私と侍女

 鍛冶場のある山から近い町へと辿り着いた頃には、もうすっかり日が暮れ始めていた。

 本当はもう少し東にある、葡萄酒が有名な街へ行きたかったのだが、これ以上はお荷物が多すぎて無理だろう。

 仕方なく宿を取ってやれば、疲労困憊の侍女達は私に断りを入れ、すぐさま自分達へと宛がわれた部屋へと入っていった。


 侍女達の面倒を見ていた騎士達もそれなりに疲れたらしい。

 せっかくだから散策に行こうと、ヒュースとアーリアを連れて外出しようとすると、呆れた事にまた同行を申し出て来たが、町から出ないと告げてやればすんなりと引き下がっていった。



 この様子なら、侍女達だけでなく騎士達も同行は難しいと悟ったのだろう。

 ヒュースに一度負かされただけなのでもう少し粘るかと思っていたが、諦めてくれるのが早ければ早い程こちらも楽になる。

 なので、どうでも良い者達が何を話し合っていようと気にも留めず宿を出ようとしたのだが、アーリアは気にしてしまうようだ。

 宿を出る間、何度も侍女達の部屋を振り返っていたかと思えば、アーリアは意を決したように私へと駆け寄った。



「あの、姫様……先輩達はその、良いんでしょうか」



 私は付いて来れない者がどうしようとどうでも良いのだが、同僚であるアーリアはそうはいかないのだろう。

 心配そうに宿の方を気にしているアーリアに対し、私は表情一つ動かさず、ただ淡々と頷いた。



「良いのよ。彼女達にとっても王都に戻った方が幸せでしょうし」


「……もしかしてそれで鍛冶場に?」


「同行を決めたのは彼女達自身よ。でも、そうね。これで良く分かった事でしょう」



 段々深まり始めている夜の気配に紛れるように、明確な言葉は使わず切り捨てる私は、アーリアから見てどう映ったのか。

 怖がらせてしまったか、恐れさせてしまったか。言葉を詰まらせ顔を強張らせる彼女に微笑んで見せる。


 今回の鍛冶場もそうだが、この旅路に付き従おうとしたのは彼女達自身だ。

 いつか【私】を見放すのと同じように、彼女達は同行を選んだけれど無理だった。それだけの事。

 これで離脱を許さず、無理矢理連れ回し続ける方が酷だろう。

 であれば、早い内に切り捨ててやるのがせめてもの慈悲というものだ。



「きっと彼女達はここで終わりでしょう。

 次が派遣されるかまではわからないけれど、しばらくは貴女だけになるでしょうから、しっかり報告するのよ?」


「知って、いたんですか……?」



 まさか監視対象が気付いているとは思っていなかったらしい。

 侍女達が隠して行っていた仕事について言及する私に、アーリアは目を見開き震える声で呟く。



「知っているわ。私に付けられる侍女は全て陛下から私の監視を命じられているのでしょう?

 妙な事をしていないか、誰と交友関係を結んだか、その全てを逐一報告させるために」


「そ、れは、その……」


「誤魔化さなくて良いのよ。そういうものだってわかっているもの」



 警戒されるのを避けるためか、それとも単に気遣っていたのかまでは知らない。

 けれど国の守りの要である私に何かあれば大事だと、王女としての利用価値が無くなっては困ると、幼少期から王が目となる人間を傍に置いていたのは知っている。

 嫌悪こそあれど王族に生まれた以上、そういうものだと理解もできるので、どんな報告をされていようがされていまいがどうでも良い。

 私が気になっているのはアーリアの事だ。



「貴女、ちょっと遠慮しすぎなところがあるんだもの。自分の役目はしっかりなさいね」



 他の侍女とは違い、私の危険な行いを止めるわけでもなく、むしろ協力してくれるアーリア。

 彼女が私に対し、多少なりとも好意を抱いてくれているのはわかっている。

 そんな彼女が私に不都合な内容でもしっかり報告できるのか。それが心配なのだ。


 隠し迷宮にまで付いて来れるのはアーリアだけなので早々無いとは思うが、万が一、王命で引きはがされては困る。

 そのためならば王への報告程度、気にも留めないのだが、板挟みになるアーリアからすればそうはいかないだろう。

 王命を取るか、私を取るか。その選択は【私】に最期まで仕えた侍女が彼女なのか見極める術にもなるだろう。



 ──もし彼女が、迷う事無く王命に従うというのなら、それまでだ。



「わ、たしは」



 不意に、アーリアが私の手を掴む。

 緊張からか、震える声は宿の外から響く喧噪にすら掻き消えてしまいそうな程か細くて、繋がった手を頼りに近くへ引き寄せ、結界で周囲の音を遮断し、その声へと耳を傾けた。



「……三年前、学院へ特待生として迎え入れてもらいました。

 支援魔法と妨害魔法を使えるからって、でも、私よりすごい人は沢山居て……」



 それはきっと、物語では決して語られる事のない、大勢の誰かだった彼女の人生。

 宿の一角というどこにでもあるような道端で語られる誰かの物語だ。



「周りに付いて行くのに必死になっていた時、聖女様が転入してきました。

 そして気付いたら学院でも目立つ人達はみんな聖女様と友人になっていて、ほとんどの生徒が聖女様を慕っていて……でも、私はそんな事はなくて、ただひたすらに遠い存在でした」



 物語において、第一部である学院での日々は世界が破滅の危機に晒されているなどと思えないような、そんな平穏な日々が描かれていた。

 聖女として神に選ばれた主人公はその力の使い方を身に着けるため学院へと編入する。

 そこで仲間となる登場人物達と出会い、絆を深め、成長していく『学園物』と呼ばれる『シナリオ』。

 私という舞台装置を使って用意された聖女のための仮初の平穏の中で、聖女のための物語が繰り広げられていくのだ。


 聖女は誰にも好かれて、誰にも愛される。

 そうなるよう作られた道筋を聖女は歩み、顔も描かれない名も無き人々の一人もそれを見ていたのだろう。

 語られる言葉には劣等感が滲み出ていて、いつになく暗い顔をしているアーリアは冷めきった声で続きを語っていった。



「賑やかで、煌びやかな学院生活を送る聖女様達を遠くから見ながら、私は特待生として優秀であろうとしました。

 優秀でないと特待生ですらいられなくなってしまう。そうなったら学院に居られなくなるって、必死でした。

 でも、全然結果はでなくて、聖女様の周りはいつも楽しそうで……気付けば聖女様の傍に居る事が優秀な証だと言われるようになっていたんです」



 世界の中心となって誰かも愛されるように、神に選ばれた存在。

 物語の主人公として歩む聖女の周りはさぞ賑やかで華やかだったろう。輝いていただろう。

 そうして彼女が作った光はどれだけの人を影へと追いやった事か。そしてアーリアもその一人だったのだ。



「友人になれなくとも、聖女様は近くにいる人全てに手を差し伸べていました。

 名前しか知らない人でも、名前も知らない人でも、誰であろうと困っていると思えば助けようとするんです」



 隣人を愛し、隣人を助け、隣人の幸福を祈る。それはまさしくそれは救世主の在り方だろう。

 誰かの悩みを、学院で起きた事件を、様々な問題を解決する。

 聖女のための物語は、聖女へ好意を集めるようにできていて、そのための道筋とそのための障害だ。


 きっと困っているのだと言われれば、誰であろうと助けたのでしょう。

 大した問題でなくとも、聖女が助けてくれるのならば、漏れなく周囲の人間も関わってくる。

 聖女の周りには由緒正しき家柄の者が大勢いた事でしょう。私の婚約者のように、貴族が大勢集まっていたでしょう。



 本人からすれば全て自分の意思で望んだ事だろうけれど、私にはそう在るように作られていると感じてしまうほど、完璧すぎる善人。

 それが聖女という存在で、その在り方を利用する者はどこにでも存在している。



「聖女様を利用しようとする人は大勢いました。

 私も、聖女様の傍に行けばどうにかなるのかなって思った事がありました。

 でもそんな時、姫様を見たんです」


「私を?」



 いずれ世界を救う聖女と繋がりたい。あわよくば力ある貴族と繋がりたい。

 苦しみから逃れたいと近付く者もいれば、そんな野心を抱いて近付く者は大勢いたでしょう。アーリアも、その内の一人になりかけていたのでしょう。

 それを踏み止まらせた要因が私だったようだけれど、当時私は結界の維持のために学院に通う事すら許されていなかった。

 王族として数回程足を踏み入れた事はあれど、生まれた頃から王によって周囲との接触を制限されていた私は、生徒と会う事はおろかすれ違う事も無かったはず。

 それなのにアーリアは一体どこで私を見たというのか。見当がつかず首を傾げると、アーリアは私の手を握りしめ、願うように告げた。



「覚えておいででしょうか。姫様が、婚約者様のパートナーとして舞踏会に出られた時の事です」


「……あぁ、そうね、そんな事もあったわね」



 記憶を掘り出してみれば、そんな事もあったような気がする。

 秋の収穫祭に合わせて行われる学院の恒例行事だったか。

 学院での催しとはいえ多くの貴族が参加するパーティーだからと、婚約者からパートナーとして誘いを受けて参加した覚えがある。


 確かあの時は新たな結界魔法で負担が減ったばかりの頃で、退魔の力を放ち続けねばならず、一曲踊ったかどうかといった程度だったろう。

 言われてようやく思い出すような、ほんの僅かな記憶しか残っていない出来事。

 確かにその時ならばアーリアが私を見たとしてもおかしくないけれど、特別記憶に残るような事は無かっただろう。

 そのパーティーで何を見たのか。自分の事なのに思い出せない私に変わり、アーリアは悲痛な面持ちで語りだす。



「あの時、王は祝辞の最後に聖女様を称えて、姫様には更なる努力をするよう告げました。

 努力なんて、姫様は退魔の力でずっと私達を守ってくれていたんです。

 姫様のおかげで王都周辺には魔物がほとんど現れなくて、私達は安心して学業に励む事ができました。

 それなのに更なる努力って、何をしろと言っているんだろうって思いました。

 何で聖女様が称えられて、姫様に感謝の言葉一つ無いんだろうって思ったんです」



 そんな事も、あっただろうか。

 あまり覚えていないけれど、あの王ならそれぐらい普通にするだろう。

 聖女は新たに現れた希望で、私は在って当然になった古い守り。

 聖女を煽てるために比較対象として私を公衆の面前で下げて落としていてもおかしくない。


 特に結界魔法を新たにしたあの頃ならば、王は更に守りを強化するよう期待しているとでも言ったか。

 私にとっては良くある事だからきっと私は聞き流していたのだろう。

 けれどアーリアにとっては看過できない失言だったようだ。



「王の言葉も、皆が同意するような空気も、姫様に突き立てられる冷たさも、全部が怖かった。

 それなのに姫様は、ずっと真っすぐ立っておられた。聖女様が現れようと変わらずに、私達を守り続けてくださった。

 王都全体を覆う結界を常時保ち続けるだけでなく、退魔の力を周囲に放ち続けるなんて無茶をし続けていた。

 周りが聖女に募ろうとも変わらずに、姫様に対する心無い言葉が広まっても変わらずに、ずっと、ずっと……!」


「……そうね、それが私に与えられた役目で責務だったもの。

 誰に認められなかったとしても関係ないわ。力を持った者に課せられる当然の責任。それが私の場合国を守る事だっただけなのよ」


「当然なわけないです!

 特別な力を持っているからといって一人の人間に国を守らせ続けるどころか、それを無下にするのなんて当然なわけがないんです……!

 それなのに、そんな無茶を叶えているのに、姫様の努力は全て無かったようにされていて、それなのに姫様は私達を守り続けてくれていた……!

 だから……少しでも姫様の助けになれたらと、私は姫付きの侍女に願い出たんです……!」



 課せられた責務を果たしていただけだった。

 けれどそれが私の侍女を見出すきっかけとなっていたのか。

 縋るように話すアーリアはどこまでも必死で、私の助けになりたいという言葉に偽りは無かった。



「幸い、陛下は姫様の護衛もできる侍女を求めておられました。

 元々その任に当たる予定だった方が聖女一行へ同行する事になって枠が空いてしまったからと、希望者を募っていると聞いて飛びついたんです。

 貴族出身の女子で護衛ができる者となるとそう多くなく……私は貴族としては末席も末席ですが、特待生としての特権も使って姫様の侍女になれました」



 幾ら学院で優秀な成績を収めていようとも、王族付きの侍女という地位はそう簡単には付けない物。

 侍女の素性を知らせないためか、私には一切そういった情報は入って来ないけれど、貴族の血筋に基本的な礼儀作法だけでなく、その時々で必要な条件が変わると聞く。

 正直言ってアーリアは侍女として見る限り最低限も最低限で、本来なら王族付きの侍女になれるような技術を身に着けていない。


 それでもアーリアが侍女になれたのは、間接的に聖女が関わっていたようだ。

 聖女が優先された結果、アーリアが私の傍に来てくれた。



「姫様のおっしゃる通り、陛下から姫様の行動を監視し、報告するよう命を受けてはいます。

 ですが私が仕えたい主は姫様唯一人です! そんな命令、従いません!」



 この宣言は、王命に背いてでも私に仕えたいという願いの現れだ。

 アーリアの覚悟を聞いて、私は聖女に対して初めて感謝の気持ちが溢れる。



「不相応な願いだとわかっています。陛下より遣わされた私なんか信じられないとも思います。

 それでも、お傍にいさせてください。お供させてください。

 私達を守り、育んでくれた貴女に恩を返したいんです……!」


「──だったら、これからも付いて来て頂戴ね」



 思いは聞いた。願いも聞いた。これ以上見極めは必要無い。

 彼女は間違いなく、【私】に付いて来てくれた侍女だったのでしょう。

 最期の時まで【私】に従い、【私】を支えてくれた唯二人の内の一人だったのでしょう。


 ずっと疑問だった。何故アーリアは私の侍女になったのか。【私】の侍女は何を望んで【私】の傍に居続けたのか。

 例え【私】がその存在をまともに認知していなくとも、聖女ではなく【私】を支え、助けたいと願ってくれた人。

 求めるのではなく、返す事を選んでくれた人。例え死が待っていようとも、恩を返したい。ただそれだけの願いを抱いて【私】に付き従った人。それが【私】の侍女だった。



 それだけわかれば、もう良い。貴女が私を想い続けてくれるのなら、それで良い。

 私の行いに恩を感じ、【私】に殉じた結末のように、私にどこまでも付いて来てくれるというのならそれで良い。


 繋がっている手を離さないよう、精一杯握り返し微笑む。

 あぁ、ようやく、ようやく手に入れた。ずっと傍に居たけれど、やっと彼女は私の侍女になった。

 こうしてようやく確証を得られた侍女の存在に、私の心はどこか晴れやかになっていったのだった。

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