第八章 涙の渦

 ギガードンが怒りの咆哮を上げた。

 苛立ちのままに尻尾を振るい、建造物を次々なぎ倒す。飛ばされた破片や設置物があちこち飛び交って二次被害も甚大だ。当然だが、鏡が顕現した際は職員に建物の外を出歩くことを固く禁じ、地下もしくは本棟に避難するように徹底している。

 もし、この鏡界獣が住宅街に出現したなら、一都市が壊滅するのはまさしく秒読み。死傷者も数千人、ひょっとしたら数万人にも上るだろう。

 なんとしてもこの研究所で食い止めなければならない。それを可能にする唯一の存在を、この場の誰もが今か今かと待ち望んでいた。

 

 富士砕力研究所地下十三階。翠の巨人エメーラは全てのパーツを連結し、膝を折って待機している。左腕の火炎放射による焦げは消えていて、頭部パーツの破損も完全にいた。

 そんな万全の状態の翠の巨人エメーラに乗り込むため、パイロットの機体が待つ地下へと駆けつけた。待機していた案内の兵士とヤジマから現状の説明と任務内容の再確認を行う。

「先に出たイシガミはやられた」

「本人から聞きました。獲物は譲ってやるって」

「わっはっは」

 教え子の強がりが目に浮かぶようで、大きく口を開けて笑った。彼の豪快な振る舞いを見ていると不思議と緊張が和らぐ。

「直接話ができたなら、俺が世話を焼くこともないな。気を付けろよ」

「はい」

 短い返事をする若い切り札にヤジマは力強く頷いて、場所を譲った。兵士と共に翠の巨人エメーラの足元に立つと、ごうん、という音と揺れの後に床が上がって、パイロットを機体の左胸の前に運んだ。

「コックピットを開きます」

 職員がリモコンを操作すると、機体の左胸から空気の抜ける音がして風が吹く。それから、ゆっくりと裂けるように装甲が開いてケイゴが乗り込むコックピットが見えた。開いた装甲は足場としての役割も兼ねているが、ケイゴはエレベータの手すりに足を掛けて跳躍し、一足で飛び込む。

「お気をつけて!」

 付き添いの兵士が敬礼し、戦いに行く少年を見送った。

 機内コックピットは人が一人立ち上がる程度には余裕がある。ケイゴは椅子に座る前に天井付近のスイッチを順に押して、起動シークエンスを進めていく。モニターにE-Meraと浮かび、無数の文字と数字の羅列が次々に表示されていく。ケイゴにはその意味が分からなかったが、特に気にしない。両手のレバーを強く握り、ボタンを強く押し込むことで翠の巨人エメーラを起動、アイラインが点灯するとともに膝を伸ばして立ちあがった。

 翠の巨人エメーラの立ち上がりを確認し、足元のエレベータが動き出してゆっくりと地上を目指す。メインモニターには地下空間が映し出され、夜通し整備に取り組んでへとへとになっているはずの整備員たちやヤジマが翠の巨人エメーラに声援を送り、手を振っていた。

 ふと、イシガミが言っていたことを思い出す。

 一人で戦線に立ち、先に倒れた彼を笑うことはできない。眠い目を擦ってこの戦いに備えた整備員達に敬意を感じる。共に同じ目的の為に戦う、自分を支えてくれる人たち。仲間とはここにいる全ての人のことか。

 ケイゴは彼らに見えないと知りながら、手をふり返したい衝動に駆られた。だが、どうしてもその行為に意味を見出せない。手を下ろしかけた時、拳を突き出す親友の姿が脳裏によぎった。

(意味なんて、要らないのか)

 ケイゴは手を振り返さなかった。代わりに微笑んで上を向く。不思議と晴れやかな気持ちだった。

 全ての機能が正常に起動したことを確認し、通信回路を開く。

翠の巨人エメーラ、出撃』

 天井が開き、光が差し込む。翠の巨人エメーラのアイラインが天を見上げて、オレンジの光を放った。

 

 ☆☆☆☆☆


「イシガミ少尉から連絡。機体を放棄して戦線を離脱するとの事です」

「良かった。至急手当の用意と、数名を直接向かわせてください」

 オペレーターから報告を受け、タチバナは安堵の息を吐いた。かなり強力な攻撃を受けたように見えたが、一命を取り留めただけでも幸運だ。だが、これで残された戦力は本当にただの一機になってしまった。モニターにはギガードンが暴れる姿が映し出され、ダミー建造物を八つ当たりの様に踏み荒らしている。ビームの直撃を受けた緊急障壁はまだ耐久力を残していたため、一時収納している。

翠の巨人エメーラが出ます」

(志村君……)

 緊張を唾と共に飲み下す。医務室で自分を励ましてくれた彼のことを案じる気持ちが自分でも驚くほど強くなるが、今は司令官として作戦の遂行責任が自分にあると自覚した。なんとしても我々は勝たなくてはならない。例え、何を失ったとしても。

 

 研究所本棟の前に大きな円形状の穴が開いて、地中から鉄の巨人が現れる。降り注ぐ太陽の光を反射して美しい翠の輝きを放つのは、富士砕力研究所が誇る最後の城壁、翠の巨人エメーラだ。すると、先ほどまで苛立ちを抑えられなかったギガードンが不思議なことに破壊を辞めて、その姿を睨みつける。

「あれがケイゴの機体か」

 神妙な表情のタツローにタチバナが頷く。タツローは現れた機体がR-39よりも遥かに大きくて驚いたが、それでもその先に聳えるギガードンの大きさには及ばず、その頼もしさに安堵することは難しい。それに、兵器の中に親友がいる、誤魔化しようのない恐ろしい事実が緊張を誘う。

「そうだ。私たちの切り札にしてこの研究所の城壁。我々人類の新しい希望だ」

 カツムラが付け加える。タツローは親友ダチを兵器扱いされたような気がして腹を立て、カツムラを睨みつけた。

 ギガードンの鼻がひくひくと動いて何かの匂いを確かめている。宿敵の登場を認めると再び咆哮を上げた!

 ぎぃやわぁあああ! 咆哮の衝撃が風圧となって周囲を襲う。敵意は明らかに翠の巨人エメーラに向けられているが、どうしてか地中から抜けきらず隙だらけの翠の巨人エメーラには攻撃を仕掛けてこない。この咆哮も、威嚇と言うより呼びかけの様であった。

翠の巨人エメーラを待っている」

 タチバナの呟きに、カツムラが頷いた。

「志村ケイゴの話のとおり、ギガードンには明確な意思があるように見えます。一つ目一ツ鬼ヒトツメヒトツキの邪悪な趣味とは違う、それよりももっとはっきりとした意思が」

「アイツ、ケイゴを狙ってんのかよ」

 タツローは驚き、恐怖の感情を覚えた。凶悪な怪獣が親友を狙い、その身に危険が及んでいる。

『タチバナさん』

 ケイゴの声がオペレーションルームに響いた。

『奴のバリアーについて、気になることがあるんだ』

『何か気付いたんですか』

 会話の途中で、ちょうど翠の巨人エメーラが地上にその全身を晒した。そのまま一歩前に歩くと地面が僅かに揺れる。巨体を地上まで押し上げたエレベーターが口を閉じて、退路を断たれた。

『ビームを』

 言いかけた時、ケイゴの意識が第六感アストラルネイションに吸い寄せられた。予知した衝撃を阻止するべく、ケイゴは機体を前に出す!

 翠の巨人エメーラの前進とほとんど同じタイミングでギガードンは走り出した。前兆無し、予備動作なしの突進はかなり唐突な行動であり、操縦者が志村ケイゴでなければ不意打ちと呼んでも差支えが無かっただろう。翠の巨人エメーラとギガードンの距離は約4キロメートル離れていたが、その巨体が全速力で接近しあえばものの数秒でその距離は埋まってしまう。巨体を生かして押しつぶすように力を籠めるギガードンと、脇を捉えて押し返そうとする翠の巨人エメーラがぶつかり合う。ぶつかり合った衝撃が空を奔り、周囲の建築物や設置物を吹き飛ばし、破壊する。両雄は再激突を果たした!

「会いたかったよな、ギガードン。御指名通り、相手をしてやるぜ。俺と翠の巨人エメーラがな!」

 静かな、僅かに笑みを含んだ呟きは相手に届くはずもないが、しかし絶対に通じ合っているという確信があった。ケイゴ自身、自らが抱くギガードンに対する感情の正体が理解できていない。だが、必ずまた現れるという予感は、強く意識する度に期待へと変わっていた。

 こおぉ……。見下ろす形のギガードンが、口から何かを吸い込み始める。大気中の酸素、翠の巨人エメーラに反射する太陽光、目には見えないナノエーテル。密着状態で放つビームの予備動作だ!

「やると思ってたぜ。ショルダー・キャノン!」

 ケイゴはソレを読んでいた。翠の巨人エメーラの両肩に二門の砲台が現れてギガードンの顔を狙い、敵の攻撃に先手を打つ!

 っどどん! 至近距離での砲撃、それも顔面に対する直撃! 一発は口の中に入ったようで、ギガードンは煙を吐き出しながら大きく怯んだ! その隙を逃さず、翠の巨人エメーラはギガードンにショルダータックルを仕掛けて押し飛ばし、大怪獣は滑るように倒れこんだ。近接戦の駆け引きの中、読みが通ったことでケイゴの笑みが深まる。何事も予想が当たると気分が良くなるが、この極限状態で現状を楽しむ心の余裕があるケイゴの精神状態は異常だった。

 翠の巨人エメーラはギガードンに追撃を狙うが、ギガードンの持ち直しは想像よりもずっと早い。

 ギロッ! 黒い瞳が白目の中を動いて獲物を睨みつける。ケイゴは右側からの衝撃を予感した。ギガードンの拳は射程外、その攻撃の正体はわからないが翠の巨人エメーラは防御の構えを取る。気付いた時、ギガードンは身体を右回転、なびく大きな尻尾を翠の巨人エメーラに叩きつけた!

「ウゥッ、くぁっ!」

 それは力強くしなる鞭の様な武器であり、しかし太く、重い鈍器でもあった。遠心力を生かした攻撃は想定以上の威力で翠の巨人エメーラを襲う。この攻撃は、先ほどイシガミ少尉の乗るR-39を吹き飛ばした尻尾払いとは殺意が違う。もしこの本気の攻撃を受けたのがR-39だったら、当たり方によっては研究所の敷地外まで吹き飛ばされ、コックピット内に居たパイロットは衝撃により即死するだろう。だが、翠の巨人エメーラは違う。右の盾で受けた衝撃は軽くないとはいえ、致命傷には程遠い。ケイゴもうめき声をあげるほど衝撃に襲われたが、戦闘行動の継続には全く問題は無かった。

「まだまだ!」

 よろめき、一瞬動きを止めた翠の巨人エメーラだったが、直ぐに攻撃を再開する。右の拳が風を切って襲い掛かり、そのままギガードンの首から生えた角を折った。ギガードンが負けじと反撃、腕をまっすぐ伸ばして翠の巨人エメーラの胸を打ち、鋼鉄の装甲が拳を受け止めて鈍い音がする。硬度で勝るが重量で押し負け、胸板をへこませながら翠の巨人エメーラは後ずさる。すかさずギガードンが掴みかかるが、翠の巨人エメーラは左半身を後ろに下げながら垂直に右こぶしを振り上げ、アッパーカットとして怪獣の顎を穿つ!

 ぎゃぁああう!! 苛立ちが喉から溢れ出し、ギガードンは怒りの咆哮を上げる。その隙に繰り出した手刀が顔を払ってギガードンはよろめいた。

「どうせ不死身なんだろ、そんなに怒るなよ」

 折れた角を再生しながら、ギガードンはケイゴの挑発に乗ったかのように駆け出した! 左の鉤爪を振り上げて、ひっかき攻撃を行おうとしている。だが、攻撃に対するカウンターはケイゴの最も得意とする戦法だ。翠の巨人エメーラは右拳をひいて構える。ギガードンが間合いに入る直前に屈みながら前進し、右の拳を斜め上に突き出すと、敵の左脇の内側に右腕が入り込んで、前のめりな顔面を捉える。クロスカウンターだ!

「イクシードスパイク!」

 拳を撃ち付けられて怯んだ隙に、上腕の盾の先に太い二本の針を出す。一度腕をひいて、がら空きになったボディに突き刺した!

「喰らえッ」

 レバーのボタンを長押しする。ケイゴと翠の巨人エメーラが翠の光を纏い、光は力となって鏡界獣の身体を撃ち破る!

 ぐぎゃぁああお!! 深々と突き刺さった針はそう簡単に抜けない。それでもギガードンは抵抗を続けた。力任せに、無茶苦茶に暴れると拳や蹴りが翠の巨人エメーラを襲う。

「ぐあっ!」

 やがて怪力パワーに押し負け、翠の巨人エメーラは距離を取られてしまう。しかし、これも想定の内だった!

「今だ、タチバナさん!」

砕力集中光撃砲アストラルビーム、発射!』

 期を伺っていたタチバナが、凛とした声でビームの発射命令を下す! 研究所本棟ではすでに砲台の前に三柱がプラズマを作っていて、発射準備が整っていた!

『了解、砕力集中光撃砲アストラルビーム、発射します!』

 砲撃手が命令の復唱と共に大きなボタンに拳を叩きつけ、即座にビームを放つ!

 ぎゅぉおおおん!! うねるビームがギガードンを襲う! 今度はバリアを張られる前に、確実にギガードンに命中した!

「やったか!?」

 オペレーションルームで、タツローが腕を上げて勝利を喜んだ。しかし、彼以外の全員はこの鏡界獣の恐ろしさを知っている。うかつに喜べない緊張感が、場を支配し続けていた。

『まだだ!』

 ケイゴの声が響く。確かにビームの直撃を受けたギガードンだったが、今はもう、前回と同様にあの青白い光が全身を包んでいた。バリアーはビームを弾き、拡散したエネルギーが周囲に破壊をもたらしている。

「またあのバリアーか」

 カツムラが歯噛みして悔しさをにじませた。

「な、なんだよあれ。反則じゃねえか!?」

 タツローの表情が喜びから一変、絶望に歪んだ。

 その間に翠の巨人エメーラは前回同様にタックルの構えを取ったがが、ギガードンの瞳が明らかに翠の巨人エメーラを警戒していた。ケイゴも迂闊なことをせず、硬直状態に陥っている。

 司令官は人知れず唇を噛む。既に絶好の機会を逃したことを認め、決断を下した。

「撃ち方やめ! エネルギーを温存します」

 砲撃手の操作によって砕力集中光撃砲アストラルビームは出力を落とし、ビームが消えていく。軌道上に残るプラズマの残滓がバチバチと弾け、未練の様に漂った。

「完全に隙をついたのに、倒せないのか。クッ……」

 冷静さが取り柄のカツムラでさえ取り乱している。この研究所の防衛兵器で倒せないこと自体が相当なイレギュラーなのだ。効果的な作戦を挫かれて、士気が下がるのも無理はない。

 このままではいけない。タチバナが焦りを感じていると、ケイゴの声が聞こえた。

『だが、無駄ではなさそうだぜ』

 彼は何かを見つけたようだ。オペレーションルームの面々が必死になって情報を探り、モニターに映し出されたギガードンの姿に異変を見つけた。ギガードンの全身は黒くてかたい表皮に覆われているが、その表皮にヒビが入って赤いラインとなっているのが確認できた。ギガードンの立ち姿も心なしか猫背になっていて、ダメージの蓄積が目で見える程だった。

「効いている……!」

 この場の誰もが暗闇の中で光明が差した気分だった。巨大怪獣と言えど無敵ではないと分かり、絶望的に感じた戦いにようやく勝機が見える。

「行けるぜ、もう一発だ! よっしゃああぁ……?」

 タツローの快活な声が響くが、それができないことは皆承知しているので誰も返事をしない。タツローは騒ぐのを辞めて声を落とす。

「ど、どうした? 俺、マズイ事言ったかよ」

砕力集中光撃砲アストラルビーム充填チャージが必要です。連発はできません」

「うえ、そうなのか。次までにどれくらいかかるんだ?」

砕力集中光撃砲アストラルビームのチャージは?」

「現在35%。装填完了まで、25分の予定」

「け、結構かかるじゃねえか!」

 そもそも、研究所防衛砕力兵器はいざという時の切り札と言う扱いで、ここまで連発するような想定は無かった。この研究所には紅い戦神ルビーラ蒼い疾風サフィーラが居て、殆んどの鏡界獣は彼女たちで対応することができたからだ。

「聞こえていますか、志村君」

『ああ。次を撃ち込むまで、時間を稼げって言うんだろ』

「少し違います」

 いい加減、タチバナも彼のことがわかってきた。息を吸って、目を見開く。

「私たちは奴に勝ちます。次のチャンスまで。これは命令です」

 凛とした声を強く言い放った。タツローは驚いて目を見開き、カツムラはほくそ笑む。

 少し間を置いて、返事が来た。

『了解』

 落ち着いた、飾り気のない返事だった。とりあえず異論は無いらしい。苦手だった異性とのやり取りを終え、タチバナはふうっと緊張を吐き出した。

 

 前線では変わらず翠の巨人エメーラとギガードンが対峙している。現在南東第四区に居るギガードンの体表には、主にイクシードスパイクが突き刺さった腹部が重点的に目立つ形で亀裂が入っている。赤いラインは血液の流れる血管のようにも見えるが、体内からわずかに光っていて、ギガードンの力強さも相まってマグマの様だとケイゴは感じた。

(俺たちは、本当にコイツを追い詰めたのか?)

 実際に対峙しているケイゴは、その脅威を肌で感じていた。無意識のうちに冷や汗をかいていたことに今気づく。あれだけの攻撃を受けてなお、悠然と立つ底知れない敵を不気味だと感じた。

(俺は、奴を恐怖しているのか)

 ケイゴにとってこの感覚は久しぶりだった。

 死ぬことが再び怖くなったんだろうか? だが、それはおかしい。何故なら……。深く考えてしまいそうになって、首を振る。自意識について考え込む余裕はない。

 ケイゴが考え事をしている間、何故だかギガードンも動かなった。敵はあるものを凝視している。

「研究所を見ている?」

 嫌な予感がした。ギガードンは咆哮すると、真っすぐ研究所本棟に向かって走り出した!

「まずい!」

 横を抜き去ろうという時に体当たりを繰り出し、もつれあった二つの巨体が地を揺らす。ギガードンは倒れたまま翠の巨人エメーラを睨みつけてまた叫んだ。

「怒っているのか」

 ケイゴの分析の是非をギガードンは答えない。大怪獣が素早く立ち上って再び研究所に向かおうとして、翠の巨人エメーラは尻尾を掴んで引き留めた。すると、ギガードンは尻尾の筋肉を発揮して翠の巨人エメーラを引きはがそうとする。太い尻尾に腕を回して全身を杭のように抱き留めるが、右へ、左へ、振り回すつもりで尻尾に力を込められるたび、翠の巨人エメーラは身体を大きく揺すられた。初めは堪えていた翠の巨人エメーラだったが、徐々に揺れが大きくなり、やがて足が地面を離れた!

「しまっ……」

 振りぬいた尻尾がしなり、翠の巨人エメーラを吹き飛ばす! アパートが立ち並ぶ集合団地の上に仰向けに落とされると、布団の上に落とされたような見栄えとなった。だが、優しい受け止め方はされず、けたたましい音を立てて建物が倒壊していく。起き上がるため顔を上げた時、モニターに映ったのは白に近い色をした火球だった!

「なっ……うわぁああ!」

 ぼぉおおっ! ギガードンが吐き出した火球は着弾と同時に翠の巨人エメーラの全身を炎で包んだ! 火球は翠の巨人エメーラだけを燃やし尽くすように炎の玉がそこに留まっている。これは自然の法則に乗っ取った炎ではなく、ナノエーテルの集合体が炎となった故意の攻撃現象だった。

「イクシード……スパイク!」

 右拳に出現させた針を打開策として採用する。灼熱のコックピットの中でケイゴの全身を翠の光が包んだ。右手を薙ぐように一回転すると、二本の針は全身を包む火球を切り裂いた!

 炎を脱した翠の巨人エメーラ。しかし、ダメージは既に甚大だ。機体がふらつき、ケイゴの操縦によってギリギリのところで片膝をついた。

『機銃集中射撃!』

 通信機越しに指示が聞こえる。今にも研究所本棟に到達しそうなギガードンに対し、昨日の襲撃で生き残った固定機銃が一斉に稼働、弾幕の嵐によってギガードンに抵抗の意思を見せている。しかし、残念ながらギガードンには傷一つついていない。

『ケイゴ、生きてるか!? ケイゴォ!』

 通信機越しに聞こえる親友の声。タツローの場所からもギガードンが自分たちに接近しているのは見えているだろうに、普段なら他人の事を案じている彼に関心を通り越して呆れを覚えるところだ。だが、ケイゴは返事ができなかった。灼熱に晒された翠の巨人エメーラは昨日の火炎放射以上のダメージを負い、全身を黒く変色させている。ケイゴ自身も多量の発汗と火傷を負っていた。

『ケイゴ! 返事しろよ!』

「なんてこと、ないさ」

 高熱の空気を吸った喉が火傷して喋るのが辛い。それでも掠れるような声で強がって見せるが、逆にタツローに現状を伝えてしまう。

『大丈夫かよ!? ひでえ声だぞ』

「さあ、な」

 レバーを握る手が火傷で激痛を伴い、ケイゴは一瞬顔を歪めた。それでも決して手を離さず、操縦によって翠の巨人エメーラを走らせながら左の機拳を前に突き出した。

「リバース・ショット」

 左手が変形して拳が腕の中へ入っていく。その代わり現れた空洞が砲の役目を担った。再び翠の巨人エメーラの全身が淡い光を纏い、右腕で左の砲口を支える構えを取って立ち止まる。

 どんっ、どんっ、どんっ! 連続で打ち出された翠の光弾が着弾し、敵は悲鳴を上げた。ショルダーキャノンと異なりこれは砕力武器で、ゆっくりとした弾速にも関わらず鏡界獣に効果的である。ところが、三発撃ち込んだところで射撃が止まってしまった。

「やっぱり、連発はできないのか」

 便利な射撃型砕力兵器。当然、デメリットはある。弾速の遅さ、火力の低さ。そして、連射数の少なさ。先ほどのイクシードスパイクを使った火球からの脱出と合わせて、相当量の砕力を連続で使ってしまった。しばらく砕力はまともに使えないだろうが、それでも注意をひくことはできるとケイゴは考えていた。

 狙い通り注意を引きつけ、ギガードンが再びこちらに振り向こうとした。だが、その時ギガードンは既に研究所本棟のすぐそばに迫っていた!

『はっ! シャッターを下ろして、同時に緊急障壁! 速くッ!』

 タチバナが予感に基づいた緊急命令を叫ぶと、防御担当の操作により研究所全ての窓ガラスに防護シャッターが下りる。同時に鉄の壁がそり経つが、その壁にギガードンの太い尻尾が意図的に叩きつけられた!

「よせっ!」

 どごっしゃぁぁああ……。制止も空しく、オペレーションルームを襲ったすさまじい衝撃により通信が途絶される。本棟隣の第二棟と障壁は直撃を受け、第二棟は該当箇所から上が吹き飛ばされてしまった。障壁も粉々に吹き飛び、破片が本棟に降り注いだ。

 ぞわっ……! 高熱に当てられたばかりのケイゴの全身に悪寒が走る。喉が火傷で痛むことを忘れ、必死に叫んだ。

「タツロー、タチバナさん、カツムラさん! 無事か!?」

 返事がない。不安が心臓の動きを加速させて、聴覚を鼓動が支配した。

 振り向いたギガードンがこちらを見ている。お前は俺の獲物だ。そう睨みつけた瞳がケイゴに告げるように。ギガードンは、宿敵エメーラとの決闘を邪魔する本棟のビーム兵器が許せなかった。邪魔さえしなければ後回しにしてやったものを、そう考えるギガードンは邪魔者を排除したことに罪悪感などない。

 冷えた肝が熱を持つ。頭に血が昇って、衝動が身体を動かした。

「ギガードンッ!」

 叫ぶと同時に、翠の巨人エメーラは走り出す。パイロットは血走った眼で敵を睨みつけ、食いしばる歯が火花を散らす。志村ケイゴの意思は怒りに支配されていた。

「おおおおっ!」

 イクシードスパイクが装着されたままの右拳で殴り掛かる。ひっかく要領でギガードンを傷つけるが、怯むのは一瞬だ。ギガードンは腕を払って翠の巨人エメーラを吹き飛ばす。そのまま仰向けに転んだ翠の巨人エメーラの元へ駆け寄り、トドメを刺そうとした。翠の巨人エメーラは倒れたままの姿勢で蹴りによる迎撃を試みるが、なんと敵の姿が消える。

「はっ!?」

 しまった、と思った頃にはもう遅い。上空を見上げると、大怪獣の巨体が跳んでいた。太陽を隠して、翠の巨人エメーラを影と言う名の闇で覆い尽くす。のしかかりプレスだ! 最大の衝撃を予感してケイゴは身震いした。しかし、わかっていてもよけられない! 諦めずに両腕を暴れさせ、身体を半回転させて距離を……だっ、駄目だ!!!

「くっ、うぅおおお!?」

 ごっしゃあああ!! 悔しさと恐怖が混ざり合った悲鳴は、ギガードンの巨体に押しつぶされた……。


 ☆☆☆☆☆


 埃で汚れた階段を一つ飛ばしで登って、年季の入ったアパートの四階に辿り着く。外の景色は子供の背丈では覗けないが、環状線を車が通る度に風の音がした。曇天の空はまもなく雨を呼ぶ。突き当たりの部屋の扉はベージュ色の塗装がところどころ剥がれ落ちて、本体の鉄の扉が赤銅色に変色していた。

 玄関の扉を開くと真っ先に自分と目が合う。そこには、当時母が嫁入り道具の一つとして持参した姿見があった。彼女の半生を映し続けた鏡の鏡面には、よく見ると小さな傷がたくさんある。靴箱の上には花瓶があって、鮮やかなピンク色のマーガレットがみずみずしく花を咲かせた。

 母は茶髪の似合う美しくて強い人だった。自分のしたい事をするのはもちろん、家族を支える事を惜しまない。いつだって自分がするべき事を見極めなさいと、口癖のように話していた。

 ランドセルを下ろして台所の母親に声をかけ、今日の出来事を一通り話してからリビングを抜ける。襖をそっと開けると、隣の寝室で消防士の父が寝息を立てていた。

 父は朗らかで優しく、冗談をよく言う面白い人だった。ただし、危険なことをした時は真剣に怒る。その時は本当に怖くて、お前は恐れ知らずで目が離せないとよく叱られた。

 いつだって背筋が伸びていて美しかった母。人としての強さと思いやりにあふれた父。二人の愛情を受けて育つことが誇らしかった。

 

 重い雨が降っている。

 地域では過去最大の雨量を観測し、町内放送が避難を呼びかけた。河川の水位が尋常ではない速さで上昇し、既に消防隊が出動して決壊に備えている。

 非番の父にも声がかかった。彼は布団から飛び起きると、即座に服を着替えて家を出ようとしている。

 何か嫌な予感がした。言葉にならない不安は窓を強く叩く風と雨のせいだったのかもしれない。それとも、後に目覚める能力の前兆だったのか。どちらにせよ、大切なのはその時の感情。

 記憶は遠く、これが夢であっても完全に再現はできない。だが、叫んだことは覚えている。父にはどこにも行かないで欲しかった。

 玄関まで来て服の袖を掴む息子に、父は優しく頭を撫でて背を向ける。鏡に映る彼は戦う者の目をしていた。誰かを救う使命に生きる人。その背中を見て育った。使命に従い立ち向かう事こそ正しい道理なのだと、幼いながらに理解できていた。しかし……。結局、立ち去っていく父を引き留める事は出来なかった。

 背中に視線を感じて振り返る。鏡に映った自分と目が合って、そこで初めて涙が頬を伝っている事を知った。悲しみに暮れている自分を母が強く抱きしめる。鏡の中で、彼女の左耳のピアスは弱々しい輝きを放っていた。

 避難しようと家を出て、わずか数分のことだった。決壊した堤防の先から大量の水が襲い掛かって、母を飲み込んだ。足が震えて母の後を追う事さえできず、ただ独り残される。今度は誰も抱きしめてくれなかった。

 避難先の公民館で寒さに震えながら父を待った。勇敢な父が水に呑まれた母を助けてくれる、そんな都合の良い妄言を何度か口にしたらしい。

 父の同僚が自分の事を見つけてくれたのは一週間後だった。堤防が決壊した瞬間、弾け飛んだ水に流されて父も命を落としていたそうだ。

 父と母は濁流に巻き込まれ、二度と帰らなかった。

 

 水と言う名の災害が町を去ってから、親戚に連れられてアパートに帰った。あれだけ慌てて避難したにもかかわらず、アパートは倒壊せずに取り残されていた。予感は正しかった。あの時、ここに残っていれば誰も死にはしなかった。ただ独り残されることもなかった……。

 主人を失ったマーガレットが生命力を失い、艶やかだった色と生命を枯らしている。ぞくり、と悪寒がして振り返ると、鏡がそこにあった。立ち尽くす自分を正気の無い瞳が見つめている。鏡の中の瞳から涙が溢れて頬を伝っていく。床に墜ちた涙は水たまりを作り、溢れて、身体を、世界の全てを飲み込んでいく。精神が限界に達した時、どこか遠くで何かが割れる音がした。

「――――ワァアアアアッ!!!」

 狂った獣の様に叫んで、飾られていた花瓶を鏡に叩きつけた。蹲り、悶え、頭をかきむしって泣き叫んだ。流した涙が雨と混ざって渦になり、大切なもの全てを奪い去っていく。そんな幻覚、幻聴、妄想が彼を支配し、心を殺した。


 もう、死んでいると思った。

 親戚が自分を引き取ってくれた時も、高校に進学が決まった時も、感慨は無い。誰かが決めてくれたことに頷き一つで従った。

 どうでもいいと思った。鏡を割った時、自分はもう手遅れなのだと理解した。母が死んでも残された鏡の様に心が死んで肉体だけが残されたのだ。

 あんなに憧れた両親でさえ呆気なく死んでしまう。それならいっそ、俺もこの命を使い切ることができたなら……。

 

『ケイゴォ!』


 やかましく響いた声に瞼を開いた。闇の中で漂う身体は無重力のように浮いている。目の前には鏡があって、鏡に映るタツローが拳を真っすぐこちらに伸ばしている。

『帰って来いよ。もし死んだら、ぶっ殺すぜ!』

 彼の声が闇の中に反響する。そのやかましさに思わず耳を抑えたが、その言葉は胸の奥にある臓器に力強く響いた。

 何故。アイツは俺を見捨てないんだろう。心が死んだ俺と一緒に居る事にどうしてこだわる?

 鏡はヤジマを映し出す。老兵は優しく諭すように語った。

『誰もがということを。わからないお前を、理解しようとあがく人間が居る事をな』

 どうして俺なんかを理解したがる? 明日には死んでしまうかもしれない命なのに。

 鏡の景色がぐらぐらと揺れて、イシガミを見上げた。彼は怒りに口を歪ませ、見下して言う。

に戦うんだ。思ってる奴は、同じ志の仲間じゃない』

 ……仲間。生き残るために、共に戦う仲間。仲間とは、なんだろう。

 その答えを示すのは、鏡に映ったタチバナの笑顔だった。

『志村君、ありがとう』

 笑っていた。あんなに苦しんでいた彼女は、俺なんかの言葉で笑ってくれた。

 鏡は記憶する限りの出来事を次々に映し出していく。その中に、人々の笑顔や悲しみ、怒りの顔が次々と映されては流れて、時に翠の巨人エメーラやギガードン、恐ろしい水と言う名の災害も見えた。

 目に映る全てを他人事だと捉えてきた。そうすれば、もう何も傷つくことは無いから。心はまさに鏡のようだと思っていた。無機質で、無関心で、ただ物事を映すだけの装置。それでいいと思った。

 ギガードンと再会した時、期待に胸が躍った。今度こそ、こいつは水の代わりに俺を殺してくれるかもしれないと思ったから。だが、ギガードンに攻撃される度に胸の中がざわついた。俺が倒れてしまったらどうなるのか。その予感は奴の尻尾が研究所に叩きつけられた時、確信に至った。

 仲間たちに何かあったら、そう考えると思わず頭に血が昇った。心は死んだのではなかったのか? 自分自身、今でも困惑している。だが、確かに感じたあの情動こそ、その答えなのだ。俺の心は死んでなんかいない。ただ、死んだことにしなかったら、何も守れなかった自分の弱さを受け入れる事ができなかっただけだ。俺は何より、自分の弱さと向き合うことを恐れたのだ。

 人が死ぬということは、どうしようもなく悲しい事なんだ。例え鏡を割ったとしても、心を殺してみても悲しみは消えてなくなったりはしない。大切なのは自分と向き合う事だ。弱さと痛みを乗り越えるために、自分を見つめるあの目から逃げてはいけなかったんだ。

 憧れだった父と母の強さ。大切な物のために戦う使命感、それは失いたくないものの価値を知っているから。美しくあることの意味、それは大切な人にとって心強く在れるから。

 見知らぬところで勝手に命を落とした父をずっと恨んでいた。大切な母を救えなかった自分をずっと許せなかった。でも、過去が力をくれるなら、痛みも俺の一つだとわかる。鏡に映る自分から目を逸らす事はもうしない。

 今、自分に何ができるだろう。きっとなんだってできる。そのために必要な力はきっと仲間がくれる。心強い仲間たちが、心が折れそうな時にきっと支えてくれる。

 俺の使命は――。

『キミはだ』

 そうだ。俺の使命は、あの時カツムラさんが教えてくれた。俺は誰も死なせないと確かに言ったのだ。

 俺が皆を守る。そして、絶対に死んではならない。俺が死ねば、仲間たちが涙の渦に溺れてしまうから。あんな思いを誰にも知ってほしくない。鏡を割るのは俺の役目だ。心通じ合う仲間たちと一緒なら、俺にはきっとなんだってできる。


「そうだろ、タツロー」


 瞳は光を強く求める。親友との合図を思い出して、拳をぐっと握りしめて真っすぐ前に突き出した! 拳が鏡を打ち砕くと、閉じ込められていた心がわっと広がって、闇の中が記憶で埋まっていく。過去の全てを自らと認識した時、志村ケイゴの瞳には強い光が宿った。掲げた右手を開き、その名を叫ぶ!

行くぜ、翠の巨人エメーラ!!」

 混ざり合う光と闇の中を翠の軌跡が奔る。ケイゴは大胆不敵に笑って見せて、駆け抜ける翠へと手を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る