ドルメン 第 21 話 アルタフィの長い一日(1)― シスネロス教授を訪ねる
アルタフィは延びのびになっていたシスネロス教授との面会のために学部へ向かいますが、道中マルタから電話があって、「あの」ジョン ボイルと今夜食事の約束をしたと告げられます。んが、これからシスネロス教授に会ったり、アントニオ パレデスの家に行ったりするので、ジョン ボイルに辿り着くまでにはまだ時間がかかりそうです。
* * *
その晩アルタフィはほとんど眠れなかった。殺人、父のこと、ドルメンに閉じ込められた恐怖が脳裏を行き来した。しかし、気を取り直して考えた。何か行動を起こさなくては。
無実を証明するために、自分や他の人が殺されないために、惨事を止めるために、父を取り戻すために……。明け方近くになる頃には、考えがまとまっていた。
最初に学部に行って、シスネロス教授にこれまでに起きたすべてを知らせよう。そしてアントニオ パレデスの住所を調べよう。ロベルトが彼に渡した書類を取り出そうとしたはずだ。
警察にはアントニオとの会話を一切話さなかった。いや、その機会が無かったのだ。今から警察に呼ばれたらなら、パレデスと会ったことと、サウサの書類についてをすぐに話すことだろう。そして、父親についても……。
「アルタフィ!」
朝一番でアルタフィはマルタからの電話を受けた。
「怖過ぎでしょ! アンテケラのドルメンでの殺人事件があったって、知ってる? あんた何か関係してるの?」
「……うん、実は……」
「今すぐセビーリャからどっかに行きな! すぐだよ!」
「落ち着いて。私には何も起きてないから。心配することなんてないから」とアルタフィは嘘を吐いた。
「ウチワサボテンの近くの風船くらい危ないって!(注 1) マジでめちゃくちゃ心配してんだよ、こっちは! 悪魔の組織の生贄にされて欲しくないんだよ……」
「悪魔の組織って……、なんでそんなこと言うの?」
「こんな悪行ができるのは悪魔くらいしかいないじゃん」
馬鹿げた考えにも程があるが、マルタは正しい気がした。悪魔以外に誰があんな凶行をなし得るだろう?
「ところで」とマルタは続けた。「こないだ話した小難しいイギリス人と今夜食事することにしたよ。あんたの悪運を払ってくれるっていう」
「食事って……?」
「え、だから、あんたとあたしと。あたしに一人で行けって言わないよね?」
「そんなこと言わないけど……」
「ボイル氏は別の呪術師も連れてくるって。普段は『魔術師』として仕事してるらしいよ。カード ゲームとかああいうヤツ。バーとか小さい劇場で興行してるんだってさ」
いつものようにアルタフィはマルタに白旗を上げた。彼女の考えに面白さを覚え、従ったのだ。
マルタとの電話を切った後、アルタフィはシスネロス教授に会うために学部へ行った。彼のオフィスに向かいながら、教授の飄々とした雰囲気や彼が手にした本、机の上に山のように積まれた書籍や書類を想像した。あの無秩序と混沌のエントロピーのジャングルの中でどうやって仕事ができるのが不思議だった。
「先生……」
アルタフィが最初に声をかけたとき、シスネロス教授は書類に夢中だった。
「先生!」
机に近づきながら、再度声をかけた。
「おお、アルタフィか。」
教授はやっとアルタフィに気が付いた。
「よく来てくれた。心配していたんだよ。学部の皆はショックを受けて大変だ。誰も事件を把握しきれていない」
アルタフィはシスネロス教授にこれまでにあったすべてを簡単に話した。どうにか泣き出さずに恐怖を伝えた。
「アルタフィ、知れば知るほど私は怖くなってね。前例の無い何かへ引き込まれていくようだよ。パストラの発掘に君を推薦したことを後悔しているよ。発掘隊へ入らなければ、君を危険にさらすことは無かっただろう。責任を感じている」
「誰にもわからなかったことです。良かれと思って推薦してくださったんですから。ただ、今のところ、私達は容疑者です」
「容疑者? 君が容疑者だって?」
「そうです。私とマノロ カラスコ教授、アルフレド グティエレス、そしてチーム全員が、です」
「道理に合わんな」
「そのとおりです、が、それが現状なんです。どうしたらいいかわかりません」
「今のところは、身の回りによくよく注意してくれ」
「そのつもりです……」
「アルタフィ、一連の事件について何が起きているんだと思うかね? すべてがまったく不可思議だ。怪しいと思う人物はいるかね?」
「いいえ。何度も考えてみましたが、動機も犯人も思い浮かびませんでした。私の友人は、悪魔の組織の仕業だと何度か言っていますが……」
「悪魔の組織? 信じられんな……。そういった集団は、多くて四人ぐらいの小さなものだ。そして、悪魔の民話や黒ミサ、逆十字などの馬鹿げた考えに基づいている。そんな無知な者たちがどうやって逆鐘形土器を手に入れたと言うのかね? 私はもっと悪意を感じる」
「悪意? どういうことですか、先生?」
「私も具体的なことは掴めていないし、直感の範囲なんだが、何か極めて有害な衝動を感じるのだ……」
「失礼ですが、それは当然なのでは? 既に三人も殺されていては」
「しかし、もし本当に悪意に突き動かされて殺人を繰り返しているとすれば、陰惨な事件はこれからも続くだろう」
「犯人たちは何を求めているんでしょうか? 何かを探しているんでしょうか?」
「わからんな。真の悪は目的など持たないものだよ。他人の痛みと恐怖を楽しむだけだ」
「なんて恐ろしい……。どうしてそんなことをしたいと思えるのかしら?」
「アルタフィ、覚えておきなさい。人が悪を選ぶのではない。悪が自らを体現する人を選ぶのだよ。彼らの論理は理解できないものだ。悪を前にして、できる対処は二つだけだ。一つは、その先に待つ悪に向かい合うのを避ける。二つ目は、万が一出会ってしまったとき、自らを守れるだけ守る」
「しかし、悪は既に私たちに訪れてしまった……」
「残念ながらそのようだ。ともかく気をつけてくれよ」
シスネロス教授は、目を通していた書類を大学のロゴの付いたフォルダーにしまうと、眼鏡を外した。それから、緊張をほぐすかのように、アルタフィに彼女の母親について尋ねた。
「お母さんは元気かね? もう長いこと会っていないな……」
「母は元気です。そして教授がいろいろと私を助けてくださっていることに感謝しています」
「君のお母さんは素晴らしい人だよ。それからお父さんについて……何かわかったことはあるかね? 彼のことはとても評価していたんだが、突然蒸発してしまったことには当惑したよ……」
「何も進展はありません」
アルタフィは居心地の悪さを感じながら答えた。
「いつかきっと帰ってくるよ。君たちを愛しているはずだ。何か新たにわかったことがあったらすぐに知らせてくれたまえよ」
「もちろんです。先生のお言葉とお力添え、感謝します。それでは、これで失礼します。次に行くところがありますので」
部屋を辞するときに、アルタフィは教授の目の中のちらつきに気が付いた。それは恐怖だった。老練なシスネロス教授が恐怖している。それも強烈に。
アルタフィも同様だった。教授の気持ちは痛いほど理解できた。拷問され、心臓を抜かれて死んだ者がいる。自分もその中に加わる可能性は高いのだ。目的を持たない悪――アルタフィは教授の言葉を繰り返した――他人に与えられた苦痛を喜ぶ者。
アルタフィは歴史学部のある校舎を足早に立ち去った。
* * *
(注 1)ウチワサボテンの近くの風船くらい危ない
日本人には無い発想の比喩ですね。ウチワサボテンはマンガや西部劇によく出てくる平たいサボテンです。スペインでは身近な植物で、ときどき路上でウチワサボテンの実を売る出店を見かけます。
* * *
今回はまっとうな回でした。本文では省略しましたが、事件によって発掘が中止されてしまったので、アルタフィは教授に仕事の斡旋もお願いしています。「なんでもします」と言っていて、教授も「難しいが探してみよう」と答えていました。「なんでもする」なら、自分でアルバイト ニュースでも買え! とつい思ってしまうのは、ゆとり世代にイラつくバブル世代の
(初掲: 2024 年 7 月 16 日)
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