第12話 カナエの記憶
聖女召喚されたカナエには、前世の記憶があった。記憶があると言っても、様々なことがとぎれとぎれにしか思い出せない。
西暦何年に生きていたのかは思い出せないが、スマホがあって、インターネットがあり、乙女ゲームがある時代の女子大生だった。
髪を染めるのが嫌で黒髪を通していた以外は、ごく普通の女の子だった彼女は、大学に向かう玄関先で、突如として光に包まれ、異世界アルデウムへと召喚された。
途切れ途切れの記憶の中でも、多くの記憶がこのアルデウムの世界でのものだ。
突然の召喚に戸惑った彼女だったが、持前の明るさと一緒に旅する仲間に支えられて、魔王討伐の旅を続けることができた。
彼女が元の世界の乙女ゲームの話をした時に、ミヒャエルが興味を示したのは彼女にとって意外だった。ぶっきらぼうな口調のミヒャエルは、フランクに話してくれる他の仲間に比べたら少しとっつきづらかったからだ。敬語こそ外せなかったが、乙女ゲームごっこを通して、ミヒャエルと彼女はかなり親密になった。
ただ彼女が困っていたのは、ミヒャエルが乙女ゲームごっこをしている時は、スキンシップ過剰になることだ。普段は硬い口調なのに、乙女ゲームごっこになると、途端に信じられないくらい甘く、優しく、とろけるような眼差しで彼女を見つめながら触れてくる。
それは恋愛免疫のない彼女には強すぎる刺激だった。普段通りのミヒャエルが触れてきたとしても緊張しただろうが、演技しているミヒャエルならなおさらだ。そのせいで、ミヒャエルが彼女に触れる時、彼女は反射的に飛びのいて逃げる癖ができてしまった。
最初に呼び名を『アーネスト様』と決めてしまって以降は、彼女はどんなに親しくなっても気恥ずかしくてミヒャエルと呼ぶことができなかったが、それを度々カイルにはからかわれていた。
「恋人なら、『ミカ』とか『ミヒャエル』とかって呼び捨てするものじゃないの?」
にやけ顔のカイルの背中をバチンと叩いて「恋人じゃない!」と照れ隠しをした回数は数えきれない。けれど、そういう風に言われてから、彼女は心の中でだけ、そっとミヒャエルのことを『ミカ』と呼ぶようになっていた。
旅が進むにつれ、そんな風に一緒に過ごしたミヒャエルを好きになったのは、当然のなりゆきだったろう。
召喚当初は、魔王さえ討伐すれば元の世界に帰れると思っていたが、もし討伐が終わったらすぐ元の世界に帰りたいと言い出すには躊躇うほどの情が、既に彼女の中には芽生えていた。それでも付き合ってもいない好きな人のために、元の世界を捨てて異世界で暮らすと宣言ができるほど、元の世界への未練が立ち切れた訳でもない。
それを察知していたのか、ミヒャエルもどんなに甘い言葉を囁いても、彼女に対して告白はしてこなかった。
だからこそ、彼女はミヒャエルからのプロポーズが嬉しかった。
第一王子の正妃など、苦労するに決まっている。創作の世界でしか見たことのない社交界は、さぞ気疲れするだろう。でもそんなこと、彼女にはどうでも良かった。
本音を絶対に言わなかったミヒャエルが、彼女に向き合って真摯に告白してくれた。その事実だけで、彼女をミヒャエルの隣でずっと歩もうと決心するには充分だった。
プロポーズを受け入れた後に、はにかんだ彼女はちょっとしたお願いをミヒャエルにする。
「あのね…ミカ、って呼んでいいですか?」
「なんだ、やっとそう呼んでくれるのか」
「えっ」
「隠れてずっとそう呼んでただろう?」
意地の悪そうな顔で笑うミヒャエルに、恥ずかしい思いで彼女は逃げ出したかった。
彼女の幸せな記憶はそこまでで、その次の記憶は魔王討伐の苦しい戦いの記憶だ。
「皆……頑張って……!」
後方で祈りながら、彼女は仲間たちの無事を祈る。その祈りは光となってミヒャエルやカイルの力になった。けれど、魔王の力は強大で、決着がなかなかつかなかった。
「っ危ない!」
魔王の触手が彼女の背後に迫ったのを察知したミヒャエルは、とっさに彼女を庇った。触手はミヒャエルの身体を深々と刺し貫いてから抜ける。彼女を庇っての負傷は、旅の道中でもあったことだったが、今回の傷はどうみても致命傷だ。
「いや、やだ、ミカ、ミカ。なんで、死なないで」
「……ぶじ、か……?」
彼女はミヒャエルに縋って懸命に祈る。彼女の背中には白い翼が現れ、ミヒャエルを癒すと同時に、魔王と戦い続けている他の仲間たちにも力を送り続ける。強い想いの祈りは光を増し、魔王の攻撃が怯んだ。
「ミカ、生きて……!」
彼女がそう叫んだ時、目を開けられないほどの光が辺り一面を包み込む。
光が治まった時、ミヒャエルが目を覚ますと、致命傷だった傷は塞がっており、服だけに穴が開いている。魔王は、と彼が立ち上がった時、魔王は塵となってサラサラと消えていくところだった。
彼女は、祈りによってミヒャエルを救い、魔王をも倒したのだ。
けれど全てがうまくいった訳ではない。
「ミカ、よか、った……」
呟いて、彼女は血を吐いた。
「――っ!」
ミヒャエルが彼女の名を呼んだが、彼女にはそれに答えて笑いかけることができなかった。
魔王が最期に伸ばした触手が彼女の胸を貫いていた。その触手も塵となって消えていったが、彼女の胸の穴は消えない。
笑ってくれるといいなあ、とか、治って良かったとか、そんなことをぼんやりと彼女は考えていた。
泣きながら彼女の身体を抱えるミヒャエルの姿。
それがカナエの前世で最期に見た光景だった。
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