ドルメン 第 42 話 アルタフィ、覚醒する

 アルタフィたちはエル ガストルの山腹にある松林に車を停めた。ドルメンはそこから更に高みに歩いたところにある。アルタフィは黙って母に付いて行った。


「ここよ」と母が言った場所には、十メートルほどの羨道があり、玄室には二メートルを越える羽目石が立っていた。六千年前に作られたそうそうたる巨石遺構は、日が昇る東を向いていた。

「お祖母ばあちゃんが死んだ日に何があったの? ドルメンで何をしていたの?」

「あの日はお祖母ばあちゃんがここに来ると聞かなかったの。その前にも何度も私たちにここに来るように頼んでいたの。あたかもドルメンに別れを告げたかったかのように」

「お母さんはドルメンについて知っていたのね。誰が教えたの?」

「ドルメンにはその前にも何度も来ていたわ。私は私のお祖母ばあちゃんに連れてこられたわ」

「『智慧』の継承……」

「あなたの曾祖母ひいおばあちゃんも、ここだけでなく、エル チョポやまだ学術的に発見されていないドルメンに行っていたわ。代々そうやって受け継がれてきたのよ。そして今日、あなたが選び、私があなたに教えるんだわ。私たちは逃れられない運命の中にいるのね」

「私は何からも逃げたくはないの。私たちの家系についてすべて教えてちょうだい、お母さん」

「あなたの曾祖母ひいおばあちゃんは、『ドルメンには尊ぶべき過去からの秘密が隠されている』と言っていたわ。私をここへ連れてきたその日、曾祖母ひいおばあちゃんは私に祝福の儀式をしたの。細かいことは覚えていないけれど、その儀式以来、私はここに繋がっているように思うの。私が呪術の世界を忘れたくても、儀式を受けたこのドルメンを全てを捧げたように思い出すのよ」


 古代からの智慧、月夜の下での儀式。十代の友人たちとは相容れない世界。そこから逃れたかった母の気持ちがわかり、アルタフィは母の手を握った。


「これは、誰にも言わなかったことなのだけれど」

「もう全部話して、お母さん」

「母から離れてセビーリャに移った後、そこであなたのお父さんに出会ったわ。結婚したけれど、子供には恵まれなかった。病院にも行ったけれどダメだった。でも、突然直感が閃いたの。このドルメンに来ようって」

「ここへ?」

「お父さんは乗り気じゃなかった。エンジニアだから迷信だと思ったのね。でも、子供が欲しいばっかりに私の言う事を聞いて、一緒にここへ来たわ。ドルメンの力に祈り、きっかり九か月後にあなたが生まれたのよ」

「信じられないわ」

「だから、あなたはドルメンの娘でもあるのよ……」

 アルタフィは目に涙を貯めて母を抱きしめた。

「あなたをおかしな呪術の世界から遠ざけようとしてきたけれど……、あなたがその力で生まれたことを考えれば恩知らずなことをしたわね」

「今日は大切な日だわ。私はやっと私の場所を見つけた気がする……」

「本当はあなたに弟を産んであげたかったのだけれど」

「……代々生まれるのは娘が一人だけだった」

 アルタフィの言葉に母はうなづいた。


 見上げると、二羽の鷲が青い空を舞っていた。蝉時雨が止み、朝日が明るみと透明さを増していた。(これはしるしだ)とアルタフィは思った。


「お母さん、私を祝福して。今、ここで、お母さんにして欲しいの」

「でも、私は儀式の手順も言葉も知らないのよ?」

「それは学ぶものじゃないでしょう? お母さんの中にいつもあるものよ。お母さんのお祖母ばあちゃんから受け取ったものを、私に渡してくれればいいの」

 母の表情からは迷いが見えた。

「アルタフィ、簡単なことじゃないわ。また一からやり直すようなものよ。私もあなたも、その世界からは離れていたし……」

「離れてなんかいなかったわ。私たちはいつもその運命の中にいた。私が証拠よ。ドルメンはいつも私たちの中にあって、ドルメンは私たちを取り返すために血の儀式を始めたのよ」

「アルタフィ、なんて恐ろしいことを……」

「祝福して、お母さん」


 沈黙の後、母はドルメンの入口に立った。祈りのようなくぐもった言葉をつぶやき、自分たちを取り囲む四方向を手で指し示した。

「ここへ来て」


 アルタフィは黙って母に近づいた。これがどれほど重要な瞬間なのかを理解していた。「智慧の女」の血脈に繋がれ、「智慧」を授かるのだ。アルタフィは自然と満たされ、不思議な興奮と喜びを持って、子供の頃初めて行った聖体拝領を思い出していた。

「服を脱いで、ひざまずいて」

 母はアルタフィの頭に手を乗せた。それから、彼女の額にキスをして厳かに言った。

「アルタフィ、あなたはこの儀式を止めることもできます。この祝福を受け入れますか?」

「はい、永遠に受け入れます」

「あなたとあなたの先祖が望むままに。大地に口づけを」

 アルタフィは全てを捧げるように地面に口づけた。

「あなたは母によって祝福されました。私とその祖先がしてきたように」


 アルタフィの全身の細胞が喜びに震えた。アルタフィは立ち上がると、ゆっくりと巨石の並ぶ羨道を辿り、石造りの玄室に入った。アルタフィは自分が巨石遺構の有機的な部分だと感じた。文明の黎明から続く聖なる石と智慧の女。そんな不思議な光景がアルタフィに浮かび、大きな安心感に満たされた。アルタフィの存在の奥深くで何かが起きていたが、それを言葉にすることはできなかった。アルタフィは自分の意識がはっきりと覚醒するのを感じ、輝いた表情でドルメンから現れた。


「ありがとう、お母さん。とても気分がいいわ」

「私もよ。肩の重荷を下ろしたような気分だわ。これからはあなたが行きたいと思う道を辿ればいい」

「ねえ、お母さん、お父さんが初めて来たドルメンがここなのよね?」

「そうよ、ドルメンそのものに驚いただけではなくて、あなたを授かったのでとてもびっくりしていたわ」

「授かったって……つまり……」

「つまり、そういうことよ。『受胎の儀式』と言ったらいいかしら。お父さんは、それからいろいろドルメンについて調べ始めてのめり込んでいったの。ドルメンはあなたを授けてくれたけれど、お父さんを連れて行ってしまった。……それでも、ドルメンにはそれなりに感謝しているわ」

 アルタフィたちはゆっくりとドルメンからの帰途を辿り始めた。巨石文化の深みから二十一世紀に浮上するには、時間が必要だった。


 車に乗り込んだアルタフィは、前日のローサとの会話を思い出していた。

「お母さん、どうして誰もお祖父じいちゃんの話をしないの? 私、会ったことも、写真を見たこともないよね?」

「あなたのお祖父じいちゃんには……、私も会ったことがないの」と母は俯いた。

「お母さんが生まれる前に死んでしまったってこと?」

「そうじゃないの。お祖母ばあちゃんは結婚しなかったのよ」

「恋人が妊娠はさせたけど、結婚はしなかったってこと? ローサはお祖母ばあちゃんがシングル マザーだって言っていたわ」

「ローサが? どうやって知ったのかしら。……何と言ったらいいか、恋人でさえもなかったのよ」

「乱暴されたとか……?」

「お母さんはお父さんの話を殆どしなかったの。いろんな話から推測すると、私のお父さんはロンダに来たフランス人だったようね。何のために来たかもわからないけれど、私のお祖母ばあちゃんが彼を家に二か月ほど泊めたの。お母さんは二十歳を過ぎた頃で、結婚はそれまで断っていた。でも、彼が来てから九か月後に私を生んだのよ。当時のシングル マザーの娘なんてとんだ醜聞だったわ」

曽祖母ひいおばあちゃんはがっかりしたでしょうね」

「それが逆よ。そんな娘を誇りに思っていたようよ。だから私は父は死んだものだと思っていたの。それがある日近所の子供に「父無しのあばずれの子供」だと言われて、それでお祖母ばあちゃんが私の生まれについて説明してくれたの。あの頃はわからなかったけれど、今では母を立派に思うわ」

「お母さんも、今日はお祖母ばあちゃんの新しい面を知ったってことね」

「そうね」

「でも、お祖父じいちゃんについて具体的には……」

「わからないわ、あなたの曽祖母ひいおばあちゃんは何も言ってくれなかったから」



(初掲: 2024 年 10 月 11 日)


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