第五章 春嵐

 傾き始めた太陽が研究所を広く照らし、倒壊した施設や歩き回る職員が長い影を作った。

 破壊の跡が色濃く残る研究所敷地内を、手の空いた職員が総出で復興作業に当たっている。群蝙蝠を撃ったマシンガンや機銃の弾丸を回収し、一つ目一ツ鬼ヒトツメヒトツキが破壊した建物の残骸を重機や作業用ロボットが回収する。翠の巨人エメーラとギガードンの戦闘で発生したクレーターは、立ち入り禁止の黄色いテープで囲まれていた。

 そんな研究所の様子をとある人物が物陰から観察していた。北西第一区と北東第二区の間に植えられた桜の木の影から身を乗り出している。

「な、なんなんだよこの施設。研究所って聞いてたのに、これじゃ街じゃねえか!? ……しかも、壊滅してるし」

 忙しなく首を回すと、ぼさぼさの黒い髪についていた桜の花びらがひらひらと落ちていく。絶えず独り言を漏らしつつ、挙動不審気味に周囲を警戒している少年の姿を多くの人が目撃した。当然、既に通報済みである。

「君、そこで何をしている?」

 というわけで、通報を受けて駆け付けた兵士が声をかけた。

「やべえっ、見つかった!?」

 少年は兵士たちに背を向け、慌てて走り去った。兵士たちが追うが、彼は信じられない脚力とスタミナで距離を離していく。大げさに揺れる肩下げの鞄が彼の騒々しさをより強調した。

「へっへっへ。まだまだ捕まるわけにはいかないっての」

 愕然とする兵士をどんどん突き放して少年は得意げに笑い、前を見据えた。目指すのはこの敷地の中で一番大きなでかい城のような建物。あそこに、アイツがいるはずだ! 直感を信じるまま少年は猛進を続ける。

 行き先に人影が現れた。一人は白髪しらが白髭しろひげ、額に包帯を巻いた爺さん。もう一人はサングラスをかけた背の高い男ノッポのおとこ。追手の兵士が息を切らしながら二人に叫んだ。

「ヤジマ軍曹、イシガミ少尉! 侵入者です、捕まえてください!」

「なんだとっ」

 ヤジマはジャケットの袖をまくり両手を広げる。イシガミはその後ろに退がった。

 走り続ける少年は老兵と視線を交錯した後、その腕の中に目掛けて突進する。矢島軍曹は御年58歳、高齢者に近しい存在だが、その鋭い双眸とラインがくっきりと浮かび上がる二の腕の筋肉が、彼が現役の存在であることを物語っている。先の戦闘の負傷など気にもせず気迫を持って不埒者を捉えんとするが、侵入者は更に素早かった!

 びゅおっ! 春風が駆け抜ける。老兵が広げた右腕のすぐ下を、ステップと同時に屈むことですり抜けてしまった!

「悪いな、爺さん! 俺はまだまだ捕まるわけには……いっ!?」

 勝ち誇る少年だったが、続いてイシガミのサングラスを見た次の瞬間、服の襟首を掴まれて動きを止められてしまった。

「ちっくしょう。サングラスで目が見えなかった!」

 そう。この回避テクニックの肝は視線なのだ。相手が自分の目を見てくれていれば、逆に自分の視線でフェイントをかける。見ていなければ、確認した方向へ迷いなく飛び込む。ヤジマは油断なく自分の目を見ていたので引っかかってくれたのだが、サングラスで視線が読めないイシガミには相性が悪かった。

「ほら、軍曹。サングラスって侮れんでしょう」

「抜かしよるわ」

 イシガミは侵入者の服の襟を掴んで持ち上げた。うぎーっ、と苦痛の声を上げている。

「離せーっ!」

「おい、暴れるなよ。ここに何しに来た?」

 侵入者が両手両足を暴れさせて脱出を試みるので、その凄まじい暴れようにたまらず地面に押さえつけた。

「げぶっ。し、白々しいぜ! お前らこそ、アイツをここに連れてきてどうしようってんだよ」

「アイツ……?」

 ふと、この侵入者の服装に目を留める。このブレザーのデザインには見覚えがあった。

「この制服、高校生だよな。それも富士起動科高等学校の生徒だ」

「なんでわかるんだ!? 制服マニアか?」

「馬鹿、俺はOBだ!」

 カッとなって声が大きくなってしまった。必死さをヤジマに笑われている。

「こほん。それよりお前。アイツって」

 気になったのは当然制服マニアだからではない。高校生の侵入者が探す人物に一人心当たりがあった。

「決まってんだろ、志村ケイゴ! 俺の親友ダチに何したんだ」

 イシガミは目を細める。それから妙案が浮かぶのに、数えるほどの時間も要しなかった。

「ヤジマさん。例の特機パイロットの高校生、名前をご存じですか?」

「いや、聞かされてない」

「じゃあ、聞きに行きましょう」

 突拍子の無い提案にヤジマは呆気にとられた。イシガミは微笑んでこそいるが、冗談を言っている雰囲気ではない。

「正気か? 子供とは言え侵入者を会わせるのか」

「いい機会だ。俺もそいつには会いたかった。口実を探してたんですよ」

「げんこつじゃ庇えんぞ」

「焼き鳥も無しですかね」

「がぁっ! 何の話してんだよっ」

 二人の会話に痺れを切らした少年が再び手足をばたばた振るって暴れ始めた。

「落ち着けって。なあお前、ケイゴとやらに会いたいんだろ」

「会いたい!!」

 素直に叫ぶ侵入者に、イシガミはにこやかに微笑んだ。

「じゃあ会わせてやる」

本当マジか!?」

 目を輝かせてイシガミを見上げる侵入者。しかし、イシガミは次の言葉で声のトーンを一気に下げた。

「その代わり、暴れないって約束しろ。でなきゃだ……」

 うっ! 少年の顔が引きつって、ようやく大人しくなった。ぐぎぎ……と、悔し紛れの声が食いしばった歯の隙間から洩れている。

「くそっ、大人は汚ねえ。直ぐに銃をちらつかせやがる。これが噂の、弾圧ダンアツか……」

「あのな、一応ここ軍事施設だぞ。……お前、名前は?」

 逡巡の末、少年は目を逸らして口を窄める。

「瀬川達郎タツロー


 ☆☆☆☆☆


 タチバナが小会議室に入室した時、既にケイゴは着席していた。続いて入室したカツムラが戸を閉める。

「遅くなりました」

 ホワイトボードの前に立つと、先頭の席に座るケイゴと目が合った。茶色の短髪、髪の下にちらちらと見える左耳のリングピアス。タチバナの言う事を待っているのか真っすぐにこちらを見返して、彼女はこの瞳の力強さが少し苦手だと感じた。愛想良く笑顔を作るが、少しぎこちない。

「ようこそ、富士砕力研究所へ。改めまして、防衛司令官の立花涼香です。こちらは副官のカツムラさん」

 ケイゴは「えっ」と声に出して驚き、カツムラを見あげた。

「アンタ、副司令官だったのか」

「そうだ」

「へえ。思ったより偉い人だったんだな」

「フ。敬語を使ってもいいんだぞ」

「まさか」

 ハハハ……。口数の少ない男二人は、お互いに何か通じ合って静かな盛り上がりを見せている。その横で、若い女性司令官は置いてけぼりを食らっていた。

(カツムラさん、私を置いて盛り上がらないで!)

 副官の背に悪寒が走る。不服を訴える司令官の視線に気づいて話題を変えた。

「コホン。司令、本題に戻りましょう」

「……そうですね。志村ケイゴさん、まずは今回の戦闘への協力に感謝します」

 司令官はそう言って深々と頭を下げた。

「俺が言い出してやったことだし。それよか、軍の機密を知ったお前を生かしては置かない、なんて言われなくて安心してるよ」

 ケイゴは表情を少し崩していた。タチバナは顔を上げてふわりと微笑む。

「そう言っていただけると助かります。では、今回貴方を招集した理由を説明させてください」

 司令官は副官に視線を向け、彼は頷いてホワイトボートに手をかける。

 何か書いて説明するのか? ケイゴがそう思った次の瞬間、カツムラは強くホワイトボードを叩いた。バンッと言う音と共に、壁に貼り付けられたボードは半回転する。現れたのは電子モニターだった。

「そうなってんの?」

 ケイゴの素直な感想を無視して、二人は説明の用意を進めていく。タチバナは懐から取り出したリモコンをモニターに向けた。

「志村君。全世界で顕現している鏡と鏡界獣について、どの程度知っていますか?」

「大きな鏡が出現したらそこから鏡界獣が出てきて、暴れて回るってことくらいかな。それを倒せるのが、砕力アストラルフォースとかいう力だって聞いてる」

「そうですね。では、鏡はどこに現れるのか、ご存じですか?」

「さあな。世界中としか」

「その認識は間違いではありません」

 モニターに映像が流れる。地球上の各地に赤い点が表示され、おそらく鏡の出現位置なのだろう。

「実際、数年前まで鏡界獣の出現は前兆無し、出現位置も完全にランダムでした。ですが、今から2年前。鏡はナノエーテルが集中している場所に出現する傾向があるとわかりました」

「ナノエーテル? 砕力アストラルフォースとは違うのか?」

「ナノエーテルとは、世界中に存在する目には見えないエネルギーの事。ナノエーテルを凝縮し、鏡と鏡界獣に有効な兵器に転用できるようにしたものが、砕力なのです。この富士砕力研究所では、砕力兵器の製造と試運転、そして謎の多い砕力についての解明を行っています。そのため、ナノエーテルが豊富に観測される富士山の麓に立地しているわけですね」

 そこまで聞いて、ケイゴはあることに気が付く。

「……なるほど。じゃあ、この研究所は避雷針の役目を担ってるんだな」

 カツムラの車から見た、南側の外壁に立っていたアンテナの事を思い出す。きっと鏡の出現位置をある程度絞るための装置だったのだ。

「その通りです。何故、鏡がナノエーテルに呼び寄せられているのかはわかっていませんが、特定の場所に誘導した方が備えがしやすい。敷地を囲う鉄の壁があることはご存じかと思いますが、せめてその内、主に南側第三区、第四区に鏡を発生させるように工夫しています」

「言いたいことはわかるよ。けど、結構派手に暴れてたぜ。ビルとか壊されてたよな」

 一つ目一ツ鬼ヒトツメヒトツキを思い出す。奴は巨大な棍棒で十階建ての建物を粉砕してしまった。場所を絞っても、破壊活動が行われてしまうのではあまり意味がないのではないだろうか。

「あれはダミーの建物です。中に人はいませんし、生活に必要な拠点ではありません。それなりに手間はかかりますが、それでも普通の建物より安価で作り直せます」

「そうなのか。だが、何のために?」

「一つは、鏡界獣の進行を防ぐ障害物としての役割。もう一つは、鏡界獣の本能を利用するためです」

「本能?」

「鏡界獣にはある程度共通するいくつかの習性があります。ナノエーテルに呼び寄せられ、生き物を模した能力を利用してナノエーテルを探す。そして、破壊衝動。彼等の目的の一つは文明を破壊することだと言われています」

「文明を破壊……?」

 モニターに、鏡界獣に破壊された世界中の建築物が映し出される。

「はい。と言っても、そう語ったのはかの。独特な感性を持つ彼の発言の意図を全てくみ取ることは難しく、その根拠を知ることは難しいのですが、専門家の間でも鏡界獣の目的は人間や生き物ではないと言われています。我々は彼等からすれば確かに小さな生き物ですが、邪魔をしなければ襲われないという報告も多くあるんです」

「じゃあ極端な話、鏡界獣は地球上の建物を全部破壊し尽くせばやることがなくなるのか」

「そうかも知れません。ですが、そんなことはさせない」

 そう語る彼女は、いつもの弱気な表情を消して強く憤っているように見えた。表情の変化は一瞬で、すぐに冷静さを取り戻して丁寧な説明を続ける。

「ダミーの建築物は、破壊衝動を刺激して矛先を誘導するのが目的です。研究所本棟が近くにある以上、最後には本棟に攻め入るでしょうが、破壊している間に時間は稼げますから」

「時間稼ぎか。あのビームを撃つためか?」

 モニターの画像が切り替わり、この富士砕力研究所の画像を背景に研究所防衛兵器が次々表示される。その中には、先ほどギガードンと鏡に放った砕力集中光撃砲アストラルビームの画像もあった。

砕力集中光撃砲アストラルビームムゲンミサイル、反発鉄塊弾圧殺砲メテオ・スパイク。どれも強力な兵器ですが、使用には多量の砕力が必要になります。逆に言えば、どんな鏡界獣が来ても研究所防衛兵器が発動すれば必ず撃退できます」

 言い切って見せたタチバナだが、その顔色は優れない。つい先ほど、例外が生まれてしまったのだ。

「必ず?」

 ケイゴが疑問を覚えて聞き返すと、タチバナはぎくりと身体を震わせた。青い顔をして小さく頷く。

「……ですが、あのバリアーを張ったギガードンに砕力集中光撃砲アストラルビームは通用しませんでした。今回のこのケースは異例なのです」

 タチバナもカツムラも、バリアーを持つ個体など聞いたことがなかった。ましてや、鏡界獣の弱点である砕力を防ぐ個体なんて。しかし、実在してしまった以上認めなければならない。

「ギガードンは新たな脅威と呼ぶにふさわしい存在です。鏡の向こうに投げ返した前例がないのでどうなるかわかりませんが、もう戻ってこれないといいのですけれど」

「……いや」

 ケイゴは確信を持ってタチバナの言葉を遮った。あの怪獣の黒い殺意に満ちた瞳を思い出す。

「あいつはまた来るよ。俺たちを殺しに」

「何故そう言い切れるんですか?」

「眼を見たから。破壊衝動だけじゃない、純粋な殺意を俺に向けていた。邪魔をする敵だと認められたんだろう。諦めたとは思えない」

 ケイゴはいつしか足を組んでいた。窓の外を見つめて口元に笑みを作っている。そんな彼の態度にタチバナは再び違和感を覚えた。司令官としては恐れを知らない戦士は頼もしい。だが、自分と同じ年頃の少年のメンタルではない。

(自分の命が狙われて、怖くは無いの?)

 思わず長考に入ってしまった彼女の代わりに、副官のカツムラが口を開いた。

「志村ケイゴ君。我々が君に事情を話したのは、単に説明責任を果たすためだけではない。君に協力を依頼するためだ」

 今更驚きはしなかった。研究所の戦力、鏡界獣ギガードンの脅威。そして、城壁じぶんのこと。なんとなくわかってきていた。

「わかってるよ。翠の巨人エメーラのパイロットになってくれ、だろ。だが、先に理由が知りたい。どうして俺なんだ? どうして俺だけが、翠の巨人エメーラを動かせる?」

 何事にも無関心な態度の彼であっても、自分の置かれた立場と不思議な能力については流石に関心を持ったように見える。だが、実際は彼にとっての関心は自分ではなく、翠の巨人エメーラに関する知識を欲しているに過ぎなかった。

「それは、君の能力に起因している。衝撃を予知する能力。即ち、第六感アストラルネイションだ」

「アストラルネイション。大層な名前だが、要はあの予知能力だよな」

 単語そのものに聞き覚えはないが、話の展開はある程度予想していた。緊急時に発動する衝撃を予知する能力の事だろう。

「アレ、いったい何なんだ? 俺に何かしたのか」

 問いただすような口調だが、彼に敵意はない。本当に真実が知りたいだけだ。

「5年前のと鏡界獣の出現以降、時折その素質を持つ者が現れた。我々は秘密裏に入手した生体データからその素質を持つ候補者を絞り、翠の巨人エメーラのパイロットとしてスカウトする機会を伺っていたんだ」

「じゃあ、覚醒には関与していないのか」

「いや。この能力の覚醒には、生命の維持活動に関わる外傷、即ち衝撃が必要だ。だから私は、君を車で撥ねようとし、君は無事第六感アストラルネイションを発動させて回避することができたんだ。因みに、第六感に目覚めた者を星の啓示を得た者アストラルゲイナーと呼ぶ」

「ふっ」

 淡々と言うが、言っていることは無茶苦茶だ。ケイゴは思わず笑ってしまい、カツムラは肩眉を上げた。

「どうした」

「いや。アイツがこの場に居合わせたら怒るだろうなと思ってさ」

「……ああ」

 カツムラも彼の言う人物に思い当たる。自動車の件で場に居合わせたタツローとかいう背の低い少年のことだろう。タチバナには何のことかわからず首を傾げた。

 説明を再開するため、カツムラが再びボードを叩いて回す。モニターが半回転し、ホワイトボードに戻った。

「特殊搭乗者限定機体、通称特機には砕力変換装置クロスドライブが組み込まれている。君の生体エネルギーと大気中のナノエーテルを融合し、砕力兵器に変換する装置だ。この機能を発動するには、コックピットに星の啓示を得た者ゲイナーが居なければならない。また、君に自覚は無いかもしれないが、本来特機の操作性はかなり特殊で、翠の巨人エメーラに関して言えば体長は通常規格の倍、体重は更に重い。星の啓示を得た者ゲイナーでなければ、まともに動かすこともできないだろう」

 確かに、あの時は初めて操縦する翠の巨人エメーラを自在に動かすことができた。訓練もせずに操縦できたのはこの力の恩恵なのだろう。

「……攻撃を予測できて、訓練せずに兵器を使えて、鏡界獣に対する特別な攻撃手段を持つ。まさしく、現状を打破するために都合のいい存在だよな。わかった。いいよ」

 説明に納得すると、ケイゴはあっさりと承諾した。ところが、提案者側のタチバナが慌て始める。

「よ、よろしいのですか? とても危険な仕事になりますよ。キミは高校二年生になったばかりですし、学業も疎かになってしまうかも。何より、ご家族が心配……あっ」

 失言に気付いて司令官は慌てて口を閉ざし、そんな彼女にケイゴは思わず噴き出した。

「アンタが俺を制止してどうするんだ。どうせ調べはついてるんだろうが、俺は天涯孤独だ。心配する人なんか誰もいないさ」

 本人はさらっというが、容易に踏み込んではいけない領域であったことは明らかである。タチバナは顔を青くして狼狽えた。

「そ、そんなつもりじゃ」

「司令」

 慌てて弁解しようとするタチバナだったが、副司令官が口を挟む。

「承諾をいただけて、よかったですね」

 ぐっ、と、司令官は押し黙る。二人の言う事が正しいのだ。この研究所の戦力では次のギガードンの襲来を防げない。彼の力が無ければ何も守れない。何も守れない司令官など……。

「そう、ですね。ありがとう。……志村君」

 礼を言う時に相手の目を見られなかった。決断したのは自分だ。今更勝手に同情して迷うなんて、決断に付き合わせた部下にもケイゴにも失礼だ。わかっているのに割り切れない自分が情けない。

「そんな顔するなよ。ちょうど持て余してたところだし、使い道があって嬉しいんだ」

 不可解な言い回しにタチバナは首を傾げ、カツムラは眉をひそめた。聞き返そうと口を開きかけたところへ、力強いノックの音が来訪者を知らせる。そのせいで疑問は口にできなかった。

「はい。どなたですか」

「はっ。イシガミ少尉、ヤジマ軍曹です。タチバナ司令官、及び志村ケイゴさんにお客様がいらしたので、お連れしました」

「お客様?」

 声の主は正規軍からの援軍であるイシガミ少尉に違いないが、尋ねてくる人物にタチバナは思い当たらず、カツムラを振り返っても首を横に振っている。それに、ケイゴにも用がある客とは? 逡巡するタチバナは見当もつかず眉を寄せた。

「まさか」

 一方ケイゴはある人物が頭に浮かぶ。まさかとは思うが、アイツならやりかねない。ちょっとした期待を込めて扉を凝視した。

「どうぞ。鍵は開いています」

 司令官に促されて彼等は入室する。サングラスをかけた若い将校を先頭に、白髪の初老の軍人が続き、頭に桜の花びらを乗せた少年が最後に入る。彼はケイゴを見つけるなり指をさして叫んだ。

「あーっ、ケイゴ! やぁっと見つけたぜ」

「やっぱりお前か、タツロー」

 早速騒ぎ立てるタツローを見て、ケイゴは再会を懐かしむように微笑んだ。

「おい、大人しくするって約束だろ」

 親友に駆け寄ろうとする少年の肩下げ鞄のベルトをイシガミが掴んで制止する。首輪を引いて猛進したがる犬とそれを制止する飼い主のような構図だ。

「どういうことだ、イシガミ少尉、ヤジマ軍曹。なぜ、この少年を私たちの元へ?」

 カツムラが眼鏡を光らせる。悪野郎ワルヤローの存在に気付いたタツローがまた叫ぼうとするので、イシガミが口を抑えて黙らせた。

「敷地内をうろついていたので連れてきました。身体検査は実施済み、武器の携帯は認めていません」

「だからと言って、無関係の人間の面会を毎度認めるわけにはいかない。司令官も、こちらの志村も、これから忙しくなる」

「まぁ、そうかもしれませんが」

 軽い口調で間を繋いで言い訳を考える。ヤジマは隣で口を固く結んで、この件に関して助け舟を出すつもりは無いらしい。生まれた会話の空白の中でイシガミはサングラス越しに志村ケイゴを見た。

(茶髪にピアスか。チャラついた学生ってとこだが、緊張している様子は無いな。……うっ!?)

 ふと、相手がこちらを見て不意に目が合いドキリとする。彼の瞳に見られると、自分の心を見透かされているような気がした。

……みたいなんで。一度会えば納得すると思ったんです」

 あくまで平静を装い台詞はタツローの事を述べる風を装う。へらへらとした薄ら笑いを浮かべるが、内心舌打ちをした。実際に会った所で尚のこと、底知れなさを目の当たりにしただけだったからだ。

 その間にタツローはケイゴに近づき、両肩を掴んで心配そうに声をかける。

「ケイゴ、大丈夫か? なんかされなかったか?」

「さあな。でも意外と大丈夫だぜ。ビームで撃たれそうになったけどな。ははっ」

「んなっ!」

 ケイゴにしては小粋なジョークだったが、親友からすれば笑い事ではない。

「何やってんだお前らっ! 俺の親友ダチ殺す気か!?」

 タツローが全員を、主にカツムラを重点的に指さして糾弾した。タチバナはぎくりと肩を震わせるが、カツムラは黙って見下すだけだ。そこへ、ケイゴの場違いに陽気な声が響く。

「いや、俺がわざと撃たれに行ったんだよ」

「なにっ、ならまぁ。……はっ、ど、どういうことだよ!?」

「あ、あの」

 混沌としていく会話を打ち切ったのはタチバナだった。集まった視線に緊張しつつ、平静を装ってタツローに笑いかける。

「司令官のタチバナです。タツローさん、とおっしゃりましたか。志村さんとはどのようなご関係でしょうか」

「おう、親友ダチだぜ」

 だ、。さっきからこの言葉を使うが、タチバナには慣れない言葉だった。恐らく友人を意味する言葉と思われるが、なんというかお粗末な言葉だ。このような場で使うにはそぐわないのでは? もやもやとした感情を胸の奥に押し込んで、ぎこちない愛想笑いを浮かべる。

「ご友人なのですね。それで、彼にはどのようなご用件で……」

「連れ戻しに来たっつってんだろ、話聞いてねえのか!?」

 は、話を整理したかっただけなのに。理不尽に怒鳴られて心が折れそうになる。ケイゴと同じくこの少年も苦手な異性のようだ。正しく、類は友を呼ぶという。尻込みしそうな圧に負けず、きっぱりと言い放った。

「しかし、志村さんには我々の戦いのお手伝いをお願いし、承諾いただいたところです」

「な、なにっ!? どういうことだ!」

「仕方ありません。カツムラさん、説明を」

 予想外に説明を求められて、カツムラは目を見開いた。

「よろしいのですか。無関係の少年に、機密に当たることを説明するのは……」

 冷静な男の声が上ずっている。正気を疑われているようだ。

「構いません。ここまで来たなら、彼も巻き込みます」

 カツムラは不服そうに表情を歪める。彼女の真意が掴めなかったが、上司からの命令とあっては仕方ない。

「いいでしょう。瀬川達郎、これを見ろ」

(お、俺は呼び捨てかよっ。ケイゴは志村だったのに!)

 タツローは内心怒るが、喉まで出かかった罵声をごくん、と音を立てて飲み込んだ。

 カツムラは迷いのない足取りでホワイトボードに近寄っていく。何を書くんだ、そう思ったタツローが注視すると、ばんっ! と、突然ホワイトボードを叩くので驚いたタツローの身体がはねた。ホワイトボードはくるりと半回転してモニターが姿を現す。

「そ、そうなってんの?」

 タツローの当然の反応は、やはり無視された。


「と言うわけで、鏡界獣はこの研究所を襲い、それから守るために志村さんの力が必要なんだ。理解できたか?」

 掻い摘んだ説明を終えてカツムラは前を向き直った。モニターには「猿でもわかるウキー!鏡界獣講座」と銘打った資料が映し出されている。

「……おー」

 対するタツローは半目になっている。顎の下に頬杖をついて、ぐだぐだとした表情の顔はそこから滑り落ちてしまった。話が終わったことに気が付くと、気を持ち直すために重たい瞼と首を持ち上げて頷く。

「なんだかわからんが、よくわかったぜ」

 わかっていないことを宣言すると、彼は席を立った。

「お前ら正気か? ずぶの素人の高校生に、自分たちの命運をかけるなんて」

 単純、だが当然の指摘だった。カツムラ、イシガミがタツローを睨み、ケイゴとヤジマは微動だにしない。タチバナは目を伏せた。

「自分たちのやってることわかってんのかよ。一般人を車で撥ねようとして、連れてきた高校生をロボットに乗せて、これからもよろしくお願いしますってか。ハッキシ言って、どうかしてるぜ」

「よせよ、タツロー。俺が……」

「お前は黙ってろ。俺は」

 さっきは本人に制止されて諦めたが、今度はそうはいかない。

「こいつらに聞いているんだ」

 タツローの試す視線は、最終的に司令官タチバナに止まる。ケイゴが何かを感じ、行動を共にした集団の覚悟をどうしても確かめねばならないと思ったのだ。

「黙って聞いていれば、いい加減に」

 細い腕が、一歩前に出たカツムラを抑えた。彼女は、震える唇を一度ぎゅっと結び、小さく口を動かし始める。

「貴方の指摘はもっともです。私たちが不甲斐ないばかりに彼に負担を強いている。それも命の危険を伴うことです。軍人が、よりによって若い学生の方に助けを乞うなど、自らの存在意義さえ揺らいでしまう、恥であることは重々承知しています」

 言葉を紡ぐたび恥を晒し、羞恥に耐えられず目が泳いで汗が頬を伝う。しかし、彼女は逃げない。

「それでも、私はこの研究所を守りたい。この研究所を守ることは世界を守る事に繋がるから。人々が鏡界獣に怯える暮らしが二度とこないための一歩を止めたくないから。だから……」

 ぐっと腕に力を込めると、握り拳が意思を固めてくれた。歯を食いしばってタツローを見返す。

「私達には、志村さんの力が必要なんです。誰が何と言おうとこの決断は揺るぎません」

 思いのほか強い意志にタツローは思わず怯んだ。だが、そう簡単に折れるわけにはいかない。世界がどうあれ、親友が危機に晒されようとしているのだ。何か言おうと口を動かそうとした、その時。息を吐くように薄い笑い声がして、振り向けばやはりその男は笑っている。

「その辺にしとけよ、タツロー。わかってんだろ、俺が望んでやってることだって」

 場にそぐわない微笑みは、彼だけが浮かべていた。タツローはその笑みにこそ苦々しく表情を歪ませる。

「……それが問題なんだよ。お前はいつもそうだ」


 あの夜、大雨が洪水を呼び起こして様々なモノを奪っていった。街が落ち着きを取り戻したのはそれから何日も経った後のこと。

 曇天から差し込む鈍い光が教室を照らしている。久しぶりに登校してきたケイゴは明らかに以前と様子が変わっていた。

「ケイゴ君、大丈夫?」

 彼の身に何があったのか、遠回しにそれを聞いていた。でも、ケイゴ君はここにいるから、彼の口から直接確かめたかった。

。僕は生きているから、大丈夫なんじゃないか」

 振り返った彼は、光が作り出す影に表情を奪われている。それでも、口元が笑っている事だけはわかった。

 言葉を失った。そんなはずはない。両親を失って、天涯孤独になって、大丈夫なはずがない。なのに、どうして他人事なんだ!? 確かに感じた思いがあったのに、あの時は何も言えなかった。

 

 ……いつもそうだ。俺は、言わなきゃいけないときに思いを言葉にできなくなる。

 

「……ちぃっ!」

「お、おい!」

 感情が振り切れたタツローは、舌打ち一つ残して走り去ってしまった。その後ろをイシガミとヤジマが追う。

 タチバナは、嵐が去っていったような感覚を覚えてほっと息を吐いた。でも、去り際のあの切なそうな表情が引っ掛かる。彼が志村ケイゴに向ける感情は、初見で感じた印象よりも複雑らしい。

「元気な奴だよな」

 渦中の人物、ケイゴが誰にともなく呟く。走り去っていく友人を追う事をしない彼は、昔を懐かしむように目を細めた。

「結構イイ奴なんだ」

 他人の気ひとのきも知らないで、彼は嬉しそうに笑っていた。


 通り過ぎる人々が、脇目も振らず駆け抜けていく突風のような少年に驚いて道を開ける。その間を縫うように走って、研究所本棟から外に出た。

 本棟の隣は第二棟が、さらにその隣、敷地内最北東には畑がある。後ろを振り向いたタツローはそれを見つけたが、普段のように驚いて騒ぎ立てる気分にならなかった。

「おい、おい。待てって!」

 玄関口を通り抜けて、イシガミはようやく立ち止まったタツローに追いついた。全力疾走の後、膝に手をついて息を切らしている。

「勝手に動くなよ、監視の口実もあるんだぞ。ぜぇ、ぜぇ」

 外はほとんど陽が沈んでいて薄暗い。夕日は研究所の外壁に阻まれて基地から顔を隠そうとしているが、その直前に一際強い日差しを放って、タツローはそれを見つめていた。

「アンタ、軍人なんだよな」

 あれだけ走ったのに殆んど息を切らしていない、呆れるほどのバイタリティの持ち主だった。イシガミは噴き出す汗を拭いながら、平気な顔をしている少年に張り合い強がって見せる。

「ああ。これでも、正規軍のエースなんだ、ぜ。……ぜぇ、ぜぇ……」

 胸を張ることで彼にも劣らない若さを見せつけるが、肺が要求する酸素量の基準値に満たず、結局咽るような呼吸を繰り返すことになる。

「エース? 自分で言うもんかよ。まあ、いいや」

 ヤジマが遠くに追い付いてきて、タツローはソレを横目で見る。その間に太陽は鋼鉄の壁に阻まれて、薄闇の中で光る瞳には不安に対して必死に抗う気持ちが揺れていた。

「俺じゃ守れねえからアンタに言うぜ。ケイゴをよろしくな」

 出会ってからずっと騒々しかった彼の頼みごとは、夕闇に沈んで消えてしまいそうなほど静かでささやかな願いだった。影に光を奪われた表情を伺うことはもうできないが、白い歯を食いしばっている事だけはわかる。

 何か返事をしてやりたかったが、少年は黙って走り出してそのまま外へ向かってしまった。嵐のような少年の背中を呆然と見送っていると、ヤジマがここまでたどり着く。イシガミと違って全力で走らなかったらしく、さほど息は乱れていない。

「ここから走って住宅街に戻るつもりなのか? それなりに距離があるだろうに」

「無茶は今更でしょう。友達のために軍事拠点に突っ込む奴ですよ」

「……楽しそうだな」

 ヤジマが顔を覗き込んでいる。事実、イシガミの口元は薄く笑っていた。

「どうですかね。でも、俺はああいう熱のある奴は嫌いじゃないですよ。どっかの誰かよりはね」

「誰の事を言っているんだ」

 問いながら、おおよその答えを予想してヤジマは呆れている。走り去るタツローを背にイシガミは振り返り、口を開く。


 ☆☆☆☆☆

 

「決まってるでしょう。……ぐびぐび」

 イシガミは自分の台詞を口につけたビールジョッキで遮ってしまう。ヤジマはそんな彼に目もくれず、店員と話をしていた。

「追加オーダー、焼き鳥二丁、枝豆一丁~!」

 若い女性の店員が厨房に向かって艶のある声を張った。制服として着用している黒いTシャツに、白地で「てんやわん屋」と書かれている。その名の通り店は今日も満席で、厨房を覗き見ると3、4人いる厨房担当が激しく料理に向き合い、てんやわんやになっていた。

 ヤジマとイシガミは対面の席に座っている。空になったビールジョッキを叩きつけるようにテーブルに置くと、かーっ! と、熱い息を吐き出した。

「志村ケイゴですよ!」

 やっと続きを言い放ったその顔は既に茹でた蛸のように赤い。随分酔っている様子だが、それでもサングラスは外さない。彼の恩師は絡み酒を続ける元教え子にうんざりして苦言を呈する。

「またその話か。さっきから3度目だぞ」

「だぁって、気に入らないじゃないですかぁ。実戦でいきなり特機なんか与えられて、しかもめちゃくちゃな活躍されたら、正規軍のエース自称してる俺の立場ったらないですよ」

「自称してるのはお前の責任だ。それに、仕方がないだろう。彼は特別なんだ」

「ちぇ、わぁってますよ。ノリ悪いなぁ、教官殿」

「同じ話ばかりするからだ。……お、これは良い」

 ヤジマは冷酒の入ったグラスを飲み干すと、味が気に入って唸るように笑った。イシガミは不貞腐れて顎を机に置き、並んだビールジョッキに自分の顔が映った。無様な自分を眺めていると、真っすぐこちらを見返してきたケイゴの瞳を思い出し、慌てて顔を上げる。

「立場がどうとか言っていたが、別に我々の戦いが無くなったわけではない」

 情緒不安定な元教え子に老兵は言う。それから隣の席を見た。四人掛けのテーブル席で若い男たちが談笑している。彼等はヤジマの部下、イシガミと共に戦った新人パイロット達だ。怪我の手当てに包帯を巻かれたり腕を固定している者も居るが、今は皆笑顔を浮かべている。

「兵器が更新されるたび、戦いの形は変わる。では、先人たちの功績や記録は全て意味を失くすのか? それは違う。競い合い、技量の上達を目指した兵士たちの研鑽は、時に多くの人を救い、新たな技術の開発に役立てられる。仮に自分が一番で無かったとしても、軍において個々の研鑽は決して無駄と言い切れるものではない」

「けどアイツ自身の努力がない。俺はそれが気に入らないんですよ」

「だから、それは仕方がないことで」

 そこへ、二人のスマートフォンに通知が訪れる。二人はそろって画面を見た。

「早朝実機訓練実施、志村ケイゴも参加、か。どうやら正式に協力関係を結んだようだな」

 顎の白髭を撫でるヤジマのつぶやきを聞きながら、イシガミはほくそ笑んだ。

「ちょうどいい。年季の違いを教えてやるぜ」

「全く、しょうがない奴だ。忘れてないだろうな。『強く在るならば、他人の為に在れ』」

 ヤジマは彼にかつて教えた心構えの続きを促す。イシガミは「ハイハイあれね」、と言いたげに何度も頷いた。

「わーってますよ。えっと、何だっけ……?」

 ところが、いざ口に出そうとすると思い出せない。彼は明後日の方を向いて長考に入ってしまい、教官は呆れてため息をついた。

 そこへ、焼き鳥が運ばれる。ヤジマが迷わずそれを食べると、イシガミは慌てて手を伸ばした。


 ☆☆☆☆☆


 地上の陽はとっくに沈み、人々が床に就く夜更けとなっても、研究所の地下空間は煌々と照らされていた。人工照明の光が作り出す人影はあらゆる場所で忙しなく歩き回っている。

 そんな影の一つ、丸眼鏡をした整備員は地下十三階の床に腰を下ろして背中を丸めた。日中、一人でR-39の整備に取り組み、イシガミに整備の遅さを詰められた彼である。持参した工具箱を隣に置いて、軍手を外さないまま缶コーヒーに口を付ける。ワイヤーに吊るされている翠の巨人エメーラの上半身をぼんやりと眺める彼は、床に触れるお尻の冷たさを気にしないようにする習慣が身についていて、それは「しんどい時は余計なことに意識を向けない」という上手な現実逃避を可能にする教訓でもあった。

「休憩か」

 不意に背中から声をかけられて、驚きのあまりコーヒーを吹きだした。咽ながら、恐る恐る振り返るとそこには上司のカツムラがいる。

「あひっ、す、すみません。今再開しますんで、へえ」

 起立しても猫背は変わらず、愛想笑いと共にぺこぺこと頭を下げた。そんな彼に、仏頂面の男は言う。

「いや、進捗を伺いに来ただけだ。戦闘の影響か、私の部屋の内線が繋がりにくくてな。休んでくれて構わない」

「はぁ、そ、そうですか」

 カツムラは直立したまま翠の巨人エメーラを眺めている。休んでいいと言われたが、上司をおいて座るのは気が引けて彼も座り損ねていた。

「明日までに直せそうか?」

「ええ。ていうか、変なんです」

「変?」

 カツムラが眉をひそめた。整備員は一気にコーヒーを飲み干してしまうと、一つ息を吐いて説明を始める。

「こっちとしては、一応優先順位つけて作業してるんですがね。まずは砕力変換装置クロスドライブ、メインエンジン、回路及び駆動系、カメラ、武装、外部装甲ってな具合で。特に、火炎放射でダメになった回路がヤバイのは目に見えてましたから。結構大変だったんですよ。半端なもん使い続けるわけにはいかないんで、こりゃ該当箇所丸ごと開けて中身全部取り替えなきゃだめだってなった時の、皆の溜め息。シンクロ具合を聞かせてあげたかったっす」

 身振り手振りで状況を説明するうち、彼の口調が芝居臭くなっていく。カツムラはそれを片手で抑える仕草をして制した。

「わかったわかった。で、何が変なんだ」

「ああ、すみません。とにかく、いったん頭も含めてパーツごとに切り離して整備したんです。で、ふと作業の合間に頭のパーツを見たんですよ。そしたら、ギガードンに殴られてひしゃげたりパーツが飛んだりした頭の装甲が、んです」

「なんだと? 誰かが手を加えたんじゃないのか」

 カツムラは首を持ち上げて巨人を見る。翠の巨人エメーラの頭部は胸部と一緒にワイヤーで吊り下げられているが、確かに既に修復されているようだ。

「分担は作業効率を向上させるんで、もちろんやってますがね。でも、半端に人を割いても仕方ない。あの段階で頭に着手する余裕があった奴は居ないと思いますよ。みんな、ギガードンには大層怯えてますからね。一生懸命やらないと、次の襲撃に間に合わなかったら終わりだ、って思ってます。よそ見をする暇は無いですよ」

「機体に異常は?」

「直ったことは異常ですけどね。一応再検査させてますが、多分問題ないと思います」

「フム……」

 カツムラは顎に手を当てて考え込む。彼は嘘をついているつもりはなさそうだが、それでもにわかには信じがたい。働きすぎておかしくなったか? 

 などと考えられているとは知らず、整備員の口は良く動く。内気な性格の人物だが、一度喋り始めると止まらなくなるのは昔からの癖だった。

「機械に妖精なんてものがいるなら、その子の仕業なんじゃないかって思うんですけどね。いや、もう少し現実的に考えたいんですが、その余裕もないんで一旦受け入れる事にしました。それともカツムラさん、心当たりでも在りますか? なんせ、この城壁型特機翠の巨人エメーラを設計したのは貴方ですからね」

 彼の言う通り、翠の巨人エメーラだけでなく三機の特機全ての開発指揮を執ったのはここにいるカツムラである。元々設計技士だったが、先代の司令官にその指揮能力を抜擢されて副司令官になった経緯があった。だが、エメーラの設計・製作過程に自動で修復する機能など組み込んでいない。

翠の巨人エメーラにそんな機能は組み込まれていない。だが、前例はある。かの英雄の機体、凱戦機ゼドグライガーだ」

 凱戦機ゼドグライガーとは、今から五年前に突如現れた鏡界獣と戦い、後に世界を平和に導く英雄となる高校生が乗ったスーパーロボットである。機体の特徴として、パイロットの望むまま武装を生成し、機体は形を変える能力があった。また、パイロットの気力が尽きない限り無尽蔵にエネルギーが沸き上がり、装甲が直っていくという逸話がある。この話を聞いた技術者は誰もが誇張しすぎだと呆れるが、実際の戦闘映像を見ると、パイロットの絶叫と共に機体が輝いて本当に装甲を直してしまう。カツムラも丸眼鏡の彼も、数年前にその映像を見た時は開いた口が塞がらなくなった。

「ああ、あれね。でも、それと翠の巨人エメーラに何の関係が?」

「この研究所の特機に使用されている砕力変換機クロスドライブはゼドグライガーに搭載されているモノを参考に作った。設計図が無いパーツを解体もせずに複製コピーしている以上、そっくり同じものを再現するのは難しい。だが、似た特性を引き出すことには成功したのかもしれん。……何一つ、確証はないが」

 論拠に欠く発言に、カツムラは内心苛立っている。そもそも、砕力変換機クロスドライブの仕組みさえ人類にはいまだに解明できていないのだ。なんとなく有効だと思われるから兵器に組み込むなど、本来ならばあり得ない。しかし、敵の存在は常軌を逸している。だから仕方が無い……とは言え、堅実主義のカツムラにはそんな不安定な要素を無視する事が相当なストレスだった。

「仮に翠の巨人エメーラにそんな機能があったとして、紅い戦神ルビーラ蒼い疾風サフィーラには無い機能ですよね。一体どうして翠の巨人エメーラにだけ発現したんでしょう」

 カツムラは黙り込む。二機との違いを述べる事は容易いが、それが不思議な現象への説明には繋がらない。だが、最も可能性があるとしたら。

「志村ケイゴ……」

「え?」

 その名を呟く声に思わず聞き返した。

「底知れない少年だ。彼に秘められた才能が開花したことが、翠の巨人エメーラに何か影響を及ぼしたのかもしれん」

「だとしたら、随分人間離れしてますね。かの英雄もそうだったらしいですし」

「そうだな。望ましい事だ」

 カツムラは表情一つ変えず言い切った。

 今でこそ英雄と持ち上げられる人物も、周囲の被害を顧みず戦う姿に「どっちが怪獣かわからない」と糾弾され、当初は住民や軍事と激しく衝突を繰り返していた。

 志村ケイゴも同じ道をたどるのだろうか。だとしたら、それは望ましい事だ。鏡界獣との戦い方を研究する施設で、そのような逸材を発掘できたのならこの上ない成果と言える。

「素直じゃないなあ、カツムラさんは」

 ところが、隣の彼はやれやれと首を横に振る。カツムラは眉をひそめた。

「何がだ」

「長い付き合いなんでね。伊達に顔色伺ってないんですよ。……さて。休憩も、もういいかな」

 彼は猫背のまま弱々しく笑うと、工具箱を拾い上げた。

「妖精でも志村さんでもなんでもいいですが、手間が浮いた分明日までにもう一機くらいは仕上げとこうと思います。カツムラさんも、余計なこと考えてないで仮眠くらいしたらどうです?」

 背中越しに好き勝手言うと、丸い背を揺らして行ってしまった。残されたカツムラは再び翠の巨人エメーラを見上げる。ワイヤーに吊るされた美しい翠の鎧が、照明の鈍い光を反射した。

翠の巨人エメーラ、それに志村ケイゴ。お前たちは一体何者か。いや、何者だとしても……」

 例え彼らが何者でもカツムラの使命は変わらない。脳裏には、固唾を呑んで翠の巨人エメーラの戦いを見守るタチバナの姿が浮かんだ。

 眼鏡に手を当てると、レンズが逆光して表情を奪う。その顔には、ただ固い意志だけを張り付けていた。

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