後編


 時刻は正午。場所は夢ちゃんの屋敷の食卓。

 ナルちゃんが昼食として作ってくれた「ウルタール謹製ねこねこカレー」をみんな(ウチと餡と夢ちゃん)で食べた。今まで口にしたことがない奇妙な味のカレーだが美味しかった。

「これであなたも月まで跳べる美味しさ。おまえも猫にしてやろうか。などとウルタールで評判のねこねこカレー、覚醒世界でミヤコの仲間にご馳走できてボクもご満悦。それではみなさん腹がくちくなったところで、もろもろ説明タイムに突入させてもらおう。さあいくぞ、長台詞を拝聴する耳の覚悟は充分か。聞き流せばウルタールの大会議で居眠りする神官と同類だぞおめでとう」

 抑揚のない綺麗な声とポーカーフェイスに近い表情で、ようやく話が本題に入る。それにしてもナルちゃん、見た目エキゾチックな美少女なのにこんなキャラなんや。

「まずボクが幻夢境ドリームランドから覚醒世界に来れたのは、まだ屋敷を覆っている縞模様の紫異空間と夢見人ドリーマーであるミヤコの存在がボクとの懸け橋になったからだ。ゆえにボクは異空間の外には行けないし、異空間が消えれば幻夢境に送還される。この異空間はアイホートが信徒たちの構築した電脳世界を利用してこしらえたもので、アイホートが接触した餌食候補者がいるところならどこにでも発生可能だ。この場においてはサキのことだね。アイホートは自分が幽閉されている迷宮と異空間をリンクさせて仲間や協力者も連れてこれると推測できる。封印されているダゴンが出現したのもそれだろう。まあおかげでボクも似た原理を用いてアトラック・ナチャの写身うつしみを救援参戦できたわけだが。ちなみに異空間は電脳世界が崩壊したりアイホートが退場しても数時間は持続する。……ふむ、こんなところか。意外とみじかくまとまったな。こうしてボクの要点羅列スキルはまた一段と進化したのであった。それでは皆さんご清聴ありがとうございました、ナルニワ先生の次回作にご期待ください」

 ナルちゃんの現状説明が終わった。ウチは個人的な疑問をぶつけることにした。

「質問や。ナルちゃんがこっちの世界のネタを知ってるんは夢ちゃんから仕入れてるん?」

「食いつくのがそことは、やるな。喰らうものどもには無心の聖なる十字を。ミヤコの聞かせてくれる覚醒世界のカルチャーは面白い」

「そんなくだらない質問でナルの貴重な滞在時間を消費しないでほしいわね! ナル、あとでハテグ=クラ登頂の作戦を練るわよっ」

「おおミヤコ、このまえングラネク山でナイトゴーントにくすぐられたばかりだというのに。だがそこがいい。ミヤコといると退屈しない。きみは大神殿の巫女であるボクをウルタールの外へ連れ出してくれた。いつもボクに自由と冒険の刺激を与えてくれる。だからボクは全身全霊の愛をこめてきみの安全に気を配ろう」

 涼しい顔してナルちゃん言うねえ。これは夢ちゃんどんな反応するんやろ。

 カチコチに固まって顔を朱に染めていた。

 へえー、自信満々のフリーダムガールでもこんな反応するんや、初々しいねえ!

「あ、あああ、アタシだって、ナルのいない人生なんて考えられないわよ。親の愛情を一切受けずに虚無の歳月を過ごしてきたアタシのモノクロな心を彩色してくれたのはナルだもの。あんたはアタシの世界をワンダフルなパステルカラーで満たしてくれた。だからアタシはナルをどこまでもワクワクさせてやるわ!」

 いやあ、かわいいもんやねえ。ニヤニヤしながら餡に目をやると、彼女は暗く沈んだ様子で、そっと手を上げた。どぎまぎしていた夢ちゃんも餡の表情に気づいて恋愛ムードを抑えた。

「すみません、ナルニワさんに質問があります」

「よし、アンのご指名とあらば聞かずにはいられないな。さあどこからでもかかってこい。ミヤコがいつも迷惑をかけているならボクが謝罪しよう」

「わっ、いえ、そうではなく……私は、これからどうすればいいんでしょうか? 私、妖怪退治にはわりと自信があったんです。でも、アイホートにはまったくかないませんでした。今回は私が掃除中に蜘蛛を逃がしたおかげで運よくアトラック・ナチャが撃退してくれましたけど、また襲ってくるみたいですし、そうなったら私は、私自身も咲さんも守ることが……」

 しなやかな両手を膝の上で強くにぎりしめる餡。その苦い顔に悔しさいっぱいの涙がにじんでいる。

 かける言葉を見失ったウチと夢ちゃんが戸惑っていると、ウルタールの巫女さんが餡の眼前で腰をかがめた。

「これまで妖怪を退治してきたヒーローガールが初の強敵に敗北して挫折を味わう展開、わかりみが深い。しかしボクの見立てが正確なら――」

 彼女は餡のほっぺたをぐにーっと引っ張った。

「ふぎゅーっ!?」

 漫画的表現でびっくりする清純少女の肩に手を置いて、ナルちゃんは翡翠の瞳で琥珀の眼をじっと見つめる。あれ、ナルちゃんの片目が一瞬だけ真っ黒(赤い線の入った)になったような?

 すると――ほんのわずか――餡の両眼が黄金色に光った。

「おおー、やはりか。思ったとおり。アン、きみにはとても大きな力が秘められている。もしその力と太古の武器を開放して十全に発揮できれば旧支配者すらしばきたおせるだろう」

「ほ、本当ですかっ!?」

「すでにきみは力の一端を発現している。そうでなければダゴンを倒すことはできなかったはずだ。要因は察しがつくが、これはボクが言ってしまっては意味がない。きみがやるべきことは、太古の武器を見つけてきみの秘められた力を完全に引き出すことだ。その鍵はサキが握っている。灯台下暗しとルカ福音書一二章二七節……おっと、ヒントを与えすぎたらお叱りを受けてしまう。とにかく頑張れ。恋はいつだって唐突でお熱いのが好きだ、ひゅーひゅー」

「大丈夫よ餡さん、ナルの言うことに間違いはないわ。いつも幻夢境の冒険で無茶して生死の境をさまよう窮地に陥るたび助けてもらってるアタシが保証する!」

 これを恥ずかしげもなくドヤ顔で豪語するところが夢ちゃんの性格を物語ってる。彼女はまた鼻炎くしゃみをまき散らして高級ティッシュで鼻をかんでから、幾分やわらいだ不遜さで餡にほほえんだ。

「まあ、そうね、もしも万が一どうにもならなくて切羽詰まった絶望の状況になったら、アタシを頼ってよ。最後の手段として片道切符で幻夢境へ高飛びさせてあげるから」

 ウインクして胸もとの銀の鍵を指先でこつこつ揺らす夢ちゃん。夢見人の夢ちゃんは自由に幻夢境を行き来できるが、夢見人でない人間が特別な手段で幻夢境へ転移すると覚醒世界に戻ることはできないらしい。まさに最後の手段だが、あるだけでもありがたいね。

「都ちゃん、ナルニワさん、ありがとう……本当にうれしいです。旧支配者にぶちかませるよう、私がんばります!」

「よし。アンにひとつだけこっそり個人的なアドバイスをしておこう」

 ナルちゃんが餡を連れて部屋の隅でなにやらぼそぼそ言葉を交わしだした。途中で餡が何度か頬を桜色に染めてこっちをちらちら見たりする。

 またまたティッシュの箱を空にした夢ちゃんがウチに絡んだ。

「あんたは餡の複雑怪奇なパーソナルスペースを偶然にも飛び越えていきなり至近距離に着地したのよ。あの子がそこまで心を預けている人間はあんたが初めてよ。裏切ったら許さないから」

 餞別としてミニ香炉の香料を受け取った。パイプの葉としても使えるらしい。

 そこへ戻ってきたナルちゃんが、ウチを見上げてニヤリと笑った。

「きみとアンの出会い、ミヤコやボクとの繋がり、偶然にしてはできすぎているな。今日は楽しかった。これからボクはミヤコとおたのしみモードに移行するが、次にきみたちと会うときは邪神ぶちかましの土産話を期待してるのでよろしく」

「偶然というやつは、続き出すときりがないもんや」

 織田作之助は後期の主だった作品「それでも私は行く」「夜光虫」「土曜夫人」などで地の文や登場人物のセリフを借りて偶然の意義を存分に語っている。この三作品はどれもたった数日間に起きた物語で(「土曜夫人」など一昼夜の出来事だ)、その数日のうちに複数の人間模様が絡み、事件が発生したりするのだから、ウチが現在進行形で体験しているこの状況もピッタリなんやないかな。織田作之助は随筆でこうも述べている。――偶然というものは、ユーモアと共に人生に欠くべからず要素である……。


 夢ちゃんの屋敷を後にしたウチは、バーガーショップ「百舌鳥モズバーガー」に寄った。

 餡は目の前のハンバーガーを真剣なまなざしで凝視して手をつけようとしない。

「こういうの苦手やったら無理せんでええよ」

「あ、いえ、どうやって食べればいいのかわからなくて……箸もナイフやフォークもありませんし」

 そこからかい。

「かぶりつけばええんや。ほら、こんなふうに」

 両手で持った百舌鳥バーガーにかぶりついて手本を見せると、餡は見よう見まねでぎこちなく一口やった。

 ケチャップやバンズのカスを口もとに残しながら、彼女は電流が走ったように硬直した。

 やっぱり合わんかったかなあと思いきや、そのままもぐもぐやりだし、三分の二ほどたいらげたところで顔を上げた。

「お……おいしいです。ものすごくおいしいです。ミックスパフェとは別種のおいしさというか」

「それはよかった。どうかな思ってたんやけど、美味しいならなによりや」

「ですが――とてつもなく体に悪いですよねこれ」

 超絶にクソまじめな表情とクソまじめな声色でそう述べた。

「まあ、せやね。ジャンクフードやからな。たまーに食べるんがベストやないかな」

「……咲さん、もしかして頻繁に食べてますか? 主食代わりにしたりしていますか?」

 あ、なんかめっちゃ嫌な流れやで。目が据わってきてる。

 ウチが返答にまごついてると、餡は「むーーーーーっ!」と酸っぱいお気持ちをあらわした。

「駄目です。食生活はちゃんとしないと駄目ですっ。そういえば冷蔵庫の中、ひどかったですよね? 今から咲さんの家に行って改善させてください!」

 そんなわけで押し切られた。こんなええ子のお節介は無下にできんやん。


 マンションへ向かう途中、不穏なことが一点だけあった。

 誰かに尾行されている気配を感じたのでギリギリまで引きつけた。餡には知らせず捕まえようとしたが、察した相手に逃げられた。ウチが距離詰めに失敗するほどの驚くべき反応速度だった。ぱっと見た限りでは二〇代の若い男みたいやった。あれは只者ではない。


 帰宅したウチの部屋で餡から健康的な食生活のアドバイスをひとくさり聞かされたとき、大変なことに思い当たった。インドの師匠から送られてきた箱だ。いつもの美味しいインドカレー缶セットだろうと決めつけて開封すらしていなかったが、そういえば箱が届いたのと怪異に悩まされ始めた時期が一致する。

 箱を開けると、金剛杵ヴァジュラみたいな形状をした鈍色にびいろの筒が出てきた。同封されているナートゥなインド映画デザインの便箋には手書きの日本語で「平坂神社の秘具を戦友の平坂弦蔵に返す」と書いてある。

「平坂弦蔵は祖父の名前です。えっと、咲さんの師匠のインド人さんが私の祖父と友達で、返却されたこの独鈷杵みたいなものが平坂神社の秘具で、アイホートはこれを狙っているというわけでしょうか」

 ナルちゃんが言っていた灯台下暗しはこのことか。ほんま偶然にしてはできすぎてるわ。

「もうーっ、すぐにこれを開封して神社に届けてくれれば、咲さんは怪異に襲われずにすんで、邪神とも無縁でいられたんですよ? 贈り物を放置するなんていけないことですっ」

 いうてこれが届いたときは平坂神社なんか知らんし。まあネットで調べればわかるんやろうけど、ウチのことやから面倒くさくて後回しにしてやっぱり怪異が発生してたと思う。

「仮にすぐ届けたとして、そしたらキミとは友達みたいな関係になってなかったで。夢ちゃんやナルちゃんのような愉快な子らとも知り合えんわけで、それはなんやおもろないな」

「それはっ……そうかもしれませんけど……でも、命の危険にさらされるよりは……」

「言葉を詰まらせた時点で語るに落ちてるよ。過ぎたことはええねん。ウチは今みたいなカタチで餡たちと知り合えたことに満足してる。それより、これがナルちゃんの言うてた太古の武器なんやろ、ほら」

「なんか咲さん、ずるいです」

 頬を少しふくらませる餡が可愛い。

 彼女は鈍色の筒状の秘具を手にすると、はっと目を見開いた。

「これ――わかります。いまわかりました。グリュ=ヴォからもたらされたものです」

「グリュ=ヴォってなに?」

「旧支配者を封印した〈旧神〉の故郷で、ベテルギウス近くに存在する無明の星――あるいは世界――らしいです」

 へーえ、星からもたらされたものってええ響きやねえ。織田作之助の「我が町」のラストなんか心に沁みる。主人公のいるところからは南十字星は見えないなんていう科学的指摘なんかどうでもええ。

「星の世界の彼方からか。ロマンあってええね。星の海を渡って遥か遠い星々の世界へ行くのが、ガキのころの夢やったんや。デザイナーになるのと違って現実性のない恥ずかしい夢やけど」

「恥ずかしくなんかありません、素敵な夢です。もしかしたら……いえ、なんでも。とにかくこれを持って神社に帰りますね。なにか判明したらすぐ連絡しますからっ」

 秘具を箱におさめた餡があわただしく出ていった。

 取り残されたウチはパイプで一服しようとして、やめた。

 志賀直哉はもし自分が生前の織田作之助に会っていたら「健康になりなさい」と言っていただろうと述べたそうだ。

 餡がいれば食生活も改善できそうな気がする。

 急激にデザイン意欲が湧いてきた。オーダーされた巫女装束のデザインに着手した。

 二時間で完成した。すぐ持っていけるよう鞄に入れておく。窓の外はもう群青色の帳がおりていた。

 ふと、昼間にウチらを尾行してた男のことが頭をよぎる。あいつの狙いが餡だったとしたら――

 

 夜の境内で巫女服の餡が男に組み伏せられていた。

 必死に声を出して嫌がる少女の頬を男が拳で殴りつけた。見る間に抵抗が弱まっていく。

 白い襦袢と赤の袴がみだれ、ブラジャーをしていないたわわな胸があらわになる。

「レズは許さねえ」

 男が憎悪と愉悦に満ちた歪んだ声を発した。

 もう十分や。ひとつ呼吸を整える。憤りのまま突っ込んだら確実に相手を殺してしまう。相手がどんなクソ野郎でも法治国家でそれは避けなくてはいけない。

 実際のところ、後から考えればこの判断は正解だった。もしこのとき男を殺せば、直後にウチと餡も死んでいただろう。

 男はナイフで襲いかかってきて、それは素人の動きではなかったが、所詮は「人を多く殺してきたサイコパス殺人鬼の動作」に過ぎなかった。ウチは手加減した古代武術で男の片腕と片脚をへし折った。予想外だったのは、動けないはずの状態にもかかわらず、男が信じがたい速度で逃走したことだ。嫌な予感がしたので追うのは諦めた。警察は面倒だから呼ぶ必要はない。

 へたりこんだままの餡に手を貸すと、がばっと強く抱きつかれた。

「咲さん! うわあぁぁぁぁぁん! ひっく……えぐ……咲さあぁぁん!」

 泣きじゃくる小さな体から、ぶるぶると恐怖と安堵が伝わってくる。

 ああ、そうやな。妖怪や化物を退治できる巫女さんでも、男に顔を殴られてレイプされそうになったら、それは怖くて当たり前だ。ウチは餡の頭を何度も何度も優しく撫でた。

 このまま帰るのはとても無理な話で、今夜は餡の家(社務所)に泊まることになった。餡の寝間着は普通にパジャマ(水色)だったのが一六歳の女の子らしいといえる。


 心地よい匂いで目が覚めた。布団を出て移動すると、餡が巫女服にエプロン着用で台所に立っていた。

「あっ、起こしちゃいましたか? もう朝ごはんできますから待っていてくださいね」

 おわー、なんやガキの時分に戻ったみたいな家庭の空気や。

 壁に目をやると学生服(紺のブレザーとプリーツスカート)がかけられている。その横には、ウチが完成させた巫女装束デザイン画が額縁に入れて飾ってあった。めっちゃ喜んでたけど、ここまでされると照れくさいわ。

 餡の手料理による朝ごはんは健康的な和食で、高級さも美食さもないが、心あたたまる感じのなつかしい美味しさだった。

 終始にこにこしていた餡は、食後のお茶を飲んでいるウチに向かって「大事な話」を切り出した。

「あのっ、咲さんは恋人とかいるんですか?」

 や、餡の口から恋バナが飛び出しましたよ。なんかこの一言で話をどこに持っていきたいか察しがつくんやけど、この子の距離感は変則的やから断定はできない。

「せやなあ。大学二年から二四歳までに男が二人、女は三人と付き合ったかな。男女ともに肉体関係もあった。まあ遊び感覚で長続きせえへんかったから、ここ二年はフリーやね」

「かっ、からだのかんけいっ! あっ、でも、現在は恋人いなくて女性も恋愛対象なんですね」

 肉体関係で驚いてくれる安定の清純巫女さん。ウチみたいな人間が二六歳で処女のほうがキツいやろ。そして現在フリーで女も恋愛対象と知ってホッとした顔をするの、ほんまわかりやすい。さあ次のセリフはなんや? まわり道か告白ストレートか。

「じゃあ私の体に興味はありますか?」

「ごふっ」

 不意打ちすぎて茶ぁ噴いた。

 あぁー……うん。ナルちゃん、いったい餡にどんな個人的アドバイスしてくれたんや?

「えーと、それはウチがキミのおっぱいを揉んだり、お尻をさわったり、耳や腋を舌で攻めたりしてもええってこと?」

 さすがの餡も瞬間湯沸かし器のように沸騰した。

「ああああああっ、ちがっ、そうでなく! 女性が恋愛対象になるなら……ですから、そのっ……つまり私は咲さんのことが好きなんです!」

 お、告白コクった。

 顔を真っ赤にした餡が荒い息を吐いてウチを見つめる。がんばったねえ。

 ウチは自然体で見つめ返し、そのまま一分ほど経過した。

「あ、あ、あのっ、なんで黙ってるんですか?」

「なんでって、こういうときは告白したほうがこの場から駆け出していくもんやないの?」

「そんなことしたら返事が聞けないじゃないですか!」

「だから、それでお互い一人になって、自分の想いと向かい合うって展開――」

「嫌です! 返答聞くのを後回しにしたら気になって気になって夜眠れなくなっちゃいます。いますぐ返事を聞かせてくださいっ」

 うーむ。ここで逃げるのは論外として、これは諭すのも無理やな。

「まず知りたいんやけど、なんでウチのこと恋愛対象として好きになったん? 出会ってまだ三日というのはまあええとして、ウチの人間性や生活習慣は、キミから見てだいぶ印象悪いと思うんやけど」

「理由なんてわかりません。でも、咲さんが私を普通に見てくれて友達付き合いしてくれるのが嬉しかったし、一緒にいると楽しくなるんです。それに咲さんのダメなところは、これから私が正していけばいいわけですし」

 えっ、なに、この子さらっと怖いこと言いよったで。

「咲さんは私のおかしな距離感と心の壁を恋の軽い翼で飛び越えてくれました! シェイクスピアもそう言っていますっ」

 シェークスピアの言葉なんて「知識は我々が天に飛翔する翼である」しか知らんけど、ぶっちゃけ餡がウチを好きになったのは一〇〇パーセント偶然や。ウチが特別なんてことない。単純に運よく一番乗りしただけで、べつにほかの誰でも同じ結果になってたと思う。たまたまもええとこ。偶然のバーゲンセールでしかない。

 ……ところでウチは餡のことどう思ってるんや?

「ええーと、うん、わかった。それで返事やけど、なんもかんも正直にぶちまけてええの?」

「正直にお願いします!」

「じゃあ、まずキミの人間性な、クソまじめでええ子すぎて地雷臭がすごいんよ。融通がきかなくてウチの自由が尊重されずに縛りつけられそう。合わへんとこもいっぱい出てくるし揉めると思う。ウチはもっとフラットに付き合えるラフスタイルな関係がええんや。だから、ウチに告白したキミの気持ちは一過性のもので、あまり本気にしないほうがいいって言ってやりたい」

 あ、もうめっちゃ泣きそうな顔してる。まあまあ待ちなさい。

「でもな、ここで断ったらどうなると思う? 確実に誰かに取られる。相手が男でも女でも、キミには恋愛的に人を惹きつける魅力がある。可愛いし、純粋やし、ええおっぱいしてるし。もしキミが積極的に誰かを求めたらすぐ相手が見つかるわ。それでキミがほかの誰かと恋仲になって、イチャついて、キミの初めてが誰かにええようにされるなんて、考えただけでも嫌や。そんなんなったらウチは絶対に後悔する。それならこの先どうなろうと、キミの初めての相手はウチでありたい。だからウチは、キミの――餡の告白を受けいれる」

 よっしゃ、思いつくかぎりのことを正直にぶちまけたで。

 さあ、平坂餡の反応やいかに!

「あの……泣いていいのか怒っていいのか喜んでいいのかわからないんですけどっ!?」

「なんで半ギレなん? 望みどおりオーケーしたやん」

「むーーーーーーーーーーーっ!!」

 いつもの顔と奇声を発してから、餡はウチに近寄って凛とした顔で覗き込む。

「わかりました、いまから私と咲さんは恋人です! 私はこの先ずっとずーっと絶対に咲さんを離しませんっ。いつまでも一緒ですから!」

 ほらそういうとこ。ほんまそういうところ。ああー、人生の墓場に入ってもうた。

 でも、その墓地はたぶん、心地よく秘密めいているにちがいない。

「なんやしまらへんなあ。せっかくの告白と成就やのに」

「咲さんがモラトリアムだからいけないんですっ。だけど、嬉しいです。えへへ」

 幸せいっぱいに笑う餡がとてつもなく愛おしくて、ウチも自然と幸福濃度マシマシになる。これまでフラットに付き合ってきた男女のときはこんなラブハートな気持ちにならんかったし、案外なんとかなるんやないかな。

「ここで朗報です。秘具を手に神社で祈祷してわかったんですけど、平坂神社の石碑に彫られている百合光という文字はごく近年に新しく彫られたもので、それ以前は星戦光だったそうです。そして神社の祭神は〈旧神〉の配下である「星の戦士」と呼ばれる存在で……」

 餡の話が終わったちょうどそのとき、窓の外が紫色の異空間に変化した。

「おいでなすったようやで」

「甘い空気も読めない不埒な邪神におしおきしてやります」

 社務所を出ると、多数の目と細い脚がついた白く濁ったゼラチン状の肉塊が鳥居を抜けて現れた。

 その周囲には黒いフードをかぶった数百人もの男女が集まっている。たぶんAIアイ端艇ボート御一行様だろう。

 餡は恋する乙女の顔でウチを見上げて目を伏せた。

 ウチは餡を抱きしめ、彼女のみずみずしいファーストキスを味わう。

 餡の双眸に黄金きんの光が燈った。

 金色こんじきの炎に包まれた少女の巫女装束がノースリーブとミニスカートを基調とした和洋折衷めいたものに変化する。それはまぎれもなくウチのデザインした巫女装束だ。

 そしてウチと餡は人が三人分は乗れる大きさのとら子石こいしの背に立って、空に浮いた。

「星の戦士が駆る乗騎を私なりに改変してみました」

「いや、なんで虎子石なん?」

「えっと……かわいいから」

 マジか。家内安全ヲかないあんぜんをまもる十二支じゅうにし乃図のずもかわいいとか言いそう。

「おのれ小娘、「星の戦士」の力に目覚めたか!」

 アイホートがウチらと同じ上空に浮かぶと、取り巻きの数百人も空を飛んだ。一斉にフードを脱いだ彼らは球形の白蜘蛛人間と化して襲いかかってきた。

 虎子石は餡の超空間感覚に呼応して四方八方を縦横無尽に飛翔し、どんな角度だろうとどれだけ回転しようとも餡とウチが物理法則に従うことはなく、身体影響一切なしで高速飛行できるのだった。

 餡が大幣を一閃するたび数人が浄化されて異空間から消えていく。

「数が多いですね。それでは、星核なる百合光スターコア・リリィ!」

 大幣から漏斗型の白百合らしきものが七つ発生した。餡の超空間意思で自由自在に飛びまわり、白熱の光線を放射するオールレンジ攻撃を開始する。アイホートの強力な脚攻撃は白百合の展開したバリアが防いだ。

「なんか国民的ロボットアニメで何度か見たことあるやつに似てる」

「都ちゃんがネット動画で見せてくれたのが印象に残りました」

 数分もかからず白蜘蛛人間が全滅。教祖らしき男を撃ち抜いて電脳空間に拡散した光線がAIアイ端艇ボートのゲームデータを大元から抹消し、日本で活動する教団もろとも完全に浸食と脅威を除去した。

 アイホートの無数の眼が蠕動した。ウチは迷宮に取り込まれた。餡の名前を呼んでも返事がない。

「おまえたちにわたしの迷宮を解けるものか」

 硬質の声が反響する。これはヤバいかなと思った次の瞬間、白熱の光線が一直線に壁をぶち抜いた。飛翔した餡がウチの手を取って壁の穴という穴を飛び抜けると、平坂神社の上空に戻った。

「迷宮なんて力づくで突破すればいいんです!」

 漏斗型の白百合から発せられる幾条もの光がゼラチンめいた肉塊を貫き、邪神がおぞましい苦鳴を迸らせた。効いてる、効いてるで!

「だらしないぞ、アイホート。なんのために協力を頼んだと思っている」

 闖入者のエントリーや。それは餡を強姦グロ殺害しようとした若い男だった。異空間に入ってこれるということは、やはり普通の人間やなかったんや。

 餡が黄金の瞳で男を凝視して、断言した。

「あなたはもう人間ではありません。完全に男の人を取り込んで入れ替わったあなたは、クトゥルーの信者や深きものどもさえ名前を呼ぶのを憚るもの……あなたは、イゴーロナク!」

 不快な哄笑がとどろき、男の全身が膨れあがった。体が裏返しになって不定形の肉団子を形成し、頭部のない、脂肪でぶよぶよに太った巨大な全裸の男へと変貌した。両手の掌にはサメ映画ファンが歓喜しそうな鋭い牙の生えた口がばっくり開いて犠牲者を求めている。

「おれはおまえに関わる深淵を越えた一本道の果てに存在する煉瓦造りの壁の向こう側に住んで――幽閉されて――いる。おまえが力を使うたび百合の香りが漂ってきて、ずっとイライラしていたのだ。性的倒錯者は大好物だが、おまえのようにピュアーな人間は吐き気を催す。おれは最初からおまえを殺すつもりだった。そのためアイホートに協力を求めたが、やつは「星の戦士」の武器に拘り、おれは仕方なく我慢して待った。結果はこの有様だ。ああ、忌々しい」

「なんですかその自分勝手な理由は! 一方的に人間へ害を与えておきながら自分は害されるのが嫌だなんて、本当に悪い邪神です。わかりました、あなたの苛立ちはいますぐ解消してあげます。あなたたちをしばきたおすことで!」

「おれの姿は人間に狂気を与える。おまえは平気でも、おまえの女は正気でいられるかな?」

 ハッとした餡が不安げに振り向く。

「いや、平気やで。太ったイラチの邪神さん」

 ウチは余裕綽々でパイプをぷかぷかやった。タバコの煙やなくて、魔道士ズカウバの香の匂い。

 餡が顔をほころばせ、イゴローナク? が怒りの咆哮をあげた。

 エロ漫画の竿役にピッタリな全裸キモデブ体が跳躍すると、アイホートの上に着地して、下半身が白い肉塊に沈んだ。

「封印されているあいだ怠惰きめこんで呑気していたと思うか! おれ――わたし――は合体神アイホーロナク!!」

 白百合の白熱光線が即席ケンタウロス邪神の右手の口に吸い込まれて無力化された。左手の口からメガ粒子砲っぽい巨大光線が飛んでくる。それは餡の展開したバリアを一撃で蒸発させた。

 すんでのところで回避するウチらめがけ、合体邪神の両手が空間歪曲移動で目の前に出現した。漏斗型の白百合を集めて形成したシールドで必殺のかぶりつきを防御するも、跳ね飛ばされた餡が「っ!」とうめいて宙返りで虎子石の上に戻る。ウチなんて振動でめまいがしそうになったほどの威力や。

「みたか! 宇宙的鍛錬の成果である圧倒的なパゥワー!!」

 なんでも宇宙的つければええってもんやないで。

「咲さん、私の胸を揉んで気持ちよくしてくださいっ!」

 正面を向いたままの餡が叫んだ。顔は見えないけど羞恥で紅潮しているはず。

 ウチは背後からノースリーブの隙間に手を差し入れ、ブラジャーをしていないふたつのふくらみを初めて意識して揉んだ。その感触は言葉にあらわせない恍惚ぐあいで、やわらかく弾力のあるそれをこねくりまわし、乳首を指でつまんでいじくり爪先で刺激するのも忘れない。

 嬌声をあげてびくんと背中をのけぞらせる餡。

「ふぁあっ……すご……ちから、あふれ……っ!」

 たちまち目がくらむほどの金色の炎が揺らめき、ウチはあわてて手を離した。

 餡が右手を伸ばすと、掌中から金剛杵みたいな鈍色の秘具――〈旧神〉の太古の武器――が浮かんだ。筒の形状がなんや中二的なカッコイイやつに変化し、神聖四文字テトラグラマトンの輝ける印が展開された(餡の説明によればヤハウェはクタニドの別名らしい)。

「あなたたち旧支配者が様々な方法で新しい力を得たように、「星の戦士」もさらなる新しい力を得ているんです。私に宿るのは女性同士の愛に特化した百合の力。百合に手を出すものを赦さない百合の光をぶちかましてやります!」

「させるかぁ!」

 超必殺技を邪魔しようとするアイホーロナクだが、突如として周囲に霧が漂い、邪神の動きが急激に緩慢になった。

 馬のような頭部を持つ象よりも大きな巨鳥がウチらの近くに舞い降りる。鱗に覆われた背には、胸もとに銀の鍵をつけた亜麻色の髪の少女が大胆不敵なドヤ顔でまたがっていた。その後ろではプラチナブロンドの髪と褐色の肌がエキゾチックな顔面偏差値のクソ高い美少女が涼やかに立ち、抑揚に乏しくも珍妙な手つきで霧を生み出している。

「あっはははは、面白い場面に間に合ったわ! どうだ、旧支配者すら一時的に行動封印するナル特製「無名の霧」の効果は!」

「せっかくのクライマックスに水ならぬ霧吹きを挿して申し訳ない。苦情はシャールノスの黒檀宮殿に送り付けるように。ミヤコとボクは関係ない」

 おっ、ナルちゃんの片目が黒く染まって赤い線が入ってる。

「おまえはまさか――!」

 アイホーロナクは最後まで言い終えることができなかった。

 餡の手からあふれ出す光が、金色に輝く透明な球となって合体邪神を包み込んだ。

「ヤド=サダーグの黄金律円環ゴールデン・ルール。そして――大いなる深淵の光あれノーデンス・ジェネシス!」

 神聖四文字の輝ける光から菫色の光条が撃ち放たれ、アイホーロナクを塵も残らず消し飛ばした。

 後になって判明したことやけど、このときの光条は宇宙空間を突き抜け、地球に近づいていた放浪惑星型邪神のグロースに直撃してピンボールよろしく弾き飛ばし、旧支配者の復活を目論む星辰の位置をめちゃくちゃに乱しまくったそうな。

「よくやったわ餡さん! 見事にぶちかましてのけたわね!」

 妙にムカつく顔でふくみ笑いする馬面巨鳥の背中からすべり落ちた夢ちゃんが、餡に飛びついて勝利を祝福する。

「あなたと織田っちは恋仲になったのよね? ならもうアタシは餡さんの友達ってことでいいでしょ!? アタシはあなたのことずっとまえから友達だと思ってるんだから、いい加減にアタシのことを友達あつかいしてよ!」

「み、都ちゃん……うん、ありがとう」

 餡が涙ぐんで夢ちゃんを抱きしめ返す。めでたしめでたしや。

「それにしてもウチは普通人もいいとこでなんもたいしたことでけへんかったなあ」

「おお、それはちがうぞサキ。きみの存在こそが偶然のトリックスターだ。偶然の織り成す可能性は旧き神の威光も夢見る人の探求心も互いに矛盾する混沌さえもしっちゃかめっちゃかてんてこまいにしてしまう。きみこそ物語のナンバーワンだ」

 さすがナルちゃん、ようわからん褒め方をしてくれる。中二病っぽく変化してた片目も元のエメラルドグリーンに戻っていた。

 まあ、偶然だろうがなんやろうが、終わりよければすべてヨシ!


 ウチと餡は社務所の寝床で夜空を眺めていた。

「そういやアイホートとイゴーロナクは完全に滅ぼせたん?」

「いえ、物質面を消滅させただけですから、いずれ再生すると思います。それまでは苦痛を感じ続けるでしょうけど」

 それはええ気味や。

「ひとつ聞きたいんやけど、覚醒した餡の力でグリュ=ヴォに行くことはでけへんの?」

「うーん、そうですね……私に宿る力は百合特化の「星の戦士」なので、百合エネルギーが極限まで溜まれば可能かもしれません」

「よっしゃ」

 ウチは餡を敷布団に押し倒した。

 餡が「えっ」と頬を赤らめて清楚で可愛い顔をどきどきさせる。

 そんな彼女に見せつけるよう、こっそり持参した大人の玩具を引っ張り出す。

「それじゃ、餡の初めてをご馳走になるついでに、ためしてみよか?」

「はわ……ああああ……はわわ……」

 陶然と体を火照らせる清純な巫女さんに抵抗の意思はない。


 こうしてウチと餡は史上最速でグリュ=ヴォに到達した地球人となった。

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グリュ=ヴォまで何百光年? 皇帝栄ちゃん @emperorsakae

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