ドルメン 第 33 話 シスネロス教授の過去


 博物館を後にしたアルタフィは、午後からの面接に備えるために自宅へ向かった。間もなくマケダ警部から「確かにこれが武器かも知れん。更に調査してみる」と連絡があった。

 コルドバには AVE(注1)で向かった。セビーリャからは四十五分程で着いた。

 コルドバのマグダレナ地区にある白い小ぶりな建物の入口には「アサーラ出版」とあった。ドアが空いていたので、アルタフィは小さなホールに入った。鋳物鉄の門からは中庭の影を彩る鉢植えの花や植物が見えた(注2)。銅のベルを鳴らすためのチェーンを引くと、澄んだ金属音が響いた。

 アフリカ系と思われる褐色の肌をした(注3)、アルタフィと同い年くらいの女性が出てきてドアを開けた。きれいに化粧をしており、黒い瞳がよく映えた。しかし、彼女はアルタフィの訪問を喜んでいないようだった。

「あなた、アルタフィね?」

 挨拶もせずにその女性は尋ねた。

「はい、編集者のラファエル アルファロスさんと面会の約束があるんですが」

「入って。ラファエルはもうすぐ戻るわ。私はローラ ベルトラン。編集アシスタントをしているの。契約とか、印刷会社との連絡とか。」

「出版についてはあまり知らないんです。好きなんですけれど」

「見た目より厳しいわよ。仕事はきついけれど、払いは良くない。いつも自転車操業よ」

「でも、良い仕事でしょう?」

「私にとってはね。あなたも自分で体験して決めるといいわ」

 アルタフィは彼女の物言いに面食らったが何も言わなかった。ローラはアルタフィを中に案内した。オフィスは中庭を囲むようにあり、階上にアルファロスの住居があるようだった。ローラは仕事机の上にある Apple の画面の前に座り、アルタフィはその向かいに腰掛けた。

 しばらくの沈黙の後、画面を見ながらローラが言った。

「シスネロス教授の紹介なんでしょ?」

「はい。私のことを推薦していただきました」

「あのクソジジイは嫌いなのよ」

「クソジジイ」という言葉にアルタフィは自分の耳を疑った。

「シスネロス教授ですか? 聖人みたいな人ですよ。いつも人の面倒を見て」

「あー、はいはい」とローラ。

「どうしてそんな言い方をするんですか? 誰か別の方と間違えていませんか?」

「みんな騙されるのよ。でも、あいつは本当はクソジジイで悪人なの。私が今まで見てきた中で一番の悪人だわ」

「おっしゃる意味がわかりません。本当に同じ人について話をしてますか?」

「同じ人よ。セビーリャ大学の歴史の教授。あいつは友人ヅラしてラファエルを騙したの。でも私は騙されないわ。悪人だって知ってるもの。そしてあなたも気を付けた方がいいわ」

「気を付けた方がいい? 私が困っているときに助けてくれるのは教授だけなんですよ」

「騙されないで。彼は純粋な悪よ」

 アルタフィは信じられない思いで考えた。悪? 悪について語ったのは、シスネロス教授本人だ。

 そのとき、門が開く音が聞こえた。ラファエル アルファロスだった。彼は五十歳で割とハンサムな男だった。アルタフィを暖かく迎えた後、彼のオフィスへと案内した。ローラはそのまま自席に残った。

 アルファロスはアルタフィに仕事の内容や、最初に出版する予定の本について説明をした。そして、給与があまり高くないことにも触れた。

 そのとき、ローラがやって来た。手には本の入った袋を持っていた。

「新しい本を図書館に納本(注4)しに出掛けてきます。」

 彼女が出ていった後、アルファロスは言った。

「よく働くし、本好きでいい子なんだが、気が短くてね」

「親切にしていただきました」とアルタフィは少し大げさに言った。

「ちょっと変わっているんだ。本人によると透視ができるらしい。私は興味は無いがね。私の友人で、君の指導をしているシスネロス教授だが、彼女は彼に恨みがあるらしい」

「ええ、聞きました。でも何かの間違いだと思います。シスネロス教授はとても良い人です」

「私もそう思うよ。彼女の言い分は行き過ぎだと思うが、ローラはシスネロス教授の孫娘の友人だったんだ」

「孫娘? 教授にお孫さんがいるとは知りませんでした」

「じゃあ、事件のことは知らないんだね」

「何かあったんですか?」

「シスネロスは孫娘のエレナを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。彼女の十五歳の誕生日に友達がパーティーを開いたんだ。エレナはその日十分に楽しんで、夜十時頃家路についた。帰りのバスに乗るためのバス停へは一人で行った。そしてその晩彼女はいなくなり、二度と現れなかった。捜索は何日か続いたが、何週間もしない内に人々は興味を失い、彼女は忘れ去られてしまった。今日までね」

 アルタフィは今聞いた話を信じられなかった。どうして今まで知らなかったのだろう? 誰もそんな話はしてくれなかった。

「いつのことですか?」とアルタフィは聞いた。

「はっきりとは知らないんだ。シスネロスに出会ったばかりの頃だと思う。その頃彼はコルドバ大学にいた。十四、五年前かな。事件の後、シスネロスはセビーリャ大学に職を得て、コルドバを去った。事件を忘れてしまいたかったんだろうね」

「エレナの両親は?」

「事件の二年前に交通事故で亡くなっている。それ以降は、シスネロスとエレナの二人暮らしだ。だから余計にショックだったんだろう」

「何が起きたんだと思いますか?」

「想像もつかないよ。警察はサイコパスが彼女を誘拐して殺したんだと推測したようだがね」

「ローラは? どうしてシスネロス教授を憎んでいるんですか?」

「ローラはエレナの親友だったんだ。パーティーにも一緒にいた。シスネロスを敵視する本当の理由は言わないんだ。ただ、今度の考古学シリーズの監修を彼に頼むという話をしたら、激怒していたよ」

「私がプロジェクトに参加するのも嫌なようでした」

「そうだね。でも心配しなくていい。根はいい子なんだ。すぐに打ち解けるよ」

 その後しばらくアルファロスと話をしていたが、アルタフィは今聞いた話で頭がいっぱいだった。帰り道でもローラに今すぐ会って話を聞くことばかりを考えた。エレナの最後の日に何が起きたのか詳しく聞きたかった。そして、なぜ彼女がシスネロス教授を憎むのかも。アルタフィは初めてウンベルト シスネロスについて知ったような気がしていた。


 その晩、アルタフィは母に、ルイス ヘストソと父親が知り合いだった可能性があるかを尋ねてみたが、母はありえないことだと取り合わなかった。アルタフィは祖母が話していた黄色い蝶や、なぜ母が彼女の母、つまりアルタフィの祖母と不仲だったのか、なぜ母がアルタフィを祖母の家に行かせなかったのかなども尋ねてみたが、母は言葉を濁して寝室へ行ってしまった。


 *  *  *


(注1)AVE

 スペインの新幹線です。フランスの新幹線 TGV とも相互乗り入れがあります。AVE は Altaアルタ Velocidadヴェロシダッド Españolaエスパニョーラ の略だそうで、訳すと「スペイン高速線(?)」となります。国際線になるので、乗る前にパスポートを見せたり、荷物を X 線に通したり、なかなか大変です。


(注2)ドア -> 小さなホール -> 門 -> 中庭

 次のリンクから典型的なコルドバの住宅の入口の写真が見られます。セビーリャの建物も同じような作りが多いです。

 https://cultura.cordoba.es/equipamientos/casa-gongora/image_large


(注3)アフリカ系と思われる褐色の肌をした

 原文がびっくりなんですよ。racialラシアル y morenoモレノ です。moreno は茶色から黒にかけての暗い色を指します。通常は暗い色の髪を指しますが、肌にも使えます。racial は「人種の」という意味の形容詞です。文法的にはちょっとおかしいんですが、訳すと「人種で(肌が)褐色の」となります。

 いや、マズイでしょ、そんな書き方……。これまでにも女性の描かれ方がなんだかなってのがいくつかありましたが、これはちょっと……💦 でもこれピメンテルさんだけの問題じゃないですよね。出版社だってノーチェックで出してるってことは、これでもオッケーな常識がバリバリ生きてるってことですよね。まあ、どこかの国でも「奴隷」とか「買う」とか「拾う」とか平気で言ってる本が出版されてるからあんまり変わんないですけどね……。


(注4)納本

 納本制度で、新しく出版された本は図書館などに納本することが法律で決まってるそうです。


 *  *  *


 ダダーン! シスネロス教授に怪しいフラグが立ちました! 孫娘の復活を祈って生贄を捧げているのでしょうか? アルタフィはローラからどんな話を聞き出すのでしょう……。


(初掲: 2024 年 9 月 6 日)

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