終わりの始まり

 聖女一行によって魔王が倒され、世界の破滅は防がれた。

 しかし魔王を屠ったとしても各地に魔の残滓は刻み込まれており、全ての脅威が取り除かれたわけではない。

 とはいえ最大の脅威であった魔王は消え去ったのだから、今後破滅の危機が訪れる事はないだろう。


 物語はそこで終わり、その後については平和な世で幸せな未来を迎えた聖女達について語られただけだった。

 魔の根源である楔は私が破壊しておいたけれど、あれは誰かの思いであり誰かの願いだ。

 始まりを考えれば、もしかすれば世界を呪う誰かによって新たな魔王が生まれるかもしれないが、それは私が生きる時代では無いだろう。



 後の世の事など考えても仕方ない。

 それよりも今は、直面している厄介事だ。


 聖女一行が魔王討伐を果たしたため、イシース王国では祝賀会が開かれる運びとなった。

 それに私も参加せよと、王命が下ったらしい。

 急ぎやって来た使者から王の書状を受け取り、その内容に使者が見ていようと構わず苛立ちを露わにしそうになって、深く息を吐いた。



 国から離れている私は放っておいて、勝手に盛り上がっていれば良いものを。

 聖女をもてはやすためのパーティーなど、誰が参加したいと思うのか。

 これが何の力も持たない平凡な姫であれば、適当に祝いの言葉でも伝えて欠席していたところだが、私は退魔の力を持つ姫。

 聖女とは違ったやり方で世界を守っていたのだから、そういった祝いの場に居ないとなると他国から不審に思われてしまう。


 面倒だからと断ってわざわざ王の不興を買うのもそれはそれで厄介だ。

 聖女一行の旅路が終わったのなら、人手不足は自然と解消されるだろう。

 そうなればあの王は目の届きにくい場所にいる私へ監視を増やそうと考えるはず。

 ここで反抗的な態度を取って無駄に監視を強化されても面倒だ。


 いっその事、あの国から完全に離れてしまっても良いのだけれど、まだそこまでする理由が無いのも確か。

 そのためまだ周辺諸国で一ヶ国だけ宝珠を設置していない国があるが、そこはまた後日改めて向かう事にし、私達は使者と共に一度イシース王国へと戻ったのだった。




 王城に戻ると王から話があるとの事で、執務室へと連れて行かれる。

 聞けば祝賀会には魔王討伐に協力した他国の関係者なども参加するようだ。

 となると、王も招待や手配などで多忙を極めているだろうから、挨拶など最低限に留めておく方が無難か。

 私も会いたいわけではないのでさっさと退出できるならそれで良い。

 そう思っていたのだが、世界が救われて浮ついているのか、執務室には茶が用意されていて、やけににこやかな王が出迎えた。



「あぁ、よく戻ったフェリミナ。さ、座りなさい」


「お気遣いありがとうございます。

 ですが陛下はお忙しいのでしょう? 私の事はどうぞお構いなく」


「何、丁度休憩したいと思っていたところだ。

 それにお前は以前戻って来た時はすぐに発ってしまっただろう。お前の旅について詳しく聞きたいのだよ」


「……では、失礼致します」



 旅についてそれ以上言及されると、報告を止めていたアーリアに叱責が飛ぶだろう。

 恐らくここで説明させる事で手打ちにするといったところか。

 たかが侍女一人罰するより、私から他国の情報を得る方が得と考えたようだ。


 王との対話など面倒だが、後でアーリアに罰を与えられる方が鬱陶しい。

 仕方なく席に着き、王が紅茶に口にしたのに倣い私も紅茶を飲もうとした時、ヒュースの叫びが響いた。



「姫!!」



 強い衝撃が手元を襲い、持っていたティーカップが弾き飛ばされる。

 同時に見慣れた腕が肩に回り、引き寄せられるままに身を任せる。

 誰も居ない場所へと紅が飛び散り、それを王はただ冷たい瞳で見ていた。



「あぁ全く……随分察しの良い犬だが、一歩遅かったな」



 王の嘲笑と共に指先が痺れ始める。

 あぁそうか、そうですか。そうなのですね。

 相手が自国の王女であろうと実の娘であろうとも、貴方はそうするのですね。


 悲しみは無い。怒りも無い。あるのは呆れだけだ。

 いつかそうなるかもしれないと思っていた。そうならないで終わってくれれば良いとは思っていた。

 でも、あっさりと来てしまったその時と広がっていく痺れに顔を顰めた。



「──ヒュース」



 間違いなく、紅茶には何かを盛られていた。

 ヒュースが止めてくれたけれど、ティーカップにも何か塗られていたのだろう。

 今はまだ指先だけで済んでいる痺れは徐々に広がっているようで、このままでは全身に回るだろう。

 動くうちにと回った腕にしがみ付くと、無理な体勢だろうと構わず抱き上げられる。

 そうしてすぐさま固まった私達に対し、王は周りに控えさせていた騎士達へ指示を出した。



「何をしておる、王女の騎士が謀反を起こしたぞ。取り押さえよ」


「……ふざけた事をおっしゃいますこと。私に毒を盛ったのはそちらですのに」



 謀反など、ヒュースは剣を抜いてすらいない。

 この場にいる者で他者に害を与えたのは王唯一人。

 罪の在処が明らかでも、騎士達が王の命令に従順に従って剣を抜き、私達を囲み出す。



「姫様……!」


「……切り捨てましょうか」


「……いいえ、今は良いわ」



 周囲に妨害魔法を放ち、近寄ろうとする騎士達を遠ざけながら悲痛な面持ちで私を呼ぶアーリア。

 剣こそ抜いていないけれど、今にも全て切り殺してしまいそうな鋭い殺気を放つヒュース。

 彼の言う通り、全て殺してしまっても良いのだけれど、私はその腕の中で緩く首を振った。


 きっと、これは全て仕組まれていた事なのでしょう。

 王が何をするつもりかはまだわからないけれど、盛られたのは死に至る毒ではなく、私の動きを封じる物。

 であれば、この痺れが全身に回る前に、できうる事をしてあげましょう。

 貴方達が私達に害を成すのであれば、私達も貴方達に害をなしましょう。



「一度外へ出て頂戴」


「侍女殿」


「失礼します!」



 一言だけの命令に従って、ヒュースは少し身をかがめる。

 その背中に飛びついたアーリアの腕が首に回った次の瞬間、ヒュースは駆け出して窓を蹴破り、外へと飛び出した。


 全身を風が掠めていき、背後から発せられた騎士の制止の声が遠ざかっていく。

 そのまま中庭へと着地した私達に、居合わせた誰かが驚いた声を上げているが知った事か。



「姫様、すぐに解毒を……!」


「無理ね。さっきから回復魔法を使っているけれど、効果が無いの。

 私を殺しても不利益しかないから死にはしないでしょうけど……動けなくなるのも時間の問題ね」


「そんな……」



 恐らく王家に伝わる秘薬の一つだろう。

 王家にとって毒は身近な存在。一族が繋いだ長い歴史で私のように盛られるのは勿論の事、誰かに盛った事も幾度もあった。

 その経験の積み重ねと共に製造されたのが王家に伝わる秘薬。

 王位を継ぐ者は有事の際に使えるよう調合の方法を学ぶと話には聞いた事があるけれど、まさかそれが自分が使われる身になるとは。


 秘薬とだけあって無駄に高性能なのだろう。

 先ほどから私の知る全ての回復魔法で解毒を試みているが、どれも効いていないようだ。

 手首まで広がって来た痺れに顔を顰めているとアーリアが手を翳した。



「せめて妨害魔法で進行を遅らせます。少し痛むかもしれませんがよろしいですか」


「えぇ、お願い」



 妨害魔法を受けて僅かな痛みが広がるけれど、無遠慮に広まる痺れに比べれば不快感は少ない。

 とはいえ、このまま放置するわけにもいかない。

 時間経過で痺れが消えるならこのまま逃げても良いが、私を逃がしたくないのならそんな毒は使わないはず。

 かといって全身に痺れが広がれば呼吸もできなくなってもおかしくない。

 そうなる前に事を起こさねばと、指示を出すためにヒュースを見上げれば、ヒュースは私ではなく王の居る執務室を睨みつけていた。



「姫」



 金色を逸らさぬまま息苦しい程の殺気を放つヒュース。

 こんな瞳をしている私の騎士が何をしようとしているかなどすぐにわかる。



「王を殺して参ります。解毒剤ぐらい持っているでしょう」


「止めておきなさい。そんな事をしたら後が面倒よ。

 それより……そうね、地下へ向かって」



 王を殺して解毒剤を手に入れたとしても、その後私達は王を殺した大罪人として指名手配される。

 追われたところで追手など軽く退けられるだろうけれど、そんな不名誉を私の騎士に背負わせるのも癪に障る。

 あんな代替えの効く消耗品の穢れた血になど染まらなくて良い。

 それよりももっと深く、癒える事の無い毒をもたらせば良い。



「宝珠を破壊するわ。結界の魔法陣も書き換えましょう。

 国を守って来た私に毒を盛ったのだもの。その代償として国の守りを破壊します。付いて来てくれるかしら」



 これは最後の確認だ。きっとこれから私は堕ちて行く。【私】とは違う道へと堕ちて行く。

 その前に、ここで引き返したいと願うのならば、今なら手を離してあげましょう──そんな事、彼等が願うわけがないとわかっているけれど。



「姫の願うままに」


「私もです」



 例え国に背く行為だとしても、迷う事無く私に従う騎士と侍女。

 愛しい二人に微笑んで、ようやく駆け付けた騎士達へと魔法を放った。




 ヒュースの腕に抱かれたまま、私達は城内を駆けていく。

 どうやら王は内密に事を進めたかったらしく、事情を知る者はごく僅かのようだ。

 多くの騎士を配置していた執務室に比べ、城内の警備は普段と変わらぬままで、私達に立ちはだかる者は全く居ない。


 時折城内の警備をしていた騎士が訳も分からず止めようとしてくるけれど、何も身構えていなかった者の制止など速度を緩める要因にもならない。

 流石に厳重な警備をしている宝珠付近は少々人が多かったけれど、それだけだ。

 アーリアの支援魔法を施されたヒュースを止められるわけがなく、私達は大した時間もかからずイシース王国を守る退魔の宝珠の元へとたどり着いた。



「あ、お、王女殿下!? 何故ここに」


「死にたくなければそこを退きなさい」


「は──!?」



 質問など求めていない。疑問を持つ事も許していない。

 突然王女が現れ、命令を下され、戸惑った騎士がヒュースによって吹き飛ばされる。

 どうやら常時宝珠に付けている警備はたったの四人だけらしい。

 その全てを軽々と払いのけたヒュースは、私を宝珠が設置されている祭壇の前に降ろした。



「支えは必要でしょうか」


「アーリアだけで十分よ。貴方は入口をお願い。少し掛かるわ」


「わかりました。侍女殿は支援と姫を」


「お任せください」



 魔法陣の書き換えはそう時間が掛からないけれど、宝珠の破壊は素材の強度が高いせいで時間が必要だ。

 離れていく背中を少しだけ目で追って、アーリアの肩を借りて宝珠を魔法陣から引き剥がす。

 そうして一つずつ宝珠を構築する魔法を破壊していきながら、周囲を警戒するアーリアに鞄を出させる。



「いつでも結界の魔石を使えるようにしておいて。私が倒れたらそれを使って身を守りなさい」


「そんな……いえ、わかりました。他の魔石も適時使わせて頂きます」


「えぇ、こういった時のために用意していた物だもの。躊躇わず使いなさい」



 どれも暇潰しに余った素材で作った物だけれど、その効果は一級品だ。

 結界の魔石だけでも一週間程度この場に立て籠もる事もできるだろう。

 それだけ時間があれば二人だけでも逃げられるはずだ。



 手離したくないと思いながら、まだ手離す機会を保ち続けている自分に嘲笑が零れる。

 きっと二人は私から離れないでしょう。その時が来れば私を守り、私と共に死ぬのでしょう。

 【私】にもそうだったのだから、私にも最期まで付いて来てくれるのでしょう。

 そうわかっていて、それが嬉しいと感じていて、それでも生きて欲しいと思うのは、私にとって二人が大切だからでしょう。


 【私】が最後に得た宝。私が自ら得た宝。責務とは関係なく、心から守りたいと願う人。

 私が死ななければこの二人も死なないでしょう。私を置いて先に死ぬ事は出来ないでしょう。

 二人を死なせたくないのであれば、私も死んではならない。何より、あんな男の欲のために私は生きて来たのではない。

 だから、騒ぎを聞きつけ騎士達と共にようやく駆け付けた王へ、見せつけるように宝珠を破壊してあげたのだ。



「まぁ、おそかった、ですね」


「な、何をした……!? まさか宝珠を!?」



 口元が痺れる。息が苦しい。アーリアのおかげで回りは遅かったけれど、もう半身が動かない。

 それでも宝珠だった欠片を手に無理矢理微笑んでみせれば、全てを理解した王が怒号を上げた。

 何やら色々と叱責が飛んでくるけれど、耳を傾けるつもりは無い。

 最後の仕上げにとアーリアの手を借り、宝珠へ魔力を供給していた魔法陣へと指を添える。


 この魔法陣は宝珠への魔力供給だけでなく、結界魔法の維持も兼ねている。

 まともに動けたのなら、結界の維持に消費する魔力を全て王位を継いだ者に背負わせるよう変えてやろうかと思っていたが、そこまで丁寧に書き換える時間は無い。

 王やその地位を継いだ者に永遠に残る罰を与えたかったけれど、こうなってしまっては仕方ないだろう。



「何てことをしてくれたのだ!? 宝珠が、我が国の守りが!!」


「さ、きに、てを、だしたのは、そちらでしょう?」



 魔法陣に軽く魔力を流し、結界の核となる部分を乱雑に掻き乱す。

 これで魔法陣は崩壊し、修復も、それこそ私でなければ不可能だろう。

 しかしいつか私が神代の魔法を読み解いたように、私の魔法を読み解く者が現れるかもしれない。

 そんな奇跡すらこの国に許すつもりはないので、一つ、罠を遺してやった。


 といっても、とても可愛らしい仕返しのような物だ。

 今後この魔法陣に触れた者の魔力を奪うという、ごくありふれた罠と同じ物。

 ただ奪う魔力が、私の総魔力量と同等というだけの物。

 聖女より多い魔力を持つ私と同じ魔力量を持っていなければ、触れる事も許されない。ただそれだけだ。



「いのちは、うば、わないのですから……やさしい、でしょう?」



 えぇ、本当に。本当なら全てを殺していてもおかしくなかったでしょう。

 私が国の守りを破壊すると言ったから、二人は私に付いて来てくれた。

 これで私が全ての破壊を望んでいたら、二人は命を賭してでもその願いを叶えていたでしょう。

 その道を選ばなかったのだから、むしろ感謝して欲しいものだ。


 けれど、どうやらここで限界らしい。

 全身に痺れが広がり、立っている事もままならず、アーリアの支えも空しく私の体が崩れていく。

 微かに呼吸はできているけれど、このままなら私は呼吸が止まって死ぬだろう。



 でも、きっと、そうなる前に二人がどうにかしてくれる。

 私を死なせないように解毒剤を奪う事も、周囲を囲む騎士を薙ぎ倒し逃走する事も、二人には容易い事。

 目覚めた後が少し面倒だろうけれど、それは私がどうにかすれば良い。

 今は遠くの金と近くの温もりに全てを任せ、私は意識を手放した。

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