ドルメン 第 31 話 アルタフィ、ヘストソ元夫人に会いに行く

 六時間以上バスに揺られてムルシアに着いた(注1)ときには、アルタフィはへとへとだった。その日の午後中にエリサ シフエンテス(注2)を訪ね、夜は安い学生用のホステルに泊まり、翌日一番のバスで帰るつもりだった。タクシーに連れて行かれたシフエンテス家は、高級住宅街の中心にあった。予め言う言葉を用意して、ドアをノックした。


「どなた?」

 インターホンから女性の声が聞こえた。

「エリサ シフエンテスさんですか?」

「そうですけど……、何の御用?」

「お話がしたいんです。お時間はそれほどいただきません」

「話って何? セールスならお断りよ」

「ご主人についてお話がしたいのです。わたくし、発掘チームのメンバーでして……」

「昨日電話してきた人ね?」

「そうです。理由は言いそびれてしまったのですが、どうしてもお話がしたいのです。大切なことなんです」

 必死さが伝わったのだろう。彼女は許可をくれた。

「お入りなさい。少しなら時間がとれるわ」


 エリサ シフエンテスは、ふくよかな女性でゆるやかな部屋着を着けていた。てきぱきと動いたが、孤独と事件の辛さが作り出した皺が彼女を年老いて見せた。最初に見せた壁を取り払うと、彼女は愛情と友人を必要としている優しい女性のようだった。


「ルイスとは上手く行っていたの。時にちょっとしたケンカはあったけれど、すぐに仲直りして、幸せだった。お金にも困っていなかった。ルイスはエンジニアで稼ぎも良かったわ。あちこち引っ越ししたけれど、いつも安全で設備のいい家に住んだわ。一つだけ残念なのは子供が出来なかったことね」


 エリサとアルタフィは、座り心地の良いソファに腰掛けていた。ミルク入りのコーヒーが銀のトレイに乗って、良質なリネンのテーブルクロスの上に置かれていた。家の中は、隅々まできちんと清掃されていた。


「それがある出張から帰ってきて変わったの。彼は人目を避けるようになったわ。そして週末は山に行って古代の石を探すようになったの」

「古代の石?」

「考古学とか、ドルメンとか、そんなものよ」

「誰かと一緒でしたか?」

「大学での友達と一緒だと私には言っていたわ。あの頃はグラナダに住んでいて、彼はアンダルシア中あちこち行っていたの。南ポルトガルにも。巨石文化について博士論文を書くと言い出したのもその頃」

「山では何をしていたんですか?」

「知らないわ。話してくれなかったの。私が知っていたのは、大学の教授や考古学マニアと一緒だったってことだけ。何人かはエンジニアだったわ」

「エンジニア?」

「そう。その人たちのことをいつも褒めてたのよ。ドルメンの構造や建築工法を理解できるのは彼らだけだって。エンジニアにとって、ほかのエンジニアはかけがえのない理解者なのよ」

「わかります。私の父もエンジニアで、考古学ファンでした。もしかしたら二人は会っていたかも」

「ルイスは名前を言わなかったらわからないわね。ほかの付き合いはやめてしまったし。それから私たちはアルメリアに引っ越したの。友達と出掛けるようにハッパをかけたんだけど、無駄だったわ。夜は考古学の本を読んで、構造を研究してた。次の遠征を計画してるんだって言っていて、それだけが大切になっていったわ」

「お辛かったでしょう」

「その頃はそうでもなかったの。私には優しかったから。ただ、段々と無口になって……、ある日いなくなってしまった。ケンカをしたわけでもない。何の理由も無くよ。出ていって二度と帰ってこなかった……」


 エリサは黙り込んでしまった。彼女の目からは涙が流れていた。それはアルタフィも同じだった。辛い沈黙を分かち合い、互いにコーヒーを啜ることで泣いているのをごまかした。何もかもが同じで、心が痛んだ。鏡のように彼女の痛みがわかった。アルタフィの父のように、ルイスはエリサを捨てたのだ。何の説明も無しに。


「なぜ泣いているの」とエリサは尋ねた。こぼれ落ちた涙は頬を伝っており、彼女はそれをもう隠すこともせずに拭った。

「私の話がそんなに悲しかったかしら?」

「あなたの話は私の話そのものなんです。そして、私の母の話でもあります。だから、あなたの辛さが理解できて……。突然の蒸発ほど呆然とするものはないですよね」


 アルタフィは、自分たちの話をした。幸せで良き父がどんな風に空虚な存在になっていったか、家族に尽くしていた父親が明け方まで本を読みふけり、よくわからない出張で長いこと留守にするようになったか。エリサは、始終頷いて、アルタフィの一言ひとことに耳を傾けていた。

 アルタフィは、疲れ果てて話を終えたときに、なんとも言えない開放感に包まれた。親友にも言えずに抱えていた痛みとやるせなさをやっと、同じように理解できる人に話すことができたのだ。


「ごめんさない」と、微笑みらしい表情を繕ってアルタフィは言った。

「私がお話を聞きに来たはずなのに」

「いいのよ、私も話が聞けて良かったわ。初めて、自分の話を理解して、一緒にいてくれる人に会えたわ」

「あなたのご主人に起きたことと、私の父の出来事は同じですよね。絶対に関係している」

「でも、どうやって証明すればいいのかしら」

「関係者の名前を思い出せませんか。何かご主人は残していきませんでしたか? 手帳とか日記、地図。なんでもいいんです。彼が何を考えていたのかわかるものはありませんか」

「何も残していないのよ。さんざん探したのだけれど」

「どうしたらいいのかしら。二人とも巨石文化に執着して、他のことに構わなくなった。そして二人共蒸発してしまった」

「主人がいなくなってから何か月かは彼がどこにいるかわからなかったの。でも、時々電話をしてきたのよ。ごく事務的に元気にしているかどうか聞いていたわ。今考えると、自分がまだ生きていると知らせることで、私が警察に捜索願を出さないようにしていたのね」

「私の父も同じでした。でもある日離婚を申し出て……」

「そうよ、私も離婚を切り出されたわ。お金もちゃんと払って」

「父もそうでした……」

「ルイスは、何度か転職したの。いいエンジニアだったから仕事には困らなかった。でも、そのうちに手がかりを失ってしまったの。どこにいるのかもわからなくなった。ときどき、知り合いを通じて彼の噂を聞いたわ。そのうち私もここムルシアに越してきて。もう彼との生活を精算しようと思ったの。気持ち的には無理だったけど……。別れてから幸せと感じたことはないわ。そして彼の死亡を知らされて、崖から突き落とされたようだったわ」


「お葬式には出席できませんでしたね」

 アルタフィはそう言ってから後悔した。

「自分を許せないわ」

 そう言ってエリサは再び泣き出した。

「でも、誰も知らせてくれなかったの。ルイスには家族が居なかったの。お葬式から何日かして、警察から連絡があったの。気が遠くなったわ。死に方を聞いたら余計によ。一人で逝かせた自分が許せない」

「仕方がありませんでした。御自分を責めないでください」

「犬のように捨てられて、たった一人で埋葬されるなんて」

「彼は一人ではありませんでした。葬儀には私たちが参加しましたから」

 エリサは感謝の面持ちでアルタフィを見たが、何も言わなかった。


「あなたのお父さんに起きたことは、本当にルイスにそっくり。あなたの話を聞いて思ったのは、二人はドルメンの崇拝グループのようなものに入ったのじゃないかしら。自分の意志を抜き取られて、家族から引き離されて、どこか隠れ家のようなところに共同体として住んでいるような気がするわ。警察はその場所を見つけなくては」

「そうですね。そして理由はなんであれ、彼らは殺人を開始した……」

「ルイスが死ななくてはならないなんて……」


 アルタフィたちは冷たくなったコーヒーを飲んだ。会話はそろそろ終わりに近づいていた。エリサは立ち上がりながら言った。


「アルタフィ。あなたのお父さんとルイスには接点があったと思うわ。そして、ルイスは死に、あなたのお父さんはどこかに隠れている。あなたのお父さんは、ルイスの死に関係していると思う?」

 アルタフィも飛び跳ねるように立ち上がったが、質問に答えることはできなかった。


「悪く取らないでね。あなたのお父さんを疑っているわけじゃないの。ただ、すべてが不可思議過ぎて……」

「私の父は、ご主人の死に関わってはいないと思います」

 自信を持って伝わるようにアルタフィは言った。

 二人は互いに何かあれば連絡を取ることを約束し、友好的に別れを告げた。エリサはアルタフィに別れのキスをしながら、再び謝った。

「お父さんのことを疑うようなことを言ってごめんなさいね」

「いいんです。こんな状況では誰でも疑いたくなります。でも、私の父は殺人に無関係なはずです」


 アルタフィはホステルに向かいながら、エリサとの会話を再び辿った。アルタフィは、彼女にすべてを正直に話したが、実際は父の無実を信じてはいなかった。


 その晩アルタフィはマケダ警部に電話をして、エリサとの面会について報告した。

「ありがとう、アルタフィ。君の話は、我々の仮説と矛盾しない。こちらでも調査を進めている」

「あの、ヘストソさんの自宅に私の父が住んでいなかったか、調べてみてくれませんか?」

「どうしてだね?」

「なんとなく、そんな気がするんです」


 電話を切りながら、アルタフィは大学で初めてルイス ヘストソに会ったときの彼の応対を思い出していた。発掘チームの一員だと紹介されたときに、彼はとても親しげだった。あたかも、アルタフィの存在を知っていたかのように。多分、彼はアルタフィの父から彼女のことを聞いていたのではないか。だから彼女をカラスコと共に彼の家へ招いたのではではないだろうか。アルタフィがこれから同僚となる者への挨拶だと思っていたものは、実はルイス ヘストソとアルトゥーロ メンドーサの二人の旧友の間の厚意だったのではないか。二人は知り合いだったに違いない。そして双方とも蒸発し、ルイスは死んだ。アルタフィの父は生きている。その晩、アルタフィは床に着きながら自分の父の無実を信じようとした。が、それは無為に終わった。



 *  *  *


(注1)六時間以上バスに揺られてムルシアに着いた

 スペインが四角形だったとしたら、セビーリャは四角の左下隅に、ムルシアは右下隅にある感じです。距離的には京都−東京間とほぼ同じです。驚くことに、スペインはこの二都市を直接結ぶ列車がありません。セビーリャから北にあるマドリッドに三時間近くかけて行ってから、また三時間南下してムルシアに行くという感じです。唯一直行できるのが長距離バスで、約七時間かかります。東京から京都に行く高速バスも八時間かかるらしいので、アルタフィは京都から東京に高速バスでエリサさんに会いに行った感じだと想像してください。


(注2)エリサ シフエンテス

 ヘストソさんと元奥さんの苗字が異なっていますが、これは離婚したからではありません。スペインは夫婦別姓です。子供は両親の苗字を一つずつ引き継ぎ、父方の苗字が最初に来て、普段はこちらの苗字を使います。

 例えば、ヘストソさんとエリサさんの間にフアンという子供がいたとしたら、彼の名前はフアン ヘストソ シフエンテスとなります。普通に名乗る場合は、フアン ヘストソとなります。



(初掲: 2024 年 8 月 27 日)


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