寒寄

【寒寄】さむよろ


 雪が溶けはじめる頃、山頂に沸く湯には決して身をひたしてはならない。指の腹もつま先さえも。各地を飛び回った冬将軍たちが帰ってゆくための英気を養っているから。ここらで育った者なら厳しく教えられることだったし、私も強く念を押していたのに、言いつけをやぶって彼女は腕を沈めてしまった。ちょっとあんたこのしめ縄が見えないわけ。「いやーもう暑くなってるしいいのかなって」右腕を引き抜いた彼女は悪びれずに笑うけれど、たちまち鳥肌が立ち、顔は青ざめ、歯を鳴らしはじめる。ほらみろたまに季節感のないやつがいるんだって。

 私はリュックからクバンスカヤの瓶を取り出し、へたりこんだ彼女へとさし出す。不慮に備えて山へ入るときはウォッカを欠かさないこと。それも決まりのひとつだった。「雪山のやつだ」手を伸ばした彼女を私は制する。捧げ物なの。「こんなん好きな神さまいるわけ」私は彼女の耳もとで異国の言葉を唱える。冬将軍に見初められない限りたいていはウォッカへいってくれるから、酒好きであれと祈るばかりだ。

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