第九章 城壁のエメライガー
ギガードンはゆっくりと立ち上がった。
南西第三区、クレーターの中に沈む
騎士を失った剥き出しの城に向かって鏡界獣と言う名の侵略者が迫る。一歩、また一歩近づく度に重く低い地響きがした。戦いの最中だというのに悠然と歩く大怪獣の姿を見て、皆声を失っている。
オペレーションルームのある研究所本棟は特別頑丈に作られており、尻尾の直撃を免れたこともあって大きく揺れる程度で済んだ。先ほどケイゴの呼びかけに応えられなかったのは、強い衝撃に一時的に通信機能障害を起こしたせいだ。死傷者が出なかったのは幸いであるが、楽観視できる状況ではなかった。
「もう勝ったつもりなのか」
カツムラは歯噛みする。負けを認めてはならないと分かっていても、肝心の心は折れて諦めかけている。
「通信機能、復旧します!」
「ケイゴ、返事をしろ!」
タツローが必死に叫んでも返事はない。もしかして、と最悪な想像が頭をよぎるが、諦めきれないタツローは何度も彼の名を叫び続けた。
「志村君……」
タチバナも友人を想い、しかし無情な現実を受け入れようとする。
三機の特機の中でも段違いに装甲が厚い城壁型特機
(……せめて、彼等を犠牲にしてはならない)
上に立つものとしての責務を思い、司令官は意を決する。
「総員、研究所からの脱出を命じます」
司令官の決断に部下は動揺を隠せなかった。そんな彼等を制するために言葉を続ける。
「この研究所を放棄します。優秀な皆さんを、巻き添えにはしません」
「待てよ、お前はどうするんだ」
タツローの問いに彼女は目を伏せる。
「限界まで引き付けて、
ギガードンの隙を突く作戦はケイゴが遺してくれた唯一の活路だ。だが、
「馬鹿か、死ぬつもりかよ。ビームの装填は終わって無いんだろ」
当然の指摘を受けてもタチバナは黙って俯いたまま、ぎゅっ、と下唇を噛んだ。タツローは、悲壮な覚悟を背負う彼女が痛々しく、とても見て居られないと思った。
「……お前の親父は」
「お父さんは関係ありません!」
少女は、叫ぶことで父への言及を拒絶した。これにはタツローも目を見開いて動きを止める。他の者も身動きを取れず、ほんの一瞬時間が止まったようだった。
ずしぃ……ん。
迫る怪獣の足音が、会話の一拍の空白を埋める。
タチバナは、追い詰められるとつい叫んでしまう、未熟な心を最後まで変えられなかったと己を恥じる。だが、この決断を覆すことは絶対にしない。何があっても決断することから逃げ出さない。その一点にかけてのみ世界一の頑固者だった。
司令官は再度通告を行う。
「私が、私であるための、義務です。これだけは譲れない。……早く退室してください」
悲痛な、おそらく最期になるであろう彼女の指示に、部下たちは困惑を極める。タツローも何か口を動かして喋ろうとしていたが、上手く言葉が纏まらない。そうするうちに、ギガードンは接近を続けて……。
『どこに行くんだよ』
静かな声が響いて皆が顔を上げた。モニターに映し出される映像の中で、翠の光がギガードンに襲い掛かっている!
ぐぎゃあああっ! ギガードンが悲鳴を上げた! 首筋に突き立てられたイクシードスパイクが、光を纏っている!
「志村君っ!?」
「ケイゴォ! 無事だったのかよ」
友人たちが彼の無事を喜び、口々に名前を呼ぶ。オペレーションルームの仲間達も切り札の復活に喜び活気を取り戻すが、カツムラだけは違和感を覚えて
突き刺されたイクシードスパイクを引きはがそうとギガードンは暴れている。しかし、背後からの奇襲に前回のような拳や蹴りの連打はできず難儀していた。それでも身体を揺するだけで相当な力が
「てあっ!」
暴れて引きはがされる前にダメージを稼ぐ。そう考えたケイゴは、突き刺した針で身体を引き裂くように硬い表皮を広く傷つける。そして、
ぶぅん! 空ぶった尻尾が空気を揺らす。余波で発生した風が土埃を巻き上げ、風圧に耐えられなかった設置物が宙を舞い、また風の勢いでガラスを割った。高く浮いた
「肘と膝関節にスラスターだと!? そんなもの、設計されていない」
昨日の戦いの最後、ギガードンを強引に投げ飛ばした時は背中のブーストと足裏のスラスターで推進力を得ていた。当時はあの二つが
「なんか、形違くねえか?」
「負傷も治っている?」
タツローとタチバナの声を立て続けに聴いて、カツムラは
また、切断されたはずの左足を含め、受けたはずのダメージも完全に回復している。最初からその形で加工された金属たちが、正しい在り方で寄り集まり、再構築することで新たなロボットを完成させているようだった。
この異常な変化を前にカツムラはある事象に思い至る。
「自動修復に変形機構だと?」
「知っているんですか、カツムラさん」
慎重に頷く。昨夜目撃した
思案顔で黙り込んだ後、話せる範囲の考察を少しずつ話す。
「
「よく分かんねえけど、ケイゴの気合がマシンにも伝わったってことだろ!?」
長くなりそうな解説をぶった切って、タツローが独自のまとめを言い放った。雑な要約にカツムラはやや不服である。
ギガードンは、生まれ変わった
『よそ見するなよ。生まれ変わった
ケイゴの名乗りに応えるように、山吹色のアイラインが発光する。そう、
「
観測士がうっとりとした声を漏らした。彼女は鏡界獣が出現する度、個体を識別するため即座に名前を付けていた。特にそう言った取り決めは無かったが、特に異論を唱える者も居なかったので命名は彼女の役目、といった風潮になっていたのである。今回の
「志村君、戦えますか」
理解を越えた進化、それは懸念材料になりえる。だが、タチバナの問いは仲間への心配の声掛けでもあり、期待を込めた意思の疎通でもあった。その証拠に、彼女は眉を下げつつも、不器用なりに口角を上げて強がりを見せている。
『もちろん。……心配かけて悪かった』
返答の最期に付け加えられたのは短い謝罪だ。溜めて言われたことで昨日の「よろしく」と違い、心が籠っているように感じられる。タチバナは驚きのあまり目を見開いて、同じくあんぐりと口を開けているタツローと顔を見合わせた。
「あ、謝った!」
「
あの、「俺の事は心配するだけ無駄」「お前に興味なんかない」「さあ」などと言わんばかりに周囲と壁を作り続けていた志村ケイゴが、自ら罪悪感を覚えて謝罪するとは。あの男の性格上、建前だけの謝罪とは思えない。二人は全身がくすぐったい感覚を覚え、落ち着かない衝動に駆られていた。手を取り合い軽く飛び跳ねる等して感情を表現している。
「進化したのは機体だけではないようだ」
カツムラが眼鏡のズレを指先で戻す。レンズが逆光して目元は見えないが、口元は僅かに綻んでいた。彼を案じていたのは何も友達だけではない。
ぎゃぁおおおお! 【いつまで浮かれている!】……とでも言いたげな、鏡界獣の咆哮。そう、勝った気になるのは早すぎる。背中の傷も、前面のヒビも致命傷には程遠い。進化した
ケイゴは口元を緩めて呟く。
『
唐突に彼が口癖を漏らし、この場の誰もが固唾を呑んだ。皆、この口癖が苦手だった。彼はこの言葉を使って、他者の自分に対する理解を、無関心という態度で拒絶し続けていた。自分に関心を持っても意味がない、そう他人に、自分に言い聞かせてきた。
だが、今は。誰かが自分を理解しようとしている。同じ痛みを共感できる仲間が、どんな時でも応援してくれる友達がいる。そんな当たり前のことを、ようやく知ったから。
もう他人事では居られない。心が死んだふりを辞める時、志村ケイゴは息を深く吸って、喉を震わせた!
『
叫びと共にレバーを操作し、
勢いのまま踏み込んで殴り掛かった拳をギガードンは回避できなかった。胸へ命中、大きくよろめいたところへ追撃の拳を顔面に叩き込む。さらに大きく怯んだギガードンだったが、そのよろめきを生かして首を振り回し、まるでハンマーのように叩きつける。それに対して
次の瞬間、ギガードンが姿を消した!
「ギガードンが消えた!?」
「
騒然とするオペレーションルーム。しかし、タチバナだけは彼らのいる上空を見上げていた。
「上です!」
ギガードンは驚愕する。跳躍からのしかかりを企んだが、同じく上空に跳び上がってきた
「同じ手を喰うかよ」
迎撃するために繰り出した爪をかわし、
「喰らうのはお前だ」
そのまま背中のブースターの推進力で制空権を得て、喉奥に突っ込んだ拳を地面に叩きつけるように落ちていく。二つの巨体によって生じる衝撃が地を割った!
鋼鉄の拳が強靭な大怪獣の身体を割ることは無い。だが、
「リバース・ショット・マイナスバースト!」
ゼロ距離を通り越した内側、マイナス距離からの射撃。口腔内に砕力の塊を叩き込むと、体内で爆発を起こす! ギガードンは悶え、悲鳴を上げた!
「くたばれ!」
「こ、これはっ!?」
唐突な衝撃の予感にケイゴは驚いた。予知から衝撃までのラグが短い。かわせないことが分かったが、その発生源が異常だ。
かぁっ! ギガードンの喉奥が赤く光ると、口から放射される熱線が
ダメージにより発生した火花を派手に散らしながら後退り、成す術なく街に倒れ込む。状態を確認すると、ギガードンの口に突っ込んでいた左拳が消し飛んでいた。左手首には熱による焦げ跡だけが残されている。
「再生しない?」
さきほどの打撃によるダメージは修復できたのに、この熱線によるダメージは修復されない。修復にも何かルールがあるのだろうか。都合が良かったとはいえ、未知の現象であることは変わらない。
「熱線内に砕力を確認!」
観測士が驚きの声を叫んだ。カツムラは口元を手で覆い思案する。それからぽつり、ぽつりと現状の把握のために言葉を紡いでいった。
「リバース・ショットで砕力を体内に撃ち込まれたギガードンが、それを足掛かりに砕力を伴う攻撃を返してきたのかもしれません。火炎放射や火球による攻撃は以前から見られましたし、
そこまで話を聞いて、タチバナも持論を話す。
「志村君はギガードンが
「ぐだぐだ言ってる場合かよ、結局どうすんだ!」
二人が考察を話しあっていると、タツローが痺れを切らして叫んだ。副司令官は自分の背の高さを生かして少年を見下す。
「そのための話し合いをしているんだ。馬鹿は引っ込んでいろ」
「んだと、コノ
「喧嘩しないで!」
女性司令官の叫びに男二人は肩を跳ね、動きを揃えて彼女を見つめた。司令官はそんな二人を黙らせて、前線の仲間に指示を出す。
「志村君、聞こえますか。熱線に含まれる砕力が
『了解。……余計な攻撃をしてしまったな』
リバース・ショット・マイナスバーストは効果的な攻撃だと思われただけに、ケイゴは気落ちしているようだった。そんな彼のためにタチバナは言葉を付け加える。
「無理もありません。それだけ敵が強力、異質な存在だと再認識できました。引き続き貴方の奮戦を期待します」
ギガードンの強さを根拠にフォローする。敵の強さを最も理解しているケイゴにこそ、効果的な言葉がけだった。
「油断は禁物だな。ありがとう」
返答の末尾に付け加えられた短い感謝。低い、落ち着いた声は、タチバナの声掛けに彼が心の底から安堵し、そのことを感謝していることが伝わってくる。
タチバナとタツローはまた目を見開いて顔を見合わせた。
「お礼! 自分への気遣いにお礼を!」
「いやマジすげえって! 俺、いっつも『そうか』とか『フッ』で済まされるもん」
「司令、戦闘中です」
今回は副官の仲裁が入り、司令官は顔を赤らめる。
一方、ケイゴはスピーカー越しに聞こえる仲間たちのやり取りに心を癒されながらも、冷静に敵を観察している。立ち上がったギガードンの姿勢は前傾気味で、息切れするとともに肩を上下させ、開いた口から赤い血液が漏れている。身体の亀裂も残ったままだ。
左手を失ったのはかなりの痛手だが、こちらも間違いなく敵を追い詰めていると感じる。だが、敵もそれは気づいているはずだ。焦って仕掛ければ先ほどの様に手痛い反撃を喰らうかもしれない。
「あと一手。何か、きっかけがあれば。……うっ!」
勝利への期待と焦りを含んだ声が漏れる。
その時、額の傷が開いて流れた血が右目を濡らした。思わず目を瞑ってしまい、偶然にもギガードンが動き出したのはこの瞬間だった。あれだけ傷ついても敵の動きは俊敏で、反応に遅れたケイゴはその攻撃をかわせない。鋼鉄の身体に牙を撃ち立てると、装甲が牙を拒絶して火花が散った。怪獣の顎は下がろうとする
なんとか距離を取る
「参ったな、俺が足手纏いか」
例え
第一区にいる
ケイゴも不用意な攻撃は控えている。体力的にも長期戦は辛い。格闘戦に持ち込むとしたら、
春の風が吹いて街路樹を揺らした。二つの巨体のちょうど間に位置するこの桜の木は、桜色の花びらを散らしてギガードンの足元に吹き付けた。その時、ギガードンは口を大きく開いた!
火球か、熱線か。どちらにせよ、先に潰す!
「ショルダー・キャノン!」
火球攻撃は
砲撃の甲斐あってか、火球のコースは外れて
『火球が来ます!』
火球の着弾地点はタチバナ達がいる研究所本棟だった。ギリギリのところで間に滑るように割り込むと、
「うお、くぁああ!」
装甲は隙間なくコックピットを守っているが、それでも浸透する熱がケイゴの命を追い詰めた。また、装甲自体も激しい火傷を負い、ダメージを受け続けているせいなのか再生能力を発揮できない。
『ケイゴォ!』
タツローの叫びが耳に届く。俺が倒れたら、次はアイツ等が狙われる。焦りが炎と混ざってケイゴの情緒をかき乱す、その時だった!
『
オペレーターの声にケイゴは炎の中で目を見開いた!
「タチバナさん、撃て!」
『しかし!』
「いいから早く!」
僅かに移動した
「
「了解、
攻撃担当が号令を復唱しつつ、
「おい、ケイゴは」
タツローが不安を隠し切れず、弱気な声を漏らす。しかし、司令官の決断は揺るがない。
「彼に死ぬつもりはありません。……これが最善です」
迷いが無いわけではない。けど、何かを諦めたり、妥協した選択ではないと胸を張って言える。何より、彼はもう死にたがりの真似事はしないと信じているから。そんな思いが伝わってタツローも頷いた。
その時、赤と白の光がモニターを真横に貫く! ギガードンの口から放たれた熱線が、双角を二極としたプラズマの伝導線を通過することで熱光線と化し、
激突の直前に
『エメラルド・ランパード!』
両の肘に備え付けられた盾を連結し、拡張する。底を杭として地面に打ち付けると、変形により発生した風圧が全身を包む炎を吹き飛ばす。
そこへ、炎と砕力、両方の特性を備えた熱光線が翠の城壁にぶち当たる! 知性を手に入れた上で本能に従い破壊を行う大怪獣の最強の攻撃と、使命に目覚め絶対の守護者足らん者の最高の防御、その最後の戦いだった!
拮抗する両者。しかし、衝撃に押され、地面に突き刺した盾ごと
「負けるなよ、
すると、ケイゴの決意に応えるようにアイラインが眩しく山吹の光を輝かせ、淡い翠の光が薄い膜の様に全身を包みこむ。ギガードンが使用したバリアーに似たこの現象は、熱光線の威力を削減する作用があった。具体的には、熱光線に含まれる砕力を削いで、機体にぶつかる直前に通常の熱線に戻してしまうのだ。これにより防御力を増した
すると、離れない
「砲撃手!」
タチバナの焦る声に、砲撃手は待ってましたと言わんばかりにゴーグルをかけて狙いを定める。
「測的完了、左に四度、上に二度修正!」
「
「発射ーっ!」
砲撃手が、復唱と共に大きなボタンに力強い拳を叩きつけた!
砲台の周囲の三柱が電力を帯び、やがてプラズマが発生する。それらは互いに伝導線を導きあい、中心にエネルギーが溜まった。そこへ、砲台を通して砕力を放射してやるとどうなるか。プラズマを取り込んだビームは、威力を数十倍に増幅して、解き放つ!
ぎゅぉおおおん! 青白いビームが黒い巨体に吸い込まれるように伸びていく。ビームの接近に気が付いて黒い瞳が大きく見開いた!
っぴがぁあん! 無防備な横腹に三度
「……まだ……」
完全に不意を突いた一撃、バリアは間に合っていない。だが、掠れた声は、それでも決着がつかない予感を示していた。消え入りそうな意識を必死につなぎとめて、レバーを握る。両盾の連結を外そうとしたが、熱光線による盾の融解によりうまく元に戻すことができない。この盾を戻さないと、両腕は前面に突き出されたまま身動きが取れないというのに。
一方、
「馬鹿な、まだ耐えるのか」
「なんとかならねぇのかよ!?」
カツムラ、タツローはここにきて息が合っている。タチバナも脳内では同じことを思いつつ、しかし打開策が浮かばない。ここで押し切らねば次もないだろう。何か、誰か……。
機体、パイロット共に限界の
「あと一手なのに」
司令官の悔恨を聞いて、誰もがこれまでかと諦めかけた。
ぴこん。
モニターに表示される戦闘マップ上に、研究所所属機体のアイコンが唐突に現れる。位置は北西、研究所第一区の訓練場及び地下ドッグ出口から飛び出した機体は、流星、と呼ぶには少しゆっくり、それでも最大戦速で真っすぐ北上していく。
「あの機体は!?」
登録パイロットデータ、識別番号なし。機体名、RT-5。訓練用の機体は、研究所第一区西の端、壁に体を沈めて眠っている前任者から武器を拾い上げる。
『まさか』
ケイゴも時を同じくして乱入者の存在に気が付いて、思わず口角を上げた。一方、ギガードンはその存在に気付かない。彼の巨体の半分にも満たない矮小な虫けらに、気を裂くほどの余裕は無かった。今は、この光線を防ぎ、宿敵との決着をつける事。それが、自分の全てだと思った。
……その奢りが、
『イクシードナイフ!』
イシガミは叫んだ! バリアの内側に難なく接近した練習機は、正式採用された量産機から受け継いだ最新武器を手に左膝を切り裂く! 鉄の短剣は、ギガードンのバリアに似た青白い光を纏っていた!
今回は左、以前は右、両方の膝を傷つけられて体勢を崩し、その瞬間バリアが弱まった。驚きのあまり目を見開くと、視線がようやくそのちっぽけな存在を捉えた。しかし、もう遅い!
『借りは返したぜ、大怪獣』
別れの挨拶を一方的に投げかけ、正規軍のエースは油断なく離脱を図る。足元をうろついて、また外壁まで蹴り飛ばされるのはまっぴらごめんだった。
「出力最大!」
バリアが弱まった絶好の機会を逃さず、タチバナの号令が飛ぶ!
「了解、出力最大ーっ!」
砲撃手は、赤いレバーを一気に最大まで押し込んだ。ビームは呼応するように一瞬唸ったかと思うと、さらに勢いを増した!
「いっけーっ!!」
拳を掲げるタツローの声援に応えるように、ビームはバリアーの防御力を超えて大怪獣を飲み込んだ!
ギガードンの巨体が崩壊していく。二度
山吹色のアイラインを通して、ケイゴは宿敵と目が合う。黒い瞳は何を物語っているのか。今度ばかりは、ケイゴにもそれがわからなかった。だが、この胸の内に湧き上がる思いは、脅威にさらされ、傷つけられて尚、憎しみではなかった。
「お前は強かった。だから俺も強くなれた。……ありがとう」
語り掛ける言葉は強者への畏怖であり、戦いを通して自分を成長させてくれた礼。せめて見送ることが、宿敵として認められた人間の務めだとケイゴは思った。
文明の破壊者の呼び名に相応しい大怪獣。ギガードンは最後まで宿敵を見つめたまま、光の中へ消えていった。限界までエネルギーを使い果たしたビームも徐々に細くなり、最後はプラズマの残滓を残す。
恐るべき鏡界獣の壮絶な最期に皆が息を忘れて見守り、そんな脅威を打倒した実感が少しずつ湧いていく。昨日から続いた激戦は、あらゆるものを出し尽くしたまさしく総力戦。勝利と言う名の輝かしき戦果は皆の団結の賜物であり……。
最も早く正気に戻ったのはカツムラだった。緩んでいた表情が瞬時に強張っていく。
「……鏡ィ!」
そう、鏡である。鏡界獣をこの世界に映し出す
「あっ、し、志村君!」
タチバナが慌てて指示を出す。慌てすぎて言葉が詰まり、具体性のない声掛けになってしまったが、その時には
『わかってる!』
熱光線による損傷はやはり再生できない。結局、両盾の連結を解除することを諦めて、盾そのものの装着を解除した。腕パーツのつなぎ目に亀裂が入ると、がこんっ、と音がして肘の盾が外れた。これで多少身軽になる。主人に置いて行かれたボロボロの盾が哀愁を漂わせ、ようやく走り始めた少年の後姿を見送っていた。
傷だらけの
射撃音がして、
『へっ、気をつけろ。ド素人がよ』
RT-5は銃を下ろし、パイロットのイシガミは素人操縦を鼻で笑った。
(まったく、気を利かせやがって。俺がエースじゃなけりゃ助けてやれなかったぞ)
世話の焼ける切り札だ。口の悪さと裏腹に、借りを返したことで彼の心は軽やかだった。
『新たな鏡界獣を観測!』
『志村君、急いで!』
走る
「水?」
足元に広がる水を見下ろす。水は勢いを増し、相当な力で
顔を上げて鏡と水に向き合った。鏡は
ケイゴは油断していた。トラウマはもう乗り越えたものだと思っていたし、こんな些細な重なり合いで蘇るものだとは思ってもいなかった。しかし、心の傷は治るものではなく、割り切ることができるようになるだけだ。きっかけさえあれば容易く傷は開くもので、年若い彼はまだそれを知らなかった。
過去の傷が脳を焼く。網膜に火花が散り、鼓膜の裏で恐怖が爆発した。無理もない。志村ケイゴにとって「水」と「鏡」は喪失の象徴なのだ。ケイゴはいつだって鏡を見ない。鏡の中の自分は、今でも涙を流していると思っている。自らの瞳が死んだはずの自分を捉えるのが、幽霊を見るようで恐ろしかった。
いつしか
『落ち着け、ケイゴ! お前はもう大丈夫だ!』
「はっ!」
「ありがとな、タツロー」
鏡の奥、接近する巨大魚型鏡界獣は今にも鏡から飛び出しそうだった。だが、そんなことはケイゴと
『お願いします、志村君!』
『いっけー! ケイゴ、エメライガー!』
タチバナとタツローの声援が轟く。それが何より心強い。友達が、仲間が自分をわかってくれる。恐怖を一人で抱えて生きる必要はない。過去から逃げるために、心を殺す必要はもうない。翠の城壁の瞳が太陽の光を放つとき、涙の渦を退ける。
……さあ、決着だ!
『エメラルド・ブレイク!』
伸ばした右腕、光り輝く拳が鏡にぶち当たる! 光が拳から鏡に伝わると、一瞬、翠の光が鏡に広がり、研究所含む一帯を眩く照らした。そして……。
ぴしっ。最初の亀裂が入った。それは瞬く間に広がって、大きな音と共に鏡は粉々に砕け散った! 無数の破片が宙を舞い、その全てが瞬きする間に空気に溶けて消えて行く。鏡から流れ込んでいた水は弾けて空中に舞い、空に虹をかける。
「鏡、撃破!」
観測士の歓喜の声を皮切りに、歓声が上がった! ある者は立ち上がり、ある者は隣の者とハイタッチ、または抱き合ってまで喜びを分かち合っている。砲撃手はゴーグルをやっと外して深いため息をついた。攻撃担当は防御担当の首元に手を回して抱き着いたが、それは後ろから首を絞める仕草に似ていて、彼の丸い顔を青くした。
「やったぜ、ケイゴォ!」
やはり、一際大きな声を上げたのはタツローだった。タチバナも隣で何度も頷いて、手を合わせて喜んでいた。
「ああもう、本当に! ……あっ、
「また指示忘れてんな」
「す、すみません」
タツローに笑って指摘されて、タチバナは顔を赤くしながら頬をかいた。今までは失敗を過度に恐れていたが、その恐怖心も幾分薄れているようだ。カツムラはそんな彼女の成長を知り、穏やかな気持ちになった。
彼女の副官となり一年と少し経つ。それからずっと、彼女の決断に従ってきた。年若いからと言って妥協せず、時に決断を迫り、プレッシャーを与えてしまった事もあった。すべてがこの研究所にとって、ひいては人類にとって必要な戦いだった。とはいえ、罪悪感もある。そんな重圧を背負いながらも、投げ出さず、懸命に戦い続けてきた。その成長と、一時でも心穏やかな時が訪れたという事実が、この冷徹な男の仮面を少しだけ剥がし、ほろりと涙が浮かんで……。
「うい、カツムラのおっさん! やったな!」
でゅくし。感傷に浸っていた所を、喧しい少年が台無しにする。わき腹をつつかれて、身体が僅かに揺れた。それでも大人は余裕を見せ、無言を貫く。
「へいへい!」
でゅくしでゅくし。調子に乗ってつついていると、カツムラの額に青筋が浮かぶ。しかし、鋼の自制心が自分を律した。落ち着け、葛村宗次。40にもなって、こんな子供の悪戯に声を荒げる必要もあるまい。
でゅくし! ところが、反対側からつつかれて文字通り不意を突かれた。思わず身体がくの字に曲がっている。そのことが無性に腹立たしくて、ついにその細い手首を掴み上げた!
「いい加減にしろ、この」
見下ろす先、掴んだ手首の主は、金髪をぼさぼさにして目を見開いていた。怯えて首が座り、涙目で子犬の様に叱られるのを待つ少女。我らが司令官、立花涼香。16歳。
「ご、ごめんなさい……」
戯れが過ぎたことを反省し、行いを後悔しているようだ。消え入りそうな声で謝罪する。カツムラは、上官への無礼を働いてしまったこと、それ以上に他ならぬ彼女の奇行に困惑した。
(まさか、自分の意志でこんな
そう思うと、この堅物の男にはもう何が何だかわからなくなって。
「くくっ、くくくくく」
左手で彼女の手首を掴み上げたまま、もう片方の手で眼鏡を抑える。そのまま、肩を震わせ始めた。
「か、カツムラさん?」
「お、おい、おっさん。そんなに怒らなくても。俺がそそのかしたわけだし」
「くはははははは!」
顔色を窺う二人だったが、大声で笑いだしたカツムラに驚いて身を引いた。周囲の仲間たちも驚いて振り返っている。
「笑ってるだけかよっ、こえーっての!」
タツローの指摘も意に返さず、カツムラは笑い続ける。
「ククク……」
「だからこえーっての!」
「うふふっ」
不気味な笑い方がおかしくて、タチバナもまた笑ってしまった。タツローは脱力する。
「ケイゴ、聞こえてんだろ。早く帰ってきてくれ、収拾つかねえよぉ」
『了解。帰還する』
ゆっくりと仲間たちの元へと帰る
『どうだ。生きるための戦いは』
『怖かったよ。けど、悪くない』
『へっ。スカしやがって』
悪態をつき、RT-5も並んで歩き出す。背の高さもスペックも遥かに違う二体だったが、どちらが欠けても勝利を得ることはできなかっただろう。
『助けられた。ありがとう』
『勘違いすんな。俺は奴に借りを返しただけだ』
『そうか。……そうかな?』
『そうだよ!』
何か言いたげな疑惑を振り切るために、イシガミは食い気味に言い切った。
機動兵器達は大きな歩幅でゆっくりと仲間たちの元へ帰っていく。その背にはまだ高く昇る太陽と、奇跡が生んだ虹の橋が背景を彩っていた。
眠りにつくには、まだ早い。
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