ドルメン 第 55 話 父の隠れ家へ


 アルタフィが家に着くと、母が居間で待っていた。

「どうしたの、お母さん。まだ起きていたの?」

「あなたを待っていたのよ。警察にも言わずにこっそり出入りしたりして。携帯も繋がらないで、いったい何をしているの?」

「実は……、話があるの、お母さん。お父さんは殺人犯なのよ。ソトのドルメンでシスネロス教授を殺したのはお父さんよ」

 アルタフィの母は動じなかった。息を吐くと、優しく、しかし自信を持って言った。

「あなたのお父さんはシスネロス教授を殺したりしていないわ」

「お母さん、目を覚ましてよ! お父さんはシスネロス教授を殺して、次は私を殺したいのよ!」

「あなたには話すことがたくさんあるわ。今日、お父さんがあなたを待っているの。一緒に行って話をしましょう」

「でも、お父さんは殺人犯よ。シスネロス教授を拷問して殺したんだわ」

「言ったでしょう。お父さんは殺人犯ではありません」

「どうしてそんなにはっきり言えるの?」

「お父さんは今晩私と居たの。私を一人きりにすることもなかったわ。あの人が誰かを殺すなんで不可能よ」


 アルタフィの足元で地面が揺らいだ。母が最近いなかったのはそのせいだ。父に会いに行っていたのだ。母は父と連絡を取っている、と警察が言っていたことは事実だったのだ。


「どうして言わなかったの? 私はいつだってお母さんのことだけは信じていたのに」

「だったらそのまま信じてちょうだい。今晩お父さんに会って話をしたら、なぜ私が黙っていたかがわかるでしょう」

「もう誰も信じられないの。どうやってお母さんを信頼しろっていうの?」

「私はあなたの母親よ」

「なんて慰めかしらね! 私の祖母は女の子を殺して、私の父親は娘を殺そうとしているのに?」


 アルタフィの母は何も言わなかった。涙を流すこともなかった。ただ言った。

「行きましょう。時間がないの」


 母の態度は毅然としていた。アルタフィは従うかどうか迷ったが、母はこれまで一度も彼女を裏切らなかった。疑わないわけではないが、どんな結果になったとしても、彼女の意見を聞こうと思った。


「でも、ちょっと待って、お母さん。出かける前にトイレにだけ行っていい?」

「いいけど、警察には知らせないでちょうだい」


 アルタフィはトイレでフーディンにメッセージを送った。さっきもらったばかりの携帯だ。

「これからお母さんと一緒にお父さんに会いに行きます」

 何秒もしないうちに返事が来た。

「気を付けて。親父さんはどこにいるんだ?」

「わからない」

「わかったら知らせてくれ。なるべく近くにいるようにする。万が一のために」

「ありがとう!xxx」


 キスの絵文字を送りたかったが、機種が古過ぎて無理だった。

 そうして二人は朝の三時にガレージを出て、母が近くに駐車していたレンタカーで出掛けた。母はアルタフィに携帯を置いていくように指示したが、アルタフィはフーディンからもらった携帯を隠し持ったままだった。今アルタフィが信頼しているのはフーディンだけだった。


 母はセビーリャの郊外に車を走らせると、バレンシナの方角へ向かった。そして、バレンシナにほど近い住宅街の外れの目立たいない所に車を停めた。それから暗がりの小道を小さな灯りを頼りにひたすら歩いた。アルタフィは不安から何度も引き返そうと言ったが、その度に母がもう少しだからと言って、先に進んだ。


 アルタフィはフーディンが側に居てくれたらと考えた。実際、ここはフーディンの家から近いはずだ。どうにかして彼に自分の居所を知らせることができたら、助けに来てくれるだろう。アルタフィの考えはフーディンと暮らすジェーンのことに逸れ、嫉妬心が彼女を別の意味で不安にした。


 アルタフィの母は「あそこよ」と言うと、アルタフィが着いてきているのを確認しながら暗がりを進んだ。最初は小山のように見えていたそれは家だった。柵に囲まれて大きな庭があり、その中に石で出来たサイロが建っていた。それを見た途端、アルタフィは恐怖で凍りついた。それはルイス ヘストソの家だった。巨大な石臼の上で、最初の殺人儀式が行われた場所だ。震えて動けなくなったアルタフィに気付いた母は、唇に指を立てて声を立てないように指示すると共に、アルタフィに囁いた。


「落ち着いて、心配しなくてもいいわ。生け垣の穴を通って入るけれど、後が残らないようにしてね」

「お母さん……、ここはルイスの家じゃない。警察が封鎖しているはずよ」

「お父さんは、ここに隠れているの。一番安全だと思わない?」


 そう言って母は生け垣の隙間を探して通っていった。アルタフィはその隙にフーディンにメッセージを送った。

(バレンシナにいるわ。ルイス ヘストソの家に裏口から入ろうとしているところよ)

「アルタフィ、あなたの番よ」

 生け垣を抜けた母がアルタフィを呼ぶのを聞いて、アルタフィは母の後を追った。アルタフィが生け垣を抜けると、母は分かれた枝木を元に戻した。そして、アルタフィをすぐ後ろに引き連れて、暗闇の中を迷わずに歩いていった。農家の建物に着くと、母は小さなドアに向かって三回叩き、しばらく置いてから二回叩いた。それが合図のようで、内側から貫抜が開く音がした。父に違いない。もう何年も会っていない父が中にいるのだ。



 その頃、フーディンはアルタフィからのメッセージを受信した。彼女からの何の疑いもないメッセージの内容にフーディンは感謝した。


 なるほど、アルタフィの父、アルトゥーロ メンドーサはヘストソの家に潜んでいたのか。頭のいい奴だ。アルタフィのメッセージに彼女の恐怖を感じ取って、危険だと分かっていながら虎穴に入る彼女の勇気、または彼女の軽率さをフーディンは讃えた。


 彼の知る限り、アルタフィの母は教団には関与していない。しかし、母がアルタフィを父の元へ連れて行ったとしたら、それは彼女の夫に対する愛のためだ。恋に狂った女は何でもする。フーディンの祖父の言葉だ。

「女の愛を煽ってはいかん」

 アルタフィの母は、自分の娘を屠殺場へと送ろうとしている。愛のために。しかし、アルタフィの父が娘を殺すことは叶わないだろう。フーディンが彼女を救う使命を帯びているからだ。


 フーディンは、アントニオ パレデスの書類を盗んだここにあったのか!ことを誇りに思った。書類には自分たちの考えを裏付ける内容が書いてあった。アルタフィが自らの手で行ったバレンシナの発掘は、七つの輪の儀式の開始の合図となった。目覚めた彼女が手に入れた透視の力を持ってしても、そのことには気付かないだろう。


 ジェーン二階で眠っていた。フーディンは、アルタフィからのメッセージを伝えるために階段を登っていった。

(警察に匿名で電話をしてバレンシナに行かせるか……。いや、自分が行ってアルタフィを守ろう。畜生、アルトゥーロ メンドーサはずる賢い。大僧正になろうとしているのも無理はない。もし奴が七番目の生贄としてのアルタフィの血を受け、内臓を喰らったなら、その力は奴のものになる。俺たちがそうはさせない)


 フーディンが声を掛けると、ジェーンは飛び起きた。彼女の瞳は超自然の知性でフーディンを射抜いた。彼女は古代の女神だ。新石器時代のビーナスだ。だからフーディンは彼女を崇拝し、愛しているのだ。フーディンが、アルタフィと彼女の父の居場所を告げると、ジェーンは「アルトゥーロは手強い敵ね。大僧正になろうとするだけあるわ」と言った。

「しかし、俺たちの使命はアルタフィを守ることだ」

「そのとおりよ」とジェーンは単調に言った。「アルタフィを守らなくては」


 階下に降りて二人はロープや懐中電灯をバックパックに詰めた。出かける前にジェーンは情熱的にフーディンにキスをした。

「キム、あなたはすごいわ。アルタフィは今やあなたに夢中よ。あなたの言うことなら何でも聞くはずだわ」

「それが俺の仕事だからな。まあ、あまり手もかからなかったけど」

「まあ、彼女は単純な人なようね。それに愛に飢えていた」

 ジェーンは再びフーディンに深く口づけると、「さあ、行きましょう。帰ってきたらご褒美をあげるわ」と言った。


 フーディンはジェーンに褒められて気分が良かった。哀れなアルタフィは自分の手のうちにある。良心が痛んだが、それは彼女を守るためだとフーディンは自分に言い訳をした。歩き始めながら、再び祖父の言ったことを思い出した。

「恋に狂った女は何でもする。女の愛を煽ってはいかん」

 祖父はなぜ恋に狂った男がしでかしそうなことを警告しなかったのだろう、とフーディンは思った。


 *  *  *


 アルタフィを助けたいだけだったら別に好きなふりをしなくてもいい気がしますけど、フーディンはジェーンの別の企みに気が付いていないってことなんでしょうね。

 この後でジェーンが「キム! アルタフィを殺るのよ!」、戸惑うフーディン、「キム、お願い、やめて!」と叫ぶアルタフィ、みたいな火曜サスペンス劇場の十時三十分くらいのシーンが待っている気がします。


(初掲: 2024 年 11 月 23 日)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る