夏、君に会いに行く。

ㅤ夏が来たので、君に会いに行くことにした。玄関を抜ければ、忙しなく鳴く蝉の声が聞こえる。君のところでは、蝉はそんなに鳴かないのだという。同じ情景を見られないことがどうしてか悔しい。今年の梅雨明けは早かった。隣家の紫陽花は、まだ鮮やかに色づいている。葉からカエルが飛んだ。チャポン、と水たまりに落ちる。


ㅤガタタン、ガタタン。


ㅤ電車の外に広がる田園風景は、君には馴染みのないものだろうか。その上に広がる澄んだ空も。遠くに見える山陵も。わからない。君の日常に何があって、何が無いのか。それを知りたくて、僕は電車に揺られているのかもしれない。君の住んでいるところはとても遠い気がしたけれど、新幹線を使えばそれほどかからないことに気がついた。新幹線は高いので、結局電車を使うのだけど。手持ち無沙汰なので、本を開く。君におすすめされたものだ。内容は、聞いたけれど、教えてくれなかった。ただ、おすすめなんだと電話越しに言われた。本はあまり読めない。嫌いだというわけではないのだけど、数行読むと集中力が霧散して、内容の理解が追いつかなくなる。疲れてしまうのだ。


ㅤだけど、君がおすすめしてくれたから買ってみたそれは、絵本だった。手のひらサイズの、小さな絵本。文字は数えるくらいしか無い。淡い色合いの背景と、鳥や動物の姿、時折思い出したかのように短い文が添えられる。脳内で、白い鳥が悠々と青空を飛ぶ。地上で草を食む羊達が、彼を見つめている。見守られながら、彼は、遠くへ遠くへと飛んでいく。遠くに海が見えてきたところで、車窓の外にも波の影が見えてきた。日差しを照り返す水面の上に、ぽつぽつと船が停まっている。君と一緒に船に乗った日のことを思い出した。


ㅤ君のいる町についた。寂れた無人駅は、思っていたよりも見知ったものに似ていて、どこか安心する。耳を澄ませば、蝉の声も聞こえてくる。君は、まるで知らない世界の住人ではなかった。住宅街を歩く。平日の昼間だからか、人の気配はほとんど無い。君は、ここをいつも歩いていたのだろうか。まるで、日常の共有をしているようだ。弾む心地で目的地をめざした。


ㅤ目的地はそう遠くはなかった。草が生い茂る丘の上に、それはぽつんと立っていた。初めから知っていなければ、気付かなかったかもしれない。だけども僕はここに君が居ることを知っていた。遠く地平線に臨む丘の先に、少し大きな石が置いてある。その下に、君が埋まっている。ようやくここに来ることができた。


ㅤ浴槽の中、水に沈んで重くなった体は置いてきた。


ㅤ随分待たせてしまったけれど、会いに来たよ。土産話が沢山あるんだ。

ㅤ花火を見ながら、沢山話をしよう。

ㅤこの丘からは綺麗な花火が見えるというのは、君が教えてくれたから。

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