婚約破棄

 それからというもの、私達は各地の隠し迷宮を巡りながら様々な国を楽しみながら巡っていった。

 隠し迷宮の攻略や宝珠の作成と設置という役目こそあるが、それ以外の時間は殆ど観光に費やしていただろう。

 使命の割には随分と自由気ままな旅路だが、それでも付いて来れる者はいないらしい。

 あれから城へ戻った者達の代わりに何人も代わる代わるやって来たが、侍女は道のりの過酷さや道中襲い掛かってくる魔物達に耐えきれず、騎士はヒュースに叩きのめされるか一撃入れる事が叶っても隠し迷宮で邪魔になり、自ら辞して戻っていった。


 聖女一行も注意を払っていた甲斐あって、今のところ出会う事もすれ違う事も無く済んでいる。

 情報によれば特に苦戦した様子も無く、順調に各地を救って回っているらしい。

 その調子で無事に世界を救ってもらいたいものだが、さて、どうなる事やら。



 共に居るのはヒュースとアーリアだけという何とも気楽な旅の最中、宝珠を作り終え、温泉巡りを楽しんでいると、イシース王国から使者がやって来た。

 何でも、王が重要な話があると私に帰還命令を下したという。


 書状を持ってやって来た使者の様子を窺う限り、どうせくだらない権力争い関係の話だろう。

 宝珠を理由に拒否しようかとも思ったが、使者は私を連れて戻るよう命令を受けているという。

 設置し終えるまで待たせても良いけれど、せっかくの観光に余計な者を紛れ込ませたくはない。

 そのため仕方なく了承し、宝珠の設置は後回しにして一度帰国する事にした。



「アーリア、貴女はここに残りなさい」


「え!? 嫌です捨てないでください姫様ぁ!」


「あのね……貴女、最近自分がしている陛下への報告内容を覚えていて?

 もっと詳しくしても良いって言ってるのに、いつも最低限しかしてないじゃない。

 このまま戻ったら陛下からお叱りを受けるわよ」


「あ、そういう事ですか」



 何故『残れ』と告げただけなのに『捨てられる』などと飛躍してしまうのか。

 呆れながら指摘してやれば、アーリアはそういえばそうだったなどと呟きしみじみと頷くだけで、全く意に介していない。


 私への忠誠を露わにしてからというもの、アーリアは王への報告を最低限しかしていない。

 居場所こそ正確に伝えているが、何をしていたかについては『宝珠を作成した』『迷宮を探索した』など、大まかで簡素な内容で終わらせている。

 それだけでなく、報告する前に私へどんな内容にするかも明かしており、私が伝えられると困る内容が無いかの確認までさせてくれている。


 本来であればお叱りどころではないのだが、付いて来れるのが彼女だけの今、ある程度見逃されているのだろう。

 しかし、流石に王城へ戻れば叱責の一つや二つされてしまうのは想像に難くない。



 それに、私達の巡る隠し迷宮は難易度が高く、探索する度に必然と実力が培われていく。

 物語でいう『レベリング』をしている状態のため、アーリアは自覚が無いようだが、今の彼女は最高峰の支援・妨害魔法の使い手と言っても過言ではない。

 そんなアーリアを連れて戻ったとして、その実力を知られてしまったら。

 支援も妨害もこなせる後方支援はどこでも重宝する存在だ。

 アーリアにも聖女達にもその気が無かろうと、王が余計な気を回して聖女一行へと引き抜く可能性は十分にある。それだけはさせてなるものか。


 王にも聖女にも、この二人は渡さないし奪わせない。

 そのため私はアーリアに宝珠に関わる重要な仕事を任せている事にし、ヒュースと共に使者に連れられるままイシース王国へと帰国したのだった。




 王城へ着いてすぐ、ヒュースを伴い王との謁見へと向かう。

 魔法陣を構築している途中だからあまり長居はできないなどと、早く帰るためにそれらしい理由を告げていたからか、王は政務より私達を優先したようだ。

 人目のある謁見の間ではなく、人の限られた執務室で、というのに少し引っ掛かりを覚えたけれど、先ほどから私の機嫌取りをしてくる使者の様子から私にとって良い話ではないのは察している。

 さっさと済ませて温泉巡りの続きをするべく急ぎ足で執務室へと入れば、そこには王だけでなく私の婚約者とその父である公爵、そして聖女が待ち構えていた。


 ──あぁ、なるほど。そういう事か。

 決まりが悪そうにこちらを見ては視線を逸らす婚約者。その後ろで申し訳なさそうにしている聖女。

 公爵はどの態度を取るか選べず無表情を選んでいて、唯一人、王は微笑みを浮かべて私を迎え入れる。



「よく戻った」


「お待たせして申し訳ございません」


「いや、宝珠の設置に苦労していると聞く。大変な時に呼び立ててすまないな」


「いえ」



 当たり障りの無い会話をしている間にも、婚約者や聖女が居心地悪そうにしているが知った事か。

 居心地が悪いと感じるのも、この場の空気も全てお前達の責任だろう。

 どうでも良いからさっさと済ませて欲しい。

 口にはできないが態度で促す事はできるため、ちらと婚約者と聖女を見て困惑した様子を見せてやれば、国王はわざとらしく咳払いをした。



「実はな……お前の婚約者ラクト・モルバートだが、聖女殿と恋仲になったとの事だ。

 そのためこの場を設けさせてもらった」



 やはり、私の婚約者は聖女と結ばれたようだ。

 何も感じないまま視線を向けてやれば、婚約者は聖女と寄り添い合い、申し訳なさそうに私を見つめている。

 物語では魔王を倒すまではそういった関係には進まずにいたけれど、私が【私】ではないように、聖女達にも何か変化が起きているのだろう。

 混ざっている二人の魔力に笑ってしまいそうになるのを必死に堪えていれば、婚約者だった男がゆっくりと私の前へと立った。



「フェリミナ……私との婚約を、破棄してもらえないだろうか」


「えぇ、わかりました」



 私を裏切ったと、罪悪感を感じているようだが私にはどうでも良い事。

 思い出そうとしなければその顔を思い出せない程、遠く霞んでいた婚約者から正式に婚約破棄を申し出られ、私はすぐに頷いてやった。



「では陛下、必要な書類があれば今ここで署名させて頂きます。

 今しばらく宝珠の事で手が離せませんから、その後の処理はお任せしても?」


「……良いのか? 長年婚約を結んでいた仲であろう。何か話などは……」


「良いも何も、ただ政略のための婚約でしたもの。私と彼にそれ以上もそれ以下もありませんわ」



 王からすれば聖女をこの国に結び付ける絶好の機会。

 私を気遣い優しい声色を装っているが、心の中では笑っているだろう王は、容易く私の婚約を抹消すると決めただろう。

 それでも、それなりに交友を重ねていたのを知っているからか、反発が無かった事に皆戸惑っているようだが、どうでも良い。



 えぇ、本当に、どうでも良いのです。何も感じないし、何も思わないのです。

 確かに手紙のやり取りを、時には会って話を、時にはお互いに贈り物をしました。

 けれど本当に、彼が誰の手を取っていようと、もうどうでも良いのです。


 きっと【私】であれば酷く反発していたでしょう。

 貴方達が想像していた通り、泣いて、縋って──いいえ、もしかすればこの場に立った時点で崩れていたかもしれません。

 ですが私には最早情すらなく、ただの他人としか思えないのです。むしろ、私を縛る一つが消えて清々してしまったぐらい。


 【私】にとっては大切だった唯一の存在。でも私にとってはもう、ただ記憶しているだけの存在。

 彼が私を捨てて彼女を選んだように、私もとっくに彼を捨てていたのでしょう。

 だから何もありません。私達には随分前から何も無くなっていたのです。

 貴方達は何も気付いていなかったようですけれど。



「さ、早くしてくださいませ」



 私達を包む冷え切った空気を読み、控えていた執事がすぐさま書類を差し出す。

 婚約破棄について書かれたそれを軽く読み、最後の署名欄に自分の名を書き王へと確認させれば、後は彼等との話し合いになるのだろう。

 王は私に別室で待機するよう告げ、それ以上の会話は無いまま私達は執事に案内されるまま執務室を後にした。



「よろしかったのですか」



 別室で用意された紅茶を飲んでいると、傍で控えていたヒュースが口を開く。

 扉の近くには私が勝手に居なくならないよう見知らぬ侍女も控えているというのに、その声色には明らかな怒りが宿っていて、私の騎士として人目を気にする彼の珍しい行動に小首を傾げた。



「あら、貴方もそんな事言うの?」


「……あれは姫に対する裏切りです。自分としては一発殴っても良いのでは、と」


「ヒュースがどこまで言うなんて本当に珍しいわね。

 そうね、そうしてあげても良いけれど……もう良いのよ」



 当の本人である私は怒りどころか何の感情も湧いていないけれど、私を慕う者からすれば怒りを抱いて当然の事だったようだ。

 人の魔力が混ざり合う。それも特に男女の仲となれば、恐らく既に男女の契りを交わしている。

 裏切りと言われれば確かに裏切りだろう。それも酷い部類の裏切りだろう。

 口付けを許しただけでも混ざり合う事はあるけれど、どちらにせよ、あの男は私という婚約者が居ながら他の女に手を出していたのだ。

 その責任を感じるのも婚約破棄を申し出るのも勝手だが、婚約者がいる身でありながらその清算をする前に手を出すなど、本来なら一発か二発殴られても足りないぐらいだ。


 しかし、裏切りがあったのに気付いているのは恐らく私達だけ。

 魔力の量で測る限り、私達は強くなり過ぎたらしい。

 騎士として魔法より剣を主とするヒュースよりも魔力量が少ない聖女は、自分より魔力が多い者にはそういった事が筒抜けなのだと知らないのだろう。

 だからあんなにも平然と私達の前に姿を見せられたのだ。謝罪の一つも無く、恋仲になった者や何も気付かない王達に守られて、私から奪うために姿を見せた。



 本来ならヒュースのように怒りを露わにする場面だったろう。

 だが、どうでも良い。本当にどうでも良くて、ヒュースが私への理不尽に怒ってくれているのが嬉しいとしか思わない。

 つい笑ってしまいそうになるけれど、侍女が数名見ている中でけらけらと笑ってやる事はできず、静かにお茶を楽しんでいると、公爵との話し合いが終わったのか王がやって来た。



「望みがあれば言いなさい。出来る限り叶えてやろう」



 それは婚約者を奪われた娘に対する慈悲か、それとも何も問題を起こさず引き下がった褒美か。

 王はさも哀れだと言わんばかりの表情を作り、私の前に座ってすぐそう告げる。


 私もずっと婚約を破棄したいと考えていた。

 【私】には必要な縛りだったけれど、私には必要の無い邪魔な縛り。

 聖女が世界を救ってからでも行動を起すかと考えていたが、今回で私から言い出す必要が無くなり、破棄に伴う責任もあちらが背負う形に収まるはず。

 私にとってはむしろ良い話だったのだが、周りから見れば捨てられた可哀そうな女に映るらしい。


 ヒュースは私が情を欠片も抱いておらず、傷ついてすらいないと気付いているのに、父であるこの男は一切気付いていない。

 やはり親子といってもほぼ他人のような距離で在り続けたからか。

 元々娘の【私】を顧みる事も思いやる事も無く、利用価値があるかどうかで判断する人間だ。

 ならばお互い、利用できる事は利用するだけの事。



「では、婚姻の相手は私に決めさせてくださいますか。

 婚約者がいるのにも関わらず、正式な手続きすらせず他の方と通じるような不誠実な方はもう嫌なのです」



 あくまでも傷付いていると見られるように、眉根を下げて悲し気に、力なく微笑みを浮かべる。

 言い方に多少棘はあるだろうが、一方的に捨てられ婚約破棄された側の言葉であればこの程度は妥当だろう。

 そしてこの言葉や表情を、部屋の片隅で聞いている侍女達がどのように受け取ったのかは私の預かり知るところではない。


 王女との婚約を破棄し、聖女と婚約するだろう元婚約者。

 公爵家嫡男であるあの男がどういった経緯で王女との婚約を破棄するに至ったか。

 さぞ気になる事でしょう。私がどうしているかも気になる事でしょう。

 叶うなら、今の言葉を聞いた誰かの口がとても緩く、間違う事無く広めてくれたら良いのだけど、それは望みすぎかしら。


 聖女達は時間を空け、時期を見て婚約し直すだろうけれど、私との婚約を破棄した事実は無くならない。

 客観的に見ても、公爵家嫡男は王女を捨て、聖女を取ったと思うはず。

 少なくとも私が一方的に悪だと決めつけられ、心無い言葉に晒される事は無いだろう。



 そちらはどうとでもなるとして、問題はこの願いが聞き入れられるかどうかだ。

 私には兄である第一王子と弟である第二王子がいるため、王位を継ぐ事はほとんど無いが、第一王女で退魔の力を持つ私ほど優秀な政略結婚の駒は無い。

 王としては最大限国の利益となる相手と婚姻させたいはず。

 公爵との繋がりを強くするために、私が他国へ取られないためにとあの男と婚約させていたように、次の相手も自分が選ぶつもりだったに違いない。


 しかし、王女として退魔の力を各地に広め歩く私によってイシース王国にもたらされた利益は計り知れない。

 今までそれほど国交の無かった国とも、私が退魔の宝珠を設置してくれたからと交流が増えたと聞く。

 そんな私の願いを無下にして、私が国に対して嫌悪を抱き、離れでもすれば王も困るだろう。

 自分が取り決めた婚約を破棄したというのもあってか、体裁を気にする王は哀れな私の要求に頷いた。



「よかろう、婚姻に関してはお前の意見を尊重しよう」


「では、書面にその旨を残してくださいな。口先だけの約束では不安ですもの」


「……わかった。用意させる故、しばし待っておれ」



 口約束だからと反故にされては困ると、契約書を作る事を求めれば、王は僅かに躊躇いを見せたものの頷く。

 書面で残したく無いようだが、いざとなれば無かった事にするつもりだったか。

 どうせ王家に生まれた者なのだから受け入れろ、とでも言うつもりだったのだろう。そうはさせてたまるものか。


 王の用意した契約書の内容を確認しながら、王の一存だけでは破棄できないよう保護の魔法を施す。

 王家の婚姻に関する事だからと、契約書自体は王が持つ事になったが、こちらも証拠として写しを取って残している。

 これすら破棄しようものならいよいよといったところだが、さて、王は今後どうするつもりだろうか。


 何もして来ないのであればそれで良い。もし何かして来ようものなら、こちらとしても考えがある。

 王の野心がどこまで貪欲なのか、見物だなと思いつつ、私は王との契約書に自分の名を記入した。

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