38 君は嘘をつかない

 学期初めの図書委員会はいつも通りに数分で解散となった。

「文化祭の準備があるので、手の空いている者は会議後残るように」と言った委員長の言葉を聞いていた者はどうやらいなかったらしく、図書室に残っているのは俺と真木だけだった。

 委員長は生徒会との委員会議に行ってしまったので、二人カウンターに並んで淡々と古本の整理をする。文化祭に出店する古本市用に集められた本は、300冊近くになっていた。

「文化祭、4組は何をやるんだ?」

 本の傷みを確かめて仕分けをしながら、隣に座る真木に話しかける。黙々と作業をしていた真木は、顔を上げることなく小さな声で「スイーツカフェ」と呟いた。

「それいいな、俺も飲食系やってみたかったな」

 俺たちのクラス企画は投票の末、ボール当てゲームに決まっていた。ボールを蹴って的に当て、倒れた的の点数に応じて賞品が貰えるというシンプルなゲームだが、試作の段階で航一が連続パーフェクトを決めたため、作り直しになったらしい。正直、航一の点数はあまり一般の参考にはならないと思うけど、ゲーム作り班のやつらが燃えているらしいのでお任せすることにする。

 仕分けた本を段ボールにしまう。「廃棄」と書いた紙を貼り付けて、振り返った。

「文化祭当日は時間があるから、4組にも顔を出すよ。真木の店番の時間は?」

「私は製菓担当だから接客はしない」

 おや。

「なんだよ、店には出ないのか? 遊びに行こうと思ったのに」

「いい、ウェイトレスの服とか似合わないから」

 そんなことはないと思うけど。

 本人がやらないと言うのなら無理にとは言えない。

「スイーツカフェか、美味そうだな。メニューは? テイクアウトできる?」

「店頭販売もあるから、テイクアウトできる。メニューはパウンドケーキとマフィン、マドレーヌ、ラスク」

 すらすらと答えた真木が、手にしていた本をぱたんと閉じた。

「あと、クッキー」

「真木が作るのは?」

「クッキー。紅茶とココア」

「それじゃ、クッキーを買いに行くよ」

「好きにしたらいい」

 素っ気なく答えた真木が、本を段ボールに放り込んだ。

「ちなみに、俺、チョコチップクッキーも好きなんだけど」

「それは知らない」


 本の仕分けを半分ほど終えたところで、本日の選定作業は終了とする。文化祭まではまだ時間もあるし、他にもやるべきことはある。

 引き出しにしまっていたポスターを引っ張り出してカウンターに広げる。下書きまで終えたポスターには「図書委員会古本市」の飾り文字と、簡略化された鳥のイラストが描かれていた。

「カッコウ?」

 筆と絵の具を用意しようとしていた俺の後ろで、真木がぽつりと呟いた。予想以上に近くから声がしたのでかなり驚いたが、焦りを悟らせないように取り繕った顔で頷く。そういえば1学期の図書委員会議でラフ案を提出したけれど、ちゃんと描いたポスターを見せるのははじめてかもしれない。

 真木が首を傾げた。

「閑古鳥ってこと?」

「そ、上手いだろ?」

 例年、客足の少ない古本市にはぴったりだ。我ながらなかなかに出来も良い。

 得意気に胸を張って見せると、真木は呆れた顔でふっと息をはいた。

「駄洒落ね」

「あのね、真木さん。駄洒落もシャレなのよ、ご存知?」

 言い返した俺を一瞥すると、真木はすたすたと本棚の方へ歩いて行った。参考図書コーナーの前で足を止めると、やがて1冊の本を抱えて戻ってくる。

 真木が手にしていたのは新明解国語辞典第七版だった。ページをめくって「駄洒落」の見出しを指すと、そのまま指をすべらせて意味を読み上げる。

「駄洒落。少しも感心出来ない、つまらないしゃれ」

 こんにゃろう。わざわざ辞書を引いてまでバカにすることもないだろが。

 顔を上げた真木が冷めた視線で見つめてくる。

「少しも感心出来ない、つまらない」

「ああもう、わかったって、くり返すなよ」

「賑やかですね」

 突然、聞こえた声に肩が跳ねる。振り返ると、図書室の入口に津田が立っていた。ふざけが過ぎてドアが開く音にも気付かなかったらしい。

 本来なら騒がしい利用者に注意する立場であるはずの図書委員がふざけているところを見られるとは、さすがにバツが悪い。

「騒いですみません」

 慌てて頭を下げると、津田は無表情に頷いた。

「仲が良くて結構です」

「いいえ、仲良くはありません」

 間髪を容れずに答えた真木に、思わず「えぇ」と声が漏れる。そんなばっさりと否定しなくてもいいんじゃなかろうか。

「そりゃないぜ相棒」

「うるさい」

 くだらない会話を続ける俺たちを見て、津田がかすかに目を細めた。一瞬、口元が緩んだようにも見えたけれど、機械人間と噂される津田が笑うはずはないので、たぶん見間違いだろう。

「督促状ができましたので、各クラスで配布してください」

 津田が紙の束を差し出す。

「今日の委員会に間に合わせたかったのですが、遅れてしまいました。すみません」

 返却期限を過ぎてふた月以上経っても返されない図書は、図書委員会から督促することになっている。督促状の作成は司書が担当しているはずだから、司書教諭の津田が謝るようなことではない。

「いえ、来週までには担当の図書委員に渡しますよ。委員長には俺から伝えます」

「ありがとう。お願いします」

 軽く頭を下げると、津田は足早に図書室を出て行った。学期の初めは色々と忙しいんだろう。

 渡された督促状を広げて数を確認する。


 ・宮西(1-1-31)

 ・田辺(1-2-19)

 ・和久井(1-2-38)

 ・米倉(1-4-37)

 ・梶谷(1-6-8)

 ・荒牧(1-7-1)

 ・村瀬(2-1-37)

 ・根本(2-3-26)


 全部で8枚。

「思ったよりは少なかったな」

 俺の呟きに真木がこくりと頷いた。

 1年の延滞が目立つのは、たぶん最初の新入生オリエンテーションで試しに借りたまま忘れたやつらだろう。3年の督促がゼロなのは、返却期限を守っているというよりは、貸出自体が少ないからに違いない。

 督促状を茶封筒に入れ、名前を書いて封をする。二人でやるほどの数でもないので、手早く作業を済ませて引き出しにしまうと、カウンターのすみに小さな紙片を見つけた。

「あ、しおり」

「は?」

 返本棚に手を伸ばしていた真木が勢いよく顔を上げた。予想外に大きな反応に、思わず身を引いてしまう。

「いや、しおりが落ちてるなと」

 睨むようにこちらを見る真木にたじろぎつつ、しおりを拾って差し出す。

「真木の?」

 ああ、とため息をはく様に呟いた真木が、しおりを受けとって小さく頷いた。

「綺麗だな」

 珊瑚。石竹せきちく。いや、撫子色だろうか。

 灰色がかった薄く明るい紅色のしおりは、とても優しい色をしていた。

「祖母がくれたの。誕生日に」

 しおりを見つめる真木の瞳がやわらかく揺れる。

「本当は服を贈りたかったらしいんだけど、私が明るい色を着たがらないから、せめてこれだけでもって」

 そう言った真木の少し照れくさそうな表情が新鮮で、こっちまで頬が緩んでしまう。

「へえ、そりゃいいおばあちゃんだな」

 へらりと笑い返すと、真木は小さく頷いてぷいと明後日の方を向いた。耳の端が朱に染まっているけれど、からかったらしばらく口を利いてくれないかもしれない。

 そういえば、真木の名前は……

「真木しおりはいるか」

 錆びた音とともに、よく通る声が図書室に響いた。振り返った先、大きく開かれたドアの側には、生徒会の杉本が立っている。

「お前だな」

 そう言ってずかずかと近付いてきた杉本の後ろで、ドアが軋んだ音を立ててがちゃりと閉まった。

 カウンターの前に立った杉本は真木を見下ろして不愉快そうに眉を寄せる。

「美術倉庫を荒らしただろう、どういうつもりだ」

 一瞬、困惑した表情を浮かべた真木だったが、すぐに落ち着いた顔で首を振った。

「知らない。何の話かわからない」

「とぼけるなよ、お前じゃないなら誰がやったって言うんだ」

 詰め寄る杉本の拳がカウンターを叩く。鈍い音が図書室に響いて、思わず立ち上がった。

「おい、いきなり何の話だよ。美術倉庫がなんだってんだ」

 杉本が大きく舌打ちをした。

「お前には関係ないだろ、部外者はすっこんでろ」

「関係ないわけねえだろが、急に来て図書室で喚きやがって。事情は知らないけど、うちの図書委員を責めるんなら、まずは理由を説明しろよ。それとも生徒会は礼儀も知らねえのか」

「あぁ!?」

 ぎらりと光る杉本の目を正面から見返す。5秒程の沈黙の後、杉本が大きく息をはいた。

「北棟に美術部の作品を保管している倉庫がある」

 顔を歪めたまま、杉本がぼそりと呟いた。

「ああ、知ってる。夏休みに写真部の片付けを手伝ったことがある」

「そうか、なら話が早い。あの美術倉庫が荒らされたんだ。誰かが勝手に入り込んであちこち手をつけたらしい。棚にしまってあった絵が引っ張り出されて、床に積まれてあった」

「壊されたのか?」

「壊れてはいない。置いてあっただけだ」

 杉本がくしゃりと髪をかき上げてため息をついた。

 実行委員で少し話をしたことがある程度だが、普段の杉本はどちらかというと冷静な方だ。その杉本がこんなに怒りを表しているのは珍しい。確か美術部にも所属していて、何度かコンクールで入選していると聞いている。自分たちの大切な作品に手を出されて頭にきたんだろう。

「絵だけか? 彫刻は?」

 落ち着けという意味を込めて、ゆっくりと質問する。こちらの意図に気付いたらしい杉本は小さく舌打ちをして何度か頷くと、もう一度ため息をついた。

「彫刻には触れてなかったみたいだな。針金や粘土細工も棚に並んだまま変わりなかった。どうやら絵だけを狙ったらしい。額装されたものから小さな紙切れに描いたスケッチまで、全部が床に散らばってた。キャンバスは棚にしまったままだったが、たぶん、引っ張り出すのが億劫だったんだろうな」

 話しながら、杉本は少しずつ冷静さを取り戻していた。さすが2年で唯一生徒会に選ばれただけあって、頭の切り替えは早い。

「それで、どうして真木が倉庫を荒らしたことになるんだ」

「他に適当な人物がいないからだ」

 ため息とともに、杉本が真木を睨んだ。視線を受けた真木が静かにかぶりを振る。

「美術部の倉庫を荒らしたのは私じゃない」

「鍵を受け取っただろう。倉庫に入る鍵だ」

「鍵のことは知らない。夏休みの終わりから、美術部にも北棟にも行っていない」

 淡々と答える真木に、杉本が不愉快そうに顔をしかめる。素っ気ない口調は普段通りの真木なのだが、どうやら杉本とは相性が悪いらしい。

「真木以外に適当な人物がいないってのはどういうことだ? 美術倉庫なんて、その気になれば誰でも入れるだろ。職員室で鍵を借りれば俺だって入れる」

 実際は部外者が鍵を借りることは滅多にないが、相応の理由があれば借りられないわけじゃない。美術部が使っているとはいえ、学校の施設なのだ。

 口を挟んだ俺をちらりと見て、杉本は面倒くさそうに髪をかき上げた。

「倉庫が荒らされたのは今週の月曜、ちょうど始業式の時間だ。式の直前に美術部の1年が倉庫の中を見ている。もちろん、その時には倉庫内に異常はなかった。その1年が倉庫から出てきた時、通りかかった先輩らしき人物に鍵を預けたと証言している」

「その鍵を預けた人物が真木だっていうのか?」

「ああ、『新聞部の真木』だと名乗ったそうだ。次の特集で記事にしたい作品があるから、写真を撮らせてくれってな。本来なら部外者が気安く立ち入っていい場所じゃないんだが、7月に入部したばかりの新人だから勝手がわからなかったんだろう。そこにつけこまれたわけだ」

 杉本が真木を見下ろす。真木は小さく首を振って俯いた。

「それだけじゃ、鍵を預かったのが真木かどうかはわからないだろ。名を騙った別人かもしれない。『先輩らしき人物』なんて言い方をしているくらいだから、その1年は真木と面識はないんだろ?」

 杉本が苦い顔をした。

「真木栞どころか、同じ美術部員の顔さえ覚えているか怪しい。家の都合で7月に編入してきたばかりなんだ」

「なら尚更だ。もっとよく調べてくれよ。勘違いってこともあるだろ」

「俺が確認もせずに1年の証言だけで乗り込んできたと思うか?」

 カウンターを指先でトントンと叩きながら、杉本が説明する。

「美術倉庫が荒らされたのに気付いたのは月曜の放課後、始業式が終わってしばらくしてからだ。美術部部長の檜山先輩が、倉庫前の廊下に落ちている鍵を見つけた。ドアは閉じていたが、鍵はかけられていなかったらしい。その数時間前には例の1年が倉庫の中を見ているから、荒らされたのは間違いなく始業式の時間だ」

 杉本がふんと鼻を鳴らす。

「当日の式には全校生徒が出席していた。病欠は1年生5人、3年生2人。2年に休みはいなかった。生徒会顧問の野崎に確認したから間違いない。式典中は各クラスに分かれて整列していたから、途中で抜け出せばすぐにバレる。唯一の例外を除いて」

「唯一の例外?」

「始業式では男子バレー部の表彰があった。夏のインターハイで初の全国出場だったからな。表彰の様子は新聞部が撮影していた。当日の撮影担当は真木栞、お前だな」

 真木の肩がわずかに震えた。両手を膝に乗せて俯いたまま、口を結んでいる。

「式の間、お前だけは自由に動くことができた。体育館の入口は開放されていたから、途中で抜け出しても誰も気付かなかっただろう。あの時間、校舎の中を移動することができた生徒は二人。保健室に引き篭もっている例の変人と、そこにいる真木栞だけだ」

 ふっと短く息をはくと、杉本はつまらなさそうな顔で髪をかき上げた。

「副会長は例の変人が怪しいと言っていたが、あの引き篭もりがそう簡単に保健室から出てくるはずがない。美術倉庫に入ったのはお前だろう、真木栞。お前が1年から鍵をとって、式の間に抜け出したんだ。違うなら違うと弁明してみろ」

 ばたんという音があたりに響いた。カウンターに置かれたままになっていた辞書を閉じて、真木がゆっくりと顔を上げる。大きな眼鏡の向こうから、静かな瞳が杉本を捉えた。

「美術倉庫を荒らしたのは私じゃない」

 杉本が鼻白んだ。

「お前じゃないなら誰だ? 他に誰が倉庫に入れたって言うんだよ」

 真木は返事をせず、黙って杉本を見つめている。いつもの真木とは様子が違う気がして、思わず口を開いた。

「何か知ってるのか?」

 訊ねた後で、しまったと思う。これじゃ、まるで真木を疑っているみたいだ。

 真木は俺を見上げた後、ゆっくりと立ち上がった。杉本が少し驚いたように後退る。

「私じゃない。それ以外に言うことはない」

 真木の声が、図書室の空気にしんと響いた。

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