居た。
「姫様……! 良かった、目が覚めた……!」
「……アーリア、ここは……」
「王城の、姫様のお部屋です。
姫様はあれから三日間、ずっと眠っていらっしゃったんです……!」
毒に睡眠薬なり何なり含まれていたのか。
ずきずきと痛む頭を押さえ、アーリアの手を借りどうにか起き上がる。
毒の後遺症か軽く指先が痺れているけれど、この程度であれば動けなくはない。
ただ、魔力を操る際に少しが雑音が混じっている。
完全に魔法が使えなくなったわけではないけれど、この状態で魔法を使うと体への負担が大きすぎる。
簡単な魔法なら多少使っても問題無いだろうけれど、この雑音が無くなるまで魔法は使わない方が良さそうだ。
それよりも、声が一つ足りない。気配が一つ足りない。
まだまともに見えていない目を凝らして周りを見るけれど、黒色がどこにも見当たらないのだ。
「ヒュースは? 一緒ではないの?」
「ヒュースさんは……姫様の解毒剤を交換条件に投降されました。今は地下牢に入れられているそうです。
このままなら……恐らく処刑されてしまうかと……」
「……そう」
ヒュースであればこの国の騎士達など容易く退けられただろう。
王の生死など関係無く、解毒剤を手に入れる事だってできたはずだ。
けれどそうはせず、わざわざ投降という手段をもってその場を治めたのは、私があの時「後が面倒」だと言ったからか。
もし王に剣を突き立てていれば、私達は国から追われる身となっていたでしょう。
そして王に私を好き勝手する口実を与えていたでしょう。
そうならないように、後に起こりうる問題を少しでも減らすために、彼は自らを差し出した。
あぁ、本当に、ヒュースはわかっていない。貴方は投降なんてしなくて良かったのよ。
自ら罪人として下らずに、どこまでも抵抗してずっと私の傍に居てくれたら良かったの。
【私】に付き従った貴方のように、その先が死であろうとどこまでも共に堕ちてくれればそれで良かったのよ。
「すぐに国を挙げての祝賀会がありますから、それまではそういった事はしないはずです。
抵抗していないため警備体制もそこまで厳重ではないみたいなので、ヒュースさんなら石ころ一つでも渡せれば脱獄できると思います。
それよりも……先に、姫様の事をどうにかしないと」
「……私の事?」
アーリアの言う通り、祝い事の前に罪人の処刑などは行われない。
だが、私達がイシース王国に戻って来た時点で祝賀会まで一週間しかなかったと記憶している。
他国の重鎮も招待しているのだから、多少の問題が起きた所で開催を遅らせたりしないだろう。
しかし、祝賀会さえ終わってしまえばヒュースの処刑まで時間の問題だ。
あれから三日も眠っていたのであれば、猶予は四日程しかないのに、余程の問題が起きているのか。
毒を盛られている時点でろくな事ではないのは確かだけれど、王が何を企んでいるのか知るべく、焦点の合いにくい視界でアーリアを見れば、アーリアは強張った表情で語った。
「姫様、どうか落ち着いて聞いてくださいね。
私も伝え聞いただけなのですが……どうやら、国王陛下は姫様をラディウス王国の王子と結婚させようとしているみたいです。
それも祝賀会と合わせて行おうとしているみたいで、今も準備が進められていると」
「……あぁそう、それで私が抵抗できないよう毒を盛ったのね。
眠っている間に外堀を埋めてしまおうとしたのでしょう。同室に一晩押し込んでいれば事実ができてしまうもの」
未婚の王女という立場上、私の純潔は良くも悪くも重要視される。
異性と一晩同じ部屋で過ごした事実さえ作ってしまえば、婚姻が確定するようなものだ。
つまり痺れからだろうと昏睡だろうと、私が抵抗できない状態ならどうでも良かったのだ。
最近の私の行いを見て、自分の思うままに動かないと悟り強硬手段に出たか。
婚約破棄の際に交わした契約を白紙した覚えなど無いのだけれど、王の中ではもう無かった事になっているのだろう。
可能性の一つとして考えてはいたけれど、まさか本当に実行するほど権力に執着しているとは。
相手は実の父であり、この国を長年治めてきた王だというのに、あまりの汚らしさに虫唾が走る。
「今のところ、外では陛下や第一王子のルーク様が指揮を執って進められているとの事です。
それから……結界に阻まれ誰も入れていませんが、姫様が眠っている間にも何度か侵入を試みた反応がありました。
それが誰の手の者かまではわかりませんでしたが……聞けばここの結界を解くのに聖女様も陛下から協力を仰がれたとか」
「聖女は何をしているの?」
「聖女様は、王の姫様に対する仕打ちを聞き、今回の件に異議を申し立てているそうです。
他にも王妃様や聖女様に同行されていた第二王子のシャルル様。それと姫様の元婚約者のモルバート様など、一部の貴族の方も反発をしておられると」
「……まだ人としてまともな考えができる人が残っていたのね」
政略とは縁遠い平民出身だからか、それとも人格者として皆に愛される聖女だからか。
自身にはほとんど関わりの無い事だというのに、相変わらず聖女は聖女らしくお節介を焼いているらしい。
しかし世界を救った聖女とはいえ彼女は平民。
王妃や第二王子ならいざしらず、彼女が王家の婚姻に関われるはずが無いのだけれど、あれだけ人目を惹く者が騒いでいるのなら多少時間稼ぎにはなるだろう。
それにしても、聖女一行に同行し聖女から影響を受けただろう第二王子のシャルルはまだしも、王妃までそちら側だとは思わなかった。
あの人は政略結婚であの王の伴侶となった者。二人の間に愛など無く、母から子への愛も無く、あるのは役目に対する責務のみ。
そういう人だから、私が他国の王子と婚姻するのに賛成していると思っていた。
今更情でも湧いたのか、王の強引さを危険視したからか知らないが、どちらにせよまだまともな頭をしている者が王城に居て少し安堵を覚える。
これで全員が関与していようものなら、それこそこんな国、滅ぼした方が人々のためだったろう。
「ラディウスの王子は静観を決めているらしく、今回の件に関しては無言を貫いているようです。
聖女様が何度か接触を試みたそうですが、全て拒否されたと」
「まぁ、そうでしょうね。
自分の婚姻なのだからこの件に関わっているのは間違いないでしょう。
でも、それを認めて何かあった時に責任を問われても困るもの」
「明らかに関与してるはずなのにですか?」
「確固たる証拠が無ければ糾弾したところでもみ消されるだけよ。
それも他国の王子だもの、下手に追求して戦争になっても困るでしょう?
多少の問題なら呑み込んで国益を優先するわ」
「……姫様に、毒を盛ったのに? 無かった事にされるんですか?」
「政略とはそういうものよ」
「そんな……」
ラディウスは物語だと最後に訪れる国ともあって、周辺よりも強力な魔物が現れる。
その分、周辺諸国の中で随一の軍事力を有しており、イシース側としては万が一戦争が起きた場合、味方にしやすい関係を築きたいのだろう。
ラディウスも退魔の力を持つ姫を手に入れ、聖女を抱えた国と強い繋がりを持てるとくれば、今回の話に乗ってきてもおかしくない。
どちらが最初に提案したのかはどうでも良い。互いの利益を重視するのも国を治める者として正しい事でしょう。
けれど私の意思を無視しただけでなく、自分に少しでも不利益が被らないようこの期に及んで無言を貫くだなんて、良い度胸だこと。
そちらがそのつもりならば、傷も無く終わらせる事など赦して堪るものか。
例え母国だろうと隣国だろうと、私の騎士が罪人とされたように罪を刻み付けてやらねば気が済まない。
「城内はどうなっているのかしら。混乱している?」
「姫様が王子と手紙のやり取りをしていて親交を深めていたとか、ヒュースさんが捕らえられたのは姫様を誑かして謀反を考えていたからだとか、色んな噂が飛び交っているそうです。
そのため陛下やルーク様が進めておられる姫様の婚姻に賛成派と、王妃様や聖女様、シャルル様をはじめとする反対派。
どちらにも属さない静観派に分かれているようで……今のところ城内のみでの騒ぎに収まっていますが、それも時間の問題かと」
「あら残念。こんな醜態、さっさと知られていれば良かったのに」
どうせ真っ当な交流を重ねた上での婚姻だとしておきたいのだろう。
顔も覚えていない王子との手紙まで捏造しているだなんて、くだらない。
そこまでして騒ぐのであれば、民衆に知られて更に騒がれてしまえば良かったのだ。
王侯貴族の醜態など、彼等にとっては極上の娯楽でしょう。
城だけでなく王都へ、王都だけでなく国全体へ広まってくれれば、他国へもその醜態は晒される事になるでしょう。
そうなってしまえば良いのです。恥を晒してしまえば良いのです。そうしてこの国も、隣国も、泥を被ってしまえば良いのです。
「お望みとあらば、すぐにでも広めて来ます」
「……そうね、余裕があればお願いしようかしら。
でもその前に、アーリアには色々と仕掛けをお願いしたいの」
「仕掛けですか?」
「そう、仕掛け。もう、どうでも良くなっちゃったから」
一国の姫として努力してきました。
退魔の力を持つ者として努力してきました。
守らなければと、守るためにと努力してきました。
けれど、その全てがどうでも良くなりました。どうでも良くなってしまったのです。
契約を結んだにも関わらず、無かった事にして無理矢理婚姻を推し進める王。
全てを知っているのに黙認し、利益だけを得ようとする隣国の王子。
勝手に喚き、勝手に憤慨し、勝手に動く聖女達。
そして何より、私の騎士を好き勝手言う全ての者達。その全てがどうでも良い。
本当に、何もかもくだらない。
賛成派も反対派も中立派もどうでも良い。誰が賛成しようが反対しようがどうでも良い。
こんなくだらない騒ぎなど、騒ぎたい者達だけで勝手に騒いでいれば良いのです。
私の意思も何もかも無下にする彼等など、どうでも良いのですから。
搾取され続ける【私】はもういない。強いられ続ける【私】はもういない。
ここにいるのは大切な物を得た私だけ。責務からではなく、心から守りたい物を得た私だけ。
あの者達に傷を負わせ、私の騎士を取り戻すための策を語って聞かせれば、アーリアは少し考え込んだ後、覚悟を決めたように姿勢を正した。
「……でしたら、その時が来たら私の記憶を封じてください。
望まれたように演技するより、何も知らない私の方が姫様の望んだ通りに動くはずですから」
姫様ならできますよね、と疑いの無い目を向けるアーリア。
知っている事で不利益が生じるのなら、知らない事にしてしまえば良いのはわかる。
実際、記憶の一部を封じる程度なら簡単にできるので、アーリアの希望通りしても良いのだけど、躊躇う理由が一つある。
「……良いの? 何も知らない貴女はきっと酷く傷付いてしまうわ」
「構いません。姫様の助けに慣れるのなら、私はどんな事でも致します」
アーリアはそう言って私の手を両手で包み、ゆっくりと持ち上げる。
そうして祈るように、彼女は自身の想いを告げた。
「以前もお伝えしたように、私の主は生涯姫様唯一人です。
貴女が願い望む事が、私が願い望む事なんです。私を信じてくださいますか?」
「……もちろんよ。貴女は私の、私だけの侍女だもの」
信じるか信じないなど、そんなのとうの昔に超えている。
貴女達だけが信じられる。貴方達だけを信じている。
だから私は二人を信じて、アーリアに託す物を託したのだった。
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