ドルメン 第 40 話 祖母の秘密
前回、アルタフィが「探し人のゲーム」で書き上げた女性の絵を「アフリカ系の女性」としたのですが、「黒髪」の女性に修正しました。原文が moreno (褐色)で、moreno は髪にも肌にも使えるのですが、話を読み進めるとブリジットは金髪碧眼のフランス人であることが確定したためです。
ローラの場合は「人種的に褐色の」とあったのでアフリカ系とし、そのままにします。後にフーディンにも「褐色の肌の」という記述が出てくるのですが、彼の場合は南スペインに特有の古くからの中東系の血が入った人なのかなと思います。
* * *
アルタフィはかつて祖母が住んでいたロンダに向かった。アルタフィにはロンダの記憶はあまり無い。祖母に会うときには、殆どの場合、祖母がセビーリャを訪ねていた。母がアルタフィをロンダに連れて行くのを嫌ったからだ。
ロンダは石灰石の山脈の中にあり、その中でも高い台地の上にあった。街の中心にはグアダレビン川によって深く削られた有名なタホ渓谷があった。谷には十八世紀に掛けられた橋があり、「
アルタフィは記憶を頼りに祖母の住んでいた家を見つけ出した。小さな二階建ての家で、壁はきれいに白く塗られていた。アルタフィは扉を叩いてみたが、誰も出てこなかった。何度か試してみているうちに、近くの家からやせて腰の曲がった老婆が覗いた。
「そこには誰も住んでいないよ」
「そうですか……。でも、壁が新しく塗られているようですけど……」
「外国の会社が買って、半年ごとに手入れに来るのさ」
アルタフィは会社の名前や、誰が会社に支払いをしているのかなどを老婆に尋ねたが、埒が明かなかった。老婆と話をするのを諦めてアルタフィが帰ろうとしたとき、老婆が言った。
「あんた、ラフィの孫娘だろう」
アルタフィは驚きながら答えた。
「そう、そうです。祖母をご存知なんですか?」
「もちろんだよ、生まれたときからここに住んでるからね」
「どうして私だとわかったんですか?」
「ラフィによく似ているし、あんたが子供の頃に会ったことがある。それに、私はあんたをずっと待っていたんだよ」
老婆はそう言うとアルタフィを自宅に招き入れ、ローサだと名乗った。そして昔ながらの真鍮のポットでコーヒーを入れた。アルタフィは祖母の入れたコーヒーを懐かしく思い出した。ポットで煮出したコーヒーは、布で濾しながらカップに直接注ぐのだ。今は機能的なデザインでフレーバー付きのコーヒーを作るネスプレッソなどがバーには溢れている。しかし、(注1)ポットからの柔らかいコーヒーの香りがアルタフィは好きだった。
「あんたはここに泊まったこともあるんだよ。ラフィが山に出掛けなきゃいけなかった晩にね」
ローサが話しかけた。
「祖母は夜に山に出かけていたりしたんですか?」
「そうだよ、満月の晩にね。出掛けるのを見かけて、後で何をしているのか聞いたら教えてくれたよ。いつかあんたにも教えてあげられるようにってね」
「満月の晩に祖母は何をしていたんですか? そしてどうして私が戻って来るとわかっていたんですか?」
「ラフィは特別な人間だったんだよ。人を癒やしたり、未来を見たり、特別な智慧を持っていたのさ」
「……それって……魔女ってことですか?」
「ラフィは、そんな風に呼ばれたくはなかったろう。もっと自然に近い、単純なものさ」
「私は祖母をよく知らないんです。ここにもそれほど来なかったし。覚えているのは、祖母が死んだ日のことです。私たちはどこかの山に出掛けていました。父母も一緒でした。私は黄色い蝶を見て、祖母はそれをとても怖がったんです。慌てて家に戻り、その晩祖母は亡くなりました」
「黄色の蝶かい。もう少し教えておくれ」
「祖母と私は少し離れて立っていて、そこで黄色の蝶が私たちの周りを舞っていたんです。祖母はそれが死の予兆だと言いました。でも伝えたのは私にだけ。母にとっては黄色の蝶は意味の無いものだったんです」
「そうだね。あんたのお母さんはラフィの世界に興味はなかったね。だからあんたを後継に選んだのさ。古代からの智慧は母から娘にだけ引き継がれて、男にはその能力は無いんだと言っていたよ。ラフィは娘に拒絶されて傷ついていたよ」
「何があったんですか?」
「ラフィから直接聞いたわけじゃないけどね。まあ、自分の身に置き換えてみたらわかるだろう。あんたのお母さんは、六十年代が青春だった。イエイエガール(注2)なんて呼ばれていたよ。音楽だのディスコだのに惹かれて、ラフィの山ごもりやお祈りなんかは恥ずかしいものだったんだろう。勉強や都会に憧れて、ラフィからは離れた。ラフィが引き継いできた智慧もそこで終わってしまうところだったんだよ」
「その『智慧』というのはどんなものなんです? どうやったら引き継げるんでしょう?」
「それは自分で見つけなくてはならないのさ。それはあんたの中にある。探し求めると、それを感じるようになり、見つかるものなのさ」
「あの……祖母の親類はここには残っていないんでしょうか?」
「いないと思うよ。ラフィは、戦時中にラフィのお母さんとここに来たからね」
「私の曽祖父が戦死してすぐに、曾祖母がロンダに越したと聞いたことがあります。そのとき祖母はまだ子供だったと。私と同じように一人娘だったそうです」
「あんたの血筋はそうなんだよ」
「今なんて?」
「なんでもないよ。あたしはちょっと用事があるから出てくるよ。その間、ここで休んでて構わないよ」
ローサはそう言うと出掛けていった。ローサの外出中、アルタフィは母に電話をして、ロンダにいること、ローサという老女に出会ったことなどを話した。母はローサを知らないようだった。そしてアルタフィは、祖母が持っていた特別な智慧とは何なのか、そして祖母が亡くなった日に出掛けたのはどこだったのかを母に尋ねた。母は教えまいとしていたが、アルタフィはその場所に行きたいのだ、行かないうちはセビーリャに戻らないと言った。母はとうとう折れて、明日の朝ロンダに行くから、会ってそこで全てを話すと約束した。
戻ってきたローサはなぜか先程よりも年取って見えた。そして、アルタフィに鍵を渡した。祖母の家の鍵だと言う。祖母が亡くなった後、アルタフィの母は家具もすべてそのままに家を売った。新しい持ち主は、何かあったときのためにローサに鍵を渡したのだそうだ。ローサは言った。
「家の中はそのままなんだよ」
「でも祖母が亡くなったのは、もう二十年も前なんですよ」
「あんたが泊まったら、ラフィも喜ぶだろうよ。家に命を吹き込むのさ」
そう言ってローサはアルタフィを祖母の家へ連れていき、ドアを開けた。アルタフィは、中に入るのを躊躇した。祖母の居た場所には惹かれたが、死んだ祖母の膝に行って眠ることに恐怖を覚えたのだ。
「明日はあたしゃ朝一番で出掛けるから、鍵はうちのドアマットの下に入れておいておくれね」
ローサに別れのキスをしたアルタフィは、彼女の皺だった肌の冷たさにぞっとした。
「ラフィが死んでから、この家に泊まった人はいないんだよ。あんたが初めてなんだ」
「……え」
「ああ、それから」と言って、ローサはアルタフィに封筒を渡した。
「ラフィの子どもの頃の写真だよ。これ一枚しか残ってないんだ。気に入ると思うよ」
「ありがとうございます」と心の底からアルタフィは感謝した。
「家族写真さ。あんたの
「シングル マザー? 旦那さんは?」
「それはあんたのお母さんから聞きな。悪いね、あたしはもう行くよ」
アルタフィは祖母の家を見ながらしばらくそこに佇んでいた。突然子供の頃の思い出が蘇った。近所の子供たちに追われて、祖母の家に逃げ込んだのだ。子供たちは口々に叫んだ。
「魔女! お前の婆ちゃんも魔女だ! お前の母ちゃんみたいにここから出ていけ!」
アルタフィは母がなぜロンダを捨てたのかわかった気がした。
その晩、アルタフィは祖母の家に泊まらなかった。暗闇の中に一人でいることには耐えられなかった。市街地の中心部で安いホテルを探してそこに泊まった。
* * *
(注1)ネスプレッソなどがバーには溢れている。しかし、
……っていうか、アルタフィはほぼネスプレッソ ネイティブな年代なのではないでしょうか。しかも、ポットもパーコレーターじゃないんですよ、真鍮のポット。「ポルトガルとの国境が無くなって楽になったよな!」とか、ときどき懐かしがるものが古過ぎて、アルタフィの年代と合ってない気がします。
(注2)イエイエガール
六十年代のフレンチ ポップのムーブメントだそうです。シルヴィ バルタンとか……知らないよねえ。私も知りません。日本だったら、MIKEY TOKYOさんがカバーしてた「恋のフーガ」by ザ・ピーナッツとか、星飛雄馬のガール フレンドが歌ってた ♪アイラビュ アイラビュ フォレバ モー♪ あいつを見たからこわい、別れがこわい♪ みたいな音楽だと思います。
(初掲: 2024 年 10 月 4 日)
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