第14話 カナエ

 異世界アルデウムでの記憶が蘇り始めたのは、まだ幼い頃のことだった。


 カナエが5歳になった頃、毎夜、少しずつ夢を見た。不思議な夢がお気に入りだったが、それが前世なのだとは初めは思っていなかった。大人の女性が視点であることや、モンスターが出てくること、祈りで傷を癒したりするようなファンタジーの世界が、現実に起こったことだとは、思えなかったからだ。


 連続して夢の続きを見ることもあったし、同じ夢を何度か繰り返し見たこともある。順番はちぐはぐで、前世のカナエが死んだ瞬間の夢もあった。けれど、異世界召喚をされる前の夢はほとんどなく、アルデウムでの夢ばかりだった。その中でも、頻繁に登場する金髪の王子様が、カナエのお気に入りだった。


 口調こそぶっきらぼうだが、ミヒャエルという王子様は、とてもカナエに優しかったし、何より顔が良かった。幼いカナエが憧れたのも無理はない。


 夢はとぎれとぎれで、ところどころ聞き取れないところもあった。一番顕著に音が途切れていたのは、誰かがカナエの名前を呼ぶ時だ。だから、彼女はずっと、その夢がカナエの前世なのだとは気づけなかった。


 夢がカナエの前世だと気づいたのは、16歳の誕生日の前日、夢の中で鏡を見るシーンが出てきた時のことである。


 夢の中の鏡に映った彼女の姿は、驚くくらいにカナエに瓜二つだった。そして、部屋の扉を開けて入ってきたミヒャエル王子は、夢の中の彼女を『カナエ』と呼んだのだ。


 カナエはその事実を、夢と現実を混同しているのだろうと思った。幼い頃から見ている夢だから、いつの間にか自分と擦り替えたのだろうと。


 けれどそうではないことに、誕生日プレゼントを貰った瞬間に気づいた。


「誕生日おめでとう、カナエ」


 親が渡してくれたプレゼントのラッピングに、奇妙に見覚えがあるような気がした。そうは言っても、ラッピングなんてみんな似たり寄ったりで、同じものなんてごまんとある。違和感を無視してカナエがそれを開くと、出てきたのは鞄だった。


 その鞄は、皮を淡い青に染めた生地で出来たもので、バックルの飾りがお気に入り、何年も大事に使っていたものだ。


 鞄を見た瞬間に、『使っていた記憶』を思い出して、カナエは驚いた。


 初めて見る鞄の筈なのに、確かに大事に使っていた記憶がある。そして、見るのは初めてではなかった。それは、子供の頃から見る夢の中で、よく使っていた鞄と同じものだったのだ。


 そのことに気づいた瞬間、それまで細切れだった前世の記憶が、急に蘇った。夢としてではなく、記憶が一気に頭の中に溢れたのである。相変わらずとぎれとぎれではあったものの、思い出された記憶から夢の内容が、カナエの前世であり、これからなのだということに気づかされた。


 カナエの前世は、カナエ自身だった。


 彼女はカナエとして異世界アルデウムに渡り、そこで死に、カナエに生まれなおしたのだ。


 急に様子のおかしくなった彼女を両親は心配したが、カナエは何でもないとだけ告げて、前世のことは隠した。


 それからは、前世の記憶と同じシーンに遭遇することもあった。


 そして次々と記憶と重なる出来事が起きるたびに、前世の記憶なのか、未来の出来事なのか、判らなくなっていった。


 そして、彼女の中には、楽しみと気がかりが渦巻く。


 記憶と同じ出来事が起きるのは、戸惑いもあったが、面白さの方が勝っていた。これは彼女の性格が元々明るいからだろう。それに、もしアルデウムに召喚されたら、幼い頃からの憧れだったミヒャエルに会えるのだ。夢の中の住人だから憧れで終わっていたが、実際に会えるとなれば話は別だ。しかも、彼は記憶の中でカナエにプロポーズまでしている。


 俄然、彼に会えるのが楽しみだった。


 気がかりは、アルデウムへの召喚そのものだ。


 まず、アルデウムへ聖女として召喚されたら、間違いなく日本へは戻ってこれない。親しんだ日本と離れるのは、やはり怖かった。


 それに、行けば死ぬと判っている。愛する人と結ばれても、魔王に殺されるのだ。怖くない訳がなかった。


 だからといって、カナエの行動で召喚が避けられるわけでもない。


 それゆえ彼女は、楽観視することに決めた。


 生きていることを楽しもうと。


 ミヒャエルに出会うであろう未来は、カナエにとっては何度も夢見た親しい人だが、ミヒャエルにとっては初対面だ。最初はどんな言葉をかけようか、どうやって自己紹介しようか、何度も何度も考えた。


 そうしてカナエはいつしか女子大生になり、ある朝玄関から出る直前に、アルデウムへと召喚された。


 召喚された瞬間は、将来に死ぬかもしれない世界にやってきてしまった恐怖よりも、本当にミヒャエルに出会える世界に来た喜びの方が勝っていたのは、彼女の明るさゆえだろう。


「やったー!」


 そう叫んでガッツポーズを取った彼女に対して、周囲の人間は異様な女を招いてしまったと思ったに違いない。


 アルデウムへと召喚された後、カナエはほとんど記憶の通りの旅を続けた。けれど、決定的に違うことがあった。


 ミヒャエルの口調や物腰が、おかしいのだ。


 正確には、記憶の中のミヒャエルはカナエをからかったり、ぶっきらぼうな口調で接してきたりしていた。けれど、二度目のアルデウムの世界でのミヒャエルは、品行方正で甘く優しく物腰の柔らかな王子様だった。


 乙女ゲームごっこどころではなく、ずっと乙女ゲームのヒーローのような物腰なのだ。


 記憶との違いに戸惑いはしたが、ミヒャエルが好きなことには変わりなかった。


 予想外だったのは、ミヒャエルの怪我が、とても恐ろしかったことだ。カナエをモンスターから庇って、大けがをした時は、彼女の頭は真っ白になった。


 血まみれになって倒れ伏す姿は、魔王の触手に貫かれた彼の姿と重なって見えて、恐ろしかったのだ。死なせたくないという思いが、聖女の力を更に覚醒させたが、そんなことはカナエにとってどうでも良かった。ただただ、この先ミヒャエルが致命傷を負うかもしれないことが怖かったし、自分のために彼が傷つくのが嫌だった。


 それからも旅は続き、プロポーズを受け、死亡フラグが立ったことを悟ったカナエは絶望した。死にたくなかったし、誰も死なせたくなかったから、戦いの最中は常に懸命に祈った。


 そうして進む旅の中で、一番最後に、また記憶と違う所が出てきた。


 魔王はあっけなく討伐することができたのだ。


「うそ……」


「カナエ、ありがとう」


 魔王を倒せたのに自分が生きている事実を確認して呆然としていると、ミヒャエルが抱きしめてくれた。その瞬間に頭がぼんやりとして、次の時にはいつの間にかカナエは婚礼衣装を身に着けて王城の広間前に立っている。思い出そうとすれば、王城に帰るまでの旅路も、婚礼衣装へ着替えている間の記憶もある。けれど、うすぼんやりとしていて遠く、まるで一瞬で場面が移動したかのような錯覚に陥る。


 実のところ、そういうことは、アルデウムに召喚されてから今まで何度も何度もあった。そのたびに何故か場面が転移したことを忘れていたが。


 でもそんな違和感よりも、今カナエにとっては生き残れたことが嬉しかった。魔王が倒せて、今、ミヒャエルの隣に立てていることが嬉しい。しかも、ミヒャエルは礼服に身を包んでいて、今まで見たどんな服装よりも飛びぬけて格好いいし、とろけるような笑みをカナエに向けている。


 幸せの絶頂だった。だからつい、本音がこぼれた。


「本当に、倒せて良かった」


「ゲームだから当たり前だろう?」


 カナエはミヒャエルの言葉が一瞬、理解できなかった。


 驚いてミヒャエルの顔を仰ぎ見れば、彼は明らかに失言をしたという顔をしている。


 それに加えて、これまで何度も場面が飛んだこと、ミヒャエルが記憶と違って『乙女ゲームのメインヒーロー』のような態度だったことを思い出して、納得した。


 全てゲーム。乙女ゲームだったから、ミヒャエルは甘い王子様だったし、場面は飛んだし、魔王もあっけなく倒せたのだ。


「……そっか」


 小さく呟いてから、カナエは再び歩き始める。


「ゲーム。ゲーム、かあ……それでかあ」


 カナエは歩きながら、落胆した。


 彼女の心にあるミヒャエルへの思いは本物だったが、ミヒャエルはゲームだから、シナリオに沿ってカナエを愛している演技をしているに過ぎない。


 何がどうなっているのかは判らないが、異世界に召喚されたのではなく、ゲームの世界の中に入り込んでしまったのだろうと、カナエは理解した。


 ミヒャエルの事はがっかりはしたが、すぐに気持ちは切り替わる。


 これが乙女ゲームの世界なら、カナエはハッピーエンドである限り絶対に死なないし、この世界を周回出来る筈だ。つまりミヒャエルと何度でも会える。それならば、乙女ゲームをめいっぱい楽しんでやろう。


 持ち前の明るさでカナエが能天気にそう思いなおした時、世界に『システムメッセージ』が響いた。


『好感度の引継ぎができます。2周目を始めますか?』


「はい!」


 元気よく返事をして、彼女は『乙女ゲーム』の世界として、周回を始めたのだ。

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