粗末な企み

 自室に戻れば普段通り侍女達が出迎えるが、その中にアーリアの姿が無い。

 聞けばお茶を淹れているとの事だったが、なるほどそう来たか。


 いつもなら私に飲ませる物だからと、侍女達の中で一番お茶を淹れるのが上手いという金髪の侍女が淹れていたはず。

 本人もその自負があるらしく誰にもその役目を譲ろうとしなかったというのに、今日に限ってアーリアに任せるなどそういう事だろう。


 姫付きになって数日の騎士ではこの異変に気付けるはずもない。

 そして以前の私であれば、疲労で頭が回らず周りを疑う余裕も無く、何があろうと彼女達に任せていただろう。

 もう城から出られない王女は居ない。王城を離れて迷宮の調査までしていたというのに、以前とは違うのだと思いもしないのか。

 何かの割れる音と共に始まった侍女達の茶番を、呆れを抱きながら静かに見つめた。



「も、申し訳ございません……!」


「まぁ! 姫のお気に入りのティーカップが……!! もう二度と手に入らない一品なのですよ!?」



 アーリアの手元にあったのだろうティーカップの残骸が床に散らばり、湯気を立てている紅茶が絨毯へと染みを作っていく。

 お気に入りといえばお気に入りだったのだろう。

 あれは昔、私を気遣ってくれていた侍女が好んでいたティーカップだ。


 特別な物だからでも高価な物だからでもなく、彼女の好きな花が描かれていた白いティーカップ。

 あれを見る度に彼女は嬉しそうにしていて、私もそんな彼女を見て嬉しかった。ただそれだけの事。

 些細な思い出が蘇るからと、他の物に比べて少し大切にしていただけだったのだが、周りからはお気に入りのティーカップだと思われていたのだろう。

 不注意でぶつけて割ったのだろうと、どうするつもりだと責め立てる侍女達を無視し、私はアーリアの元へと近寄った。



「ひ、姫様……」


「大丈夫? 怪我は?」



 自分も紅茶を被ってしまって濡れているというのに、膝をついてボロボロと涙をこぼすアーリアの手を取る。

 割れた衝撃で破片が散った際に傷ついたのか、指から血が出ているのを見て、すぐに回復魔法を施した。


 あぁ、それにしても本当に割れてしまっているのね。

 こうなるよう仕向けた者は、私がいつものように侍女達に任せるか、あわよくば私もアーリアを責める事を望んでいたのだろう。

 くだらない企みなど気にせずアーリアの手当てをし、割れた花を一欠片手に取った私に侍女が声を上げた。



「姫様いけません! 怪我をしてしまいます!」


「あら、破片で怪我をしたのはこの子よ」



 頭に響く甲高い声で叫ばれ、思わず顔を顰めてしまったからだろう。

 叫んだ侍女が私の気分を損ねたと顔を強張らせていたが、あの侍女がどう思おうとどうでも良い。

 紅茶の雫が伝っていく欠片を指で一撫でし、ヒュースへと目配せすれば、何を言うまでも無く私の鞄を持って来てくれた。



「ひめさま……もうしわけ、ございません……! ほんとうに、もうし、わけ……!」


「大丈夫よ、すぐに直るわ」


「直る……?」



 しゃっくりを上げながら謝罪を繰り返すアーリアに対し、柔らかい声を意識して声を掛けてやると後ろから怪訝そうな声が聞こえてくる。

 修復なんてできないとでも思っているのだろうが、どうでも良い相手の疑問に答えてやる気にはなれないので、無視して鞄から目当ての魔道具を取り出す。

 物語で知っていたものの実際に使うのは今回が初めてだが、どのように発動するのだろうか。

 深い緑色の呼び鈴のようなそれを床に散らばる破片へと近付けて、魔力を込めながら軽く振ってやれば、軽やかな音と共に光の粒子が溢れ出した。


 絨毯に隠れてしまった小さな欠片一つも残さぬように降り注ぐ光の粒子。

 私の手の中にあった欠片も光に包まれると、淡く輝く欠片達は繰り返される鈴の音に合わせて独りでに浮かび上がって一か所に集まっていく。

 ちりん、ちりんと鈴を鳴らし続けること少し、光が収まった頃には元通りになったティーカップが現れた。



「はい、直ったわ」


「ほ、ほんとだ……! 綺麗に直ってます……!!」


「う、嘘……」



 嘘も何も、目の前で起きた事だというのに何を見ていたのか。

 驚き喜ぶアーリアとは反対に、直ってしまっては都合が悪いと言わんばかりの反応に、アーリアの手に収まるティーカップへと視線を落とす。

 見れば薄くヒビが入っているようで、そういう仕組みかと納得がいった。



「あら、でもこれ、随分ヒビが入っていたのね。

 この魔道具は壊れた物を修復できる魔道具なのだけど、五分以内に壊れた物でなければ効果が無いの。

 きっと以前からヒビが入っていて、お茶を淹れた時の衝撃で割れてしまったのね」


「え? でも、私が見た時、こんなヒビは……?」



 アーリアが不思議に思うのも無理はない。

 薄くといっても全体的にヒビが入っており、お茶を淹れようと手に取ればすぐにわかるはず。

 それなのにわからなかったという事は、何か細工がされていたのだろう。

 どんな細工をしていたのか気になってティーカップを見ていると、後ろで控えていたヒュースがそっと近付いて来た。



「姫、失礼ながら」


「失礼とか考えなくて良いわよ。それで、なに?」


「この部分ですが、何かが塗装されていたようです。侍女殿がヒビを見つけられなかったのはそのためかと」


「本当だわ、少しだけど白い物が付いているわね……何かしらこれ」


「そこまでは……鑑定に出せばわかるかと思いますが」



 ヒュースもある程度わかっていてその単語を出したのだろう。

 鑑定、という言葉に視界の端で二人の侍女が肩を揺らすのを横目に肩をすくめた。



「もう良いわ。ヒビが入ってしまったのは事実だもの。

 修理すれば使えるでしょうけれど……貴女、片付けておいて。アーリアはもう一度お茶を淹れ直してくれるかしら」


「わ、わかりました!」



 ヒュースの提案通り、鑑定すれば全て明るみに出るだろう。

 そうなれば事は更に大きくなるのだが、そうなると私も犯人捜しに協力しなければならなくなる。

 誰が関わっているかなどわかりきっているというのに、そんな事に時間を取られて王城を離れるのが遅くなるのは面倒だ。


 理不尽に責め立てられたアーリアは可哀そうだが、どうせ彼女達は後で切り捨てられるのだ。

 とはいえ、また同じような事があればそれこそ面倒というもの。

 お茶を淹れ直すために部屋を退室したアーリアを見送り、言及されなかった事に安堵しているだろう侍女達へ一言告げておいた。



「ねぇ貴女達」



 割れていた花柄のティーカップを片付けようとしていた侍女も、何事も無かったかのように定位置に戻ろうとした侍女も、まだ顔を強張らせたままの侍女も、自覚のある誰もが動きを止める。

 手を出すのなら失敗した時の事も考えておけば良かったのに、これだけ人数が居れば隠し通せるとでも思っていたのか。



「あまり悪戯してはダメよ。わかるでしょう?」



 ここで頷けば自分がやったと認めたようなものだから、そうするしかないのだろう。

 次は無いと言外に告げてやれば、侍女達は小さく息を呑み押し黙る。

 それにしても、私の周りに居るのはこんな者ばかりだったとは、姫付き侍女を選定した王の見る目を疑うというものだ。

 誰に対する呆れか、吐きたくもない溜息が零れていった。




 いつまでも残り続ける冷え切った空気を無視し、アーリアの淹れ直した渋いお茶を飲む。

 自分達の行いが原因だというのに、勝手に重苦しい空気にしないで欲しいのものだ。

 状況を理解できていないか、あまりの空気の悪さにアーリアが困惑しているのを横目に、金の縁で飾られたティーカップをソーサーへと戻した。



「そうそう、貴女達にも関係のある大切な話があるの」



 小さく手を合わせ、たった今思い出したように切り出す。

 重苦しい空気が変わるかもしれないと期待したのか、侍女達が少しほっとした様子を見せていたが、残念ながら彼女達にとっては嫌な知らせだろう。

 だから私にとっては心から嬉しい王命について、誇らしい笑顔を作って告げてやった。



「先ほど、陛下から各地へ退魔の宝珠を設置するよう王命が下ったの。

 準備が出来次第出立するつもりだから、貴女達も準備しておいてね」


「……姫様が直接赴かれるのですか?」


「えぇ、宝珠を作るための素材集めから設置まで、全て私が居ないと難しいから。

 隠された迷宮も探さないといけないでしょうから、ヒュースとアーリアには特に頑張ってもらわないとね」


「お任せください」


「が、頑張ります!」



 事前に宝珠について知っていたヒュースはそう言うだろうと思っていたが、アーリアもすぐに頷くとは。

 隠し迷宮の魔物が異様なのは既に知っているはず。

 それでも迷う素振りも嫌がる素振りも見せずに了承してくれるとは、やはり最後まで【私】と共に居てくれたのは彼女なのだろうか。

 今から気を張っているのか力んでいる侍女に頬が緩みそうになるけれど、他の者は違うらしい。

 アーリアとは対照的に、理解しきれないのか困惑しているだけの侍女達にもわかるよう、今後の予定を教えてやる事にした。



「まずはそうね……東の国へ向かいましょうか。

 他国も宝珠の力は役に立つでしょうし、東には腕利きの鍛冶師がいると聞くわ。そこで装備を整えましょう」



 今のままでも難なく魔物を倒せているのだから、鍛冶師の元を訪ねなくとも隠し迷宮を攻略できるとは思うが、装備が整えばもっと楽になるだろう。

 一番負担のかかるヒュースも多少は楽になるはず。忠義を尽くしてくれる者は大切にしなければ。



「そこからは、そのまま諸国を旅するように巡りましょうか。

 退魔の宝珠があれば各国も動きやすくなるでしょうし、そうすれば聖女一行の魔王討伐も早まるかもしれないもの」


「お、王女殿下、恐れながら私達も同行するのでしょうか……?」


「姫付きの侍女だもの、違うというの?」



 先ほどの事があったからだろう。いつもならこんな風に脅えたりせずに進言してくるというのに、恐る恐る質問してきた侍女にいつも通り微笑んでやる。

 そんな態度をされると、まるで私が怒っているようで気分が悪いが、問題を起こしたばかりと思えば仕方のない事なのだろう。

 だが、そんな当たり前の事を質問をしてくるなんて、呆れて笑うしかなくなってしまう。


 彼女達は元々退魔の力を維持するために王城から離れられない姫へと付けられた者達だ。

 他国への訪問は勿論、諸国を巡るなどできないと誰もが思っていたのだろうが、付き人であれば共に行くのが当然というもの。

 しかし彼女達にとって国を離れるのは都合が悪いらしく、戸惑いを露わにしている彼女達へ選択肢を与えてやる事にした。



「でも、そうよね。場所によっては危険が伴うでしょうし、野宿だってあり得るでしょう。

 嫌ならここに残っても良いけれど……主の居ないこの一室で何をしてもらえば良いのか、私にもわからないわ。

 かといって姫付きの侍女を他の場所に宛がうなんて聞いた事が無いし……どうしましょう?」



 王族に付けられた侍女は他の者と違い、王、もしくは主となる者が直接選んだ者達だ。

 だが主より自分の身の安全を優先し、主から離れるような者を付けていたとなれば、その者を選んだ王は見る目が無いと思われてしまう。

 それを彼女達も重々わかっているはず。それでもここに残ると言うようなら、体裁を気にする王はどんな手を使っても自分から職を辞するよう促すだろう。


 王族付きというのは侍女の中でも最上位の地位だ。

 それなのに自ら辞めたとなれば、周りは何故辞めたのかとても気になるだろう。

 根掘り葉掘り聞かれるか、在りもしない噂を立てられるか。どちらにせよ王城には居辛くなるのは目に見えている。



 そもそもここで残るような者であれば、いずれ【私】を見捨てるに違いない。

 そんな者達ならば、ここで自ら離れて行ってくれた方がお互いのためでしょう。

 さて、誰がどこまで持つのかしら。誰も「残りたい」と言い出さず、ただ沈黙が支配する中、私は黙って冷めた紅茶を口にしていた。

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