『ボス』

 道中の魔物を軽々と屠るヒュースと、私の記憶によって意味をなさない罠や迷路。

 ここが隠し迷宮なのだと忘れてしまいそうなほど順調に進んでいき、広い空間に出かけたところで強大な魔力を感じ取り二人で立ち止まる。



「姫、引き返す事もできますが……」



 退魔の力が強い反応を示す先、赤黒い魔力を纏って宙に浮かんでいる剣を睨みつけたまま静かに問うヒュース。

 この先は迷宮の番人、『ボス』と呼ばれる存在との戦いの場。

 物語ならここで引き返し、『レベリング』という訓練をする事もあるそうだが、私達には必要無い。



「行きましょう」


「……無理はなさらずにお願い致します」


「大丈夫よ、貴方が守ってくれるでしょう?」



 ここまでかすり傷すら負っていないのに、慢心せず釘を刺してくる騎士に微笑みかける。

 未知の空間にヒュースが警戒するのもわかるけれど、彼がいるのなら大丈夫だろう。

 その背中を数時間しか見ていないというのに、既に誰よりも信頼を寄せているのを自覚しながら、私はヒュースを連れて奥へと足を進めた。



 広間の中心に近付くにつれて気配が強まっていくのを感じるけれど、魔物は現れず、ただ剣が浮かんでいる。

 この剣は神が施した封印とされていて、物語では聖女が剣を調べようとした途端、『イベント』が始まりそのまま『ボス』が現れていた。

 封印されている魔物が聖女の浄化の力に反応したのだとすれば、退魔の力を持つ私が近付けば反応するのだろうか。

 試しに近付いてみれば、予想通り赤黒い魔力が拒絶するように急激に膨れ上がって、距離を取ろうとする前に、腰へ腕が回り後方へと引き下がらせられた。



「ご無事ですか」


「え、えぇ……ちょっとびっくりしたけれど、大丈夫」



 どうなるかわかっていたので自分でも距離を取れたが、人に引っ張られるどころか抱き寄せられるなんて想定していなかった。

 そのため少し驚いてしまったが、ヒュースは私のために動いてくれたのだ。文句は言えない。

 けれど、誰かに腰を抱かれるなんて初めてで、動揺してしまうのも仕方ないでしょう。


 トクトクと珍しく鼓動が速まっているのを感じ、意識して呼吸を整える。

 とにかく今は目の前の事だ。そう言い聞かせて頭を切り替え、前を見据えた。




 膨れ上がった赤黒い魔力の中、何かが蠢く影が見える。

 影が山のような巨体を形作ったかと思えば、翼を生やし、大きく羽ばたき暴風を巻き起こす。

 人など軽く踏みつぶせるような手が伸び、その巨躯を物語るように地面を割り、長い尾が轟音を鳴らす。


 遠い昔、神によって封じられた魔物。各地に隠された迷宮に潜む魔の一つ。

 全身を漆黒の鱗で覆われたドラゴンが咆哮と共に私達の前に立ち塞がった。





 支援魔法によって速さの増したヒュースは、目にも止まらぬ速度で次々と斬撃を繰り出していく。

 自慢の鱗が貫かれ、片翼を切り落とされて地を這うしかなくなったドラゴンは怒りを露わに衝撃を伴う咆哮を放つ。

 魔力が宿ったそれは追撃しようとしていたヒュースを弾き、体勢を崩したヒュースをドラゴンは睨みつける。

 その腹部が膨れ上がるのと同時、ヒュースの傍へと踊り出て結界を展開すれば、轟音と炎が襲い掛かってきた。



「申し訳ありません」


「あら、こういう時はありがとうと言って欲しいわ」



 私の手を煩わせたと一言謝罪が飛んでくるが、たかが大きなトカゲの炎程度、どうという事は無い。

 だが、支援魔法と結界に手を割かれて私も攻撃する余裕が無い。

 せめてどちらか放棄できれば良いのだが、流石は隠し迷宮の『ボス』。

 支援魔法が無ければ鱗に弾かれ攻撃が一切通らず、回避不可の全体攻撃が飛んでくるためその都度結界を使わなければならない。


 とはいえ倒せないわけではなく、ドラゴンは着実に死へ近付いているのは明らかだ。

 このまま攻撃を全てヒュースに任せて支援に徹していても倒せるだろうが、あまり時間を掛けると村で待機させている侍女達が『王女が戻って来ない』と騒ぎ出しかねない。

 既に迷宮を進むのに相当時間を使っており、騒がれると後が面倒なので、少々勿体ない気持ちもあるがさっさと片付けるとしよう。



「ヒュース、私がドラゴンの動きを止めるから、仕留めてくれる?」


「わかりました」



 王城に引きこもっていただけの小娘に何ができるかなどと思わないのだろうか。

 多少は反発されると思っていたのにすぐに頷かれてつい笑ってしまう。

 理由までは知らなくとも、出会う前からヒュースが私に忠誠を捧げてくれているのは知っていたが、まさかここまでとは。

 本当に、動きやすくて助かるわね、なんて一人呟いて、私は腰に下げていたポーチの中身を握り、ドラゴンへと投げ捨てた。



 数多の白銀の小さな玉が飛び散り、部屋中に転がっていく。

 同時に退魔の力を最大限引き出して解放すれば、散らばった玉が共鳴するように輝き出した。


 投げた玉は全て私が作り出した退魔の力を宿す宝珠だ。

 一つ一つの効力は弱くとも何十もの宝珠が同時に発動し、更に私自身が放つ退魔の力と合われば、一瞬だが浄化の力にも迫る効果を発揮するはず。

 私の計算は正しかったようで、ドラゴンは爆発的に広がった退魔の力に身動きが取れなくなったようだ。

 無防備に曝け出されたドラゴンの首へ向け、ヒュースの鋭い一閃が放たれる。



 ごとり、音の無くなった空間にドラゴンの首が堕ちる。

 頭を失った巨体は力無く崩れ落ちていって、噴き出した血が降り注いだ。



「ご苦労様ヒュース。ドラゴンなんて初めて見たけれど、中々手強いのね」


「……まずはこちらへ。お召し物が汚れてしまいます」


「あら、本当だわ。ありがとう」



 気付けば噴き出した血から庇うように立ってくれていたヒュースにお礼を言って、後ろへと下がる。

 まだ心臓が動いているのか断面から赤い血が激しく噴き出しているけれど、その内止まるだろう。

 血の独特な臭いが漂い始め、魔法で風を起こして臭いを吹き散らしつつ、ヒュースへと指示を出す。



「心臓の辺りにドラゴンの宝珠があるはずだわ。まずはそれを最優先に取って頂戴。

 あとは使えそうな素材があればどんどん詰め込んでいって」


「では、しばしお待ちを」



 道中の魔物の素材も放り込んでいる鞄をヒュースに渡し、山のような巨体のドラゴンの死体へと近寄っていくヒュースを遠くから見守る。

 あの鞄は中が異空間になっていて、どれだけ入れても溢れないという神代の魔道具だ。

 以前結界魔法を改良する際、忘れ去られた宝物庫で見つけて勝手に貰い受けていたのだが、ここまで使い勝手が良いとは。


 物語でも宝物庫で聖女が入手していたのでどんな物かは知っていたが、私が知っているのは『ゲーム』の『システム』での表現でのみだった。

 『ステータス画面』で『アイテム』を選択し、整列された表記の中から必要な物を選ぶ事も捨てる事もできる『システム』。

 最初は『アイテム』を持てる量に上限があるけれど、あの鞄を見つけた後は上限が無くなるのだったか。

 実際にどんな風に使うかは全くの未知数だった上に、埃を被っていたから本当に使えるのか心配していたが、聖女も使えていたのだから当然か。


 取り出す際も、必要な物を考えながら探せばすぐに見つかるようになっているという便利な代物だ。

 異空間の広さは所有者の魔力量によって変化するようなので満足に使える者は限られるものの、こんな良い物を宝物庫に放り込んだ当時の王家は見る目が無かったのだろうか。

 それとも私の魔力が桁違いに多いから使えているだけか。何にせよ見つけた者にとって都合が良い『アイテム』には間違いない。



 本来なら聖女が手に入れる『アイテム』なのでしょう。

 彼女が世界を救うのを楽にするために用意された道具なのでしょう。

 けれどこれは王家の宝物庫に在った物、であれば王家の人間が使っても構わないでしょう。


 『一週目』の聖女では辿り着けない隠し迷宮。

 聖女のためだけに用意された、聖女を楽しませるためだけの舞台。

 その聖女が見つける事すらできないのだから、見つけた私が利用しても構わないでしょう。

 聖女一行の誰でもなく、私の騎士がドラゴンから宝珠を手に入れたのを見て、私は一人笑みを浮かべた。

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