馳橋

【馳橋】はせばし


 とっくに祈る支度はできている。尾頭付きの鯛、清酒で満ちた水瓶、左目が欠けた日本人形、犬鷲の羽で拵えた矢、すべてを揃えた私は待っていた。なにを? やがてくる嵐を待っていた。中心気圧は九四〇。その規模なら河は氾がり石橋は呑まれ中洲は溺れてしまうだろう。中洲に祀られている石祠も溺れてしまうだろう。こちらから渡れなくなるが、あちらからは渡れるようになる。それは水を得て、封緘していた祠の扉はたやすくやぶられる。そうして、漂うように踊るようにやってくる。それはあがってくる。御供に惹かれて。そのさまを私はまだ見たことがない。母から祖父から曽祖母から訥々と語られただけだ。いつか役目がやってくると曽祖母は言った。決して目を合わせるなと祖父は言った。べつに逃げたっていいのよ。母は言った。

 壅塞になる決意は揺らがなかった。母を亡くしてから、一日たりとも揺るがなかった。雨が強くなる。祈る支度はとっくにできている。なにに? すくなくともそれではない神様に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る