霊山の巫女
時折休憩を挟みながら霧の中を進んでいく事しばらく。
不意に風が吹いたかと思えば、目の前に突如として社が現れた。
恐らく結界か何かが張られているのだろう。不自然に晴れていく霧の中、いくつも並ぶ紅に彩られた柱が道となっているようだ。
それはまさに誰かの記憶で見た神を祀る場と似通った光景で、小さな笑いが零れてしまった。
物語において霊山の描写は最低限で、霧に包まれたまま全容は明らかになっていなかった。
異邦の信仰を再現する事で異質さを演出しているのか、それとも単に物語の創作者の知識が反映されたのか知らないが、物語がここまで浸食しているようで嫌悪を感じてしまう。
しかしこの光景は巫女やヒュースを含む巫女の血筋の者達が守って来た物。
例え【私】の終わりを描いた物語に嫌悪を抱いても、その中で彼等が紡いだ物に敬意は抱ける。
だからこちらを見て不安気にしているヒュースに微笑んで、再びその手を取った。
「久しいな、ヒュース。息災であったか」
「巫女様も、お変わりないようで何よりです」
社の中心に設けられた祭壇に座す一人の女性。
異邦の装いを身に纏い、口元を薄いベールで隠したその女性は見た所私とそう変わらない年頃のように感じる。
けれど纏う空気は老成した者のそれで、魔力自体は私より少ないようだが、その純度の高さは今まで見た事が無い物だ。
「して、そちらが退魔の姫か」
向けられた視線と共に冷えた魔力が頬を撫でる。
ヒュース曰く、彼が幼い頃から変わらぬ姿をしていると聞くし、この霧の中に居続けた事で人の理を外れているのかもしれない。
霧のせいで魔法も使い難くなっている今、巫女の気分を損ねると厄介な事になりかねない。
あぁ、それでヒュースは不安気にしていたのだろうか、なんて考えながら物語の事は頭の端に置き、今はただ気高き巫女への敬意のみを持って微笑みを返した。
「イシース王国第一王女、フェリミナと申します。
霊山の巫女にお目に掛かる事ができ、大変光栄に思っております」
「あー姫殿、どうか堅苦しいことは抜きに頼みたい。
妾はこの山に籠りきりでそういった作法は馴染みが無くてな。何か無礼をしてもお許しくだされ」
「でしたら、そのように」
「寛大な配慮痛み入る、と言えば良いのか? のうヒュース」
「……姫がお許しですので、構わないかと」
「良くなさそうじゃなぁ」
どうやら長い年月を生きていても人と接する事は慣れていないらしい。
それでも私達を好意的に迎え入れてくれているようなので、それを利用すべく求められるままに姿勢を緩めた。
「突然押しかけたのはこちらですもの。ここは何かあってもお互い様という事にいたしませんか?」
「そうして頂けるととても助かる」
これでどちらが無礼を働いても無かった事にできるだろう。
後ろで控えているアーリアへ視線を向けて小さく頷いてやれば、アーリアも少し緊張を緩める。
そうして互いに接し方を定めた所で、巫女は本題に入った。
「それにしても……なるほど、随分特異な運命を背負っておられる様子。
よくぞここまで来られた。そなたは聖女に代わり我が予言を聞き、浄化の杖を預かりに来た。相違ないか?」
「あら、そこまでわかっていらっしゃったの」
「中々聖女が来ぬからなー予言を請えば、聖女の純潔は無くなっているから代わりに退魔の姫が訪れると告げられたのよ」
「まぁ、それは、何といえばよろしいのかしら」
「そんな事ある? と思わず叫んでしまったが、まぁ、聖女も年頃の娘なのだろう? 恋の一つや二つしてもおかしくなかろう。
むしろ妾はそなたに会う事が出来て嬉しく思っておるよ」
そう言って祭壇から降り立った巫女は、真白の手を伸ばし私の手を取る。
少し下から向けられる純白に輝く瞳は心から喜んでいるのが見て取れて、フェイスベールの奥に隠れた表情は柔らかく微笑んでいた。
「我が遠き子、ヒュースがようやっと見つけた守護の姫。
妾は霊山から離れる事はできないけれど、叶う事ならそなたに一目会い、感謝を告げたかったのだ」
両手が私の手を包み込み、細い指が労わるように甲を撫でる。
初めて会った者に触れられて驚きはしたが、不思議と受け入れていたその手は微かに震えていて、何かを考える前にその手を握り返していた。
「仕えるべき主を見つけたとしても、誰にも手を伸ばせぬ遠き場所に貴女はおられた。
貴女が見つけてくださらねば、選んでくださらねば、ヒュースは貴女の傍には居られず、いずれ堕ちるところまで堕ちていただろう。
故に、数ある騎士の名かからヒュースを見い出してくださった事、そしてこの者の手を取ってくださった事に、心より感謝を」
きっと巫女が予言したのは【私】に従ったヒュースだろう。
彼は【私】と共にどこまでも堕ちて行く。【私】に従い堕ちるところまで堕ちて行く。
けれど私はヒュースを見つけ、ヒュースは【私】ではなく私の騎士となった。
「お礼を言うのはこちらです。
巫女様がヒュースを送り出してくださらねければ、私もきっと堕ちていたでしょう」
ヒュースの言うように、巫女の言うように、私が騎士を見つけたから変わったのかもしれない。
だとしても、彼が私を見つけていなければ、少しでも私の近くに居ようとしなければ。
きっと私は誰も頼れないまま一人【私】の未来に怯えていた。
きっとこうして世界を旅する事もせず、あの城で独り世界が救われるのを待っていた。
そうして迎えた終わりは、きっと【私】より救いはあれど、【私】とは違って独りきり。
そんな寂しい未来で私は私のままでいられただろうか。
人々に慕われ愛される聖女を見て、堕ちる事なく居られただろうか。
けれど、巫女が彼を送り出してくれたから、そんな未来は訪れないと私は知っている。
「そうか……それなら良かった」
巫女の予言のように、物語という予言を知るからこその感謝を送れば、巫女はうっすらと涙を浮かべて嬉しそうに目を細める。
この人はヒュースをそれほど気に掛けていたのだろう。まさに姉のように、母のように。
柔らかな想いが籠った眼差しを私にまで向けられてどう受け取れば良いのかわからずにいると、巫女ははっと何かを思い出したように息を呑んだ。
「そうだ、そなた達に伝えねばならん予言があるのだ」
「予言、ですか?」
「あぁ……」
物語において巫女の予言は魔王に関する物以外存在しない。
それ以外の予言となると、一体どんな物なのか。
見当もつかず首を傾げた私に、巫女は真剣な眼差しで私の手を握りしめた。
「どうか気を付けられよ。
予言によれば、そなた達には別れが待ち構えておるようだ。その先で幸福を掴めるかは全てそなた達次第」
「別れ、ね」
別れと言われてまず思いつくのは、聖女一行へ誰かが引き抜かれる事だ。
物語のように世界は救われる方向に進んでいるけれど、聖女が霊山へ来れなかった事や、覚醒していないなど問題も起きている。
その穴埋めに私達の誰かが同行を命じられる可能性は大いにあるが、まだ宝珠の設置を済ませていない。
時間稼ぎはそれで充分だと思っていたのだけれど、まさかそれだけでは足りないとでもいうのか。
「妾としては、そなた達には幸せになってもらいたいものだが……どうか誰も傍を離れず、共に在りなさい。
妾から告げられるのはそれだけだ」
「……わかりました。ご忠告ありがとうございます」
巫女の言葉は真剣そのもので、それだけ私達を心配しているのだとわかり、安心させるために柔く微笑んでみせる。
もう大丈夫だなどと楽観していたわけではないが、どうやらまだまだ先は長いらしい。
聖女が世界を救うまで、国への警戒も強めた方が良さそうだ。
そんな不穏な予言を授かった後、事前に用意してくれていた予言の書かれた親書と浄化の杖を授かる。
どうやら巫女は私が全て使者に託すつもりだったのもお見通しだったらしい。
親書の中を検めさせてもらえば、魔王の居場所についての予言と、浄化の杖についてが書かれていた。
これなら使者に軽く説明して預けてしまえば、後は聖女一行がどうにかできるだろう。
有難い事に、私達が霊山を訪れたのも、巫女が予言を伝えるために人を使わせ霊山へ招いた事にしてくれていた。
更に私への餞別だと霊石も授かって、私達は巫女に別れを告げて霊山を後にした。
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