短いBL

伊予葛

洞窟の魔物

ㅤあの洞窟へ行ってはいけないよ。人を食べる魔物が出るからね。


ㅤそんな噂が囁かれる洞窟で、僕は君と出会った。君は決まって夜に現れるから、僕は眠い目をこすって洞窟の入口まで会いに行く。夜の森は暗い。葉の隙間から差し込む月の光が君の白い髪を照らしている。僕を見つけるとすぐに駆け寄ってくる君に、僕は手を振って応える。君は僕の知らないことを何でも知っていたし、僕の、あっちに行ったりこっちに行ったりする話を熱心に聞いてくれた。毎晩君とお喋りするのが楽しみだった。


「噂なんて嘘だよ」

ㅤと君は言った。


ㅤある日、僕が食べているものに君が興味を示したので、ちょっとだけちぎって渡すと、君は興味深げにそれを近付けたり遠ざけたりひっくり返したりしてから、口に運んだ。目を見開く君に、「口に合わなかった?」と聞くと、君は首を横に振った。


「こんなに美味しいもの、はじめて食べた」

ㅤそう言ってあまりに綺麗に笑うから、僕は、持っていたそれを全部君にあげた。それから僕達は、一緒に食事をとるようになった。


ㅤ君と会えない昼間は退屈で、ずっと君のことばかり考えた。今日は何を話そうか。森で見かけた、珍しい蝶の話をしようか。君は物知りだから、あの蝶の名前も知っているに違いない。この間の君の冒険譚の続きは聞けるだろうか。



ㅤその日もいつものように洞窟の入口で待っていたけれど、君は来なかった。代わりに知らない気配がして、洞窟の中に戻ろうとすると、何かが飛んできた。振り返る。背後に落ちているそれは、ナイフのようだ。次々に飛んでくるそれが、何本か肌を掠めた。魔物は銀に弱い。君の言葉を思い出す。地面に膝を着く。近寄ってきた人間の足に噛みつき、頭を引きちぎった。


ㅤ木々の向こうに、君の白い髪が見えた気がした。口の中に新鮮な血の味が広がる。今夜はご馳走だ、なんて、ずっと前なら喜んでいたかもしれないけれど、そんな気持ちにはなれない。追いかけようとしたときには、君の姿は木々に隠れてしまっていた。引きちぎった人間の首が手から落ちる。


ㅤ君を食べる気なんか無かったんだ。本当だよ。


ㅤ僕は叫んだ。洞窟の壁で跳ね返った絶叫が頭の奥で回る。

君は、きっと、もう二度とここへは戻ってこない。どうして急に、なんで、こんな。2これまでお喋りしてくれていた時間は何だったのだろう。3ただの気まぐれか、暇つぶしか。僕のことが怖くなったのだろうか。なんで、どうして。一緒にご飯だって食べたのに。


ㅤこの日手に入れたご馳走は、半分だけ食べて君の分を残しておいたけれど、君は来なかった。


ㅤそして、腐肉の臭いが洞窟に立ち込めるようになった頃、君は再び姿を現した。変わらぬ笑顔を僕に向け煤けた顔で言う。


「村は焼けてしまったよ」

ㅤ僕は君を抱きしめた。君は擽ったそうに身をよじる。


「待たせてしまってごめんね」

「どうして」

「山火事に巻き込まれたんだ」

ㅤどうしてずっと来てくれなかったの。僕の問いがうまく伝わったのか、伝わっていないのかはわからないけれど、村は山火事で焼けて、そして、だから、君はここに来る余裕が無かったんだね。


「怖がられたかと、思った」

「どうして?」

ㅤ誰かに頼んで、僕のことを殺そうとしたのかと。そんなことを口にしたら、まるで、君を疑っているみたいだ。僕は小さく首を振った。


「戻ってきてくれて、よかった」

「君と話をするのは楽しいからね」

ㅤそうして君は言った。


「落ち着いたら、村へ行こう。地下室があるから、皆がみんな炭になったわけじゃない。ちょうどいい具合に蒸し焼きになっているはずだ」


ㅤそうして君が笑うから、僕もつられて笑った。

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