ドルメン 第 41 話 祖母の秘密(続き)

 翌朝、母からの電話でアルタフィは目を覚ました。既にロンダに着いて、カフェで落ち合おうという母に、アルタフィはまず祖母の家に行くことを提案し、ローサから祖母の家の鍵を預かったことを話した。しかし母はアルタフィの顔を見るまではどこにも行かないと言った。


 パラドール ホテルのカフェで待っていた母は、アルタフィを見ると駆け寄り、アルタフィの顔を両手で包んだ。心配を口にする母に、アルタフィは昨日のことは後で説明すると言って、まずは祖母の秘密を話して欲しいと頼んだ。母は言い淀んだが、アルタフィはせめて祖母が死んだ日にどこに行ったのかだけでも教えて欲しいと懇願した。ようやっと母は「もっと早くに言っておくべきだったのかも知れないわ」と口を開いた。


「あの日行ったのはエル ガストルよ」

「アルゴドナレスとモンテコルトの間にあるエル ガストル(注1)ね?」

「あの場所で何があったの?」

「一番いいのはそこに行くことね。実際の場所で話せばあなたにもわかりやすいと思うわ」

「だったらその前にローサに鍵を返さなくては。お母さんの車で行って、お祖母ばあちゃんの家からエル ガストルに行きましょうよ」


 祖母の家の前に着いた母はあまりに何も変わっていないことに驚いていた。アルタフィはローサの家に母を連れていき、ドアを叩いた。しかし、誰も出てこなかった。


「朝早く出掛けるって行っていたから、まだ戻ってないみたいね」と言うアルタフィに、母は「でもローサなんて人は知らないわ。この家にはあの頃から誰も住んでいなかったはずよ」と言った。

「でも、昨日は居たのよ。小さい頃、私がここに泊まったって言っていたわ」

 すると、隣の家のドアが開き、中から黒い服を来た老女が出てきた。しかし、それはローサではなかった。

「何か用かい?」

「ローサに用事があって来たんですが」

「ローサ? そんな人はここには住んでいないよ」

「でも、昨日お会いしたんです。私の祖母のことも知っていて……」

「あたしゃここに十年住んでるけどね、その家はずっと空き家だよ」

 それでも言い募るアルタフィに老女は呆れたように「何と言われたってローサなんてこの辺にはいないよ」と言って、家に戻って行った。


 アルタフィと母は諦めて祖母の家に向かった。そして、アルタフィは持っていた鍵で祖母の家のドアを開けようとしたが――開かなかった。アルタフィの母も試してみたが、やはり鍵は合わなかった。

「変ね、昨日はローサが開けたのよ。中には入らなかったけれど、私が自分で鍵を締めたの」

 誰かが夕辺のうちに錠を取り替えたに違いない、などと言い出すアルタフィをなだめて、母はアルタフィと共に車まで戻った。乗り込んだ車の中でアルタフィはふと、ローサからもらった封筒のことを思い出した。

「そうだわ! 写真があるの! お祖母ばあちゃんが子供の頃の写真よ。曾祖母ひいおばあちゃんも一緒だって言っていたわ」

 そう言ってアルタフィは封筒から、古ぼけて皺の寄ったセピア色の写真を取り出した。


 写真には四人の女性が写っていた。どの女性も痩せており、髪を剃られていた。奇妙でとても汚い服を着せられて、皆が嘲笑う中、通りを歩かされていた。一人だけ、威厳と共に背筋をまっすぐにして歩く剃髪の女性が居り、その後ろを簡素な服を着た四歳くらいの少女が腕を伸ばして追いかけていた。


「これよ、これがお祖母ばあちゃん」

 アルタフィの母は何気なく写真を覗いた。またアルタフィが理由のわからないことを言っているのだろうという様子だった。しかし、写真を見た途端、母の表情は変わった。

「これは……どうして」

 そう言って母は泣き出した。

「泣かないで、お母さん。この写真を見たことある?」

「ないわ。でも、これが私のお母さんとお祖母ちゃんだということはわかるわ。この写真は一九三九年に撮られたはずよ。狂ったあの年に」

「何なの? どうしてみんな髪の毛が短いの? なぜほかの人たちは笑っているの?」

「いつか、あなたのお祖母ばあちゃんが話してくれたの。お祖母ばあちゃんは、この悲しそうに走っている女の子。その前を行くのがお祖母ばあちゃんのお母さんよ。内戦後の報復で共和国派アカの女たちは公衆の面前で屈辱を受けたのよ。(注2)髪の毛を剃って、通りを歩く彼女たちに物を投げつけたの。一生忘れられない傷を焼き付けたのよ」

「でも、お祖母ばあちゃんの家族は共和国派ではなかったでしょう? 反乱軍ナショナリストだったはずじゃない? 曾祖父ひいおじいちゃんは共和国派に殺されたって聞いたわ」

「それは、右派の親族よ。でも、あなたの曾祖母ひいおばあちゃんは共和国派だから見せしめに遭ったのではないの」

「だったらどうして?」

 アルタフィはあることに思い至ったが、口にするのを少し躊躇した。

「もしかして……魔女だったから?」

「魔女? あなたの曾祖母ひいおばあちゃんは魔女ではなかったわ」

「名前は何でもいいの。智慧を持つ女。お祖母ばあちゃんのように」

 母はアルタフィに写真を返した。彼女の表情には子供の頃から苛まれてきた古い苦痛が見えた。

「うちの家系の女はいつも……『特別』だったの。薬草、薬湯、占い。私はそのしがらみから逃れたかった。原始的で呪術的な世界から。だからあなたもそんな世界に近づけないようにしていたの。でも、あなたのお祖母ばあちゃんは、あなたを捕まえてしまった。あなたは、過去を掘り起こすことで開放されるあなたの力がどんなものか気付いていないのよ」

「お母さん、そんな大げさに言わないでよ。お祖母ばあちゃんが薬草や薬湯に詳しかったからって悪いことじゃないじゃない」

「お母さんは怖いのよ。只の力とは違うの」

「どういうこと?」

「お祖母ばあちゃんが死んだ日に行った場所に行ってみればわかるわ」

「これから行くところよね?」

「……ドルメンなのよ。ドルメン デル ギガンテ。(注1)お祖母ばあちゃんは力を得るためによくそこに行っていたの」

「ドルメン? あの日ドルメンに行っていたの? どうして今まで黙ってたのよ?」

「関係がないと思って……」

「関係ないわけないじゃない! これまで起きていること全部がドルメン絡みなのよ? 全部がドルメンに始まり、ドルメンに終わってるのよ」

「そうね、そのとおりだわ。すべてがドルメンに始まっている……。想像する以上に」

「ちょっと、怖いこと言わないで、お母さん」

「私も怖いのよ。何が出てくるかわからないわ」

「それならお母さん、何が出てくるかを二人で見届けよう」


 母は黙って車のエンジンを入れた。


 *  *  *


(注1)エル ガストルにあるドルメン デル ギガンテ

 エル ガストルはセビーリャの南東約百キロのところにあります。セビーリャ京都説で行くと、まあ、奈良よりちょっと遠いかなあって感じですね。ギガンテ巨人のと名は付いていますが、羨道を含めて八・五メートルということなので規模的には大きくありません。あまり資料もなく、なんでここがアルタフィ祖母の大事な場所になったのか不明です。


(注2)共和国派アカの女たちは公衆の面前で屈辱を受けた

 これは実話だそうです。一九三六年から続いたスペイン市民戦争(共和国派〘左派〙政府が樹立したことに対し、フランコ率いる反乱軍〘右派〙がクーデターを起こして争った)で、フランコ勝利に終わった際にフランコ側の市民警察が左派を粛清したそうです。第 35 話で言及されたロルカのように処刑された人たちもいるし、処刑は免れても髪や下腹部の毛を剃られ、人前を歩かされた女性たちもいたそうです。

 いつの時代もイデオロギーの対立というのは難儀なものです。我々は地球というこの辺りではたった一つしかない惑星に奇跡的に生まれて知性を育ててきた生き物なんだから、お互いに融通しながら生きていくということはできないんでしょうかね……。


 *  *  *


(初掲: 2024 年 10 月 8 日)


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