第一話「黄金の騎士と黄昏の少女」①

      序 章



 邪雲じゃうんが覆う夜半やはん過ぎ、川の激流のような雨音が、あたりを塗りつぶしていた。

 時折、獰猛どうもうな獅子が喉を鳴らすかのごとく雷鼓らいこが轟く。次いでひらめく雷光に、あたりの山林は影絵と化す。

 その一瞬。

 山中を行く何者かの駆けりによって、地面の淀みはしぶきを上げた。

 断続的な雷光がかろうじて照らし出すのは、闇に紛れて走る、黒い雨合羽姿である。

 月明かりすらないというのに、かの者の足取りには迷いがない。大木の幹から幹へ易々跳び渡ると、向かいの山が見渡せる谷合に出て、足を止めた。

 天を裂く轟音とともに幾度目かの閃光が走る。それが、額まで覆うフードから覗く、厳しい男の眼光を明らかにした。

 その男――威武いぶ灯弥とうやが睨みつけるさきにあるもの。それは、対面する山の中腹、生い茂る樹木のなかから黒雲に向かってまっすぐ伸びる、青い光の粒子だった。

 帯をなし、上へいくほど薄らぐその光は、稲妻とは明らかに異なるものだ。まるでなにかが落ちた軌跡のような、そんな趣さえ感じさせる。

(まさか、まゆか)

 灯弥は胸中にそうつぶやき、鷹のような目をさらに鋭くした。

 こんな嵐の夜に、それも、たったひとりで山に入るなど正気の沙汰ではないことくらい、この男も承知している。

 それでも、無理を押してここまで来たのは、ほかでもない。あの光の正体を確かめるためだ。

 灯弥は光の出どころを目指し、風を切って駆け出した。

 やがて光の根本にたどり着いた時、灯弥は目に飛び込んだ光景に息を呑み、怪訝に眉根を寄せた。

 そこは、これまでの鬱蒼うっそうとした樹海とは打って変わり、木々が避けるようにして広い平地を作り出していた。一面に咲き乱れるは、しとやかにうつむく白き月下美人である。谷合から見えたように、この空間そのものが淡く青白い光に包まれている。それも相まって、花の白さはぼうっと光を放つかのようで、彼女たちの密やかな花めきは、一層妖しさを極めていた。

 さらに目を凝らす灯弥の鼻先に、フードを伝う雨水が行き場を求め、滴り落ちる。

 すると、

(あれは)

 彼は刮目するなり、迷うことなく花園に踏み入った。

 進むにつれ雨は弱まり、重々しい雲たちはどこかへ流れていく。その雲間から、ちょうど新月の夜空が顔を覗かせた頃だった。

(こいつは……)

 と、灯弥は花園のなかほどで足を止め、そこに横たわる少年と女を見下ろした。

 ここは人里離れた山である。人が、ましてやこんな嵐の日にいるはずはない。いるとすれば自分のように事情を抱えているか、あるいは単に命知らずなだけであろう。

 しかしどうやら、彼女らは前者のようだった。

 灯弥にそう思わせたのは、ふたりの服装である。

 灯弥の右側、仰向けに倒れる黒髪の少年は、一糸まとわぬ姿であった。見たところ外傷はなさそうである。

 だが片や、すぐそばでうつ伏せになった女のほうは、露わになった白い背中を、右肩から袈裟に斬られていた。長かっただろう黒髪もその剣筋に沿って切り取られたか、不均等な長さで放り出されている。出血は著しく、身に着けた花嫁衣裳のような純白の衣服と、その下に咲き誇る花々は、いまや黒々とした赤のまだら模様に色づいていた。

 灯弥は女の口元に左手を伸ばす。

(まだ息がある)

 すぐさま止血に取り掛かろうとした矢先、その視界の隅になにかを感じた灯弥は動きを止めた。

 そして、はたと首をねじ向ける。

 果たしてそこにあったのは、清白なる花々のなかでただ一輪、さらりと夜風に揺れ遊ぶ、紫のすみれの花だった。

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